2003年 6月

2003/06/30   深夜の発信     NO 471

 深夜にホテル社葬のシナリオを書き上げた。やはり、創造の世界は環境というところから、雑音の少ない深夜が最適。元来、夜に強いタイプが、こんな時に役に立つ。

 さて、今日はスタッフ達が大変。徹夜作業という祭壇設営が入っている。気の毒だが私は、上記の事情から遠慮させてもらうことにしている。

 午前中、1時間の会議があった。台本の読み合わせが行われ、統括ディレクターを担当する本部長の気合いが全員に伝わったようだ。

 午後から女性スタッフと共に進行シミュレーションをやってみた。ストップウォッチを手にしたタイムキーパーを指名し、秒単位のタイムスケジュールの確認となった。

 演出音楽の設定をチェックしてみたが、重要な部分で使用されるCD「慈曲」の数曲。その中で問題発見があった。

 それは、CDの2番目に挿入されている「うたかた」。ご遺骨のご入場で流される時の演出で、スタッフの数人が、この曲の活用テクニックを理解していなかったから。

 この曲を制作監修した際のコンセプトは、厳粛と会場空間の神変化。それらを作曲者が譜面に描いてくれた表現力が素晴らしく、会場内の照明ダウンのアクションと入り口扉のオープンをイメージし、イントロ部分が46秒という構成になっている。

 つまり、音楽のスタートに合わせて照明を少しずつダウンしていくシチュエーションを構成し、そこから6秒という時間で取っ手をを持ち、扉を開けたところで旋律がスタートとなっている。

 「ただ流すだけだったら素人の世界。そんな細かいシナリオ創作が出来るから弊社がプロと言われる訳。もっと奥行きを学んでくれ」

 そう言い切った本部長が逞しく見え、彼が一段と成長したような感じを覚えた。

 夕方、サブ司会者と綿密な打ち合わせを行った。言葉を発する際の「キー」も重要で、彼女の持ち味を最大限に発揮できるよう、チェックをしながら注文をつけた。

 徹夜組のスタッフから、「作業をスタートします」と連絡があり、ご苦労さんと伝え、この「独り言」の原稿を打ち出したが、予定外に携帯電話が鳴った。

 「音響さんが、社長は?とおっしゃっています。映像さんも照明さんも同様です。1回はリハをとの強いご要望です」

 現場にいるチーフ・パーサーの女性から懇願の声。

 そこで、今から出掛けることにするが、プロばかりの世界。きっと1回でOKということになるだろうが、お陰でこの発信が午前0時半になってしまい日付が変わってしまった。

2003/06/28   絵になりますので?     NO 470

 ホテル社葬に使用するビデオが完成した。深夜にその映像を見ながらナレーションのシナリオ創作を行う。

 今回の社葬の特徴は、7名様の弔辞を拝受されること。そこで参列者が退屈をされない工夫が必要で、プロデューサーとしていくつかの仕掛けを考慮した。

 それでも時間と環境という限度がある。これだけは誰が考えても無理なこと。失礼だが、きっとオヤスミになる方がおられると覚悟している。

 事務所に行くとスタッフ達が慌しく動いている。みんなそれぞれがミスを発生させないような思いで一致し、チェック作業に取り組んでいる。

 マンネリの中で発生するミスは取り返しのつかないことが多いもの。そんなことにならないために緊張が重要。そんな本番までのプロセスでスタッフが育つ。

 シナリオが完成すれば音楽、音響、照明の指示を打ち込まなければならない。秒単位で進行するのにタイミングのズレは命取り。それぞれの世界のプロ達が、それぞれの最大のパワーを発揮できるようなシナリオ構成でありたいもの。

 それには台本創作にすべての責任があることになる。それだけに私の責務が重く、スタッフ達への言葉もきつくなる。

 しかし、私自身が司会を担当するのだからやり易いのは事実。自分の喋り易い言葉で原稿創作を行い、後はサブの女性司会者をどのように活用するかということになるが、彼女の口調とイメージは何百回と共に仕事したことで誰よりも知っている。

 一流と呼ばれるブライダル司会者でも出せない葬送のイメージトーク。それが彼女には気品として生きてくるのだから不思議な魅力。

 ただ、彼女にも困る問題がある。中継と収録を担当する映像のプロカメラマン。彼のカメラが彼女を追いかけてしまうから。それも何度もアップで押さえている。

 そんな彼に苦言を発したことがあるが、彼は、次のように答えて私を困らせた。

 「分かっているのですが、何か知らない内にカメラが向いてしまっているのです。何と言うのでしょうか、『絵』になる被写体なのですね。ハイ」

 過日に書いた九州での社葬。フェリーの船上で食事中、彼が突然彼女に言い出したことを思い出した。

 「あっ、もう間もなく明石海峡大橋の下を通過します。ライトアップされた橋を撮りたいのです。彼女、悪いけど一緒に来てください。モデルになってください」

 そんな出来事が懐かしいが、実は、今回に担当申し上げる故人は、明石海峡大橋をはじめとする本四架橋や、新幹線、高速道路、モノレールなどに携わる人生を謳歌されたお方。

 一昨日、昨日と1300キロも走行したが、きっと故人が関係された道路や橋を走行した筈。そんな「えにし」を思いながらシナリオ創作に入ろう。

2003/06/27   長距離走行      NO 469

 昨日、急に関東方面へ出張することになり、名神、中央道、長野道、上越道、上信越道、北陸、東海北陸道などを経て帰阪した。

 ホテルにより旅館の方がというところから、宿泊したのは「舌切り雀」で名の知れる磯部温泉。部屋に着いてパソコンを確認したら「圏外」。そこで1日、お休みとなってしまった。

 地方を走行すると緑が美しい。雨や霧に遭遇したが、久し振りの目の保養になった。

 私はミルクが嫌いだが、北海道や信州に行った時には飲むことにしている。なぜか、そんな気持ちになるから不思議で、今回も1本飲んだ。

 ミルクが嫌いになった理由は、小学校時代の学校給食。脱脂粉乳の洗礼を受けた年代で、3年生の時、厳しい先生にいつも無理矢理に飲まされた体験があるから。

 最近、高速道路での大事故が多いようで、毎日のようにニュースで報じられている。自分が起こさなくても巻き込まれる危険性もある。そこで前後の車間距離をいつも確認し、カーブの手前では<もしも前で事故車両があったら>と予測をし、余裕を持った安全運転に心掛けた。

 お陰で何度も遭遇した覆面パトカーのお世話になることもなかったが、1回だけトンネル内で飛ばした。それは、一瞬、地震のような揺れを感じたからで、早く抜け出そうとアクセルを踏んだ。

 しかし、夕刊にそんな記事はなく、<あれは何だったのだ?>と不思議に思う。

帰路の名神で、バスストップのようなところから白い乗用車が走行車線に入ってきた。80キロ制限の区間で、その車の後方に続く。速度は90キロ。

 5分ぐらいすると、その車が広い路肩で停車した。追い越しながら見ると覆面パト。

 そのまま走行し、やがて大型トラックを追い越す。速度は95キロ。バックミラーを見るとベンツが猛スピードで追い着いてきている。そこでトラックを追い抜いてすぐに走行車線に戻った。

 ベンツの後ろに、さっき停車した筈の白い車が追走している。<気の毒に>と思った瞬間、天井から飛び出した赤色灯が廻り出した。

 おそらく40キロ以上はオーバーしていたと推測するが、レーサーみたいに縫うように走っても時間の差異はあまりない。高速道路の走行は、流れに乗って自分のペースで走るべき。違反の検挙なら反省で済むが、事故となったら大変だ。運転のプロではないが、人生のプロと考えれば、後悔だけはしないように走行したいもの。

 あちこち回り、1300キロを走行してきたことになる。スタッフ達は、「年寄りなのにびっくり」と揶揄しているだろうが、美しい自然の中を、好きな音楽を聴きながら走ることもストレスの解消になるもの。

しかし、疲れた。この原稿を発信したらオヤスミナサイをいたします。

2003/06/25   NO?テク      NO 468

 心斎橋のお寺で行われた葬儀の司会を担当してきた。車の通行が多く、表側を担当していたスタッフの気苦労が大変だったようだが、何とか時間通りにご出棺すること出来た。

 歴史を感じるこのお寺様。由緒あるご本堂での葬儀であったが、ご遺族のご要望を尊重して静かなご終焉の儀式が進められた。

 前日、飾り付け担当のスタッフが帰社した時、「素晴らしいお寺様です」という報告があった。ボランティア活動に積極的に取り組まれ、缶やキャップの回収リサイクルで車椅子をご寄贈されておられるそうで、接待スタッフが拝借した炊事場にもそんな活動を啓蒙される張り紙があった。

 ご仏縁で初めてお会いすることになったご住職。少しだけしかお話し出来なかったが、温厚で柔和なお人柄は、いかにも宗教者というお方だった。

 ご導師をつとめられたのは京都からご来臨くださった浄土宗のお寺様。同じ「お念仏」ということで4人のご読経となったが、式場内にはご導師用のマイクが必要ないほど荘厳な響きが生まれていた。

 火葬場にも同行申し上げたが、車中で拝聴したお寺様のお話は大変勉強になり、明日からの仕事に、早速生かせなければと思っている。

 事務所に戻ると若い男性が4人来社されており、スタッフ達とワイワイやっている。見るととんでもない大きさのプリンターがセッティングされ、パワーのあるコンピューターの増設作業が行われている。

 2メートルをはるかに超えるプリンター。ハイテクオンチの私にはさっぱり理解出来ないが、女性スタッフ達の意見が一致して導入となった経緯がある。

 過日に「ロウテク」というテーマで書いたが、また、次のような一石を打った。

 「様々なソフトが内臓されてはいるだろうが、これはあくまでもハードだ。その活用はロウテクやアナログ的発想が大切だ。それをどのような『かたち』で見せてくれるか楽しみにしている。期待を裏切らないように」

 事務所内にあるOA機器。私は、その大半を操作することが出来ない。カラーコピーだってそうだ。最新型で「超便利」とスタッフが言っていたが、昨日、「何だ、これは?」ということを体験した。

 「ファクシミリの専用用紙を出して」と言うと、1人の女性スタッフがカラーコピーのボタンを押して取り出したではないか。今までは机の引き出しから出してきていた筈。そこで確認すると次のように返ってきた。

 「この機械は賢いのです。必要とする際、必要とする枚数を自由に取り出すことが出来るのです。書類棚がこの中に内臓されているとお考えください」

 古い頭の私には考えられないこと。その操作が出来なければ出すことが不可能ではないか。また、悩みが増えた瞬間であった。

2003/06/24   情けない「疲れ目」    NO 467

 お通夜を担当しているスタッフの帰社が遅いようだ。折悪しく降った雨の影響もあるだろうが、式場が大阪の繁華街「心斎橋」ということで、近隣の飲食店舗の存在もあり、さぞかし大変であったと推察している。

 九州へ出張しなければならない責務があるが、どうも右の目の調子が芳しくなく、少し延期を余儀なくされてしまった。

 パソコンに向かって原稿を打っていると目が疲れる。初老の所為とは分かっているが、山ほど草稿を起こさなければならない事情が絡み、目薬の助けを頼りに取り組んでいる。

 今日、そんな中、映像のプロがスケジュールの都合で急に来社されることになり、絵コンテを仕上げる作業を行ったが、私の司会のサブを務める女性司会者との打ち合わせも入り、基本的なシナリオを創作する必要もあった。

 私の隠れ家で打ち合わせを行った4人は、一昨年に九州で行われた大規模な社葬に同行した人達で、関西汽船のフェリー内で食事をしながら打ち合わせをした時の思い出話に花が咲くひとときとなった。

 車2台に器材を積み込んで分乗し、早朝に別府に到着。そのまま施主の会社と本社工場に向かった。

 式場は文化ホールであったが、ビデオ編集に関して、会社の全景と会社側から見た山の風景が欲しく、無理を承知で撮影に同行いただいた訳である。

 早朝の山の風景が美しく、菜の花畑の中にセッティングしたカメラから除いた映像に「朝もや」が最高の情景を醸し出してくれる演出となった。

 この社葬は大変だった。お寺さんが27人も入られ、開式前に大分県知事が感謝状を奉呈される式次第を急遽組み込み、すべてを1時間30分という時間の中で進めるシナリオを描いてマイクを握った。

 さて、今、そんな懐かしい思い出に浸っている場合ではない。ホテルで行われる社葬のシナリオを構成しなければならないのである。

 形式は無宗教だが難問がある。弔辞だけで7名という現実は、どのように考慮しても時間の割愛は不可能。後は、参列者を如何に退屈させないかということだけ。

 7人の弔辞となれば、少なく見積もっても40分間。「長辞」というお方がいらっしゃったら1時間を超えることもあるだろう。それをどうしたら退屈されないのか?

 今回のプロデュースのキーポイントがここに凝縮されている。そこで幾つかの試みを考えてはいるが、その効果は本番を迎えなければ分からない。

 明日から映像制作をスタートするが、完成するのは本番前日の夜。そこからナレーションの創作に入るが、今回、私のサブをつとめる女性司会者に選んだのは、超美人。

それは、参列者の視線を集めようというのではなく、弊社で育てた彼女が、今回の司会に最もマッチするキャスティング。彼女の「気品」に期待を寄せている。

2003/06/23   ナレーターの指導    NO 466

 朝、ゆっくり目に事務所に行くとスタッフの内の4人がいない。確認してみると遠方から葬儀の依頼があり出掛けているとのこと。

 お茶を飲んでいると、女性スタッフが「溜まっています」と机の上にビデオを積み上げた。そこで<仕方がないか>と思いながら隠れ家に入り、吹き込み収録に付き合う。

 微熱の所為かも知れないが、どうも声の調子が今ひとつ。重厚さを伝える部分でのパワーが弱く、マイクの遠近テクニックで対応することにしたが、正直に言って、これは横着。

 収録が終わった後、30分ぐらいを費やし女性ナレーターの指導を行ったが、前回より上達という成果を感じながら、細部のイントネーションについて教える。

 彼女がナレーションを語っている。それを聴きながらおかしなところをメモする私。そんなペンを走らせる行動が気になるようで、書き込む度に変化を見せる。

 <今のところがまずかった。しまった>

 そんな心情の生まれも大切な教育。それが、続く原稿に影響を与えてしまい、そこからミスが次々に発生するが、ここに秘められた指導の仕掛けがあるのだ。

 失敗を引きずっていくことで、そこからどんなに悪影響を及ぼすか。それを体験させるのがこの勉強。ミスの部分を忘れ、涼しい顔で通過するようになることが先決である。

 多くのブライダル司会者の指導も行ってきたが、シナリオを読ませて詰まった時、その部分の冒頭に戻る人が多く、それが司会の基本ということを教えられた結果だろうが、私の教育に「戻る」という指導はない。

 ただ、戻る場合には条件がある。それは、誤まりを伝えてはならない重要なこと。例えば人名、日時、スケジュールなど。

 この「戻らない」というテクニックは、どちらかと言えば基本に反することも事実だが、戻る必要のない技術を身に着けさせることで解決するべきというのが私の哲学。

 さて、午後に思わぬ来客があった。若くて品のあるお寺さんだが、来社の目的はお寺のHPに葬儀社を掲載させたいとのこと。

 それは、両者にデメリットではと正直な考えを伝え、それから1時間以上も葬儀について話し合った。彼は、きっと「変なおじさん」と思っているだろう。

 最近、リンクの要望が多くなってきた。メールや手紙を頂戴するのだが、私は他社のようにリンクを歓迎することに否定的。ビジネス的なイメージが嫌いなのである。

 今月の初め、「リンクを張ればアクセス数がアップしますよ」と、態度の悪い仏具商が来社されたが、弊社のHPのアクセス数を伝えると、「大変失礼しました」とバツ悪そうに帰られた。

2003/06/22   永遠のテーマ   NO 465

 事務所に立ち寄ると、宅配されてきた巨大な物が置かれてあった。

 厳重に包装され、「取り扱い注意」の文字が目立っている。

 中身は、社葬で飾られるご遺影。縦180センチ、横131センチという大きなお写真。事務所にいた数人のスタッフに訊いてみると、まだ中の確認をしていないとのこと。すぐに開けて確認することを命じた。

 <ひょっとして別人だったら?> <指定通りのサイズになっているか?> <傷が付いていないだろうか?>

 そんな様々な恐怖心が生まれる。もしも問題があったら間に合わないかも知れないが、万が一でも数日の徹夜作業での対応も可能性があるだろう。だから確認が何より大切。

 そんな説教をしながら恐る恐る開かせたが、問題がなくホッとした。

 プロとして仕事に従事する時、こんな『臆病さ』が重要なのである。心配に心配を重ねて本番を迎える。そこに結果として「案ずるより生むが易し」という格言を体験することになる。

 無頓着や配慮なくしてこの言葉は誕生しない。それがこれまでの経験で得た私の教訓。

 そんな恐怖感は、経験を重ねるごとに増加してきた歴史がある。

 これまで数千人の方のナレーションを創作してきたが、そこで学んだ教訓に「諸刃の剣」というような世界があるので紹介しよう。

 人生表現にあっては、必ず触れて欲しいことと触れられたくないことが存在するもの。それらの恐ろしさを理解すると、どうしてもスタンダードの道を通り、マンネリズムに沈んでしまうもの。

 触れられたくないことは、取材時に「さりげなく」聞き流して察知し、触れられたいことを本番で「さりげなく」伝えて大きく反響する手法にテクニックを要し、この境界線に創作の妙味が隠されている。

 音楽、映像、照明、音響などのプロ達と仕事を共にすると、それぞれが「こだわり」を持っているもの。それらを表面化するタイプと「隠し味」で表してくるタイプに分かれることも面白いところ。

 互いの信頼なくして自身の満足に至る仕事は不可能。その先にお客様のご満足が存在しており、それはいつまでも遠くて遥かな永遠のテーマなのである。

2003/06/21   ロウテク     NO 464

 故人の生い立ちナレーションを不要とおっしゃっていたご遺族。葬儀が始まる1時間前、急にお考えを変更され、「お願いします」ということになった。

 担当していたスタッフの顔が強張る。受注時にある程度の取材を終えているとは言え、原稿創作をしていないのだからあたりまえ。私の携帯電話に緊急救助の依頼が入った。

 このお客様、ラッキーな条件に恵まれておられた。私がいた所は、その式場から車で15分ぐらい。手元にノートパソコンを持っている。

 すぐに喫茶店に飛び込み10分で基本ベースを打ち上げ、式場に向かう。

 担当スタッフが取材したメモを手にして待っている。

 お茶やオシボリを担当する接待スタッフの準備室に入り、仕上げの創作を始める。

 4分30秒バージョンの原稿が完成したのは、開式20分前。そこから担当女性スタッフが目を通すことになったが、プリントアウトが不可能で、パソコン画面を見ながらのナレーションとなった。

 祭壇の両側にセッティングされた2台のモニター。そこに故人の思い出のお写真を編集したビデオが流れ、彼女のナレーションが始まった。

 ワードのページに表記されるのは25行だけ。そこから先は画面を下に動かさなければならないが、見失ってしまえば大変で、どの部分で移動のボタンを押すかが重要だった。

 横に立って彼女のナレーションを耳にしている。共に原稿を目で追いかけているのは当然。

 <今だ> ひとつの物語が終わり、次の章に入る前にボタンを押した。

<あれ?> 下部の文章が上がって表記された時、意外な仕掛けがしてあることに気付いた。そこで3行分ぐらい行間スペースが空けてあり、何の問題もなくスムーズにつながれていったのである。

考えて見れば簡単なこと。彼女は読み合わせの時点でそれに気付き、自分で細工をしただけのこと。そんなことさえ気付かない私のロウテク頭。でも、文章作りは絶対にロウテクの世界。

 葬儀が終わって、「あんなナレーション、どのようにして創られたのですか? 驚きました。有り難う」

 そうおっしゃってくださったご遺族のお言葉。ハイテクに強いスタッフ達に、ロウテクの重要性を再認識させたと自身を慰めている。

2003/06/20   奇妙な電話    NO 463

 ある日の夕方、おかしな内容の電話があった。相手は、多くの病院に出入りされる葬祭業者の社員で、病院内から電話をしてきていた。

 この業者さん、病院で死を迎えられたご家族に対し、様々なマニュアルテクニックで葬儀の受注を得ることが有名で、その強引さが悲しみの遺族の顰蹙を買うという事実を業界では誰もが知る存在となっている。

 「**病院で**さんという方が亡くなりました。寝台自動車を手配しますと言っても『自分達で手配する』と貴社の名前を出されるのです」

 彼の「困る」ということは、自社内での自分の立場が苦しくなるということで、「出入りする病院内で死亡された方があるのに、どうして葬儀の受注が取れないのだ」と責められる訳である。

 亡くなられた**さんは、ご本人の固いご遺志で、お世話になった病院に対する御礼の心を託され「病理解剖」の協力をご要望されたとのこと。そのために数時間を経てからご自宅に搬送するというケースであった。

 しばらく、この葬儀社の社員と電話でやりとりをしてみることにした。

 「病院出入りも大変でしょう?。受注出来なかったら上司から叱責されるでしょうし、無理強いすると遺族から病院に対するクレームが発生する危険性もあるだろうし?」

 「そうなんですよ。その駆け引きが微妙なところでしてね。受注しないと我々の給料にならないシステムになっているから大変なのです」

 「でも、御社の寝台自動車の担当者は、全員がベテランばかりで受注率が非常に高いと伺いましたが?」

 「遺族なんて葬儀のことなどズブの素人。いくらでも騙せますよ。でもね、貴社を要望される遺族を落とすことは難しいのです。葬儀のことをよく知っている人が多いのです。他社だったら『以上のサービスを』で通るのですが、貴社の名前が出て「以上」を言葉にしたら絶対にトラブルの元。それだけは弁えているつもりです」

 弊社のことを気持ち悪いほど持ち上げてくれる彼、<今回の電話の目的は何だろう?>。そんな疑問を抱いた頃、その答えとなることを持ち出してこられた。

 「会社に事実が伝えられると困るのです。そこで相談なのですが、病院側に電話を入れていただき、お客さんから直接に寝台自動車の要請があったことにして欲しいのです」

 彼には申し訳ないが、そこからのやりとりは適当にお付き合い程度にし、しばらくして会話を結ぶ言葉を発して切ることとなった。

 それから15分ぐらい経った頃、そのご遺族から直接お電話を頂戴することになったが、上述の一部をお話申し上げ、弊社は「病院に電話をいたしません」と説明し、定められたお時間に寝台自動車でお迎えに参上することを申し上げた。

 彼は、きっと上司から叱られた筈。ひょっとして始末書という問題に発展したかも知れないが、それは、弊社が関わる問題ではなく、ここではっきりとお伝えさせていただくところである。

2003/06/19   通夜での後悔     NO 462

 ある通夜の式場での出来事。導師のご読経の中、参列者の焼香が進められている。

 この式場の中の空気が重い。その原因は、働き盛りの男性の急逝ということがあったが、リストラを悲観された自殺という不幸な出来事が秘めら、その事実は親戚の一部だけにしか知らされていなかった。

我々葬儀を担当する立場は、時にしてお客様が秘密にしておきたい事実を知ってしまうことも少なくない。医師や弁護士などと共に、我々にも「秘守義務」があると確信している。

そんなところから、スタッフ全員には、入社時から「秘匿せよ」という緘口令を発してある。

 さて、ご読経が終わった。導師が参列者の方に向かって座り直され、お説教が始まった。

 私は、内心、「しまった」という思いを抱いた。導師の表情が想像していたより暗くない。

 「言うべきだったか」との思いは、最早、手遅れ。「今更」という言葉が頭の中で交差し、後悔という重い世界に沈んでいく自身の愚かさを嘆く。

 「皆さん、よう、お参り。故人も、きっと『おおきに』と言ってますやろ」

 完全な大阪弁トーク。よりによって軽い「枕」の入りではないか。
これは、90歳や100歳の方の通夜なら許されるだろうが、悲しみの深い通夜での説教に大阪弁は絶対に似合わない。

 これまでに多くのお寺さんの通夜説教を拝聴してきたが、大阪弁を売り物にされている方は「お笑いを一席」というイメージが強く、目と耳を覆いたくなる光景に何度も遭遇した。

「人の命は分かりまへんなあ。最近、自殺が増えとりますけど、皆さん、自殺は、あきまへんで。せっかく仏さんからいただいた命を粗末にしたらあきまへん。自ら命を断つというのは、それこそ悪業でしかおまへん」

 遺族と親戚の顔色に変化が生じるのは当たり前。説教するなら相手側の表情をさりげなく確認しながら進めるのも基本の筈。

 この導師を責めるつもりはないが、少なくとも故人の終焉された時の環境ぐらいは把握していただきたいもの。

 この導師、年齢は40代。「どうして大阪弁で説教するのだ」「どうして自殺という雰囲気を感じていただけないのか」との思いが込み上げてきた。

説得という行動に無言のブーイングは最悪。それを感知する能力なくして説教は似合わない。一方通行方が許される宗教者という立場でなければ、不謹慎だが噴飯ものとご理解いただきたいところ。

 そこで僭越だが宗教者に二つの問題提起。死因の事実を認識されることと、大阪弁の説教を標準語に変えられるべきということ。

 納得の生まれる説得技術は、絶対に宗教者に不可欠なもの。真剣にお考えいただきたいと心から願っているのです。

2003/06/18   雨のゴルフ     NO 461

 今年は梅雨の雨量が多いようで、全国的に雨が続いている。

 そんな中、今日、今年2回目となるゴルフに行ってきた。

 同伴メンバーは、外資系ホテルの総支配人と大型ホテルの総支配人さん。お1人がプロ級という腕前の持ち主。迷惑を掛けないラウンドをと思いながら、昨夜の遅くに庭で10回だけ素振りをした。

 一昨日、医師から「歩きなさい」とご指導をいただいたが、歩くのにゴルフは適している。なるべくカートに乗らないように努力する。

 早朝に自宅を出ると雨。往復の道中やプレー中の雨は仕方がないが、せめてラウンドをスタートする時だけは止んでいて欲しいと思うのがゴルファー。

 そんな車内会話をしながら霧の明石海峡大橋を渡った。

 また台風が北上してきている。今年はどうやら台風の当たり年のようで、強風の大嫌いな私は、被害が発生しないように願っている

 1日中「雨」という予報だが、疲れて帰れば寝つきがよい筈。そこにも期待を寄せてご一緒させていただくが、ラフが深くて全員が苦労を強いられた。

 そんなゴルフ、前半のハーフで39。

 「今年2回目? 練習一切なし?」 

 そんな疑いのお言葉を頂戴することになったが、後半はやはりダメ、50というスコアであった。

 帰路、淡路のウェスティンホテルにお邪魔し、総支配人さんにお茶をご馳走になって帰阪したが、昨年、ベッカム選手が滞在して話題になった時の出来事を拝聴してきた。

 朝の道路情報で阪神高速神戸線が事故渋滞ということを知り、中国道を経て淡路に入ったが、帰りは阪神高速を経由してきたら珍しく流れがよく、大阪市内のホテルまで1時間で帰ってくることが出来た。

 フェリーの時代は大変だった淡路島。当時の混雑時はフェリーの5時間待ちということも少なくなかった。

 本四架橋を3箇所もと批判される昨今だが、島の人や通行する人々にとっては夢のような時間のプレゼント。これで赤字さえなければ素晴らしいことだろう。

 久し振りのゴルフ。心地よい疲れで今日は熟睡できるだろうと期待しながら自宅に帰る。それと同時に携帯電話が鳴った。

 知り合いのお婆ちゃんが逝去されたそうで、すぐにスタッフを走らせる。

 今日の夜間を担当するのは女性スタッフ。彼女が夜間当番になるといつも気の毒なように走らされており、申し訳なく思っている。ご苦労様。

2003/06/17   再燃の心を抱き   NO 460

 体調を崩して、10数年ぶりに2日間の完全休養を過ごした。

 お世話になっているクリニックに行き、医師の診断を受ける。今月初めに行った血液検査の結果も伺うことになったが、微熱には何かの原因があるかも知れないと新しい検査を受けてきた。

 「もう、若くないですよ。この検査結果をご覧なさい」

 そう言われて拝見した検査のグラフ結果。そこには如実に数字が物語る私の初老の状況が書き込まれてあった。

 「少し仕事から離れなさい」「運動をしなさい」「歩いていますか?」「ストレスを少なくされることが大切です」

 そんなアドバイスを頂戴したが、先日に担当した100歳の方の葬儀のことを思い出すと、自身の情けない現実に歯痒い思いが生じ、それらが逆にストレスになっていしまうよで困っている。

 私は、若い頃から様々なスポーツに挑戦してきた。それぞれの競技にも出場し、よくぞここまでという成績を残した歴史がある。

 それらは何事にも理論を学ぶことから始め、そのプロセスにプラス思考を絡め、人が1年を要することを3ヶ月ぐらいでクリアするタイプであった。

 司会の技術は「秘策」という独自のカリキュラムを構築し、一般の司会者では出せない音声オクターブや発声練習に苦労をしたが、今、それらの後継を託するスタッフに与えなければならない状況を迎えている。

 指導を行う時間は、また、自身を再度磨くことにもつながるが、そんな中で、年齢と経験の成す「重厚」の味がまだまだ上達できるということに気付いている。

 今から2年間、磨きに磨きを掛け、50歳代の最後で司会の現役を卒業したいと思っている。

 私は、学びたい人は拒まずというタイプ。皆さんにそんなご興味があれば、どうかこの2年間の内にお願いしたいと願っている

2003/06/16   思考力低下    NO 459

 1ヵ月半前頃から微熱が続き、身体がだるくて仕方がない。

 私の正常値の体温は低く、35.6度。それが36.9から37.2ぐらいあるのだ。

 微熱の原因には何かあるだろうが、仕事を終えて早めに帰宅して静養していたが一向に向上しない。こうなれば医師の診断を受けなければと思っている。

 10日ほど前に検査を受けたが、明日にもう一度クリニックに行き、原因究明の検査をお願いすることにした。

 微熱があると思考力がダウンするし、私のような「ないものをかたち」に形成する仕事への影響が多大で、シナリオの完成度やマイクを担当する司会の発声力もダウンしてしまう。

 これからスケジュールが詰まっている。休んでいる訳にはいかない状況。気力だけで乗り切れるような仕事ではなく、手抜きすることだけはプロの誇りとして避けたいもの。

 明日は、祈る思いを託してクリニックを訪れよう。

 さて、珍しく自宅で静養したが、やたらに水気が飲みたくて、ラムネ、アイスクリーム、コーヒー牛乳、ウーロン茶など多くの飲み物を口にした。

 睡眠前に服用する薬を飲んだのは、この独り言の原稿を打ち始める時。もう、その効力が出て来たようで思考力が急激に低下してきている。

 今は、あまり無理をしない。そんなところで発信のエンターボタンを叩くことにする。

2003/06/14   立派なお考え   NO 458

 追憶ビデオの吹込みが溜まっている。その内の多くは女性スタッフが担当するべきもの。

 今、彼女が多忙を極め、収録する時間がないようだ。

 吹込みでマイクに向かう時、体調と周囲の環境が大切で、時間に追われているような状態ではやるべきではないと考えている。

 収録する時は一挙に。そんな思いが我々2人に共通しているが、互いの環境が整うことは少なく、何とか今月中にはと思っている。

 ある時、2人で1日に8本の収録をしたことがあった。彼女が5本で私が3本。環境が整っていたにも拘らずNGの連続。その原因になったのは電話の呼び出しと予定外の来客であった。

 さて、今日は、昨今には珍しいという出来事があったので紹介させていただく。

 「大変失礼なことをいたしました。改めて振り込みますのでお許しください」

 そんな電話が一昨日にあった。相手様は東京の方。1ヶ月前ぐらいに大阪で行われた葬儀に供花を発注いただいたのだが、その直後に振り込まれた「お花代」で振り込み料を差し引かれていたことを問題にされてこられた。

 お客様のご了解のうえ、我々葬儀社が供花の受注をすることは少なくないが、請求書の送付後の振込みでは、振り込み手数料を差し引かれるのが大半という時代。

 ところが、今回のお電話の会社は、社長自身が「なんという失礼なことを」と担当者を叱責され、こんな電話のやりとりになった訳である。

 お供えの支払いは通夜か葬儀で解決しておくもの。それがその社長さんの哲学だそうで、「遠方で参列できないから供花を依頼したのに、そこで手数料を差し引くなど故人にも失礼だ」ということから、差し引かれた振り込み料を改めて振り込んでこられるということになった。

 確かにご指摘のように、社会での葬送儀礼にあって供花を単なるビジネス的発想で流してしまうことには問題があろうが、こんな哲学を抱かれる方がおられたことに驚くと共に、感銘を受けた出来事としてここにしたためさせていただくことにした。

 一方で、その反対のケースも印象に残っている。

 ある芸能関係者の葬儀に、供花の申し込みのファクシミリが山ほどやってきた。葬儀が終わって数日後、一斉に請求書を送付したが、その内の10数対が2ヶ月経っても未収の状態。

 その頃、喪主をつとめられた方から「お花代に未収は?」とお電話をいただき、事実をお話することになったが、芸能界には日常茶飯事のことだそうで、どこでも担当した葬儀社から「何とかお願いします」と泣きつかれることが多いそうだ。

 そんな芸能関係の供花代。最も早く振り込んでくださったのは、テレビ局と新聞社であったという事実もお伝え申し上げる。

2003/06/13   葬祭業界の変遷     NO 457

 お通夜でナレーションを担当してきた。

 故人は明治生まれの100歳のお爺ちゃん。過去に何度か葬儀委員長をつとめられた時にお話したことがあるが、温厚でお洒落な一面が素敵なお方だった。

 8人のお孫さんと4人の曾孫さんがあり、晩年はデイケアサービスのスタッフさんに「かわいいお爺ちゃん」と愛される存在であったそうだ。

 最近お疲れモードの私だが、100歳までまだ44年間もあると考えると、「歳を感じ出した」なんて偉そうなことを言える立場ではないことを教えられる。

 大規模な社葬やホテル葬の司会を担当していると、もう、私の限界も2年かなと思い、今、後継者を育てる行動に積極的に取り組んではいるが、20代や30代のスタッフ達には、私が抱くこんな焦燥感を理解することはないだろう。

 100年を見事に生き抜く。それは偉大な人生だろうが、出逢いがあって生まれた多くの友人達の大半がこの世に存在しないことになり、他人を送ってばかりして、自身がこの世を出立する時には誰もいないなんて本当に寂しい現実。でも、来世の存在を信じることによって、再会を果たして懐かしく昔話をするという夢も抱ける筈だ。

 10年一昔という言葉があるが、現在の社会発展では10年というだけでも世の中に大きな変遷が生じるもの。次々に新しく誕生してくるものに接すると、そのスピードがどんどん速くなる実感が湧き、50年後にはいったいどのような社会になっているか予想もつかない変化があるだろう。

 しかし、大切な方を喪った悲しみが変化することはないと信じているし、我々葬祭業が
いよいよ「プロの域」という社会認知を獲得しなければならないだろう。

 それぞれの地で、それぞれのメンバー企業が地道な努力を積み重ねている。一昨日にも東京の二つのテレビ局から取材の申し込みがあったように、今、日本トータライフ協会の非営利活動が話題を集めている。

 地域の囲い込み戦略を主流とする互助会組織や、一般の葬儀社を下請け化させる新たな葬祭ビジネスも潮流となっているが、それらはすべて崩壊の道を進んで行くことになるだろう。

 全国に存在する多くの葬祭業者の中で、今、協会加盟メンバー葬儀社が「安心のブランド」という呼称をいただくようになってきた背景には、葬儀に於ける永遠のテーマである「悲しみの理解」なくして成り立たない現実だけは知っていただきたいと願っている。

2003/06/12   プロデュース会議    NO 456

 昨日、大規模な社葬のプロデュース会議を社内で行った。

 まずは、お預かりした10数冊のアルバムのページを開く作業を8人がかりで始める。おそらく1000枚以上はあるだろうが、その1枚1枚を拝見する。

そこには故人が歩まれた人生の証しが刻まれてあり、取り敢えず100枚ぐらいのピックアップまで進める。

 映像に使用させていただくもの、メモリアルコーナーに掲示申し上げるものとの選別に入る前、ある程度の絵コンテと基本的なシナリオ構成を考慮しなければ「生きられた」というドラマは完成不可能。

 お写真を選ぶスタッフにも、そんなプロデューサーとしての感性が求められ、作業ではなく「仕事」であるとの認識が、この行程での重要なキーワード。このプロセスこそに我々のソフトとノウハウを凝縮させるのである。

 交友関係の広さがお写真を拝見するだけでも伝わってくる。苦渋の選択で最終的に決まったご弔辞の奉呈者が7名様。これだけでも最低40分を要するだろうし、もしも「長辞」というお方がおられると1時間ということも覚悟しなければならない。

 無宗教形式による2時間の社葬。梅雨の季節、暑さ、駐車場という問題をご考慮され、式場はホテルをお選びになられたが、現在のところ参列者の予定人数が把握できない状況で、式次第の構成を3パターンぐらい考えている。

 そんな条件でプロデュースに入ると、様々な部分での時間短縮が求められ、本来は割愛したくないところにまで「しわ寄せ」が迫る。

 これらにプロとしての技を投入するなら、参列者に退屈をさせないという秘められたテクニックが不可欠。それにはアシストスタッフの存在とサブ司会者の技術に託する部分が高くなる。

 そこで重要なのがキャスティング。今回は私のブレーンの中でも最高のプロ達を集結させるつもりでいるが、彼らは、きっと答えてくれるものと確信している。

 さて、不規則な時間に食事に出掛けて帰社すると、東京のテレビ局2社から取材の要望が入っていた。

 最近、新聞、雑誌、テレビの取材が多くなってきているが、これらは高齢社会の到来に「葬儀」に対する興味が高まってきている現象であり、真面目な番組構成を考えられている場合には、取材の内容にもレベルアップの兆しが感じられる。

 しかし、視聴率を重視するテレビの世界は、どうしても興味本位に走ってしまう姿勢が否めず、お笑いタレントがキャスティングされているような番組は、すべてお断わりをしてきた。

 そんな姿勢を貫く私の葬儀に対する思いは、今、弊社のスタッフ達にも浸透しつつあるようで、「テレビ出演は宣伝になります」と言っていた女性スタッフ達さえ、「低次元な番組に出演しないでください」に変わってきた。

 この変化にこそ、スタッフの意識向上の結果があり、弊社ブランドのオンリーワン的な「誇り」が芽生えた証であるように思っている。

2003/06/11   深刻な現実    NO 455 

 過日、空港での出国検査が厳しいと書いたが、それが安全につながることなら大歓迎しなければならない。

テロに対する危機管理が世界的に騒がれている時代、何度も出入国されるビジネスマンには気の毒だが、我々庶民が出発するのに2時間前に手続きをするぐらい当たり前のことだろう。

 検査官のマスク姿が強烈に緊張を訴える。閑散とした待合室にもマスク姿が目立つ。

 我々夫婦は、人との接触を出来るだけ避けるため、早めにラウンジで待機することにしたが、ここでの1時間と少し、乗客の出入りは1人もなかった。

 ラウンジのスタッフと少しだけ話をしたが、東南アジア方面のフライトキャンセルが増え、便数が激減してこの様子だと言うが、その表情は悲壮感を感じてしまうほどだった。

 やがて出発の時刻。機内への案内が始まったが、搭乗者は30数人。14席あるビジネスクラスに座っているのは我々2人だけ。サービスを受けるのが何か気の毒で、食事を済ませると眠っている振りをしたが、気を利かせてくれたのか、すべての窓のブラインドを下ろしてくれた。

 さて、帰路の機長が楽しい人物だった。陽気なアメリカ人らしい人柄があふれ、機内の入り口で一人一人のチケットを確認しながら名前で呼んでくれる。「花子さ〜ん、楽しかったですか?」
 
 そんな機長が操縦する飛行機が名古屋空港に着いた。完全防御姿の女性2人が待ち構え、横にいた警察官らしい人が「ゆっくりと1人ずつお通りください」と声を掛けている。

そこには、テレビのニュースで何度か見たビデオカメラのような体温計測器が置かれていた。

 やがて預けた荷物がコンベアから出て来る頃、館内放送があった。

 「今から麻薬犬が入ってきます。噛み付いたりしないのでご安心ください。決して触ったりしないでください」

 麻薬犬は中型犬で真っ黒。かわいい目をしていたが責務に従順なようで、帰国者の足元を嗅ぎ回っている。

 世の中に旅客機が登場した頃、ハイジャック、テロ、麻薬なんて考えられなかったこと。それが愚かな人間社会の変化でこんな厳しい検査をしなければならない時代。そこに何かの悪戯のようにSARSというとんでもないバイキンが出現した。

 肉体を蝕むバイキン。それに併行して社会に「心」のバイキンが蔓延してきていることが気掛かりだ。

2003/06/10   夕景に思いを募らせ     NO 454

 出国手続きを済ませてすぐ、携帯電話が鳴っている。

 「大変です。社長をご指名のお客様です」

 それは、私の知る立派なお医者様のお母様のご不幸。故人は100歳であられた。

 不在中はスタッフで対応をと頼んであったが、世の中とは皮肉なもの。こんな時に限って私自身が担当しなければならないお客様がある。

 出発までの約1時間、悩みに悩んだが、申し訳ない気持ちに襲われながら搭乗した。

 <とにかく、社長が担当できないのだから、その埋め合わせを>

 そんな思いで一致したスタッフは、まずは祭壇設営に特別な配慮をする行動を進めた。

 花の種類、デザイン、イメージなど、それらは100歳の方のご終焉の儀式を「飾る」というコンセプトにつながったようで、ご遺族からご満足のお声を頂戴することが出来たそうだ。

 喪主をつとめられた先生とは、1週間ほど前、ある葬儀のご弔問に来られた際にお会いした。その時にお掛けくださった「ご苦労さん」とお言葉を思い出すと辛くなる。

 不思議な巡り会わせというのだろうか、私が結婚式に出席しなければならない時に限ってそんな葬儀が入ってくる。

 数年前、出張の帰路、深夜の山陽自動車道のサービスエリアでコーヒーを買っていた時に鳴った携帯電話。

 「母が病院で亡くなった。すべてを頼むよ」

 それは学生時代の友人で、上場会社の社長をしている人物。それから3日後になる葬儀の日は私の娘の結婚式。通夜の司会を担当して事情を説明した時、「娘さんの結婚式に行くべきだ」と言ってくれた彼の心情が嬉しかったが、複雑な思いに捉われ、<今頃、開式だ。もう焼香が始まる時間だ>と心配しながら、世界遺産となっている京都の神社で結婚式をしていた思い出も懐かしい。

 私の仕事に「来る何月何日」という手帳のスケジュールは恐怖のページ。その日を迎えるまでの毎日、掛かってくる電話に恐怖感を抱くもの。

 こんな日々を過ごしていたら病気になって当たり前。神経性の高血圧や十二指腸潰瘍という持病が勲章にもなってくる。

 太平洋の南の島で過ごしたひととき、それは「人生、そればかりではないだろう」ということを教えて貰ったようにも思える。

 美しい夕日が沈む光景を見ながら、故人を送る自身が人生黄昏を夕景に感じて仕方がなかったが、「陽はまたのぼるが、人間は?」と思いながら去就に耽ったひとときでもあった。

2003/06/09   休載していました。   NO 453

 ちょっと休載いたしました。ご訪問くださった皆様に衷心よりお詫び申し上げます。

 どうしても出席しなければならない結婚式、それが外国で行なわれたので行ってきたのです。

 海が美しい太平洋の島。久し振りに見た水平線に沈む夕日、<長生きをしなければ>との思いを強く抱いた体験でもあった。

 砂浜のある林の中に特設されたステージ。いかにも南国風にイメージされた花の演出。そこで神父さんの説得力のある司式を耳にし、失礼の極みで恐縮だが、同じ宗教者であられるお寺様達に、このクリスチャン結婚式をご体感いただきたいなと思ってしまった。

 英語と日本語通訳を交えて進められた式次第。バックに見える波打つ砂浜のロケーションに相まって、自然の環境もキャスティングした素晴らしい雰囲気が醸し出されていた。

 シンセサイザーの演奏と歌。そして持ち込まれた音響設備は我々プロとしても合格点に達するレベルで、神父の言葉とフィーリングが心地よく伝わり、出席者の誰もが「素晴らしい」と感動していた。

 夜に行われた披露宴。200人以上の出席があったが、その内の半数が外国人。私は壇上でスピーチをしたが、そこで流れてくる音楽がスタートしない。<これは、まずい>と予定していた内容を急遽変更して始めなければならないと覚悟した時、やっとBGMが流れてきた。

 日本で行われるブライダルとの大きな違いは、何より出席者が祝福されるあたたかさ。それは、きっと南国の生活習慣が背景にあるかも知れないが、日本で多い「義理」という世界がどこに感じなかったことが何より。

 新郎新婦は、きっと幸せな家庭を築くだろうが、今回に生まれた多くの方々の絆が素晴らしく、終わってからプールサイドにあるオープンバーで引っ張り出され、ミュージシャンの演奏をバックに歌を歌わされる羽目になった。

 仕方がないと選曲したのはプレスリーのラブミーテンダー。盛り上がったが拍手が少なかったので下手だったと反省しているが、歌は拙くなく、英語の発音がダメだったのだと勝手に推察している。

 それしてもに空港の警備は厳しいものだった。ちょうど韓国の大統領が国賓として来日され、その影響もあったかも知れないが、これまで体験したことのないほど厳しい検査態勢が敷かれていた。

 国際線の空港、免税店、空港内のラウンジなどが閑散としており、それらにSARSの影響を諸に受ける厳しい現実を目の当たりにすることになった。

 好奇心だけは旺盛な私、様々なことに挑戦したが、現地のホテルで体験した不思議なひとときはまるで幻想の世界。そこでの体験談はまたのお楽しみ。

 貴重な体験をして疲れに疲れて帰宅したが、無事に帰ることが出来たことに感謝をしながら今日はここまでとさせていただきます。

2003/06/06   ホテルマンの難題     NO 452

 ある大規模ホテルのスタッフ教育を依頼され、研修を始める1時間ほど前、教育担当責任者と話し合った時、面白い現象があることを伝えた。

 どんな組織にもミスを繰り返す人物が存在し、上司から何度も叱責や教育を受けても効果がないということが多いのである。

 この人達に共通するところは、自身の性格を把握していない部分にあり、自分がミスをやらかす危険人物であることを認識させることから始めるべきとアドバイスした。

 ホテル業界は、今、新たにスタッフ教育に力を入れているが、その背景に困った問題が生じている。

 ホテルを利用する客の中に「ヤカラ」のような人物が増え、ホテル側のミスを追求する「粗探し」がひどくなっているそうで、多くのホテルがその対策に頭を悩ませているとのこと。

 これらは葬儀の世界にも増え、ミスを発生させないような教育と共に、不幸にして起きてしまったミスへの対処も重要になってきている。

 あるホテルマンがミスを起こし、ややこしい客にクレームをつけられている。すぐに上司が登場して謝罪の姿勢を見せたが、「謝罪慣れしている。そんなマニュアル的な謝罪では納得が出来ない。責任者を呼べ」とエスカレートさせる悪質なものもあった。

 相手側の狙いは金品による解決。そんなタイプに誠心誠意の謝罪をしても効果はない。暴力団なら警察という存在があるが、暴力団ではない人物に増えてきているので困っている。

 これらは男性ばかりではない、女性の場合も少なくなく、こんなトラブルに巻き込まれたホテルマン達に、サービス提供への意欲が急激にダウンしてしまう影響が及ぶ。

 人間のすること、そこには不可抗力のようなミスもあるだろう。それらを叱責する時にその人格がすべて曝け出されるもの。この見分け方に分析という能力が重要となり、教育しなければならない苦渋の選択でもあるのだ。

 何度も教育に参上したが、悲しみの仕事に従事してきた私。葬祭業がホテルマン以上資質を求められるサービス業であることを誰よりも体験している。

 社会でのサービス業、そこで最も高度なレベルを要求される仕事、それが葬祭業であると認識されつつあるが、弊社が加盟している日本トータライフ協会は、今、この部分での最先端に君臨していると自負している。

 葬祭業界に於ける「安心のブランド」は、着々とその内容の充実アップに取り組み、かたちとして形成されてきているのである。

 全国に多くの加盟メンバーがあるが、協会のHPに記載される企業名にも条件が課され、高度な研修会への参加なくしてその認知公表をしないところにも値打ちがあると思う。

 今から名古屋のホテルに向かう。このホテルは、今、名古屋で最も人気のあるホテルで何度か宿泊したが、今回も1泊を予定している。

2003/06/05   昨日と今日の葬儀から     NO 451

 昨日に担当した葬儀、故人は立派な人生を歩まれた方だが、とても頑固な一面があったそうだ。

 まだまだ若く、惜しまれる心情で包まれた会葬者達の声。その中に驚くお言葉があった。

 「彼は酒が好きでね。私と毎晩浴びるほど飲んでいた」

 それは友人達の座る片隅で耳に入った会話。

 「限度があるぞ。身体を悪くするぞ。悪くなったら飲めないぞ」

 そんな忠告を何度もされたそうだが、晩年にも飲み続けられ、ついに身体の不調を訴えられるようになった。

 病院で検査を受けた結果は、酒の飲み過ぎによる肝臓の悪化。家族からその様子を聞かれた医師は、引導を授けるような強烈な言葉を出した。

 「命を取るか、酒を取るか? あなたが決めることだ」

 それに対して答えた故人のお言葉。

 「酒を取る。酒のない人生なんて考えられない」

 それから1年も経たない内に故人となられたが、ご家族や友人達は、「あの人らしい」という思いで送られていたし、お孫さんからは、「お爺ちゃん、天国でお酒をいっぱい飲んでね」というメッセージが添えられた。

 一方で、今日に担当してきた葬儀、葬儀委員長をつとめられたご親戚の方の謝辞が素晴らしかった。

 学生時代の思い出、学徒動員に駆り出されて戦場で九死に一生を得られた出来事など、参列されるすべての方が耳を傾ける内容深いご挨拶。内心、思わず拍手を贈りたいぐらいだった。

 その委員長さんのお言葉、「追憶ビデオがありましたが、そこで触れられなかった秘められた一面をお話させていただきます」で始められたが、故人が法学部に在籍しながら相撲部で活躍、今で言われる学生チャンピョンにまで到達されたというエピソードもご披露された。

 スタッフ達がご遺族に伺う取材の際、自慢話になるようなことは話し難いもの。そんなことを学ぶ貴重な体験になってくれたようにも思っている。

 葬儀委員長さん、素晴らしいご挨拶、故人もきっとお喜びのことと存じます。有り難うございました。

2003/06/04   旅行保険    NO 450

 旅行会社に依頼してあった飛行機のチケットを受け取りに行った。

 大嫌いな飛行機、しかし、数日後にどうしても搭乗しなければならない事情があり、予約をしていた。

 カウンターに座り女性スタッフの説明を聞く。往復の日時の確認が済んで料金を支払う。

 それで終わったと思ったら、そこから彼女のセールスが始まった。旅行保険の売込みである。

 「クレジットカードに付随している保険や、航空に関する規定の保険では賄えない部分があるのです。ご自宅の出発時からご自宅にお帰りになるまでのフォローも大切ですし、外国での医療費は膨大で、ご加入をお勧めします」

 <戸口から戸口か?>と思わせる彼女は、「任意保険ですが」と言いながらもなかなか話がうまい。専門である筈の旅行より保険のことになると目が輝き別人のよう。きっとノルマか給与体系が原因しているのかも知れない。

 「ひょっとして台風ということもあるかも知れません。欠航となった場合の宿泊費なども保険の適用が可能で、グローバルなシステム保険となっております」

 聞いている内に書類が出され、いつの間にかボールペンを持たされている。私には、そんな単純なところがある。

 保険に入ると事故に遭遇しないという「マジナイ」的な格言もあるが、そんな思いで申し込みの書類にサインをし、保険料を支払った。

 さて、飛行機の出発時間で問題があることに気付いた。2時間前に空港のカウンターにということからすると、空港に朝の9時半には到着しておかなければならない。

 出発は、名古屋空港。少なくとも新大阪発8時前の列車に乗る必要があり、当日が思いやられる。

 今回も観光ではなく、到着した次の日のたった3時間の目的を済ませると、翌朝の飛行機が8時発。これまた早朝にホテルを出発しなければならず慌しい行程となるが、次の日からのスケジュールが決まっており、後ろ髪を引かれる思いで現地の空港を飛び立つことになるだろう。

 体調を崩したら大変と、帰宅途中に医師の検査も受けてきた。血圧、レントゲン、血液検査、心電図、動脈硬化などの診断があったが、どうも血圧が高い兆候があり、動脈硬化に至っては信じられない高齢者という結果が出た。

 「すべての原因がストレスにあります。ちょっと仕事を控えられた方が」

 そう指導されたが、押し寄せてくる仕事に対応していかなければ逆にストレスが増えることになる。出張でもリラックスするような行程が組めない現状。1年ぐらい経ったら何とかなっているようにと努力をしてみよう。

2003/06/03   返 信    NO 449

 事務所に立ち寄ると、私宛の郵便物が束ねられてあった。

 その中に白い封筒の手紙らしきものがある。全国から多くの手紙を頂戴するが、その手紙、ふと差出人が函館市の女性であることだけを確認して封を開けた。

 彼女は函館に住んでいるそうで、「私がやらなければ」と叔母さんにあたる方の介護の日々を過ごしていることが綴られてあった。

 そんな彼女と知り合ったのは、今年の春。私が講師を担当していたセミナーを受講されていた折。終わって数分の会話をしたが、数年前に来社されたことがある事実と、この時の講演を主催者側が伝えるインターネットで知ったと言われて驚いた。

 数年前の来社、私はうっすらと記憶していた。開発された新しい商品提案が目的で来られ、その際、葬祭業界の将来について私の哲学を話していた。

 その後、彼女は他府県に在する大手の葬儀社に入社され、かなり活躍されていたと伺ったが、そんな彼女が介護という止む無き事情で仕事を辞められ函館にいる。

 手紙、それは彼女の感性が滲み出るものであった。したためられた文章表現力、構成力が伝わり、結びのページにプリントされた「すずらんの花」や「宇賀浦から望む函館山」の画像に、彼女が葬祭業という仕事にどんな思いを抱いていたのか分かったような気がした。

 講演の際に「仕事を辞めて函館に行くことになります」と言われた時、葬儀の仕事に従事するなら函館に懇意にしている業者さんがあると伝えていたが、その業者さんと面談されたとの報告も書かれてありホッとしたが、この手紙から伝わる感性に、弊社のスタッフとして迎えたい気持ちが生まれてきた。

 彼女がおられる北海道は、函館の他に、室蘭、苫小牧、石狩に私が懇意にしている葬儀社が存在しているが、彼女が働くことを望まれた時、きっと彼らが大歓迎で受け入れてくれると確信している。

 葬儀について真剣に研鑽を重ねていた彼女、マニュアルしか必要でない大規模な葬儀社
では「ダイヤ」も光り輝くことは出来なかった筈。しかし、彼女が今体験されている介護という辛い思いは、また、彼女の持つホスピタリティに大きな磨きを与えるものだろう。

 『人は辛い思いをしただけ他人にやさしくなれるもの』

そんな言葉があるが、それらは葬祭業に従事する者に最も大切なことだけではなく、人として生きるうえでの何より重要なことで人格形成につながるもの。

「独り言のファンです」と添えられてあったことに感謝を申し上げながら、この独り言の紙面でエールを贈らせていただきます。

「いつか、朝や春が訪れることを願っています」

2003/06/02   思わぬところで    NO 448

 書くか書かないべきか迷っていたが、やはり責任を感じるところもあり、ここにしたためることにする。

 先月中頃のある夜、次のようなお電話を頂戴した。

 「昨年、貴社の担当した無宗教葬儀に参列し、感動した。数日前に母が亡くなり大手葬儀社に依頼して無宗教葬儀をお願いしたが、月とスッポンという体験となり悔しい思いをしているのです」

 私が担当した葬儀に参列されていなかったら、きっと無宗教葬儀を考えられることはなかった筈。大切なお母様の葬儀で取り返しのつかないお心残りが生まれ、本当に心苦しく思っている。

 「大手葬儀社なら出来ると思ったのに」

 そのお言葉が突き刺さってくるし、<思わぬ波紋が?弊害かも?>と私にも責任があるように感じ、お気の毒で残念この上ないが、この解決が不可能だけに申し訳ない心情に襲われた。

 通夜と葬儀の式次第を伺ったが、開式、黙祷、献花、閉式だけの2日間だったとのこと。

 祭壇は確かに無宗教のイメージを感じたとはおっしゃっておられたが、進行の内容がそれではとんでもないこと。私にしか出来ない司式バージョンを体験されたのだからお怒りは理解出来る。

 そんな偉そうなことを言い切っている私。皆さんには「自信過剰」とご批判もあるだろうが、参列された皆様から賛同、感動、歓迎のお言葉を山ほど頂戴し、収録ビデオをを見たすべての葬儀社が、衝撃を受けたレベルなのだからそう言うのである。

 進行係という司会が可能な葬儀社は山ほど存在するが、無宗教形式の進行で「司式者」をつとめることが出来るのは私だけ。今、その重要性に気付いた日本トータライフ協会に加盟する葬儀社達が猛勉強中で、そのレベルが高まりつつあるが、私より年齢が若いというというところが解決できない部分。自分が背負った人生の重みこそに重厚という意味の世界が生まれるからである。

 式進行の中で、常識では考えられない失礼なトークを発することがある。これは、ご遺影の存在に対する「礼節」を重視しているから許されるものであり、ここに単なる司会者との違いがある。

 ある社葬で著名な女性司会者をアシスタントとして使ったことがある。私の横で担当させた彼女のトーク技術は素晴らしいが、はっきり言って合格点を与えることは出来なかった。

 「こんな世界があるなんて、司会者の究極の世界を感じました。司会者と司式者の違い、それを初めて体験した貴重な時間でした」

 そう言われた彼女は、その日から意識改革をされ、高度な世界を目指して猛勉強をされているそうだ。

 全国の葬儀社の大半が「無宗教できます」との宣伝をされている時代、上述の責任をしっかりと心に刻んで取り組んでいただきたいと願っている。

2003/06/01   小遣い稼ぎ?    NO 447

 弊社は変わった会社である。なぜなら社長である私が葬儀をビジネスとして重視していないからだ。

 葬儀は「天職」で「究極の葬祭サービス」という哲学を抱いた時、そこから経営方針が思わぬ方向へ進むことになってしまった。

 その背景には趣味である音楽と専門的に学んだ司会の技術があり、それらが葬祭業で重視される時代の到来を予測したが、それを先に認識したのは葬祭業界ではなくホテル業界であったのだから面白いし、その信念がビジネスとして成り立つことになったのは皮肉な現実。

 さて、先月末に掛かってきた電話で、私の嫌いなやりとりがあったので紹介する。

 「今、ご遺体を搬送しているのです。遺族から何処か推薦できる葬儀社を紹介して欲しいと言われているのですが、御社はいかがでしょうか?」 

 電話に出たスタッフが嫌な表情を見せる。相手は遠方の他府県の葬儀社さん。どうやら高速道路のサービスエリアで電話をされているようで、焦る気持ちが伝わってくる。

 「また後で電話を入れます」

 やはりトイレ休憩だったようで、同乗された遺族が戻られたところで電話を切られた。

 それから30分ほどして、再度電話があった。今度はガソリンスタンドらしく、少し時間の余裕があるように現実的な要求を切り出してこられた。

 「御社は、紹介料を幾らくれるのですか?」

 そこからの会話で、その人物が大阪の数社の葬儀社に交渉している事実も知ることになった。

 対応していたスタッフがメモを渡しながら私に視線を送る。私は瞬時に「ペケ」サイン。

 「誠に恐れ入りますが、弊社は同業者さんからの紹介は一切受けておりませんし、紹介料なんて発想は微塵もございません。お客様やお寺様からの直接のご紹介なら承りますが、それ以外は弊社の理念ですので悪しからず」

 大阪でご逝去され、他府県のご自宅までの搬送を担当することもあるが、それは陸運局認可の料金規定があり、お送りするところまでが仕事と割り切り、信頼する寝台自動車専門業者に依頼をしている。

 紹介料を求めて業者探しをされる行為、それは、その会社の経営者の経営姿勢で行われている場合と運転者自身の小遣い稼ぎで行われている場合とがあるが、どちらも遺族にとってマイナスとなるのは確実。

 全国の葬儀社さん、弊社は上述のように、一切の業者依頼を受けませんのでご理解ください。しかし、弊社がお送りする場合、お客様のご要望で業者さん探しをする場合があります。その時は厳選させていただきますが、紹介料なんて請求いたしませんのでよろしくお願い申し上げます。


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