2002年 3月

2002/03/31   女神的存在・・・アイドル

弊社が加盟する日本トータライフ協会には、特筆すべきメンバー達が多く、数社をこの「独り言」で紹介することだけでも、協会活動が営利を目的としない「理念共有活動団体」であることをご理解いただけるだろう。
 
高知市に在する「おかざき葬儀社」は、「愛」と「癒し」の理念を重要視され、感性あふれる葬儀の実践から話題を呼んでいます。
 
基本的に、一日に「お一方」だけの葬儀しか受注されないという経営方針。それで、お客様が2日間でもお待ちになるという現実。それだけでもどんなレベルにあるか推察出来る筈です。

その肌理細やかなお客様への配慮は、弊社がまだまだ到達出来ないレベルにあると考え、弊社の社員一同が、研鑽させていただく同業者の一社として、心に刻んでいます。

私自身、何度か参上させていただいたが、行く度にカルチャーショックに陥り帰阪する。

お客様に直接接しておられるのは「岡崎 道」さん。女性である。

彼女のオリジナリティな発案サービスは、協会メンバーの間でも脚光を浴び、今や協会が誇るアイドル、いや「女神的存在」にもなっている。
 
先々月に、大阪でNPO団体主催の愚生をゲスト講師とした講演会が行なわれたが、彼女が前日に出席を表明されると、九州、北海道のメンバー達も参加をされてきたことからも、その崇拝される存在価値がお分かりいただけるだろう。

 ノウハウ、ソフト、企業秘密ということから、ここでのオープン化は出来ませんが、優れた感性に生まれるナレーション、シナリオ創作力。また、業界内ではトップレベルと評価されるIT技術を見事に活用され、女性らしさを感じるホスピタリティサービスの具現化は、今後の葬祭業界のあるべき姿だと確信しているところです。

 来月の協会研修会が高知で開催されることになり、出席者の多さから予定会場の変更を考えなければならない状況で、IT委員会や事務局担当役員達が嬉しい悲鳴をあげているようです。

 「時の流れに心を刻む職人、身の丈にあったあたたかい情報化の実践人を目指します」

これは彼女からのメールなどの終章にしたためられる言葉ですが、いかにも彼女らしい表現であると感じ入っています。
 
そんな彼女が、3月26日から、ホームページ内に女性らしいコラム「ほっと一息」を発信されています。これは、画像まで入った「美」の世界をうまく表現されており、毎日の訪問を楽しみにしています。
 
因みに30日の画像は「満開の桜」。それを拝見した私は、明日の掲示板にこの数日に行なわれた葬儀の中で朗読した、ナレーションの一部を表記しようと考えています。

 「爛漫と咲き誇る桜の花が、一輪一輪と散りゆく風情に物悲しさを覚えます。桜の花は、ご家族の皆様にとって、なんとも忘れえぬ悲しい思い出の風物詩となってしまいました」
 
「おかざき葬儀社」さんのHPは、弊社HPサイトマップの「日本トータライフ協会」「協会加盟企業よりのコメント」からも入り口がございますが、アドレスを下記いたしますので、是非、四国、中国統括支局長 おかざき葬儀社が発信されるコラム「ほっと一息」をご訪問いただき、美しい画像と文章の世界に接してくださいますよう、衷心よりお願い申し上げます。

      おかざき葬儀社   http://www.joho-kochi.or.jp/okazaki/

2002/03/30   独 り 言

この「独り言」を始めてから、間もなく一月を迎えようとしています。また、日本トータライフ協会のコラム「有為転変」も、もうすぐ70日目がやってきます。

信じられないぐらい多くのアクセスを頂戴し、身の引き締まる思いで推敲していますが、毎日とは本当に大変な責務。ある高僧の「自分で選んだ道なのに、自分で迷うことばかり」というお言葉を思い浮かべながらも、大変な苦労を感じています。

 長年のえにしに結ばれる友人達からの感想メールの中に、「初老の身で青春時代を過ごしているじゃないか」と言うのがあり、<そうなんだ>と素直に思ってしまうのが単細胞の私。

携帯電話は「通話が出来ればよい」と言い切っていたことからすれば、彼らは、私のインターネットの活用が「青天の霹靂」との思いを抱いているらしい。

正直に申し上げて、私はパソコンの機能の一万分の一も活用していない。ただ文字を列記して支離滅裂な文章を打ち込んでいるだけ。出張に際しノートパソコンを伴ってはいるが、新幹線の中では恥ずかしくて打ち込む姿は見せられない。なぜならば、右手の人指し指一本で打っているからだ。

昔に数冊の著書を発刊したが、それらはすべて原稿用紙に鉛筆で手書きしたもの。その頃からすると、ページの開き易さ、添削、原稿の持ち運びなど、こんな便利な機能はないと実感しているが、人の10倍も時間を要しても、正式な指の運び方を勉強しないところが私の頑固なところ。これは死ぬまで変わることはないだろう。
 
研修会などで若いメンバー達に冷やかされることもあるが、「ハイテクの活用はロウテクの世界があってこそ生きる」なんて、負け惜しみの言葉で対抗をしている。
 
もっと恥ずかしい話を表面化すると、転換出来ない漢字が登場した場合、東京のメンバーに電話を掛け、画面を見ながら指導を仰いでいる。それは、社員に馬鹿にされたくないというプライドがあるからで、これも直らないと確信しているが、相手にとっては大変な迷惑で、きっと辟易している筈だ。
 
しかし、そんなメンバーや友人達の存在は有り難い。笑覧の後、文字の誤りを発見してくれ、すぐに一報をくれる。そのお陰で何度打ち込みをやり直しただろうか。数え切れない。

過去に遡って読み返すと、これまで発信の文章の中には多くの文字の間違いや句読点の誤りの個所がある。だが、敢えてそのままにしてある。それは私自身の能力の表面化と歴史。半年後、1年後の文章と比べてみたいとの思いが込められている。
 
文章を「書く」こと、それは恥を「掻く」こと。一生「恥の掻きっぱなし」それも私の人生らしいと考えている。
 
「生意気な」とご批判をされる方もご多数おられるでしょうが、本当の生意気な部分は、近い将来に展開されるだろう。それは、きっと衝撃的な提議として社会を騒がせることになるかも知れない。しかし、1万人以上のご終焉儀式の司会に携わり、故人の人生の取材からナレーション原稿を作成した体験から、死に様、生き様については自分の責任で自身のシナリオを創ることを学んだ。

病院の白い天井を眺めながら、自身の「生」の終焉の訪れを悟ったとき、過去を振り返って後悔のない人生でありたい。それだけは願っている。

2002/03/29   ホテル葬サービスの「致命的欠陥」  後 編 

東京のある有名なホテルのバンケット担当支配人が、「これからの社葬は、遺族を割愛する方向になります」と発言されておられたが、彼のお考えは、社葬を完全なイベントと捉え、企業間の交誼を結ぶ形式的なものと認識されておられるようで、最悪の方向に向かっていると断言するところである。

宗教者を歓迎せず、ご遺族を割愛する社葬など、故人への最大の冒涜であり、ホテル本来のホスピタリティの欠片も感じないお粗末な発想であろうし、その提案に乗せられて施行をされてしまった企業は、確実に世間の物笑いの対象となるだろう。

 日本の文化は「神仏と共食」にあると言えるだろう。神事に伴う「直会」、仏事に伴う「御斎」など、これらはすべて「第1部」を重要視して成り立ってきたものであり、「第2部」のみを売り物に考えるホテルの仏事サービスは、礼儀と節度という「礼節」を全く無視した方向性を見せている。

 今、東京、大阪を中心にする大都市圏で行なわれている「ホテル社葬の実態」をご存じだろうか。受付後に通路を進み、会場の入り口で手渡された一輪の花を持って祭壇前で献花。祭壇の横に並ばれた立礼者の前で目礼のうえお食事会場に流れる。

そこには新聞黒枠広告に堂々と明記されているように、「儀式らしいことは一切いたしません」と言うとおりの進行が行なわれている。こんな異様な光景がホテルで行なわれている。

時折、故人の遺品を展示されているコーナーを見かけることもあるが、稀である。
 
立礼者の中におられるご遺族、どのようなご心中で立っておられるのだろうか。また、ご祭壇に飾られたご遺影の存在に対して、祭壇が何の意味を成すものなのだろうか。故人に対してこれ以上の失礼はないでのでは。「意義は何処に消えたの?」。そう感じることが上述の「礼節を欠く」という発言となっているのです。

 ホテル側が独自で構築された「お食事中心型」のこのサービス。参列者の体験による既成事実は恐ろしく、それがホテル葬の「かたち」と信じてしまう傾向が生まれている現状に極寒の淋しさと恐ろしさを感じているが、ブランドが先走りされた一流ホテル、そのブランドに許される「驕り」に気付かれたお客様の存在。それは、ご遺族への謝罪で済む問題ではない。

「故人が悲しんでいるだろう。故人に申し訳がない」。そんなお言葉に対して、ホテル側はどんな言葉で謝罪を表されるのだろうか、非常に興味を抱くこの頃である。

 ホテルが積極的に仏事サービスに取り組まれた背景には、少子化やブライダルスタイルの変化、また、社会の経済不況による祝賀会の自粛、減少もあるだろうが、契約される大手フラワー会社との両社が、自社側だけの利益追求に走った姿が現状であり、お客様のご満足の価値観は、ホテル空間だけにしかないというレベルにあることは否めないだろう。

 私がホテル業界の一部からオファーを頂戴しているのは、ご遺族、参列者のご満足を重要視しているからであり、ご体験をされた方々からは感動のお言葉と、賛同のお声を頂戴するソフト、ノウハウが認知されてきたからであると自負しているが、パック形式を売り物にされている大手ホテルとは同一視されたくはないし、お客様、ホテル側の要望に応えて、宗教者をお迎えする形式のプロデュースと共に、無宗教形式に於ける「司式」の資質に誇りを抱くところに付加価値があると信じている。

上述の意識レベルでホテルサービスを謳っておられるのは、ボタンの掛け違えで済まされない危険性を秘めていることだけはご認識いただきたいし、私の発案による様々な知的財産に帰属するソフトが、あちこちのホテルのパンフや式進行の中に登場している現実もあり、礼節を大切にされるホテルが犯す重大な礼節違反に対して、今、この「独り言」で敢えて忠告を申し上げなければならない時期を迎えているようだ。

2002/03/28   ホテル葬サービスの「致命的な欠陥」  前 編   

この「独り言」のコーナーで、3月14日分「情報 社葬・・急変時代」に前述したホテルの仏事サービスの欠陥について、ご批判を覚悟の上でしたためさせていただくが、
今後にますます多くなる「偲ぶ会」「お別れ会」「社葬」など、ホテルに於ける葬送サービス提供に際して、少しでも意識改革につながれば幸いと考えている。
 
ホテルの語源はラテン語の「ホスピターレ」。徒歩やラクダに頼るしか方法がなかった遠い昔に遡れば、「一生に一度は」と、宗教聖地であるメッカに向けての道中に身を休める場所のこと。現在のホスピタル(病院)やホスピスの言葉にもつながっている。
 
一方で現在のホテルは、ありとあらゆるサービスを提供するプロ達が存在し、グレードの高い「人」のサービスと「環境空間」の提供を誇りとされている。
 
そこでクオリティが評価されるのは「ホスピタリティ」精神だが、最もホスピタリティを必要とされるのは「お悲しみ」のお客様。その方々に対応出来る「プロ」の存在がないことは、ホテルサービスの大きな欠陥であると言えないだろうか。
 
終戦後、数年の時の流れにブライダルの「式」と「宴」がホテルで行なわれることになったが、それまでの結婚式は、神社、料亭内に設けられた神殿などで執り行われ、隣接する宴会場で披露宴が行なわれていた。
 
その当時、ホテル業界は「披露宴のみ」にターゲットを絞っていたが、新郎新婦、出席者達の「移動」に生まれる抵抗感に応え、やがてホテル内での神殿誕生を迎えることになり、着付け、貸衣装、写真撮影、司会などの総合サービスに至ったのである。

多くのホテル関係者が、「ホテルに於ける仏事ビジネスは、ブライダルの歴史を辿っている」と発言されているが、私は「似ているが<異>なこと」と確信している。
 
確かに、<法事は「ご自宅かお寺」で、御斎の「お食事だけをホテル」で>の部分では似通っており、法要に関してはお客様のご要望から、稀に「お寺様」を迎えられることもある。

しかし、その対応たるや失礼の極みで、焼香禁止、お経は短く、法話はご遠慮との姿勢が強く、中にはスタッフ専用通路に椅子がポツンと置かれ、そこで着替えを要請されたと怒りを顕わにしておられたご住職もおられるように、ホテル業界の本音、それは、宗教者を絶対的に歓迎していない姿勢があり、その背景には、宗教者に対応可能なプロの存在がないという事実と共に、ご遺族の「お悲しみ」の理解をされていないことがある筈だ。 

社葬にあっても同様で、大半のホテルが宗教者を歓迎されず、無宗教形式を奨励されているが、ここに大きな落とし穴が存在していることに気付く人は少ないようだ。
 
 今後、招待形式が主流となるであろうホテル社葬。「お別れ会」「偲ぶ会」と言葉表現が変わっても、故人との「思い出」を「形見」としてお持ち帰りいただくという、ホスピタリティ理念だけは忘れたくないものだ。

 儀式を割愛されても「礼節」は絶対不可欠。それはサービスというレベルのものではない。その言葉は儀式性の空間が完成して初めて使える言葉。この部分に現在のホテルサービスの欠陥が凝縮しているように思える。

 莫大な費用を要されて行なわれたホテル社葬。それを施主として主催された企業が、多くの参列者に嘲笑されている実態をご存じないホテル。一流ブランドに助けられている「原点を見失った」三流サービスが、近い将来に致命的な怒りのターゲットになるだろう。

    ・・・・明日に続きます

2002/03/27   参りました・・・それは、ないでしょう!!

一昨日、東京からテレビの取材がやってこられた。
番組は平日の夕方から放送されている「木村太郎さん・安藤優子さん」の<FNNスーパー・ニュース>だそうだが、今回の取材の目的は、オリジナルCD「慈曲」の作曲で話題を集めておられる「美濃美鈴(本名・・高橋美鈴)」さん。

「葬儀音楽に魅せられた女性」というタイトルの特集で、CDの監修を担当した私にも出番が回ってきたということです。

彼女の自宅にあるスタジオで、演奏者への指導の模様を撮影後、実際の仕事の現場であるホテルで、葬儀の始まる前に行なわれる、私との音楽シナリオの打ち合わせ風景を撮影された。

 その後、葬儀に於ける演出音楽の重要性についてのインタビューを受けたが、「大切な方」の「大切な儀式」に「大切な宗教者」を迎える環境づくり。つまり、会場空間を儀式空間として「神変」させることの重要性と、故人愛唱歌のご要望の多さを語らせていただいた。

 撮影された映像は当然、編集され、大半がカットされてしまうものだが、インタビューの中で面白い話に進展したので報告いたします。

 それは「故人の愛唱歌」についての問題で、彼女の瞬間的な編曲力のパワーを力説していた中で発展し、次のような会話が交わされた。

 「この曲は、絶対に流すべきではない。式場の雰囲気を壊す。そんな場合はどうするのですか?」
 「さりげなく曲を変更いただく方向へ説得します。しかし、ご遺族が<絶対>という場合には、その旨をコメントで紹介してから流します」
 「これまでの経験で、これは困った。とんでもない曲だと思われたのは?」
 「コーヒールンバです。故人が西田佐知子さんの大ファンで、いつも歌っておられたことから、どうしてもとご要望されたのです」
 「コーヒールンバ、それをお葬式の中で演奏されたのですか!? 皆さん、さぞかし驚かれたでしょうね?」
 「彼女と前日に打ち合わせをしたのですが、<お任せください。コーヒールンバのレクイエムバージョン、可能です>と自信たっぷりに答えられるので、お任せしました。でも、本番前には確認のために聴かせていただきましたが」
 「それで、どうっだんです?」
 「葬儀が終わった後、ご遺族に大満足のお声を頂戴することになりました」

 リポーターと私の上記のやりとりが終わった後、6人おられた取材スタッフ全員が、どうも信じられない様子で、やがて、一人の女性の方が「聴かせていただけませんか?」と手を合わすような仕草で彼女に懇願された。
 そして、すぐに、もの凄くアップテンポなコーヒールンバの演奏が始まった。
 
続いて、いよいよレクイエムバージョン。注目を一心に集め、シンセサイザーの音色が流れる。完全なクラシックイメージ。
曲が終わった。しばし静寂の後に、全員の拍手が贈られた。

「凄い。凄いわ。別世界。そんな感じ」

 若い女性らしい言葉表現での賛辞であったが、その裏側でディレクターは「さすが」という行動をされていた。カメラマンにこの演奏の光景を撮影させていたのである。

 やがて、収録が終わったが、そこでショックなことを知ることとなった。放送は今月中だそうだが、我々の部分が放送電波に乗るのは東京を中心とする東日本だけ。大阪では見ることが出来ないのです。
   ・・・・・参りました・・それは、ないでしょう!!

2002/03/26   ホテル葬・・ハプニング   後 編 

時間的な調整がなされているとはいえ、最新の注意が必要である。そこで、想像しなかった事件とは、お部屋に着替えに行かれたブライダル出席者の方が、エレベーターのボタンの誤りから迷われ、声のする我々のいる部屋を間違って開けてしまったのである。

即座の対応はプロデューサーである私の仕事。こんな場合の絶対的なトークも持ち合わせてはいるが、設営されたご祭壇を見られたときの驚きの表情には、そんなトークが通用しない心情に襲われて当然であり、ご遺族がやって来られるまでの3時間の余裕、それだけが救いであった。

一瞬の静寂。そして、しばらくして一人の女性が「きれい、初めて見たわ。やっぱりホテルね」という言葉を出された。
そこで私の登場、ホスピタリティを提供するホテル本来の仕事、お悲しみのご遺族を癒し慰めるホテルサービスの薀蓄羅列のオンパレード。

「最近、ホテルでお葬式が増えているそうね」「新聞やテレビで見たこともあるわよ」
「私も、こんな祭壇なら歓迎よ。大きな声で言えないけれど、家の婆ちゃん、きっと喜ぶわよ。」
そんな言葉が交わされる。まるで「お葬式フェア」会場の光景のようだ。

ブライダルのお客様なのに、こんな会話となることは予想もしなかったが、なにより現代的でシンプルな祭壇で、ホテルらしいイメージが功を奏したらしい。

事件は、それだけでは終わらなかった。その方々が「話の種になるものを見せていただいて有り難う」と言って部屋を出られてから10分も経たない内に、なんと会話の中に登場した「婆ちゃん」ご本人が、先ほどの方々に連れられて、留め袖姿でやって来られたのである。

共に入ってこられたのは7,8人はおられただろう。ご遺族に早くやって来られる方がいないことを祈るばかり。

「ほんと、きれい。私の時はこれがいいわ。ごめんなさいね。非常識な衣装で。ホテルの方にお聞きしたら、ご家族や参列の方々が来られるのは夕方だそうで、スタッフの方だけと伺って参上したのです」

成り行きが恐ろしくなってきたとき、お婆ちゃんは、飾られたご遺影に手を合わされ、やがて、袂から香典袋を取り出され、ご仏前にお供えをとおっしゃるのである。

私が責任者として、頑なに辞退を申し上げていると、お婆ちゃんのお説教が始まった。

「みんなもよく聴いておきなさい。今日は私の可愛い孫娘の結婚式。そして、ここでお葬式。当家にとって、こんな目出度いことはないのよ。昔、私の郷では婚礼の行列をするとき、わざわざお葬式を探すことや、お墓の前を通ったりしたこともあったぐらいで、もしも道中で葬列に出会えば最高に目出度いという教えがあったの。花嫁が死を迎えるまで相手の家に嫁ぐ。つまり<帰って来ない>という意味なの。これが<縁起>ということ。覚えておきなさい。さあ、みんな、<有り難うございます>と、手を合わせましょう」

お香典は、ご事情を説明し、ご遺族にお渡ししたが、ご遺族と共にお婆ちゃんに合掌をしたのは言うまでもない。しかし、お香典返しについては感知していない。

2002/03/25   ホテル葬・・ハプニング   前 編

ホテルで行なわれる「お別れ会」「偲ぶ会」が多くなり、ホテルに於ける「社葬」は、今やビジネス社会でも常識化しつつある。
 
受注の際、ホテル側が重要視することは日程の決定で、会場スペースが別棟になっていないところでは、同じフロアにブライダルや祝賀会のない日が選ばれている。

 これまでに様々なホテルでプロデュースを担当させていただいたが、プロとして描いたシナリオになかった「予期せぬ事態」も何度か体験した。

 ある社葬の日程調整を行なっているとき、お客様がどうしてもこの日しか出来ないという条件を付されて懇願されたことがあった。それは葬儀委員長をつとめられる方のスケジュールの重要視からで、大切な得意先の社長でもあり、委員長を変更することが絶対に出来ないということだった。

 ホテル側と検討に入ったとき、同日、同時間、隣接会場で、ある企業さんの創立記念祝賀会が行なわれることが分かった。

<これでは、絶対に無理だ>との判断から、電話で事情説明の一報を差し上げたが、それから10分も経たない内にお電話があり、「その日、決行です」とおっしゃられた。
 電話による会話というものは誤解が生じるもので、私は「その日、結構」ですと、他の日に変更されることになったと勝手な判断をしていたところ、先方も気付かれたようで、「行なうという意味の決行です」と念を押されてこられた。

 祝賀会の隣で社葬、これはお互いに大変な問題であるが、その旨をもう一度説明しなければならないと思う間もなく「先方さんと話が付きました」と言葉が返ってきた。

 それによると、祝賀会を開かれる企業さんが委員長さんに関係のある会社で、すぐにOKのご返事をいただいたそうである。

 各会場が密室化され、音響の問題はクリア出来るが、共有するスペースとなるロビーやフロアの受付では大変である。
幸いに大きなホテルで、思っていた心配もなくスムーズに流れる本番となったが、開式前に白ネクタイと黒ネクタイの会場の交流が行なわれ、貴重な体験として、不思議な光景を垣間見ることになった。
 
さて、あるホテルの会場で、300人程度規模のお通夜の準備を行っていた。そのすぐ上のフロアではブライダルが行なわれており間もなくお開きになる頃。とんでもない事態が発生した。

プロの私が驚いた結末。     ・・・明日に続きます

2002/03/24   いい加減にしてください     後 編

「奥様は送りたい。ご親戚の皆様は送ってはいけない。そんな事件となっていますが。送ってはいけないという根拠はなんでしょうか?」

 そこから、つまらない慣習の戦いに貴重な時間を消費することになったが、反対派の意見は強硬の姿勢を崩さない。やがて、怒りが心頭してきた。

「それは皆さんの地での慣習です。昔、奥様が喪主の場合、貞節を表明する姿として、嫁がれて来た時の白無垢姿をされる風習の地がありました。でも、よくお考え下さい。今、ご出棺というところで、再婚という言葉を発言されるということが、どんなに不謹慎なことかご理解されていますか。お棺の中におられるご主人様は悲しんでおられないでしょうか。ここで、僭越ですがプロとして提案を申し上げます。このご決断に重要なことは、後悔という問題です。おそらく奥様は、送られなかったら一生後悔されることになります。しかし、送られて、皆様から貞節観のない嫁だと非難されても、きっと堪えることが出来るでしょうし、その覚悟もされておられる筈です。ここで結論を申し上げます。このご決断の権利は喪主である奥様にしかありません。奥様のご判断で決めてあげるべきです」

 そのとき、近くにおられた会葬者の中から数人が、「そうだ、その通りだ」というお言葉のエールを贈ってくださいました。そして、一人の年配の女性が「私でも送るよ。誰が何と言っても送る。妻が主人の最期を見届けなくてどうするの」と、奥様への応援団長的な発言をされたが、その後に続いた「でも、私の場合じゃ、再婚の話題なんか出ないけどね」という、反対派への皮肉の言葉に、周りが一瞬、静まった。

 やがて、奥様は火葬場に向けて出発をされたが、その後のことは耳にしていない。 

 私が上記の行動に出た背景には、その時には言わなかったもう一つの思いがあった。もしも自分が霊柩車の中に眠っている立場だったらどうかということだ。送って欲しいと思うのが「情」ではないだろうか。

慣習に関する質問は多い。毎日、電話も掛かるし、友人の喫茶店で過ごすひとときにも聞かれる。

夫の代理で参列するとき、記帳する名前はどうするの?
参列する時に許されるアクセサリーは?
喪中に正月を迎えるのですが、おせち料理はどうするの?
祝儀と不祝儀で、お札の向きや裏表はどうするの?
火葬場からの帰りは、行きと違った道を通らなければならないのですね?
門徒は一膳飯はいらないのですか?

 様々なご質問を頂戴いたしますが、ご理解へのご参考になればとの思いを託し、このホームページ内に、そんなコーナーを構築しました。
慣習、しきたりだけではなく、仏事に関するすべてと言ったら過言ですが、便利帳としてご活用くだされば幸甚です。

「お葬式大百科」をお開けください。そして、お葬式の博士になってください・・・

2002/03/23   いい加減にしてください    前 編

「葬儀は人を集め、人を走らせる」という言葉があります。

全国からご親戚や「えにし」に結ばれる方々が寄られ、人生の通過儀礼であるご終焉の儀式に参列されますが、それぞれが持ち寄られる地域的な慣習の異なりによるトラブルも多く発生しています。

どこかで耳にされた「小さな慣習」、それは、本家、分家の力関係の中で大きなパワーを発揮してしまい、また、新しい慣習を誕生させることもあります。

慣習とは、一体、誰が決めてしまったものなのでしょうか。
IT社会の中にあっても、葬儀に関する確実な情報把握は薄く、若い方や日頃に立派な哲学を語っておられる方でも、こと葬儀に関する慣習には流される社会構造があり、変革のスピードにブレーキを掛けているように思えてなりません。

親戚間の慣習によるトラブル、その解決にプロである筈のお寺様にご質問をされるケースは少なく、私達に問い合わせをされることが多いようです。
ご質問をされてくる場合、ご自身の考え方に同調を求めてこられるところに特徴があり、専門家のアドバイスすら聞く耳を持たない姿勢を感じます。なぜなら、その時点でトラブルに対する怒りが生まれているからであり、私は絶対に裁判官的な立場に立たないようにつとめています。

「四十九日が3ヶ月に跨ってはいけない」、そんな会話が、すべての葬儀の場で登場してきます。なぜ、いけないのでしょう。そんなことを誰が決めたのでしょうか。

 納得の生まれる説得、この「3ヶ月」問題をアドバイスするには、大変な時間を要する物語で説明しなければなりません。その証拠に、私は「あの世の旅」という小説で、400字詰原稿用紙を635ページも要しました。

 初七日から満中影までの7回の法要。5回目の七日目を迎える「三十五日」の閻魔大王の登場など、中陰についての説明は簡単ではないのですが、これが単純な語呂合わせから由来している完全な迷信であることを知る人は少ないようです。

裁判官でない名探偵が突き止めてみると、「始終苦が身憑き(しじゅうくがみつき)」という馬鹿げた語呂合わせが、その犯人である。 

 迷信は、時に悲劇を生むこともある。ある葬儀のご出棺の場面で揉め事が発生していた。

若くしてご主人を亡くされた奥様に対して、ご親戚の方々が「嫁は火葬場に送ってはいかん」「送るということは再婚の意思があることになる」と言っている。悲しみの喪主である奥様は「主人の最期の場に立ち会いたい。送ってあげたい」と泣いておられる。
 
大勢の会葬者を前に、なんとつまらない迷信を振りかざすのか、この時だけは裁判官どころか、検事と弁護士の役目を一挙に引き受ける行動に出た。それは、決して、フェミニスト的な発想ではないことをご理解いただけますよう・・誤解をされませんように。

 ここから約10分間、淋しく、哀しく、愚かな熱い戦いが繰り広げられる訳だが、その結末は明日に続きます。

2002/03/22   不思議な行動

まず、お断りを申し上げます。お許しくださいますよう。

今日は、大変、偉そうなことをしたためますが、なにとぞご海容くださいますよう伏してお願い申し上げます。

あるテレビ番組で、電車内の通路に座り込む若い女性達に、リポーターがインタビューをする光景が放映されていた。

「恥ずかしいとは思いませんか?」との問い掛けに対して、彼女達は異口同音に「恥ずかしくないよ」と応え、衝撃を受けた。

 彼女達の言い分は「知らない人の中だもの」。リポーターの顔が引き攣っていたのが印象に残っている。

 男女平等、男社会だとの批判に対する問題を論ずる気持ちはない。しかし、日本人の美徳であった「謙虚」「礼節」「羞恥心」は何処に行ってしまったのだろうか、本当に淋しい思いを抱くこの頃である。

 大阪に「USJ」がオープンし、大きな人気を呼んでいるが、20年ほど前、ロスアンゼルスのユニバーサルスタジオ、ディズニーランドに行ったとき、さすがにアメリカだと感じたことがあった。

 人気が集中するゾーンや乗り物には、行列が出来て当然。それは万国に共通するところだろうが、そこでは100メートルの行列でも、必然として「あること」が見事になされていた。

「あること」とは「間」を開けること。20人ぐらい毎に約1mの「スキマ」が自然に形成されている。それは通路を横切る人のためのもの、日本ではまだ見ることの出来ない光景のような気がする。

 そんな日本人が、通夜や葬儀の席で不思議な行動を見せてくれる。日常に絶対譲らないタイプの方でも譲り合う姿を見せてくれるのであるが、これは、アメリカナイズとは全く逆となる行動だから面白い。

アメリカでは、こんなとき、無駄な譲り合いは行なわない。それは、後ろに続く方のためにという「時間の無駄の割愛」意識となっている。

 宴会好きな日本人、自由席となれば「どの席が上席か」との詮索にうるさく、葬儀終了後の「精進あげ」の席も例外ではない。「奥の方からお詰め下さい」、その言葉の効力のなさ、何度嘆いたことだろうか。それは、すべてが親戚縁者で、冒頭の彼女達とは異なって、全員が知り合っているからこうなるのだろうか。

 日本人とは、不思議な行動を見せる国民性があるようだ。   ・・・ごめんなさい

2002/03/21   アンパンマンさん・・・有り難う

 一昨年だったと記憶していますが、ある新聞の読者投稿欄にあった「アンパンマンさん有り難う」という文字に興味を惹かれ、拝読させていただき<そうなのか>と納得したことがあります。

 確か、70代の女性の方だったと思いますが、娘さんご夫婦が共働きで、平日は、ずっと2歳ぐらいのお孫さんを預かっておられたそうです。

 雨や風の日もあり、毎日近所の公園ということもならず、大変なご苦労をされたそうですが、ぐずるお孫さんの最高のお友達になってくれたのがアンパンマンのテレビとビデオ、そして様々なグッズでした。

 やがて時が流れ、お孫さんを預かる必要がなくなったとき、心からこの表題の言葉が出たそうです。

 そんな話しが印象に残っていた私にも、初孫となる女の子が誕生。1年した頃、関東に在住する娘からの情報によると、アンパンマンに大きな興味を示しているとのこと。もちろん贈るおもちゃはアンパンマングッズ。大きな玩具屋さんに足を運んで驚いたのはキャラクターグッズの多さ。数日後にはインターネットで検索までする始末。中には「崇拝する会」の存在まであって驚きを新たにした。

 岡山から高知間の特急列車のアンパンマン列車。作者の故郷である土佐山田市に存在するミュージアム。2歳を前にする頃に里帰りした時には、車で高知へ向かってしまう「爺ちゃん」振りを見せてしまった。

 ミュージアム、そこは凄い世界であった。よくぞここまでというぐらいのアンパンマンワールド。隣接するホテルのレストランで出た「ふりかけ」にまで徹底されていた。
 孫は、完全に固まってしまった。テレビと異なる空間に引き込まれ、足を見ると興奮して震えているのが分かる。お陰で夜に寝付かず娘に叱られた。
 しかし、それからの私は、孫から見るとアンパンマン爺さんに見えているようだ。そこで思わず「アンパンマンさん、有り難う」

 さて、今日は風変わりなキャラクターの登場であるが、ここからが本題となる。

 多くの方々をお送りさせていただくが、お孫さんたちに「有り難う」「さようなら」という言葉で見送られながらご出棺される光景が大好きである。この世に生まれて諸行無常の理に命終を迎える。そのときに孫の存在があることがどれだけ幸せなことだろう。出来たら「曾孫」「やしゃ孫」まで、それは人間の欲であるが、そんな欲望は許されると思っている。

 ご遺族の方々のお声、「せめて孫を抱かせてあげたかった」。そのお心残りのご心情がよく分かる。孫の誕生、それは私の仕事に大きな変化を与えてくれることになった。

 これまで、まだ実験的段階で多くは行なっていないが、ご出棺の直前に行なう「命の伝達式」の誕生である。
今までの体験から、お棺の周囲におられる方々から「あれはいいことですね。感動しました」というお言葉を頂戴しているが、もっと練り直して「かたち」にしたいと思っている。

秋の協会大阪研修会の頃には完成し、メンバー皆さんと共に実践をつとめたいと考えている。

 命の伝達式・・・・いずれ、全国で行なわれる時代が到来することを願っています。
      ・・・・<アンパンマンさん・・・有り難う>

2002/03/20   奇  遇

 今日は、所属するライオンズクラブの記念式典が夕方から行なわれた。
朝から東京のテレビ局の取材があり、ご要望された弊社のオリジナルビデオ映像を、厳しい制約を付して貸し出した。

 愚生がライオンズのメンバーとして入会してから、もう19年になるが、今日の記念式典のナレーターを担当して、その後、緊急の所用から上京し、今、ホテルの部屋でこの原稿を打っています。

 数年前、ライオンズクラブの先輩メンバーから、私が何かの本で読んで記憶にあった歴史的な悲劇を、ご本人がその被害者の一員であられたことをお聞きし、驚いたことがありました。

 今こそ、瀬戸内大橋が開通し、列車や車で往来できるが、その悲劇の事件が起きた当時は、宇高連絡船の航路がその役目を果たし、多くの皆様のご記憶にもあられるだろうが、なんと、その先輩メンバーが、宇高連絡線の悲劇として今に伝わる濃霧による事故で沈没した、「紫雲丸」に乗船されていたというのであり、その事件の様子をありていに教えていただいたことが今も心深く残っている。

 さて、世の中には奇遇なこともあるものだ。心身の疲れを癒そうとお願いしたマッサージの方とのお話し、それは、また、とても信じられない奇遇な結びつきがあったのでご紹介申し上げる。

 胸に付けられた名札のお名前が珍しいところから、「沖縄に多いお名前ですね」と問い掛けてしまった。「そうです」と応えられてから始まった会話、それは、徐々に数奇な関係のつながりを互いに知るところとなり、驚くこととなった。

 37年前の夏、1ドル換算が360円というレートの時代に、アメリカが管轄されるパスポートを入手して沖縄に行ったことがあった。神戸の中突堤を出港した関西汽船の貨客船「浮島丸」、およそ2600トンの船だったと記憶しているが、出港後、和歌山の友が島のあたりからうねりが高くなり、気分が悪くなって次の寄港地である奄美大島の名瀬港までの長時間、何も食べることが出来ない程の激しい船酔いに襲われた。

 名瀬では強風を避けるため長時間停船し、やがて出港後は沖縄までにある幾つかの島に寄港し、船室では全く立つことが出来ないローリングの中、神戸出港から約66時間を要して那覇泊(とまり)港に着岸した。
 この入港時には、岸壁に数千人の人々が集まっておられ、救急車、消防、警察車両が多く見られ、間違いなく何かが起きたことが確実であることを物語る雰囲気があった。

 船員さん達は、無線情報から、すでに何が起こっていたかを知っておられた。
教えてくれたことは離れ島航路の船の転覆事件、伊江島か久米島か記憶は定かではありませんが、強風高波の中で横波を受け、「みどり丸」という船が転覆、多くの犠牲者を出されたことを後で知った。

 そんな那覇泊港への入港時の記憶を語りかけたとき、マッサージの方は、驚きもせず、静かに「奇遇ですね」という言葉だけを返された。
 そして、奇遇という言葉を出された詳しい事情を教えていただいた。

 「実は、あの転覆事件で、私は家族の一人を亡くしているのです。私の人生の悲しい出来事を、こんなところで耳にするとは思っても見ませんでした。私が<無事>を祈りながら次々に入港してくる救助船を待ちわびていたとき、偶然に入港してきた「浮島丸」、今もその時の姿を鮮明に覚えていますよ」
 「奇遇」とは不思議な出会いのことを言うのですね。   合掌

2002/03/19   社葬での大事件   後 編

やがて、心配していたお布施は、ご親戚控え室の片隅で無事であることを発見。粗末な紙袋に入れられていたことが功を奏したようです。しかし、セカンドバッグは何処を探しても、誰に尋ねてみても見つかりません。

開式の時間が迫る、どうしようかと思ったとき、喪主様は幹部社員を呼ばれ、賢明で見事な行動命令を伝えられ、盗難に遭遇したとのご判断から、警察、カード会社などへの連絡手配を託され、「今は葬儀が重要」だと、何もなかったような態度で葬儀を始める許可をくださいました。

総責任者である私も、すぐに気持ちの切り替えを行い、とにかく「葬儀」に集中しよう。そんな思いで担当責任者を呼び、簡単に顛末を伝えてからマイクを握る。

葬儀が滞りなく終えられた後、関係スタッフを集め、不審者の確認などの情報収集にあたりましたが、なんと言ってもご多数の方々の出入りされる式場、冒頭の礼服問題からもこれといった「鍵」につながる情報は出ません。

悪いことですが、従事していた30数人のスタッフのことも浮かんでいました。全面的に信頼するスタッフ達に対して、「魔が射す」という言葉が過ぎったのも事実でした。でも、それは「お客様に申し訳ない」という気持ちに生まれた私自身の「魔」であったと後悔しています。

後日の精算の時、カードによる被害は発生していないことをお聞きし、ほっとしましたが、被害金額が40数万円、スケジュール手帳の紛失で困っておられることを耳にし、一度に疲れがやってきました。

喪主様は、ご立派なお方でした。ご叱責のひとこともなく、「君はプロとして、防犯対策を何度も話していた。それは、社員も親戚もみんなが知っている。お布施が助かったのはそのお陰、粗末な袋に入れるという知恵だよ。親戚達からも<私が悪い>と言われました。犯人には腹が立つけど、親父の葬儀の思い出になったと思っています」とおっしゃってくださったのです。

この事件は、その後に意外な展開で結末を迎えることになりました。1年後ぐらいに、ある料理屋さんで喪主さんに偶然に再会したときのことでした。

「あの事件、犯人が逮捕されましたよ。弁護士さんから刑の軽減を願う連絡があって知ったのですが、新聞の訃報記事や黒枠の社葬通知で各地の情報を調べ、全国への窃盗行脚を仕事にしていたそうです。
逮捕されたのは、どこかの社葬での現行犯。取調べの中で、持っていた手帳に犯行記録を丁寧に書き込んでいたそうで、そこにこの事件の社葬の日とお寺の名前が記され、私の被害確認が出来たということです」

もう、二度とあんな思いはしたくない・・・皆様も、くれぐれもご用心くださいませ

2002/03/18   社葬での大事件    前 編

 悲しみの儀式が行われている葬儀の式場、その裏側で「とんでもない」事件が起きることもある。

略礼服を身に着ければ誰が親戚か会葬者かも分からず、時には葬儀委員や葬儀社のスタッフに見えてしまうことさえあるから恐ろしい。

 全国の葬祭式場にはコインロッカーを設置されているところが多いが、鍵の紛失の増加だけではなく、新幹線の個室やホテルのカード・キーのように、毎日変更をしたいと頭を悩ます経営者が増えてきている。合鍵の複製などによる盗難トラブルが発生するからである。くれぐれもご用心を。

 ご親戚の控え室に置かれる着替えや手荷物、これらも狙われやすく、セキュリティー対策を真剣に取り組まなければならない時代ですが、葬儀の式場で「そんな罰当たりが?」という先入観が背景にあり、まずは皆様の意識改革をお願いしなければならないと思っています。

 お寺様やホテルが式場となるケースも多くあり、私達は「貴重品」コールを何度も行っていますが、それだけではこのケースの犯罪が防げないことをご理解いただきたいところです。

 古い話しですが、ある大きなお寺様で行われた社葬で、大変な事件が発生したことがあります。新聞の黒枠広告からも、全国から多くのご参列が予測され、葬儀委員、ご親戚の方々の控え室に何度も声を掛け、防犯対策を訴えてから式に臨みましたが、葬儀式の始まる15分前、委員長、喪主様とご一緒に、お寺様の控え室にご挨拶に伺う準備を整えていたとき、喪主様のセカンドバッグが見つからないという事態が起きたのです。

一瞬、ご用意されておられたお布施のことが気に掛かりました。ご多数のお寺様を迎えられる社葬の規模、そのお布施の金額となれば大金です。

<神様、仏様、どうかセカンドバッグが見つかりますように。ご親戚の何方かがお預かりになっておられますように>
心の中で、そんな祈りが始まっています。果たしてお布施は大丈夫なのでしょうか。

                      < 明日に続きます >

2002/03/17   コンサルタント「セールス」

 葬祭業に従事する人達の休日は不規則だ。お客様に直接接することのない大規模葬儀社の管理職以上を除いて、これは各社同じであろうし、私のように自身がプロデュースと司会を担当するとなれば、「年中無休です」と言っても許されるだろう。
 
毎日、出社すると多くの「アポ」の確認が入っている。時間を重要視する仕事で、限られた範囲内でのアポ対応、それは至難の問題であり、私の苦痛のひとつでもある。
 最近は、協会や弊社HPからの申し込みが多いことに特徴があり、今後もますます増加することを覚悟している。

数日前、興味ある「アポ」にOKを出し、来社された方のお話しに衝撃的なことがあったのでご披露させていただく。

 葬祭・消費者コンサルタントと自己紹介されたその人物は、葬儀に関する社会リサーチをプレゼンされる中で、将来に求められるであろうユニークな商品の提案と販売を目的とされていた。
 商品には全く期待を感じなかった私は、その人物が分析されたという「消費者ニーズの動向」というテーマに興味を持った。
 それは、次のようなことだった。

※葬儀に対する消費者の知識は「無」に等しく、「損得」だけで行動する傾向が強く、冠婚葬祭互助会は「得」のイメージをビジネス戦略として展開し、発展してきた。しかし、情報社会の中で、それが結果的には「損」という実態の暴露がされつつあり、そのキーワードは、互助会システムが保険ではないということにある。つまり、保険のように、いざという場合には、何倍にもなってサービス提供が受けられるという戦略が、掛け金に利息すら付加されないという現実に気付かれ、自らの首を絞める結果を迎えた。

※大規模な葬儀会社や互助会が提供されるマニュアル化されたサービスへの抵抗感が強く、今後の凋落が確実に見える。

※葬祭業界全体で囲い込み戦略が始まっており、その大半が保険や共済によるシステムビジネスだが、銀行や保険会社が倒産する時代の到来にあって、いつ崩壊するか分からない危険性には消費者離れが生じることが確実。

※雪印さん事件に顕著なように、企業の暗部、恥部の社会告発的な行動が発生した場合、人の死に関する産業である葬祭業は「怒り」の度合いが強く、転落の道を辿れば完全に立ち直ることが出来ない。

※病院との癒着を戦略とされている葬儀社は、社会に発生するであろう抵抗感に、脆く崩れる危険性を秘めている。なぜならば、病院側は、ある日突然に「利益」より不名誉にならない選択をするからだ。

※ 生前契約が流行しているが、大きな落とし穴がある組織の存在がある。いずれ、大きな社会問題に発展するだろう。 

<この人物は、本当に業界を研究してきている> そう思った私は、商品販売だけの目的で調査をされたのかを訊いてみたが、最近の新聞記事に触発されたことを正直に吐露され、それが商品販売の有力なパワーとなる彼の苦心の知恵であることを知るところとなった。

 葬祭業の21世紀のキーワードは「愛」と「癒し」、その実践を目指す協会の存在と弊社の企業理念を大いに讃えてくれた彼の言動に、思わず商品購入をしてしまうところだったが、冷静に考えてみれば、HPに表記された言葉を脚色されただけのことに気付き、購入することはなかった。

しかし、彼の懸命なプレゼンテーション、そこで分析されていた論文的な説得方法、それは見事なテクニック。数日の時の流れに納得をする自分に気付く今日の日である。
コンサルタントさん。貴重な情報、有り難うございました。
 <購入しなくてごめんなさい>

2002/03/16   夢の実現・・・そして実践に向かって

最近、講演の依頼を受け、定められた会場へ行ってみると、受講者に団塊世代の方が多く見受けられる。そういう私もそのう内の一人であるが、親の介護、葬儀、子供の結婚適齢期を迎え、自身の健康に留意しながら、家庭と仕事の両方で重責を担っている年代であることは確かだ。

いつの間にか年を重ねるというのは世の常だが、私は50歳になったらやりたいという次の様な夢がありましたが、それは、すべてが具現化されることになり嬉しく思っています。

※ 新聞社主催による「お葬式フェア」の開催
 1997年大阪マイドーム・1999年東京サンシャインと、総合プロデューサーとして実行。
※ 自分専用の葬儀音楽CDの制作
 オリジナルCD「慈曲」完成・・テレビ「宗教の時間」でも紹介される
※ 全国の匠たちの結集組織確立(非営利の研修団体)
 日本トータライフ協会結成・・新しい葬儀のあり方などを社会提案
※ ホテルに於ける「偲ぶ会」「お別れ会」「社葬の」展開
 現在ではホテルを会場とする「お通夜」「葬儀」も行っている・・多くのテレビ放映
※ オリジナルな「葬送サービス」の確立とホテルを会場とする「葬送フェア」の開催
 「慈曲葬」の名称で登録商標済み・・マスメディアで話題、新聞の一面で記事掲載
※ ホテルを会場とする「葬送」フェアの開催・・     〃
 
これらの構築には言葉で表現出来ないような苦労があったが、多くの素晴らしい方々のご支援で実現することとなり、その方々との出会いに心から感謝をしています。

来年のことを言うと「鬼」が笑うと言われますが、10年先のことを言えば狂人扱いにされる葬祭業界にあって、多くの方々共に嘲笑を受けながらも遂行できたことが懐かしいところです。

全国は本当に広いものでした。様々な分野に卓越されたプロの存在がありました。そんな方々と互いを磨きあいながら今日に至った背景には、理念共有につながる夢集団の結束という、「ビジネス」感覚を無視した行動に共感する人達が多く存在されていた事実がありました。

社会歓迎を得るサービス提供の構築が、21世紀という時代に賛同されるという確実な実践事実は、今、大きく注目される存在に至っております。

葬儀は「ビジネス」という言葉で表現されたくない。社葬を「イベント」という表現で捉えられたくない。また、宗教儀礼に基づく形式での「葬送の儀」は、セレモニーという言葉を禁句としたい。
結集組織されたメンバー達は、全員がそんな信念を抱いています。

2002/03/15   ブライダル「司会者」・・・研修から

多くのホテルさんとの関係が結ばれることによって、ブライダル司会者さんや電子オルガンの奏者さん達との交流も始まった。

 ある時、今後に求められてくる「お別れ会」「偲ぶ会」などの司会の必要性から、大手派遣会社の依頼で「司会セミナー」の講師を担当することがあったが、当日に会場に行ってみると80人ぐらいも集まっておられ、その興味の大きさに驚いた。

 協会の「コラム 有為転変」3月9日、10日に「ホテルスタッフ研修」をしたためたが、その時のホテルと同じ雰囲気が会場に流れ、冒頭でかみついてしまった思い出が懐かしい。

出席者の大半は女性で「私達は司会のプロよ。ちょっとお葬式のことを教えてくれたら、明日から司会を担当できるのよ」という空気が伝わってくる。

「結婚式の司会が出来る人、挙手をください」そんな問い掛けに対して、全員の手が挙がった。「もう一回、訊ねます。結婚式の司会を・・」今度は数人の手が下ろされていた。
「今、手を上げなかった方が、プロの司会者です」そんな言葉で会場に緊張が走る。

「世の中のサービス業で上位ランクされるのは、ホテルマンと航空機のパーサーでしょう。しかし、もっと上にランクされるサービス業、それが司会の世界なのです。気配り、心配りをもちろん、与えられた時間をただ一人で担当する「式」に従事する仕事、それは究極のサービス業なのです。そんな皆さんの携帯電話はマナーモードになっているでしょうが、一流のプロは、このセミナー時間は電話に出ないというマナーを理解されなければなりません。まず、マナーモードにされていない方は、この会場から出てください」

 無言の緊張の中に、視線を私に向け、机の下で手作業が始まっている。中にはスイッチを切ってしまった人もあった筈だ。

「先ほど、結婚式の司会が出来る人は、と言った質問の意味が解りますか。もうお分かりですね。皆さんは結婚式の司会者ではないのです。披露宴の司会者なのです。私は、クリスチャン、神前、仏前など、すべての司会を行います。なぜ、この確認を冒頭にしたかというと、葬儀は披露宴ではないのです。つまり、宗教者の存在される結婚式の方なのです。
宗教の理解なくして葬儀の進行に携わることが可能でしょうか。トークの技術以前に勉強しなくては絶対に無理なことです。ましてやホテルで多くなっている無宗教形式となれば、単なる進行係りではなく「司式者」のパワーも求められてくるのです。それが、故人を「送る」「偲ぶ」集いの最低のマナーです。もしも無宗教の方が簡単と考えておられる方がおられたら、すぐに意識改革の必要性があります。と言ってもご理解は無理なようですので、ここで私が担当した無宗教形式のビデオ映像を見せてあげます」

 そこから、約5分のダイジェストの放映を行ったが、映像に注がれる視線は興味を飛び越え、単なる参列者の世界へと「どっぷり」と、導かれてしまっていた。

 「ご覧になっていかがですか、無宗教が簡単と思う人は挙手ください」
 「・・・・・・・・」 
 「無宗教の司会が出来ると思う人、挙手ください」 
 「・・・・・・・・」
「お葬式の司会なんて簡単。ちょっと教えて貰ったら可能と思われる方は?」
「・・・・・・・・・」
「では、葬儀の司会は難しいと思った人は?」
 そこで全員の手が挙がった。

 多くのセミナーを担当するが、2時間の言葉の講義よりも、たった3分間の映像を体感させる方が確実に伝わる。そんな体験を多くしてきたが、そのセミナーの最後に提議した下記の言葉に衝撃を受けたと、多くの受講者から後日に聞かされたことが嬉しい。

<披露宴のミスは、謝罪の対象となる方がすべておられる。葬儀のミスは、この世におられない方には謝罪の方法がない。「亡くなった母が悲しんでいると思います」。そんなお言葉に、どのような対処ができるのだろうか」

2002/03/14   情 報・・・・「社葬・・急変時代」

 昨日のテーマは「ホテル葬」。今日は、そのフォローとして、社葬に於ける社会変化の背景を考えてみた。
 最近、社葬告知の新聞「黒枠広告」が減少傾向にある。これは、社会不況に要因があるように見えるが、決してそうではない。

 新聞の社会面にある黒線の付いた著名人の訃報記事、この中でも大きな変化が見て取れる。「葬儀はすでに終わった」というような事後報告や、「近親者だけで行われる」また、「葬儀は故人の遺志により行わない」「何れ<偲ぶ会>か<お別れ会>を行う」など、数年前には見られなかった表記が多くなってきていることに気付かれるだろう。

 黒枠告知の減少は、社葬の意識改革が始まったことからと分析している。大半と言われる「義理的会葬者」の割愛、不特定多数の参列に対する抵抗感など、無駄な経費の削減という合理的な発想が生まれてきており、社葬の企画ひとつで、その企業イメージの将来に大きな影響を与える危険性も秘めている。

 暑い夏の時期、1千枚以上の社葬通知状を全国へ郵送された後、式場の変更を余儀なくされるという事件が発生した。その社葬は、大規模寺院を式場として拝借する形式であったが、通知状が配達されてしばらくした頃、有力な得意先2社から電話があり、どちらも「この暑さを考えたら体調が心配だ。弊社の社長は参列されない」と言われたのである。

 仕入先からこんなクレーム的な電話は入らないだろうが、得意先は力関係から、こんな圧力行動をされることも事実だ。しかし、その得意先の忠告的な意見は、決して2社側だけの心情による行為ではなく、ホテル葬を体験された方々が多いビジネス社会で、「御社はご存じないのか」という意味も伝えられていたのである。

 その社葬は、ホテルを式場とする決定がくだされ、受注されていた業者さんをキャンセルされ、弊社が急遽担当させていただくことになったが、ビジネス社会に於ける「ホテル葬」の浸透性を改めて知るところとなった。

 また、これも夏の出来事であったが、ホテル葬を決定され、弔辞のご依頼に上京された社長が帰社され、「ホテルを式場としていて助かった」とおっしゃられたことがあった。「こんな暑い時期に弔辞を読む心情を考えてください。お付き合いが長く、心から弔辞をさせていただきたいが、外で参列されている会葬者のことを考慮すると、難しい」と言われたとき「式場はホテルです」とお話しをされたら「それだったら喜んで引き受けます」とまとまったそうである。

 新聞社さんや広告代理店の皆様にお叱りを受けるだろうが、今後、新聞の黒枠広告は間違いなく減少すると確信している。なぜなら、現在のホテル社葬の形式にも変化が見られ、完全な招待形式が主流となってくる兆しがあるからだ。 

 現在、各地で行われている「社葬」、そこには大変な「無駄」があることを理解されるべきだろう。勝手な思い込みで終止してしまっている現況と、葬祭業者ベースの企画で進んでしまう危険性。これからの社葬は、企業の企画力が判断されてしまう時代に突入し、膨大な経費をかけながら「嘲笑」されることだけは避けたいところだ。

 しかし、現在行われているホテル社葬に、致命的な「欠陥」が秘められていることを知っておきたい。それをお気付きになられたら、これまでにそんなホテル葬を行われた企業の怒りが、ホテルに向けられることは必然で、この問題については今月中に提議させていただこうと思っています。

2002/03/13   ホテル葬・・・15年前の発想

 ホテル葬の発想を抱いたのは、15年前だった。
その当時、あちこちの地方で葬祭専門式場が建設されつつあった。
ある一級建築士から、葬祭式場建設に対するアドバイスの要請を受けたことが発端となり、これは勉強の価値があると思い、無償で葬祭式場の将来と客観的な立場での分析を始めることになった。

 原子力発電所と環境問題処理場は、絶対に必要だが近くにあっては欲しくないという考え方があるが、その当時の葬祭式場建設は、近隣住民の反対圧力から、辺鄙な場所に建設されるという社会背景の事情があった。

 葬儀社の中には自由社会、営業権という権利の主張を表面化する動きもあったが、その当時には、それは賢明な方策ではなかった。

 設計士がいよいよ設計段階に入る前、私の分析を伝えたが、それは、次のような報告を提出することとなった。
*喪主や遺族の立場になると、妻の親戚や兄弟の嫁ぎ先の親戚に気を遣うが、自宅を親戚に開放することはプライベートルームの崩壊につながり、絶対に嫌がること。だから葬祭式場の将来は可能性があり、流行する。
*立地条件に恵まれない辺鄙な式場は、葬儀の終了時のタクシー手配で問題発生が考えられる。だから、広い駐車場の確保と最寄の駅までの交通手段を考慮しなければならない。
*ご遺族や親戚の皆さんが睡眠をとられる空間が必要。それは、広い和室にレンタル布団という「雑魚寝」レベルでは不満足が発生する。
*難しいご親戚は、自分の家族だけの鍵付き部屋を要望される。
*深夜の食事対応も必要で、風呂の設置も考慮したいが、その場合、ゴルフ場のようなバス用品も考えなければならない。
*朝の洗面施設と用具の対応完備。
*朝食やモーニングコーヒーサービスも重要。
*葬儀終了後の「御斎」は、グレードの高い料理設定も求められてくる筈で、近隣の仕出し屋さんも数件の契約が必要。
*お食事内容だけではなく、人のサービス提供を重要視するべき。

いかがだろうか、上記の全てを解決するには「ホテル」の存在が見えてこないだろうか。
それが、ホテル葬の発想のきっかけとなった訳である。

 その当時、全国の葬祭業者向け講演の機会があり、「10年後にはホテルで葬儀が行われているだろう」と発言し、嘲笑されただけではなく、「そんなことになったら逆立ちをしてやる」という言葉まで頂戴し、狂人的な発想とさえ言われた記憶がある。

 分析は葬祭式場に関する葬儀の問題だけではなかった。少子化傾向に生まれるホテルバンケット市場の行き詰まりと、日本人の根底にあった「儒教精神」の希薄も予測の重要な背景となった。

 それから約10年間、ホテルに於ける仏事サービスの構築に向けて、試行錯誤を繰り返す日々を迎えたが、どのように考えてみても確実に「ホテル葬」が結論に達してしまう。

 法要の「お食事のみ」バージョンから始まり、偲ぶ会、お別れ会、音楽葬、告別献花式、社葬と、様々な形式のホテルサービスのありかたを構築、何処にも出来ないオリジナルホテル葬のサービス提供可能に至ったことが、本当に懐かしい思い出となっている。

 弊社が知的所有権を有するオリジナル「ホテル葬」形式は、今、日本トータライフ協会を通じて全国で高いご評価を頂戴しているが、お通夜から担当をさせていただくという、本格的なホテル葬サービスは、現在のところ弊社だけの世界となっている。

2002/03/12   ビジネス社会へ・・内緒の話のプレゼント

毎日、全国各地で「社葬」が何件も行われている。大手企業の秘書課、総務、営業担当は、ロッカーに礼服や黒ネクタイが常備されているのは常識である。
 そんな社葬の会葬者の7割は、義理的参列者。つまり「名刺」を参列の「証」として届けられることを目的とされている。

 ビジネス関係からの依頼で講演を担当するとき、社葬の今後の変化予測、ホテル葬、そして参列マナーなどを話しているが、一流のビジネスマンでありながら、社葬がビジネスの大きな機会であると同時に、危機管理の対象となるべき問題を秘めているという認識欠如の現実に驚いている。
 もちろん、黙々と参列され、やがて案内される焼香の際に手を合わされておられることは尊いことではあるが、参列者の中には、「自身が義理の会葬」という姿を、はっきりと見られてしまう危険性があることは意外と知られていない。

 これは、私達スタッフも同じことになるが、何より恐ろしいのはカメラとビデオの存在である。これ幸いというかたちで行われる参列者同士の名刺交換、ゴルフ談義、知人との会話に生まれる笑み。それらが、取引停止や担当者変更につながった例が少なくないことを知っていただきたいところだ。

 社葬の後日に必ず行われるビデオ放映会。その大きな目的は、「誰が参列されていたか」「参列者に失礼はなかったか」「御礼に行くべき方々の再確認」などであるが、映像の中に上述の姿が映し出されたら悲劇の始まりとなる。

 私達プロは、ご葬儀担当の場合で撮影依頼を受けた時、そんなトラブルが発生しないように必ずチェックを行うが、そんな工程作業を踏む葬儀社は稀であろう。

 あるホテル社葬で、お客様が直接に撮影依頼をされ、有名ビデオ専門会社が収録されるというケースがあった。
やがて、後日、編集ビデオの確認を、ホテル側の懇願でプロデューサーの責任の立場で映像確認を依頼されたことがあったが、もしもそのまま、お客様が入手されていたら大変なことになる発見をして、非常に感謝されたことがあった。

 その場面は、献花を済まされた方々が過ごされる会食風景。談笑する方、お酒を楽しそうに飲まれる方、お料理をお口に運ばれようとする方など、それこそバラエティーにとんだ光景が登場するわけだが、私は敢えてそのままの映像を残す決定をアドバイスすることにした。
 「プロなのになんと意地悪なことを」とお怒りになるかも知れませんが、これは、嫌がらせではありません。実録を大切にしたかったのです。しかし、ご安心ください。誤解の生まれないように事情説明として「種明かし」をいたします。実は、BGM変更の指摘だけを行ったのです。

ビデオ会社が挿入されていた曲は、いかにも葬儀らしい暗い旋律。私が差し替えた曲はやさしい癒し形の音楽でした。プロである筈のビデオスタッフ達が驚愕されました。それは、たったそれだけで次のような変化が起きていたのです。
暗い音楽・・<楽しそうにしやがって><タバコを吸いやがって><呑みやがって>
 そんな怒りがご覧になる施主側に発生します。しかし、やさしい癒し形の曲になると「忙しい中、わざわざ会葬にきてくださって有り難いことだ。こんなひと時を過ごしていただいて本当によかった」

 皆様、是非、実験されることをお勧め申し上げます。音楽とは不思議なものなのです。ご体感をいただければはっきりとお解りになる筈です。

 今日もどこかで、ビジネスマン達の悲劇が起きているかも知れない・・・・・・

2002/03/11   新幹線車中にて・・余韻

 今日は、これまでと違って長くなります。ご海容くださいますよう。

この原稿は、新幹線の車中で打っている。今、弊社が加盟する日本トータライフ協会<春季総会・東京研修会>の帰路にある。

「のぞみ」は、もうすぐ新横浜駅。名古屋に着くまでにこの原稿が書き上がるだろうか、絶対に無理かも知れない。なぜなら、パソコンで取り敢えず協会の掲示板を開いてみたが、そこには参加されたメンバー達から寄せられた感動、涙、衝撃の文字がいっぱい。文章を追いながら<うるうる>くる自身の目が行間を誤ってしまう。通路を行き来されるパーサー達の目を気にしながらうつむき気味でパソコンに向かっている。左後方のお客さんの視線も感じる。スリーピースの私の姿を見られて、葬儀の帰りか、大切な知人の見舞いでの帰りであるとの推測をされておられるのかも知れません。

ふと遠くを見ると右前方に夕日がまぶしく輝き、帰阪してからの責務の重さを再認識しながら新たな誓いを立てる。

総会終了前に行われた「感謝状授与」と「人間学研修終了証」の授与式、私はこれまで抱いていた「夢」が現実の「かたち」となったことを確認し、感涙してしまった。
悲しみの葬儀でご遺族と共に流す涙の体験は数多くあるが、こんな思いの涙を流したのは何年振りだろうか。

それにしても流石に日本の首都、東京である。国分寺市の井口葬儀店と世田谷区の杉田フューネスが実践される葬儀、それはまさに衝撃的な体感であり、全国から集まったメンバー全員が感謝のメッセージを伝えていたが、最高の衝撃となった私自身、まだまだ勉強が足りないことを実感する二日間ともなった。

「会場となった新宿のホテルの音響設備レベルが低い」「全国からプロ達が集まる」、そんな思いでわざわざ井口葬儀店スタッフが運んでくれた自社所有の高音質音響システム、それはホテルのプロスタッフまでも驚かせることになったが、何より参加者一人一人に異なったラッピングが施された「本のプレゼントとメッセージ」、ご遺族が少しでも「癒されたら」「慰めることができたらいいのに」そんなホスピタリティサービス精神を充分に感じさせられたことを正直に吐露すると共に、こんな葬儀社に送られる故人を羨ましくさえ思えられてきた次第である。

次の日、日本の最高位に君臨されている「杉田フューネスの式場<シオン>」での感動の葬儀や、様々なアフターケアに対する衝撃的な感動は、参加されたメンバー達にしか理解出来ない世界であった。

ご主人を亡くされたお若い奥様と幼いお子様二人の3人だけが<ポツン>と式場に座っておられる。それは、葬儀を終えられてから2週間後のセレモニーだった。杉田社長の奥様の朗読風メッセージが始まる。故人のお名前で国際登録された「星名登録証」が、奉呈式としてプレゼントされる光景だ。

悲しみにくれる若いお母様へ贈られる温かい言葉、父を亡くされた子供たちへの愛情あふれるメッセージ。「悲しみが襲ってきたら、このシオンにいつでも来てください。私やお葬式をお手伝いしたお姉さん達と一緒にお父様のことをお話しましょうね。お父様はお星様になって、空から見守ってくださるのよ」

それは、夢やロマンやメルヘンという簡単な言葉で表現したくない「真実の人間愛」の世界だった。
そんな実践を目の当たりにして、全国から集まった葬儀のプロ達が全員泣いてしまった。「こんな葬儀社が存在しているんだ」。それは「癒し」と「愛」の団体「日本トータライフ協会」の間違いない象徴的存在の認識ともなった。

それにしても協会メンバー達の感性のパワーには驚かされる。こんなメンバー達を牽引していくだけの実力が、果たして私にあるのだろうか、自信をなくしてしまったことも事実である。

昨年の12月から始まった毎日新聞さんの「葬式問題特別取材班」による報道。読者からの反響によるメールや資料提供の数量は、恐らく想像以上に寄せられているだろう。

火葬場での心付け問題、大手互助会さんのお布施のキックバック問題、司法解剖に関する病院と葬儀社との問題。また、互助会さんの解約トラブルを大きく掲載された朝日新聞さんの記事、これらは、業界の恥部、暗部の社会提議であり、今、葬祭業界はてんやわんやの状況を迎えているが、これらの問題が数分の議題にしか上らなかった協会の総会審議の結果。それらはメンバー各社の誇りあるプロの抱く共有理念の結果だという確信の「証」あるあるように思えてならないところだ。
業界が「致命的」危機感を迎えている社会状況にある昨今にあって、「協会加盟の誇りを感じています」と書き込みをされた神戸市のメンバーさん、これは嬉しいお言葉でした。
小さな蕾が花を見事に咲かせた。春を待ち焦がれていた小鳥や植物の思いと同様かも知れない思いを抱いていますが、窓をたたく雨脚の音に気付き、外の景色に目やると「のぞみ」は米原駅の少し手前を走行していた。

目前の利益を求められた元メンバーさん達数社が、この協会から自然に離れていかれましたが、だからこそ本物の結集に到達したのかも知れません。

結びになりますが、協会のコーディネイトとアドバイザーとしてご指導をくださった藤原先生の御存在。「愛とやさしさは絶対に強いものです」「それが協会の存在価値です」と教えてくださった日のことが、今、やっと理解できました。
この体感できた素晴らしい世界。今後の皆様の各地での実践を願っています。
四国でのIT研修会。7月の北海道研修会、そして11月の大阪研修会。今、大いに燃えながら、それぞれの地の幹事が気を引き締めている筈です。

2002/03/10   スポットライト

 3月2日、3日と「中止された生前葬」をしたためたが、それに関連して、僭越だが人の心の根底にある心理について考えてみた。

 人は、誰もがスポットライトに当たりたいものである。そんな心情の表れが生前葬につながるのかも知れない。

 人生における代表的なスポットライトと言えば「ブライダル」。
日常には絶対に着られない素晴らしい衣装を身に着け、音楽と照明の演出を受け、出席者に祝福されながらの入場。その時に当てられるスポットライト、それは芸能人にも勝る至福の瞬間である。

 それからの九十九折、紆余曲折の人生にあって、いつ、スポットライトが当たることがあるのだろか。

私は、大規模なブライダルや叙勲記念祝賀会などの司会も経験してきたが、会場で耳に入る出席者のひそひそ話、それが人間の本質なのかなと思うことを多く体験してきた。

もちろん、心から祝福を贈られる方々が多くいらっしゃるが、大金の祝い金、美男美女の姿、両家が競う合う来賓メンバーの選出。そして、長い祝辞を聞かされ、誰が満足しているのだろうか。その会場は「妬み」のオンパレード。拍手と笑顔の裏側にはとんでもない人の裏面が見える。

 叙勲や褒章の祝賀会、これだけは受章しなければ開催されることは出来ない。新郎新婦の時代からは数十年の時の流れ、照明の色を考慮する舞台裏。「自分も受賞したい。もう一回、夫婦でスポットライトを浴びたい」との思いが溢れ伝わる祝典会場。心の鏡があれば覗いてみたいと誰かが言った。ひょっとして、そんな思いが生前葬に?・・・・・

 今日は、変なことを書いてしまいました。

「あいだみつを」さん、「金子みすず」さん、「星野富弘」さんの詩を読み直し、反省いたします。            お許しください・・合掌

2002/03/09   就職活動に感じる「葬祭業」の将来

 社会不況を背景にしているからでしょうか、それとも高齢社会の到来だからでしょうか、学生さん達からの資料請求が弊社にも多くなってきています。

「要望事由」という欄に書き込まれた文章を拝見しますと、大半は高齢社会に乗ずる成長産業との判断が記されてあります。

弊社では資料の返信送付に関し、葬儀の意義、命、悲嘆、サービスなどの問題を簡単な文章に表して同封していますが、それは、私達葬祭業者の仕事を少しでも知っていただきたいことと、命の尊さの認識、掛け替えのない人生を歩まれるようにとの思いが込められています。

 葬祭業は成長産業と捉えられがちですが、弊社では斜陽産業との判断をいたしております。無駄を省く、他人任せ業者任せからご自身やご家族で考えられる時代の到来、個性化と多様化ニーズ、迷信や習俗の超越、核家族化、宗教観の希薄などを総合的に分析すれば、マニュアル化されたサービスなど歓迎されることはなく、葬祭業は大手を含めて、決して成長産業ではないことが理解できる筈です。

 90パーセントが小規模な業者であるというアメリカの現実のように、事前相談からアフターケア、そしてグリーフケアまでの研鑽を重要視し、究極なまでにプロデュースパワーの必要性が求められてくる産業、それが葬祭業の将来だと考えています。

 21世紀におけるすべての産業は、「社会に歓迎されるもの」「社会が賛同されるもの」そして「正道」を理念として重要視しなければ受け入れられない時代の到来だと考え、「時代は完全に変化してしまっている」との認識発想が必要だと講義を受けたことがありましたが、一方で、「昔はよかった」「きっと、また、あんな時代が」、そんなことは淋しいことですが絶対にやってこないと著名な専門家が著していました。

 産業の変革、社会ニーズの急変、それは葬祭業も例外でない時代の到来を、弊社が加盟する日本トータライフ協会での研修会に参加する度、そんな思いを抱きながら帰阪するこの頃です。

2002/03/08   「逝かれし人へ」・・・誕生秘話   後編

余裕のない状態での変更決断は、すぐに頭と指先の回転を狂わすこととなった。単純に曲を変えればいいだけなのに、つい色気を出してしまい、「つなぎ」として4回の転調をやってしまった。それは、私の最も嫌いで苦手な「コード」、そして再度の転調。
考えてみれば、メロディを出さずにコードの転調ばかりを行えば、非常に申し訳ないことだが、弔事を奉呈されている人への「あてつけ」のように感じた人もいた筈だ。

 やがて、コードは<Em>になっていた。これなら大丈夫。あとは何かマイナー調の曲を
弾けばいいだけ、と思ったとき、弔辞の方に変化が起きた。手にされていた奉書を落とされてしまったのである。

参列者の耳からはBGMが消え去り、注目がご本人一点に絞られる。そんな空間の中で、
<プロデュースと司会だけに集中しておけばよかった。なんで奏者まで演じてしまったのか>、そんな後悔に襲われている私。

 弔辞の方は、何もなかったように拾い上げられ、やがて、「ここまで終わっていた筈だ、うん」と言われて再開をされる。
奉書に目をやると、まだまだ残っていそうだし、それは、耳から入るお言葉の内容からも2.3分で終わる気配など全く感じられない。

<参りました。お付き合いします>、そんな開き直った気持ちは、いつしか知らない旋律に指を運ばせることになった。

それは、本当に自然に生まれたメロディである。勝手に指先を招いてくれるように一曲が誕生し、救われた瞬間でもあった。

きっと、神様仏様からのプレゼントかも知れないが、葬儀の終了後、ある参列者から「最後の曲はなんと言う曲ですか?」と訊ねられたとき、とっさに、自然に「逝かれし人へ」と言葉がすべった。そんな不思議な体験が誕生の裏側の秘められた物語である。
 
 これまで担当をさせていただいた1万人以上の方々との「えにし」への感謝の思い、それだけは間違いなく込められていると自負しつつあるこの頃です。
でも、長い弔辞のお方とのご縁がなければ誕生していなかったことも事実です。 
 ・・ごめんなさい。
※ オリジナルCD「慈曲」の誕生は、コラム「有為転変」のNO26・27・28に掲載されています。

2002/03/07   「逝かれし人へ」・・・誕生秘話   前編

 単なる葬儀屋が、自分で作曲をした音楽を流しながら司会をする。考えてみたら嘘のような話しで、多くの同業者や司会者達から冷やかされている。

 著名人の葬儀が行われ、テレビでご出棺の場面がニュースとして放送されるとき、故人には失礼この上ない表現で恐縮だが、自分の曲を耳にする私だけが感じる特別な瞬間でもある。私はそんな思いを抱いてしまう低次元な葬儀屋なのだ。

 音楽が好きで幾つかの楽器に触れると言っても、作曲なんて夢の夢、遠い世界の物語。
作曲をしよう、試みよう、自分のオリジナル曲が欲しい、そんな思いだけで作曲が出来たら嬉しいが、私のレベルでは絶対に不可能な話しである。
しかし、今、話題のオリジナルCD「慈曲」の挿入曲として、「逝かれし人へ」が現実に存在し、全国の多くの式場で流れているという不思議な現象があることも事実。

 この曲の誕生には、オープン化したくない秘密がある。しかし、数人の人達には知られているところから<いつかはバレる>。
今日は私の誕生日。そんな罪滅ぼしの思いと「時効」という言葉を思い浮かべながら白状申し上げる。

 かれこれ10年ぐらい前、九州のある文化ホールで行われた社葬のプロデュースと司会を担当していたとき、弔事を奉呈される方が4人あり、そのBGMとしてハモンドオルガンを演奏していたが、4人目の方の弔辞が途轍もなく長く、それは文字を変えたくなるような「長辞?」となった。

 壇上で演奏しながら、お寺様や参列者の表情を見ると明らかに抵抗感が生まれ、「非常識な人物だ」との雰囲気が垣間見られるが、実は、最も困っていたのは私だった。

 レパートリーに余裕はあったが、<4番目のご登場だから短いだろう>との勝手な思いから、この方のBGMには佛教讃歌を演奏しており、短い旋律の繰り返し行っていたから大変だ。そして、同時に誰もがご存じの曲には変更したくない心情も働いていた。

 本当に長い弔辞。<何とかしてくださいよ>との思いが、ついに限界のときを迎えた。いくら下手な私の演奏でも、BGMとしての音楽的意味を成さず、弔辞を読まれる方への抵抗感を少しでも和らげる必要性からも、曲の変更をしなければならない状況である。

     ・・・・ 明日に続きます

2002/03/06   「コラム 有為転変」・・日本トータライフ協会

 弊社が加盟する団体「日本トータライフ協会」のホームページに、コラム「有為転変」が存在し、今年の1月22日から今日まで毎日更新のうえ発信され、話題を呼んでいます。  

これらは、協会加盟メンバー専用掲示板を通じて、全国に点在するメンバー達から入信する情報を集約整理し、IT委員会から発信しているものですが、様々な話題の中から多くの反響を頂戴した題材について、社会広報を目的として、幾つか併せてこの「独り言」でも発信させていただくつもりです。

 日本トータライフ協会のメンバー専用掲示板は、我々業者にとっては正に宝庫と呼ばれ、お客様にご満足のお声を頂戴した各社の実践サービスが次々に開示され、それぞれの加盟業者で活用されていますが、「癒し」や「愛」につながるコンセプトを感じるものが多く、   
それらの一部をコラム化したことが予想もしなかったアクセスを頂戴いたしております。

 万国に共通する悲しみの葬儀の場。そこでメンバー達自身が感動した体験や、故人とお孫さんの温かい心の交流、また、悲しみとは色異なる涙を流した素晴らしいお寺様のご法話などが、殺伐とした事件や暗いニュースの多い中で歓迎されているのかも知れません。

 さて、世の中には信じられないことが起きるものです。それは、ハイテクの最新鋭と言われるインターネットの世界も例外ではありませんでした。

数日前、ある加盟メンバーが掲示板に「びっくりニュース」を書き込んでいました。
それはグーグルやヤフーなどでの検索に関することで、「コラム 有為転変」で検索すると、多くの検索でトップに存在しているとの報告で、「これは夢か幻か、それとも私のパソコンだけの現象か?」という問い掛けに対して「冗談だろう」と数名が検索したところ、本当にトップに出現していたのですが、朝日新聞<asahi.com>様が列記される上に表記されているところから、「これは何かの間違い」「一時的な現象だろう」ということになりました。  果たして、どうなっているのでしょう?
 「コラム 有為転変」をご笑覧される場合は、このホームページのサイトマップから「日本トータライフ協会」へリンクいたしております。 

2002/03/05   社会ニーズの把握  具現化に向けて

弊社では、全国のすべての新聞、雑誌から「葬儀」「死」「お墓」に関する記事を入信するシステムを10年前から導入していますが、この数年で入信される数量が大きく増えています。
これらは高齢社会の到来を顕著に物語っていると言えるでしょうし、そして多くの記事から、誰にも平等に訪れる通過儀礼である「葬儀」に対して、皆さんが真剣に考えられる時代の訪れであるとも分析しています。

 ある社会学の専門家が「葬祭業界は他業界に比較して20年以上の遅れがある」と指摘されていますが、変革出来なかった背景には葬儀が「非日常的」出来事であり、それらが他人任せ、業者任せという問題につながったと受け止めています。

 また「葬祭業は、悲しみのどさくさに紛れたハイエナビジネスだ」と問題提議をされたジャーナリストもいらっしゃいますが、私達は全国から入信される情報を「ご遺族のお声」「社会のお声」と考え、万国に共通する「お悲しみ」に携わる誇りある仕事のプロを指針し、加盟する日本トータライフ協会を通じて様々な活動を始めています。

 社会ニーズ把握に最もつながったのは、講演やセミナー活動で積極的に行ってきた「質疑応答」で、葬儀に対する社会のお声の集約から生まれた様々なご要望は、今、変革に向けての具現化が始まっており、オリジナルCDの誕生や、ホテルを活用する「お通夜」「葬儀」などは、その代表的な「かたち」となっています。

 6年ほど前、150人ぐらいが出席される講演での質疑応答で、一人の方が恥ずかしそうな素振りで挙手をされ、「お葬式で<白木の祭壇>が大嫌いなのです。あれはなくてはならないのでしょうか?」と発言されました。私は、その時<白木>の意義についての説明をしようと考えましたが、ふと興味が生まれ、出席の皆様に問い掛けを行ってみました。反応は驚きでした。挙手の数が60パーセントを超えていたのです。

 出席者の大半は団塊世代の女性でしたが、お花に飾られた祭壇、シンプルでやさしさの感じる祭壇、そして、その方の人生を表現できる葬儀、それで無駄なことが省けたら。
 そんなことが今後の葬儀のキーワードになっているようですが、日本トータライフ協会加盟の葬祭業者は、全国各地でその実践につとめようと研鑽しています。

2002/03/04   そして、誰もいなくなった御本堂

 あるお寺様のご本堂で、90歳を過ぎたおばあちゃんのお通夜が行われていた。9時半を少し回った頃、弔問者の方々が全員帰られ、10時頃には親戚の皆さんもご帰宅をされた。
 式場に残っておられるのは数人のご遺族のみ。そんな時、庫裏(くり)におられたご住職からお呼びがあり参上すると、信じられないお言葉を拝聴することになった。
「ご遺族がご挨拶に見えられ、後はよろしくとおっしゃっていました」
「!?」
「全員がご帰宅されるそうですよ」

 詳しいお話では、明日の午前10時にご本堂集合と相談をされておられたそうで、初めて体験するご遺族のいない「夜通し」ということの始まりだった。

 御灯明やお線香のお供え交換、そんなことは「お任せします」とのこと、きっとご住職も唖然とされ、ご返答が出来なかったものと拝察。その後の対応に難渋する問題発生であった。

 10時半ごろ、「では、よろしく」と本当にご遺族全員が帰宅されてしまった。ご本堂に荘厳された立派なご祭壇のご遺影が、淋しげな表情を見せられるように思える。
長時間持つ御灯明に交換し、お線香を何度か立替えるが、帰るに帰れない状況。

そんなとき、ご住職がご本堂にやってこられた。
「12時を回るまで私がお通夜をします。葬儀社さんはお帰りください。火を使っていますから危ないので12時には消し、防犯のために山門や本堂の扉にも鍵を掛けます」
 故人には申し訳ないが、有り難い救いのお言葉だ。
それから30分ぐらいをご一緒してから帰社したが、このようなケースが全国で増えてきているようです。 
お寺様、ありがとうございました。  おばあちゃん、ごめんなさい・・合掌

2002/03/03   中止された「生前葬」・・・・・後編

「それだったら生前葬はおかしいでしょう。ましてや祭壇の設営や供花を拝受されるなんて、失礼ですが愚の骨頂です。どこのホテルがそんな低次元なことを受けると言われたのですか。見識と格式を疑いますよ」
「・・・・・・・」
「出席をされた方々がお帰りの際、どんな会話をされるか目に浮かびませんか」
「・・・・・・・」
「司会者が、**は、今日の日まで皆様のお陰で生きて参りました。本当に有難うございました。今日は、皆様に感謝を申し上げる会です。ごゆっくりとお過ごしください。お開きまでに、ちょっとした<ひととき>がありますが、何卒それまではご臨席くださいますよう」
そこまで言ったとき、突然、その人物の人差し指が私の目に向けられた。親の説教を聴かされる子供のような光景からの急変である。
「それそれ、その、<ひととき>とか言うのは、何ですか?」
 どうやら、心底から行いたいという要望があるようだ。
 決行させたくない私の心情が、少し揺らぐ。あまりの真剣な眼差しを受け、潤滑油的な意味を込めて話を進展させる。
「一人だけ、ご友人に弔辞をお願いしておくのです。もしも私が死を迎えたとして、君はどんな弔辞を読んでくれるのか、と託するのです。そして、その後が重要なのです。照明が落とされた壇上にいるあなたにスポットライトが当たるのです」
「謝辞か何か、挨拶をするんですか?」
「そうじゃありません。宣言式を行うのです」
「・・・・・・・・・?」
「今日、この会場には私の家族達がいます。多くの友人達も来てくれました。ここで、皆様全員に<証人>になっていただきたいのです。それは、私が死を迎えた場合の葬儀についてです。今から私の申し上げることをご記憶いただき、私の願う葬儀が遂行されることをご確認いただきたいのです。では、宣言いたします」。
「はい、はい、はい。いいですな。それ。それなのですよ、私のやりたかったのは。何も言わなかったのに、どうしてわかるのですか?」
「人生に黄昏が訪れると、人は、そう思うのです。私は、これを<黄昏・感謝の夕べ>と命名し、私と協会の知的財産にしているのです」

その方は、来社された当時、心臓を悪くされておられたそうで、この企画を遂行される前にご入院、病院から「有難う、嬉しかった。やりたかったな」との悲痛なお電話を頂戴した。どうやらご退院される日を迎えられることはないようで寂しい。       
でも、じっくりと伺った葬儀の時の要望だけは託されている。

2002/03/02   中止された「生前葬」

 著名な芸能人が生前葬をされ、大きな話題になってから久しいが、その影響で一般の方が生前葬を行われたといういうケースが、全国からの情報として入っていた。
 ある時、「私の生前葬を頼みたい」というお電話を頂戴した。詳しくお聞きすると、数社の葬儀社やあちこちのホテルに電話をされ、何かよいアイデアがあるかの確認をされていることが分かった。
「弔辞」「弔電」「献花」「本日の主役」というようなお言葉を耳にされたようで、「弊社の場合は、どんな企画が出来るか知りたい」というのである。

 そんな時、こんなお客様に簡単に対応されるホテルの「誤ったホスピタリティ」のことを思い出す。「お客様のご満足のために」「お客様のおっしゃる通りに」という、そんなサービス提供が、とんでもない不満足につながることを知っていただきところだ。

「笑われることはされない方が」。それが私の対応だった。激情されるかも知れないとの不安があったが、急に言葉遣いが変わり、「それ、興味あるお言葉です。そんなことを言われた葬儀社、ホテルは初めてです。電話という訳には参りませんのでお会いしていただけませんか?」
 そんなやり取りから数日後、ご本人が恐縮そうな姿勢で来社された。
手土産を持参され、鄭重な言葉で「是非、あなたに生前葬を依頼したい」と切り出してこられる。これは説得に時間を費やすのも仕方がないと覚悟し、ゆっくりと私の考え方を話すことにした。
「芸能人は笑われません。笑われるのもお仕事です。しかし一般人が行われますと嘲笑されるだけです。それは<生前葬>という言葉表現が悪いのです。だから弔辞や弔電という問題につながってしまうのです。そんなことをされると<おふざけ>になります。失礼ですが人生の黄昏時期に行うことではありません。あなたが求めておられることは二つ。一つは自分自身の葬儀が見たい。もう一つはこれまでお世話になられた方々への感謝を表したいということでは?」
「・・・・・・・・・?」              
明日に続きます

2002/03/01   コラム執筆にあたりまして

「ご遺族」とは「ご家族」がお悲しみにくれる瞬間を言葉にしたもの。葬祭サービスとは、そんなご遺族にお悲しみになられる時間や環境という「余裕」をプレゼントするもの。

 これは弊社の企業理念のひとつですが、ご不幸を迎えられたご遺族は、宗教者、ご親戚、ご参列の皆様への気配りという負担もあり、ゆっくりと大切な方とのお別れの環境が与えられていないのが現状です。また、多くの方々がご会葬を体験された時に様々な「疑問」を抱かれておられる筈ですが、葬儀が非日常的なことから変革にはつながらず、現在に至っていると考えています。
最近に特徴的な個性化や多様化対応へのご要望は、極めて自然に生まれた当たり前の社会ニーズですが、これらは、セット形式、パック形式など、他人任せや業者任せ方式への抵抗感だと分析し、弊社はオリジナルなサービス提供を構築のうえ、百人百様のご終焉儀式の「ありかた」を指針いたしております。
 それぞれの方の人生が異なるように、ご葬儀も個性化されるべき。そんな思いは葬儀のプロである自身の葬儀を真剣に考えた時の結論でした。マニュアル化対応された葬儀、また「次の方、ご案内」というようなベルトコンベアー式の葬祭式場、自分がそんな環境で送られたくないとの願望は、新しい発想の具現化の背景となりました。ホテルを会場とする通夜、葬儀の実践などは、そのひとつの「かたち」となっています。
 今日からこのコラムを発信させていただきます。できるだけ毎日更新をと考え、全国への出張にもノートパソコンの携帯という荷物が増えますが、その重さが「担う責務の重圧」と考え努力をいたします。
問題提議や辛口で失礼な表記もあり、お怒りになられる方もあられましょうが、「ごまめの歯軋り」「石亀の地団駄」とご海容くださいますよう、伏してお願い申し上げます。
                                     合掌


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