今日は3月1日、この「独り言」の発信を始めてから丁度1年目を迎えたが、号数からすると7回発信が出来なかったことになる。
くだらないことを書いてきたが、おそらく死ぬまで続けるだろうし、死を迎える病院のベッドの白い天井を見ながら打ち込んでいる光景を思い浮かべており、その頃に書き込む内容は相当強烈になっている筈。
NO 357「悲喜こもごも」に書いたが、本当に表記したいことが山ほどある。
しかし、それをやれば業界や宗教界を「てんやわんわ」にひっくり返すことになってしまう。だから、今しばらくはオトナシクしていようと思うが、もしもガンの告知でも受け、自身の死期を悟ったら現役を引退し「今日から始めます」と宣言して書き出すだろう。
ワープロが生まれ、パソコンが登場した。日記や闘病生活、また、人生の黄昏の日々を思い綴るのに、こんな便利なものはなく、パソコンは高齢者がもっと活用するべきもの。
それは、インターネットとワード機能さえあれば十分で、きっと人生が広がるものと思っている。
若かりし頃、小説「あの世の旅」を著したが、400字詰め原稿用紙に鉛筆で書き込んだのが660枚。それを2回書き直したことも懐かしいが、当時、数日振りに草稿に取り組むとストーリーを忘れてしまい、遡って読むことから始めなければならず、こんなノートパソコンの登場が夢のようだ。
この小説の文字数を計算すると約26万字。昨日、独り言のファイルを開く時きに見た数字は<351,847>字。別のコラムの原稿と合わせると約540,000字。もう、小説の文字数の2倍に達していることになる。
小説発刊から10数年の時の流れ、文章能力の成長は全くなし。相変わらず駄文の列記。これからも進歩することはないと断言する。
死期を悟った時から書き始めるものは、間違いなく話題性としての認識に至るだろうが、 単なる三面記事的なものではなく、勧善懲悪をコンセプトにして社会のプラスになればとの思いを秘めており、正直に言って、<早くその時がやって来たらな>と思っている。
『独り言』にとんでもないことを書いて逝きやがった。お陰でエライことになった』
そんなことを言われて恨まれるだろうが、社会の歓迎と賛同を頂戴し、葬祭業界の文化の創造に尽力出来ると確信している。それを私の生きた「証し」としたい。
葬祭業者は「遺族の悲嘆」の理解に努力し、宗教者は「人を幸せにする」ことに尽力いただきたいもの。こんな葬送の原点がどうもビジネス優先になっているようで、悲しみの遺族を二重、三重に悲しませていることも少なくない。
ある通夜の法話で、「昔は、通夜は夜通しでした」というお言葉あった。私は、それが、なぜこのように変化してしまったのかというプロセスが重要だと思っている。
葬儀がなぜ1時間になっているのか、また、電気の誕生、ラジオやテレビの登場、カメラやビデオの流行など、時代の流れで社会が大きく変わってしまっている。交通の発達も凄いし、飛行機やロケットも飛ぶ時代。そこで、伝統と格式だけで葬送が変わらないのはおかしいと思う。
変わっていないのは大切な人を送る「悲しみ」。昨今、それさえ変わって来ていることに気付きたいもの。
『宗教離れ』『無宗教形式の増加』『檀家であるが信者じゃない』『家族葬』『自由葬』
『殺人事件』『自殺』『ミサイル』『戦争』『放火』『ストーカー』『汚職』
そんな言葉が新聞の見出しで躍っている。社会という「人の世」が病んでいる。誰かが医師にならなければならないだろう。その医師の役割を担うのは、政治家と宗教者ではないのだろうか?
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