2003年 7月

2003/07/31   社葬の秘話から    NO 502

 ある会社の社長の社葬、それは「告別献花式」という弊社のオリジナル形式で行われた。

式場として選ばれたのが大型ホテル。会社側とホテルが合議され、弊社にご用命をいただいたという嬉しいケースだった。

当然、スタッフ達が燃える。何度も会社とご自宅に参上し、故人の人生につながる情報把握に取り組んだ。

ご遺族と共に選んだ思い出の写真。それは数百枚の中から選出したもの。その1枚1枚の思い出話に花が咲き、お食事をよばれて深夜に帰社した時もあった。

やがて、集約してきた情報や資料が私に回ってきたが、あり過ぎる情報から割愛するべき作業が大変。

「このことは、是非触れて欲しいとおっしゃっていました」

 割愛しようとすると、担当スタッフがそう言うが、言われた通りに進めると1時間30分のシナリオ構成は絶対不可能。それらは「かたち」を変えて、式次第の中のコメントとして活用する構成を組み上げた。

 社長はご急逝。会社の役員、社員に悲しみが強い。委員長、副委員長をつとめられる方も同様。こんなケースでは義理的会葬者も自然に静かになるもの。そこで、プロデュースのコンセプトに「愛」と「命」を考慮した。

 会社の総意で社長を送られる。そんな思いを表現するということから、当日の社員のお手伝いを「100人ぐらい」とお願いし、それぞれの役割分担の打ち合わせまで進んだ。

 その中の女性20名は、式進行そのものに入っていただく。それがプロデューサーとしての不可欠なシナリオ。その「仕掛け」についてスタッフと協議を進め、前日の夜に30分間のリハーサルが計画された。

 前日、リハーサルの前にマナーや社葬の意義についてレクチャーをしたが、ここで「現代っ子」らしい一面を体験したので紹介申し上げる。

 「皆さんは、今、この会社に就職をされている。それは、ご自身の人生にあって一時的なことかも知れませんが、その間に社長が逝去されたという『えにし』と遭遇したのです。
皆さんにお手伝いいただくことは非常に難しいことで、おそらく未曾有の緊張を体験されることになります。しかし、それは、これからの人生にあって大きな意味が生まれてくる筈です」

 そんな説教染みたことを話し、結びの言葉として、「皆さんは、天使や巫女さんの役割をしていただくのです。そんな思いを抱いてください。BGMもこれらをコンセプトに作曲されたオリジナル音楽を使用します」

 その時だった。1人の若い女性が手を挙げた。

 「あのう、巫女さんって、処女じゃないといけないのでしょ? みんな、大丈夫?」

 それは、恥ずかしい素振りもなく、軽い乗りというジョークだったが、場を和らげたことは確かだった。

 それから行われたリハーサルが終わった時、彼女が私の席にやって来て、次のように言った。

 「さっきは失礼なことを言ってしまいました。ごめんなさい。反省しています。リハーサル、めっちゃ緊張しました。でも、天使と巫女さんのような気持ちになったような気がしました。明日、頑張ります」

2003/07/30   問題提起     NO 501

 弊社が加盟する日本トータライフ協会。そのHP内にあるコラムのタイトルは「有為転変」。世の中の移り変わりの激しさと儚さを説いた仏教に関わりある言葉である。

 政治、経済、社会、地球環境など、日々に変化してくる生活の中で様々な改革が試みられていることもあるが、本義を外れてしまったらすべてがお終い。今日は、我々の葬祭業に関する低次元な問題を提起申し上げる。

 コンビニで有名なローソンが関係するビジネスに「マイロード」という分野がある。会員を募って「葬儀を安く出来る」ということを謳い文句にしたビジネスである。

 葬儀の申し込みや支払いをコンビニでということだろうが、人生の大切な終焉の儀式をコンビニに託する人がどれだけ存在しているのだろうか?

 マイロードは、積極的な宣伝を繰り返し、我々葬祭業者に加盟店を募ったが、藁をもすがるというような心情ではないだろうが、自身の仕事に誇りのない一部の業者さん達が入会したようだ。

 「安かったらいいの」 そんなお客様ならご満足だろうが、弊社は懇願されても絶対に加盟しない。なぜなら、日本トータライフ協会で共有する理念と180度違うからだ。

 弊社に葬儀の依頼をされるお客様は、真剣に弊社を選んでくださる方々。その背景には遺族の立場で故人を大切に考えておられるから。そんな方々へのホスピタリティーサービスが弊社の理念。そこに「思い出を形見に」という社員の心が生きてくる。

 さて、そんなマイロードだが、今度はとんでもない営業戦略を打ち出した。なんと「お寺さん」を取り込むこと。「いい檀家ドット混む」というシステムを構築され、マイロードの会員に宗教者を紹介するというビジネス。

 パンフの中の文字には「新たな収入源を確保することが可能になります」とあり、お布施の金額を「施行料」という言葉で表現し、料金が表記され、「本部納入手数料は、施行1件あたり10パーセント(税別)」と記されてある。

 新しいビジネスシステムを構築し、関連する周囲を下請け化するビジネスが流行しているが、これらに共通することは構築した側が利益を得ること。葬儀社だけではなく宗教者までを下請けとして考える姿勢には衝撃を受けた。

 世の中には素晴らしい宗教者もおられるが、こんな組織の下請けに加盟されるような宗教者に、導師をつとめられたら故人も気の毒なことだろう。

 檀家離れが強い世の中、それらは真摯に受け止めなければならないだろうが、宗教者とされての誇りを捨てられた時、本義を外れたことになることだけは忘れないでいただきたいもの。

 このお寺さん向けの営業パンフには、ゴルフ会員権ではないが、「第一次募集 回答書」というものが同封されていた。そして、危機感を煽るように、下部に次の文が記されていた。 

※「 同一エリア内での加盟寺院さまの重複を避けるため、加盟を希望される寺院様が多数となった場合には、原則として先着順となります。あらかじめご了承ください 」

 私は、多くの宗教者とのえにしをお結びいただいている。そんなお寺さん達から「何と無礼な」「故人と遺族が気の毒だぞ」と言われ、何とかしろということでこの「独り言」に書いた。

 『嘆かわし哉』と思っているが、社会が変化してきていることも事実であろう。世の中は自由社会。こんな問題提起も憲法で守られた範疇。

 弊社は、他社との「競争」に興味はない。お客様に選ばれる「独創」を指針しているからである。

2003/07/29   話の種に    NO 500

 去年の3月1日から発信を始めた駄文列記の道楽が、500号を迎えることになった。

 日々に他人の葬儀を担当しながら、自身にその日が近付いていることを悟ることになる。

 死というものは「訪れる」という言葉で表現されるように、前からやって来るものではなく、後ろからやって来ると言われている。

 人生の黄昏に「終(つい)の支度を」なんて言うと「縁起でもない」と嫌われるが、何と言っても死亡率は100パーセント。50年後に周囲の人が何人存在しているかなんて考えると寂しいものだ。

 いつも葬儀や死に関する悲しい話題で恐縮なので、今日は、500号を記念して、不謹慎だが「話の種」を書かかせていただく。

     ・・・・・   ・・・・・

 今、阪神タイガースが優勝街道を爆走している。大阪や関西にとって、タイガースの優勝に大きな経済的効果があると叫ばれているが、最もご利益のあることはパリーグで近鉄が優勝し、阪神対近鉄の日本シリーズになることであろう。

 しかし、これには、ちょっと問題がある。

 縁起の良い方角として知られるのは、辰巳(巽)の方角。つまり東南である。墓相学では最高の方角だそうだ。(また、死に関することで恐縮)

 これを「十二干支」で表すとどうなるのだろう?
 
 あれっ?・・・縁起の悪い方向もあるではないか。東南の反対である北東。

 確か、陰陽道では北東を「鬼門」という表現で呼んでいる。

 「鬼」とは怖い話ではないか。

 ふと「鬼」のイメージが浮かんでくる。北海道の登別温泉の道路沿いに大きな鬼の像が立っていた。

 棘のある「バット」のようなものを手にするその姿。「牛」のような角があり、「トラ」の縞模様の下着を身に着けていた。

 阪神と近鉄の対決、それなら鬼門と言うことになるではないか。

 今年のセリーグは、阪神が優勝しそうだ。

 弊社の社員に熱狂的な近鉄ファンがいる。彼には悪いが、日本の経済のために近鉄には来年優勝をと慰めることにしよう。

2003/07/28   九州が遠い    NO 499

 私が司会を担当した葬儀が終わり、事務所に戻る。

 <今から九州へ出張を>と言い出そうとした時、机の上に置かれた大きな遺影写真が目に入った。

 「これは?」と確認してみると、今晩お通夜で明日の葬儀というお方。

私の机の上にもメモが置かれ、「社長をよくご存じの方で、ご当家と委員長様が是非、司会を社長にとのことでした」と書かれてある。

 1日延ばして明後日という相談もあったそうだが、明後日は友引。ご当家は浄土真宗であり「友引」なんて関係ないが、過去に友引の日に葬儀をした親戚で不幸があり、明日の葬儀となってしまったそうだ。

 椅子に座って5分ぐらい考えたが、出張先に電話を入れて日程変更をお願いすることにした。

 「お仕事を理解しております。まだ数日の余裕があります。特別にお願いしていることですから、間に合えば結構です。『今から行く』ということでお電話をくださればこちらが都合を調整しますからご心配なく」

 そんなお言葉に恐縮しながら安堵するが、申し訳ない思いが込み上げてきた。

 さて、今日の葬儀は厳格な宗教で、式次第の中で生い立ちナレーションなんてとんでもないこと。そこで、「かたち」を変えてお寺様にお許しを願い上げることにした。

 スタッフ達がご遺族から拝聴してきていた取材の中に、素晴らしいお言葉がいっぱいあり、それらをナレーションに被せて代読申し上げるというシナリオだった。

 これは、昨夜のお通夜で、ご導師が故人のことに触れられたことをヒントに急遽組み上げたもの。その旨をお伝えするとご海容くださった。

 しかし、本番中に数人の方のすすり泣く声が耳に入り、喋る本人がもらい泣きみたいな状況に陥り大変だった。

 葬儀に於けるナレーションとは、決して美辞麗句を並べたり「お涙頂戴」を求めるものではない。宗教の意義に通じる命の尊さと愛を言葉で表現するもの。そんな中にご遺族の送られるお言葉が最高のシナリオとして生きてくるもの。

 弊社のスタッフに求める司会力、それがこの部分の重視。厳粛な司式口調を究極と考える重要なキーワードにもなっている。

 私が担当したある社葬に、有名な司会者が参列されていた。元アナウンサーで社葬の司会を何度か経験されていたそうだが、司式バージョンの世界を体感されて恐怖を感じられたと伺った。

 人は、自身に絶対出来ないことを見ると否定の世界に入るもの。しかし、それ以上の衝撃を受けると恐怖の世界に陥ると言われている。

2003/07/27   殺し文句   NO 498

 夕方、テレビでニュースを見ていると、神戸で今日行われていた国会議員の本葬儀の光景が流れていた。

 担当していたのは、日本トータライフ協会のメンバーである「株式会社 公詢社」さん。葬儀委員長が自民党の山崎幹事長であり、政財界の大物の参列が多かったそうで、さぞかし神経を遣われたように思っている。

 弊社も数人のスタッフを派遣する予定でいたが、皮肉なことに葬儀が重なって行けなくなり、メンバー掲示板でお詫びの一筆を書き込むことになった。

 勉強熱心なメンバーが神戸に行っていた。九州の落合葬儀社の後継者で、自社のHPで「もっこすかわらばん」を発信している若手だった。

 彼は、時間があれば何処へでも勉強に出掛ける。それは現社長のDNAの影響が強いように思っているが、何かを学ぼうという真剣な眼差しを感じ、いつも何かをプレゼントしてやりたいという「徳」のある存在である。

 さて、通夜を担当してきたが、やさしさの感じる花の祭壇に飾られたご遺影がカラーではなく白黒。しかし、誰がご覧になっても女優のように美しい方。お寺さんのご法話の冒頭に「まるで女優さんですね」というお言葉まであった程。

 故人は長年に渡りご伴侶のお母さんの介護をされており、その半ばでご自身が病魔に侵され20年近く介護を受けられて来られたそうだ。

 そんな奥様に尽くされたご主人との夫婦愛は誰もが知るところ。残念なのはご遺影がそれしかないということだった。

 明日、私は、この方の葬儀の担当を終えると九州へ出張するが、この数日、何度も予定を変更してばかりで、先方に迷惑を掛け申し訳なく思っている。

 確実な約束の出来ない葬祭業という仕事。「一生に1回のことなのに、どうして司会をお願い出来ないの」と言われると心苦しいもの。それは、お客様に一生消えない心残りとなり、私の心にも後悔が生じる。

 ある時、北海道に出張するために家を出た途端、「丁度よかった」と近所の方に呼び止められ、「**さんが亡くなったの。すぐに行ってあげて」と言われた。

 事情を説明して2泊の予定を告げると、「葬儀を1日延ばして明後日にするから、1泊で帰ってきて」と懇願される。

 お陰で大変な思いのスケジュールをこなして事なきを得たが、そんな体験が何度もあった。

 「一生に1回限り」という言葉、それは、私にとって強烈な殺し文句でもあるのです。

2003/07/26   子供部屋の弊害   NO 497 

 お通夜の式場で、ちょっとしたハプニング。ご当家が予想されていた以上に弔問者が来られ、用意されていた供養の返礼品が足りなくなった。

 スタッフが車に走る。いつも100個単位のストックがあるので事なきを得たが、参列者を予測することは本当に難しい。

 さて、数日前の新聞に興味を覚えた記事があった。社会教育の専門家が分析した結果だそうだが、小中学生で凶悪犯罪に至った背景に家庭問題があり、独立した子供部屋という環境を与えられていたケースが際立って多く、考えさせられた。

 部屋に閉じこもって何をしているか分からない。恵まれた環境の中に思わぬ危険性があるということを知った。

 そんな時、関東にいる娘から電話があったと妻が言った。

 それによると私の孫がテレビに出るという。詳しい事情を聴くと、NHKの教育テレビの子供向け番組だそうで、すでに収録が済み、来月の放送日を教えてもらった。

 20人ぐらいの子供が登場する番組だが、それでもオーディションがあったと言うのだからびっくり。当日はビデオ収録を忘れないようにと考えている。

 幼い子供を育むことは大変なこと。掃除、洗濯、食事の用意など、子供をテレビの前に座らせ、子守の代役を託する行為が多いだろうが、そんな時、かわいいキャラクターの存在が重宝で、子供向けの番組も大切だろう。

 子供の成長に並行して好みのキャラクターに変化が生まれる。アンパンマン、ハム太郎、ドラえもんという順が一般的だそうだ。

 凶悪事件を犯した子供達にも、きっと好んだキャラクターが存在した筈。そして、それらをテレビで見ていたこともあるだろう。そんな彼らがどうして事件を?と思ったらやり切れない。

 「お爺ちゃん、有り難う」「お婆ちゃん、さようなら」

 そんな孫達の言葉で送られる葬儀は素晴らしい。そこに人生に於ける重要な責務でもある命の伝達が感じられるから。そんな言葉が生まれる家庭環境に犯罪はない筈。

 しかし、いわゆる核家族と呼ばれるケースでは上記の言葉が出て来ない。孫に冷たさを感じる葬儀は寂しいもの。

 最近、そんな葬儀が増えて来ているような気がしている。

2003/07/25   今日の出来事     NO 496

 昨日、1日だけ事務所におらなかったが、今日、出社すると伝達事項がいっぱい入っていた。

 その中に3件あったのが事前相談。そのすべてが私を指名したケースで、「社長に伝えて電話を」ということで、朝から順に電話対応を始めた。

 「ホッとしました。いざの場合はお願いしますね」ということにはなったが、「夜中だったらどうするの?携帯電話を教えて」というご要望には困ってしまった。

 「会社にお電話を頂戴しても24時間体制です」とお返ししたらご機嫌を損なってしまう危険性がある。

必ず誰かが対応するのが葬祭業。それが社長である私の携帯電話となると問題が生じて困ってしまう。

 講演で喋っている最中、葬儀の司会を担当している時、車の運転中、列車で移動中などは絶対に無理。それをご理解願えないのが泣きどころ。

 しかし、最近、この独り言を発信しているお陰で、「葬儀社って、大変なのですね」というお言葉を頂戴することになった。

 それにしてもメールやネットというIT世界の発展は凄いもの。数日前に担当した葬儀で導師をつとめられた方と名刺を交換したが、次の日にはメールで丁寧なお言葉を頂戴し恐縮した。

 さて、本日から弊社のHPがリニューアル発信されている。昨日までとは全く異なる表記となっているが、これも<時代の流れかな>と思っている。

 日本トータライフ協会のメンバーからの感想もあったが、「180度違う内容で驚きました」というのもあった。

 今日、ある大手ホテルを訪問し、総支配人、副総支配人さん達とお話してきたが、葬祭式場の流行がお客様をホテルに向かわせること。葬祭式場のホテル化とホテルの葬祭式場化が加速していることなどを伝え、現状のドライブスルー型のホテル葬サービスがどんな現実を迎えているか。それが近い将来にどのようになるのかという分析結果も提起申し上げ、故人への礼節、儀式空間の完成、社葬の本義の重要性認識では意見が一致し、「体感に勝るものなし」をキーワードに真剣に取り組むつもりである。

 お客様のご満足を重視する時、ホテルサービスの原点である「ホスピタリティ」を忘れてしまっては寂しい限り。葬送サービスにはこれが不可欠でキーワード。そこに気付かれたホテルが増えつつあるが、縦社会であるホテル組織にあって、取り巻きのイエスマン達によって、お客様の声がトップである総支配人に上がって来ないホテルは凋落の一途。

 そんな中、今日お会いした総支配人さんは素晴らしい方だった。すべてのサービスを客観的に見直す姿勢で取り組まれ、ホテルマン達の人望を一身に集めておられる。これまで3回ほどしかお会いしていないが、初対面で<感性ある人物>という印象を抱いたことが間違いなかった。

 そうそう、言い忘れたが、その内の1回はゴルフをご一緒した。ゴルフには性格や人柄が曝け出されるもの。総支配人さんのゴルフ診断は最高だったが、私のことをどう思っておられるかの方が心配。ひょっとして曝け出してしまったかも知れないとも思っている。

2003/07/25   未完成発信   NO 495  

 奈良、三重県と通って、名阪国道で滋賀県に行ってきた。

 帰路の山間部で前方の空が暗く、それは、まるで竜巻でも発生しそうな雲行き。

 しばらくすると猛烈な雨に遭遇した。

 雨は、5分おきぐらいに繰り返される。<止んでよかったな>と思っていると突然、前方が全く見えなくなるほど降ってくる。

 そんな体験をしながら思い出したのが、冬の中国道の北房インターから先で見掛ける「ゲリラ雪注意」の道路標示。今日の雨は、正に「ゲリラ雨」というスケールであった。

 さて、月末から出張が立て込んでいる。取り急ぎ、明日はホテルスタッフへのレクチャーを中心とした会議が計画されているが、それが済んだら出発の準備をしなければならない。

 そんなことを考えながら自宅に向かって歩いていると、地域で永年ボランティア活動をされておられる女性に遇った。

彼女は、数日前に弊社が担当した市立斎場「天空館」での葬儀に参列されており、「こんな暑い時にあんな式場は助かるね。いい葬儀だったわよ」とおっしゃってくださり、「私の時もあそこでお願いね」と明るい表情で「遺言よ」とも付け加えられた。

しばらくすると天王寺区のお寺さんとバッタリ。「暑いですね」との会話から始まって、この「独り言」を読まれているとの話題になった。

「よく続くね。ネタやテーマが大変だろう。でも継続はパワーだよ」

この「独り言」、文字の数だけは多い筈。しかし、「独り言」ならもっと少ない文字数が一般的じゃない。そう思っておられる方も少なくないと拝察している。

駄文の列記、自己満足を大義名分にした「生きた証」。それだけが私の目的。これからもとんでもないことを書き続けることになるだろうが、ご立腹の場合にはなにとぞご海容をくださいますよう願い上げるところです。

帰社した時、「弊社のHP、早ければ明日からリニューアルされたものが発信されます」との報告があったが、どんなページになっているのか興味を抱いている。

「独り言や社長に関する部分は変更していません。音楽が完成したら徐々に変更していきますからご辛抱を」と先手で釘を刺され、何も言葉を返せなかったが、数曲の音楽が挿入され、、私の司会の光景が動画で流される完成バージョン発信までには1ヶ月ぐらいを要すると思っている。

2003/07/23   秘められた努力    NO 494

 今日、金沢から知人が来社された。

 昨日にアポがあり、今月では今日だけということでお越しくださった。

 仕事の話の合間に様々な勉強になることを拝聴したが、その中から興味を感じたタクシー運転手さんのことをご紹介申し上げる。

 あるタクシー会社で、いつも売り上げがダントツという運転手さんがいた。

 経営者は、その現実に何か秘められたものがあるだろうと興味を覚え、食事に誘って聞き出すことになった。

 「別に変わったことは何もしていません。ただ、心掛けていることがあります」

 それは、毎朝、喫茶店で新聞に目を通すことだった。

社会や政治のニュースは車内会話のネタになるが、彼の仕事に大いに役立ったのが新聞に記載されている催事。開催の期間や時間を頭に入れ、その会場周辺を流すこと。

 また、交差点での黄色信号では必ず停止した。それは安全運転というプロの行動もあったが、もうひとつの彼らしい狙いがあった。

 「交差点で停止すると青信号で先頭発信が出来るのです。それによってお客様と遭遇するチャンスが増えるのです。他のタクシーの後続走行ではダメですからね」

 これは、プロと呼ばれるタクシー運転手さんの知恵というべきだろう。自身が与えられた仕事の中で知恵を絞る。それは出来そうで出来ないこと。そこにその人の発想能力が必要となってくるが、如何なる場合にも客観的に捉える発想が大切なように思えてならない。

 弊社が重視している人生表現。その中に思い出写真を編集したビデオ制作があるが、ちょっとしたスタッフの配慮でお喜びいただいたことがあった。

 「ヨーロッパへ出掛けた家族旅行が最後でした」

 そんな取材時の言葉に輪を広げ、利用された航空会社をさりげなく耳に入れ、関西空港でその飛行機が飛び立つところを撮影し、思い出写真の前に動く映像として挿入したのである。

 その意味をご理解されたのはご遺族だけだが、そんなこだわりが弊社の秘められたサービスとなっている。

2003/07/22   『 葬儀<者> 』    NO 493

 今、仕事の合間を縫って、スタッフ達がこのHPの全面リニューアルに向けて行動しているが、概ねが出来上がったとの報告があった。

 しかし、発信までに大きな問題が残されていることを知った。

それは、いくつかのページで流される音楽が未完成。作曲を依頼した音楽家がご体調を崩され療養中だそうで、ご回復され、、それぞれの曲が完成した時に挿入しようということになった。
 
 私が与えていた期限は、今月の月末。もう10日足らずとなった現在、バックに流れる音楽が完成していないのは寂しいが、取り敢えずBGMなしでの発信も仕方のないところと決断し、一部を「工事中」という表記で近日中に発信するということが決められた。

 それまでは資料写真と文章だけというHP。

文章が非常に多く、「こんなの誰も読みませんよ」という意見もあったが、「ご訪問くださった方の中で数人でもご笑覧いただければ」との意見が上回り、そんな文字中心型のHPとなった背景もある。

 企画を担当したのは、3人の女性スタッフ。「こんなタイトルで文章を書いて下さい」と言われ、私も何枚かの原稿を書き上げたが、編集されたものを確認すると「書き直したい」ことばかり。しかし、「もう期限です」と返されて引き下がることにした。

 これは、内緒話だが、音楽が完成した時、同時に変更をしてやろうと悪巧みを描いている。だが、これは「悪巧み」ではなく、「割って入る」という策略で、「割る匠」というシナリオなので誤解されないように。

 さて、葬儀社のHPといえば価格のことが中心になっているのが多いようだ。お客様の囲い込み戦略や価格競争が潮流だが、弊社のHP内に価格の表記は一切していない。

価格のオープン化が叫ばれている社会の流れに逆行するようだが、弊社は価格で競争なんて考えておらず、大切な家族の葬儀に対して、真剣に業者選びをしてくださったお客様だけの対応をしていきたいと考えている。

葬儀の総合的プロデュースに特別なソフトとノウハウを有する弊社のオリジナル葬儀。それらは、付加価値をお感じいただけるお客様にしかご理解願えない筈。

 ある時、新聞記者が取材に来られ、価格設定で他社と異なっている部分は?と質問されたが、消費税分程度は高いですよとはっきりと伝えた。

 他社に絶対に出来ない世界。一生に1回限りのことだからこそ、それが弊社のこだわりと誇りとなっているのである。

 明確に言えば、一般的な葬儀の場合、他社より5万円程度高いですよということになるが、お客様のお声を伺うと、確実にご納得をいただけるプロの仕事は果たしていると確信している。

 そんなところで結論だが、予算や価格の決定権はお客様にある。この部分で大きな誤解が生まれているようだ。弊社名の「高級」は、送られる方々の「送りたい」というご心情が「高級」であって欲しいと願っているもの。

葬儀は、業者選びがキーワード。そんな時、安心のブランドである「日本トータライフ協会」に加盟している葬儀社は信用に値すると確信している。メンバーは、それぞれ高度な研修会を経て、葬儀社以上に「葬儀<者>」であるからだ。

2003/07/21   郷 愁    NO 492

 前にも書いたが、私は、団塊世代の一員。

 子供の結婚、親の介護や葬儀を考えなければならない年齢にあって、初老の身に忍び寄る体力の衰えを感じながら、自身の健康を留意し、会社や家庭での大きな責務を担っている。

 冠婚葬祭に関する接待費も大変だ。

毎月、お祝いや香典の出費が何件もあるが、これは自身の人生での生きている証。共に喜び、共に悲しむことは人の社会で当たり前のこと。そんな通過儀礼で互いの存在が確認されることになる。

人に生まれ、人と知り合う。与えられた時を過ごし、やがて時に従う。そこで振り返る我が人生の出会いと別れの詩(うた)。その時、何を生きた「証」として残せたかということになるが、「残す」という文字が「遺す」と変わる瞬間でもある。

我々の年代になると親だけではなく、伴侶や子供を亡くしたという不幸を体験しているものも少なくない。また、家族の離婚や事故という衝撃との出会いもあるだろうし、何かの病気で入院を体験したものも多い。

そんな体験を通して自身を磨くことになるが、いいカッコを書けば、『辛い思いをしただけ人にやさしくなれる』ということになるだろう。

私の愛読書のひとつにに月刊「大法輪」があり、これまで20年間以上読み続けてきた。宗教に関するグローバルな世界が解り易く解説されてあり、私のような愚か者でも「なるほど」と理解に至ることが多くあり、この本との出会いにも感謝している。

昔から好きだった「あいだみつお」さんや「金子みすず」さんの詩。これらがこの大法輪の中で解説された内容に接した時、また新たな世界を学ぶことにもなった。

「大法輪」、これは、私が皆様に責任を持って薦められる書物のひとつ。機会があったら是非お手元に。

さて、今日の夕刻、同級生のお父さんの通夜に参列する。葬儀を依頼された葬儀社の代表者としての立場もあるが、出会った「絆」を友情という言葉に代え、私の心を司会という世界で表現したいと考えている。

彼と知り合って、もう40数年の月日が流れている。書道に卓越し、いつも先生に褒められていた彼だが、訃報の電話でいっぱいの悲しみが伝わってきた。

きっと、何人かの懐かしい顔ぶれが揃うだろうが、それぞれが抱えている人生の悩みも飛び出す筈。同級生とは、そんなことを遠慮なくぶつけ合うことの出来る特別な関係かも知れない。

私達が少年時代を過ごした小学校は、今は、もう、その当時の面影が薄らいでしまっている。野球やサッカーをしたグラウンドの名残はあるが、校舎そのものは完全に変わってしまった。

古い木造校舎が今でも鮮やかに浮かんでくるが、夏休みのシーズン、担任の先生と一緒に各教室に放送設備の配線をしたことが懐かしい。

大阪市立東粉浜小学校、それは、私の人生に於けるノスタルジアの世界である。

2003/07/20   特急「かもめ」    NO 491

 テレビや新聞を観ると、長崎本線「特急かもめ」の無残な事故の光景が飛び込んできた。

 今日の朝刊のトップ記事で、ブレア首相の訪日がかすんでしまう扱いとなっていた。

 電車は安全だと思っていたが、こんな事故を見ると本当に恐ろしい。「白いかもめ」として人気のあった特急列車、日豊本線の「白いソニック」と同じ系等で、私も何度も利用した列車であり、何十回も乗った「つばめ」と同様に愛着があり、不慮の事故被害者の早い回復を願っている。

 「かもめ」には特別の思いがある。私は若い頃に名神高速道路で居眠り運転から大事故を起こし、奇跡的に助かったという歴史がある。

 病院の白い天井を見ながら軽度の記憶喪失にある自分に気付いた衝撃もあったが、40日間の入院でやがて退院。命を改めて頂戴したという貴重な体験であったと感謝している。

 退院後しばらく自宅で療養を続け、ようやく回復した頃、生きることが出来た喜びに青春の謳歌を併せ、4泊5日の九州一人旅に出掛けた。

 貯金を引き出し、生きた実感を求めて豪勢な企画を立て、1967年、大阪駅発の「特急かもめ」の1等車に乗った。その当時の「かもめ」はディーゼル特急。朝8時前後に発車した記憶があるが、旅行カバンとケースに入ったギターを伴っていた。

 約10時間の所要時間で熊本駅に着き、熊本市内の旅館に1泊し、次の日、当時に流行しつつあったホンダのS6のスポーツカーをレンタルし、阿蘇を回って内牧温泉に1泊、開通して間もない「やまなみハイウェイ」をドライブした。

 その日に宿泊したのは城嶋高原にあるベップニューグランドホテル。ここではロマンチックで優雅な時間を過ごすことが出来た。

 次の日、大分市内と別府市内を見学し、その日夕刻に出港する関西汽船の客船「るり丸」に乗船。20時間の船旅で大阪の天保山に帰ってきた。

 この「るり丸」、就航してからかなりの年数が経っており、特等の部屋の窓側に固定された椅子が、古ぼけた麻の座布団だったように記憶している。

 長時間の船旅、階上のデッキでギターを爪弾きながら歌い、生かされたことへの大きな感謝をしたことが私の人生の新しい始まりだったかも知れない。

 やがて様々な事情で葬祭業を後継することになったが、葬儀の仕事を「天職」と考えているのはそんな歴史があったから。

 人は、いつどこで人生が急変することがあるかも知れないが、プラス思考で生きて生きていこうと思うようになったきっかけであったことだけは確かである。

 今日は、早朝から出張だが、昨夕に私の同級生のお父さんが亡くなられたと電話があった。葬儀の進行は私が担当しなければならず、早急に切り上げて帰阪しようと思っている。

2003/07/19   ホテルのプロジェクトチーム    NO 490

 ある大手ホテルからの要望があり、参上した。

 大型ホテルには「支配人」の肩書きを持つ人が20人ぐらいもおられる。その方々の半数ぐらいが揃われ、打ち合わせが始まった。

 副総支配人が、ホテル内で組織されたプロジェクトチーム「葬送サービスの構築」について15分ぐらいお話され、興味深く拝聴していた。

 全国のホテルに於ける社葬、偲ぶ会、お別れ会などの現況調査をされ、宴会やパーティーに来られたお客様から、「このホテルでは、社葬は可能なのか?」と訊ねられることが増えたことが今回に至った背景であった。

 企画支配人という方の発言が気になった。「ポスト ブライダル」の姿勢を感じたからで、それは誤りであると強く否定した。

 「百聞は一見に如かず」というところから、私がこれまでに担当したホテル葬のダイジェストビデオをご覧いただいたが、全員が感嘆され「衝撃」というお言葉で共通された。

 続いて、ホテルの葬送サービスに於ける重要な問題を質問してみた。それは、遺骨や霊位に対するホテル側の考え方。

東京のあるホテルは、「当ホテルでの社葬や偲ぶ会では『遺影』のみとなっており、遺骨はお断わりいたしております」という馬鹿げた内部マニュアルを設定されたところもあるし、「儀式たることは一切行いません」と最低の考え方を表面化しているホテルも存在している。

テーブルに付いているホテルマン達からの発言がない。このサービスの構築にはこの問題のクリアなくしてお客様のご満足はない。そこで、次のビデオを見せることにした。

「皆さんはホテル側ではなく、施主や参列者としてご体感ください」と前置きして流したビデオ。それは、ご霊位の入場式、安置式、そして閉式後に行っている返還式であった。

約10分間のビデオが終わった。落とされていた部屋の明かりが点けられホテルマン達の顔が見える。2人の目に涙が光っている。<感性があるな>と感じた私は、間髪をいれずに、もう一度問い掛けた。

「ご遺影だけで行うべきですか? 儀式は不必要ですか? これらをお客様が、遺影だけという儀式のないホテル葬と比べられたらどのように感じられますか?」

「ご霊位も儀式も必要だと確信しました」

それが全員一致の答え。葬送とは何か、そこに存在する遺族の悲嘆や参列者の心理を教え、ホテル葬のホスピタリティサービスの基本が「故人への礼節」であることを理解させた瞬間であった。

今、今回のような招聘を受けるホテルが多くなってきた。ホテルサービスは本物のサービスを提供するべきと、焦らずという言葉で制し、ホテル内部の意識改革を始めているホテルの将来を楽しみにしている。

2003/07/18   習 俗    NO 489

 非日常的な出来事として忌み嫌われてきた葬儀に関する習俗は、それこそタウンページ1冊でも表記出来ないぐらいあるだろう。

 墓や火葬場の帰りは「往路と異なる道を帰れ」というのが根強く残っているし、仏教を開かれたお釈迦様の「涅槃」に因んだ「頭北面西」は、誰もが知る日本の慣習として受け継がれている。

 お釈迦様が涅槃された時、故郷の方向へ頭が向かわれておられたという説もあるが、開祖に因むことは悪いことでないと思う。

 浄土系では西方浄土思想があり、南無阿弥陀仏のご本尊を掛けた方を西と考えると、頭が祭壇に向かって右側に来ることになり、北枕の問題で物議を醸したこともあったが、この考えを「以信転方」、つまり、信じるを以って方角を転ずるということである。

 ご出棺の際、入り口を出る時、「頭が先か、足が先か?」という問題も大変だ。全国的な地域の慣習により異なることがあり、その地の風習に逆らうと大変な事件に発展する危険性を秘め、各地から参列される親戚達が風習の違いで揉め事になることも少なくない。

 これには、面白い背景があるので紹介しよう。出棺時に茶碗を割る慣習が浄土真宗を除いて行われているが、この割る音を死者の耳に聞かせる目的があるという思想があり、それからすると足から先に出るということになる。

 だが、歴史を遡ると現在のような「寝棺」は特別な立場にある人に限られ、庶民は長い間「座棺」であり、1人で背負う場合は力学的なことから背中合わせとなり、頭から出棺ということになっていたと考えられる。

 さて、自宅を霊柩車で出発をする。西方浄土思想なら西に向けて走り出すのが理想だろうが、都会では一方通行もあり、なかなか難しい問題。

 地方では、どんなことがあっても西か北へ出棺するところもあり、途中で一回バックをするというしきたりのあるところも存在している。

 ある葬儀で遺族側から興味深いご要望があった。喪主さん家族が「易学」に傾倒されており、北西に向けて出棺して欲しいとおっしゃり、その理由を伺うと次のように言われた。

 「慶事は辰巳(東南)の方角。葬儀は弔事、だから凶事として北西なのです」

 そうしなければ、きっとご納得をされないのでそうしたが、大切な家族を「凶事」として送り出されることには抵抗感を感じたし、<良い世界と考えられる東南の方がいいのでは>と思いながらも協力した。

 結びになるが、ある大手の病院。ご遺体を病院から出させる時、「足から」と頑なに守られているところがある。その根拠に深い興味を抱いている。

2003/07/17   撮影のマナー    NO 488

 世の中にカメラを趣味にされる方が多い。こんな方が親戚や友人におられると、葬儀に思わぬ問題が発生する。

 厳粛な式次第の中でウロウロされ、進行の流れを「押さえよう」とされるが、前方のサイドから宗教者を撮影されることだけはご遠慮いただきたい。

 導師が立たれ重要な儀式をつとめられる「引導」の場面。そんなところで動かれると困るのです。ひどい時にはフラッシュが光る。これは、ビデオも同じ。

 「記念に撮っているのです」とおっしゃった撮影者。「記録」と言ってくださいと教えたこともある。

 宗教に基く葬儀の場合、祭壇の中央の奥にその宗教のご本尊が存在している。このご本尊にカメラを向けることはご法度であることも認識して欲しいし、日蓮宗系などでは大問題となることを知っていただきたい。

 さて、携帯電話にカメラが装着されて問題が増えた。若い人達が祭壇の前で「記念写真」という光景が多くなった。

 「せめてセンターを外して撮影されたら」とアドバイスをする。故人のご遺影や祭壇にお尻を向ける失礼ぐらい意識して欲しい。

 一方で、弊社の進行は知的所有権に帰属する部分が多くある。前にも書いたが、これらをビデオで収録されることには大きな問題がある。それを記録され、知り合いの葬儀社さんに見せられるという事実もあった。

 真似をされることにとやかく注文をつける思いはないが、真似をされる以上、その中に秘められた意義だけは学んで欲しいし、それを伝えるだけの司会力を伴っていただきたい。

 しかし、これは不可能だろう。なぜなら具現化するまでのプロセスこそに哲学がある。その理解なくして参列者に伝わることは絶対になく、低次元な「サル真似」になってしまう筈。

 いつの世にも、どんな世界にも偽者と本物が存在するもの。その差異を判断されるのは体感者だが、騙される方はどんなことでも騙され易いというのも世の常。

 弊社の描くシナリオは「人生ドラマ」。これらは決して写真のような平面で感じられる世界ではない。せめてビデオで収録されることを提案申し上げるが、知的財産という社会の常識を理解される感性のある人に撮影されいもの。

2003/07/16   メンバーのコラム    NO 487

 明日の午後、神戸で消防葬が行われる。過日に発生した火災現場での思い掛けない事故。そこで殉死された4名の方の合同本葬儀であり、心から手を合わせます。

 この消防葬のお手伝いを担当しているのは、日本トータライフ協会のメンバーである神戸の「株式会社 公詢社」さん。兵庫県に於ける大規模な社葬やホテル葬を一手に担当されるという、歴史ある大手葬儀社である。

 弊社とは深い交流があり、互いのスタッフの研修に大いに役立っており嬉しいところだが、両者のスタッフ達の間では「互いの社長の頑固さが似ている」と言い合っているようだ。

 公詢社の吉田社長は「こだわり」の男。音響、照明、シナリオ構成などを秒単位で構成し、気に入らないところは徹底的にやり直し。そのパワーの凄さは体験したものでしか理解出来ないレベル。公詢社のスタッフ一同に同情の心情を寄せている。

 しかし、それだけにスタッフが確実に育っている。弊社が担当する大規模なホテル葬などには、いつも「手伝います」と記録写真やビデオの撮影を協力いただき、本当に助かっているし、その際の仕種や動きが回を重ねる度に成長されておられる。

 今月下旬に神戸で国会議員の本葬儀も行われるが、その際にはスタッフの何人かを、手伝いを兼ね勉強のために行かせたいと思っているが、足手まといにならないか心配。

 その吉田社長だが、週に2回、自社のHP内にコラム「あるがまま」を発信されている。

 いつも楽しみに訪問しているが、いかにも彼らしい人柄があふれる内容で、強烈なインパクトを感じることも多く、非常に勉強になっている。
 
 日本トータライフ協会のメンバー達が、各自で始めた自社HP内のコラム。九州熊本「株式会社 落合葬儀社」の「もっこすかわらばん」も300号を超えた。発信しているのは25歳の後継者だが、「これは」と思う彼らしい感性に触れることも嬉しいところ。

 北海道の「株式会社 苫小牧市民斎場・室蘭市民斎場」が発信する「めもりあるトピックス」も内容が素晴らしく、葬祭業界では有名なページとなっているし、高知県「おかざき葬儀社」の「ほっと一息」は、誰もが知る人気ページとして認識されている。

 しかし、やはりアクセス数の多いのは、日本トータライフ協会の必見コラム「有為転変」。
グーグルの文字検索では、多くのページでトップに登場している。

 このコラム「有為転変」は、500号をはるかに超えており、葬祭業界に関するHPでは「オバケ」とまで言われるアクセス数があり、執筆を担当しているメンバー達が日々に苦労している。

 私も負けずにこの「独り言」を続けようと思っているが、内容が悪くとも量だけは勝っているようだ。

 そんなページにご訪問くださいまして恐縮です。心から手を合わせ、感謝を申し上げます。

2003/07/15   代役なき個性     NO 486

 「朝の声というのは違うのですか?」  夕方、そんな質問が女性スタッフからあった。

 声というものは、朝と夜で若干異なるもの。それは、食前と食後でも影響があり、特に腹筋を活用して喋ると顕著に表れる。

 彼女の表情に笑みが浮かんでいる。何か魂胆が秘められているようで、「何だ?」と問い質してみた。

 「いえ、ちょっと」

 やはり狙いがあった。溜まっているビデオへの音声録音、「明日の朝がいいですか? それとも夕方が?」

 私には彼女が何をして欲しいのかすぐに理解出来た。明日は、彼女が公休の日。そこで今から録音をという戦術だった。

 しばらくして隠れ家に入ると、録音と映像システムの準備が完了し、机の上に私専用のマイクが置かれてあった。

 私の席の正面に時計がある。今日は予定があり、20分以内に吹き込まなければならない。そこで、「今日は、2本だけ」と提案して納得を貰った。

 少しお疲れモード。1回だけNGを出してしまった。息を続けなければならないところで、階下から社員の大きな声が聞こえたからである。

 「今、録音中です。静かにね」

 再準備を済ませ、降りて行った彼女の言葉が聞こえる。それで静かになった。

 収録したビデオをチェックし、ちょうど20分で隠れ家を出た。

 さて、九州、東京への出張が重なってきた。北海道にも予定があるが、仕事の合間に日帰り日程とも考えなければならない状況。しかし、九州と北海道だけはせめて1泊だけはしたいもの。

 これまで、東京からの最終の「のぞみ」に何度乗ったことだろうか。おそらく50回は超えているだろう。また、博多や小倉からの最終の「のぞみ」にも何度か乗ったが、その内で3回、新大阪まで私の車両には私だけという珍しい体験もあった。

 雪や豪雨の遅れで大変な目に遭遇したこともあるが、いつも次の日の仕事に差し障るので、どんな方法を用いても帰阪しなければならない宿命を背負っている。

 司会者やプロデューサーの代行が可能でも、久世栄三郎の代行が存在しないのが悩み。

 「それは、あるものの悩み」「それは、贅沢な悩みだ」 そんなことを言われ出したこの頃である。

2003/07/14   体験に勝るものなし     NO 485

 今日、私が担当してきた葬儀は、昭和21年生まれの方。私よりひとつ年上。享年でいくと58歳。私に還暦が近付いてきたことを再認識させていただいた。

 故人は現役のサラリーマンだったそうで、上司や同僚の方で式場の中がいっぱいになった。

 喪主をつとめられたのはお母様。数年前からお身体のご不調を来され車椅子。専属のヘルパーさんが付き添い、移動の際にテキパキと行動されていた。

 「勉強しなさい」と女性スタッフ達に命じる。それは、車椅子の扱い。

弊社には看護士の経験をした女性スタッフがいる。彼女は障害者への対応が長けており、こんな場合に大いに役立ってくれる。

さて、火葬場へ向かう道中。故人のお姉様が助手席に乗られた。後席にお寺様と喪主様がおられ、お2人が病気について話されている時、新潟から来られたというお姉さまが話し掛けてこられた。

「こんなお葬式、初めてでした。何もかも違うのですね?」

 それは、所謂、地域的な慣習の相違かなと思っていると、そうではなく、弊社の葬儀の進行が「静か」で、司会のコメントや開式前のオリジナル奉儀をお喜びくださった。

 「音楽が印象に残っています」 そんなお言葉もあったが、式場に流れる音楽は、『思い出を形見に』という弊社の企業理念のひとつでもあり、何より嬉しいお言葉であった。

 葬儀に参列される方々には、義理的会葬者も多く、失礼だがインテリジェンスに欠けた方の私語が式場空間を乱すもの。

私は、こんな方々への「喋らせない雰囲気作り」をモットーとしており、何処の葬儀社よりも静かな葬儀だと言われる背景には、音楽と言葉の演出が行われているのである。

 「不思議な葬儀だった」「こんな体験初めて」

 そんなお言葉をご親戚や会葬者から頂戴することが多いが、これらには積み重ねた「神変」へのテクニックが秘められてあり、ここに「司式」というマインドコントロールに近いプロの技を活用している。

 喪主を体験して初めて一人前の『葬儀「者」』の資格。孫を持って初めて祖父や祖母の心情が理解出来、確実に葬儀の内容が変化する。

 これは、私が体験してきた中での「重い言葉」である。若いスタッフ達には「それまでは謙虚に」と教えているが、これも体験に勝るものはないと考えている。

2003/07/13   営業の電話から     NO 484

 今日の葬儀は、雨。今晩のお通夜も雨。それも豪雨近い状態で、参列者にも気の毒だが担当スタッフ達もかわいそう。

 テレビの天気予報では、明日も雨。明日の式場の外は、グラウンド。足元が大変な状態で、トンボで均すぐらいでは解決不可能で悩んでいる。

 さて、最近、夜の7時や8時に掛かってくる営業電話が腹立たしい。

「社長をお願いします」
「ご用件は?」
「営業のご挨拶です」

 社会常識という5時を過ぎての営業は、マナー違反。こんな会社に良い会社はない。

 中には「**とお伝えくだされば分かります」と言って、私の友人や知人のような作為的手段を講じるヤカラもいる。

 「どこの**さんか確認しなさい」と言われた電話の担当者。「どちらの**様でしょうか?」と訊ねている。そこで大半の電話が切れることになるが、ある時、付き合ってやれという悪戯心で電話に出た。

 「社長様ですか?」 「いいえ、直属の**と言います。社長は、ただいま生憎来客中でして、ご用件は私が承りますが?」

 「また、改めましてお電話申し上げます」

 こんな無駄な会話のやりとりを何度したことだろうか。株式、証券、金融、先物取引などが多いようだが、こんな低次元な営業でビジネスにつながるのだろうか、いつも不思議に思っている。

 そんなある時、自宅に冠婚葬祭互助会から営業の電話があった。「ポスティングの資料を見ましたか?」から始まった営業戦略。完全なマニュアルに基くトークに付き合った。

 「適齢期のお子様は、ご結婚されたのでしょうか?」

 「結婚ですか? 当家はホテルでと考えておりますし、結婚となれば相手側のお考えも大切であり、当家が互助会でという訳にはいかないでしょう?」

「互助会はお得ですよ」

「そうですか? 何社も倒産寸前ということも流れていますし、銀行や保険会社が破綻する時代に、株式会社である互助会が安全という保証はないでしょう?」

 「失礼ですが、ご両親はご健在ですか?」 そこで話題が変わった。

 「今度は、葬祭ですか? 当家は互助会のようにマニュアル的な葬儀は絶対にしたくありません。葬儀もホテルを利用しようと考えているのです」

 「ホテル? そんなこと出来ませんよ?」

 「私、何度もホテルの葬儀へ行っていますよ。そんなこともご存じないのですか?」

 「・・・・・・・・・?」

2003/07/12   あやかりたいですね    NO 483

 仕事を終えて自宅に帰ると、机の上に往復葉書が置かれてあった。

 案内の内容は「ホールインワン」のパーティー。私が所属しているライオンズクラブのメンバーだった。

 彼は、今回で5回目となるホールインワン。何と羨ましいことだろうか。1回も経験のない私にとって、「羨ましい」が、自身を「恨やましい」とさえ思ってしまう。

 彼とは何度もラウンドしたことがあるが、オフィシャルハンデが「0」。それだけ正確なショットをされることは確か。何度も「クラチャン」となっている実績だけでも凄いこと。

 ライオンズのコンペでご一緒すると、「白マーク」からのプレイ。当然のようにアンダーの世界。<上達するにはこんな人とラウンドすること> いつもそんな思いで眺めていた。

 来月に行われるパーティー。必ずスケジュールを調整して出席し、「あやかる」ご利益を頂戴したいと思っている。

 さて、私が明日に担当しなければならない葬儀。2名の弔辞があると担当スタッフから報告があった。

 式場は道路に面したお寺様。表側で参列される会葬者、この暑さが気に掛かっているし、天気予報では雷注意報。雷雨だけは逃れたいと願っている。

昨日と今日、豪雨のために山陽新幹線が一時不通となったそうだし、朝方の熊本では1時間に80ミリという猛烈な雨。今年の梅雨には、本当に会葬者や葬祭業者が泣かされた。

沖縄では過日に梅雨明けとなったそうだが、大阪の週間予報ではまだまだ。しばらく大量の傘を式場に備えておく必要があるだろう。

一方で、今日は、予定外の来客があった。大手の生花会社が営業にやって来られた。

今、全国のホテルで専属契約を結んでいるフラワー会社が厳しい状況。ブライダルで新郎新婦が要望される花の単価もガタ落ち。ホテルの営業戦略に葬祭サービスが不可欠。そんな会話が中心となったが、来社された男女2人の営業マンさん。私の変な話が伝わっただろうか?

彼らが帰社されると同時に、ホテルの支配人さんが来社された。過日に担当したホテル葬の記録写真の選択をということだったが、36枚撮りで9本のネガ。専用の照明器材やプロ用のルーペまで持参いただいたが、視力がダウンしている私の目では無理なこと。そこで写真のプロに選択をと願うことにした。

初老を迎えていても休んでいることは出来ない。仕事もあるし、この独り言を発信する道楽も増えた。

<2年間を頑張ろう> そんな気構えで日々を過ごしているが、医師に指導された「歩きなさい」は守ろうと努力している。そこで<月に2回はゴルフでも>と思っているが、それが難しいのがこの仕事。

葬祭業は、来る何月何日という約束が重圧となる仕事なのである。

2003/07/11   暑い季節に    NO 482

 今月の内に2回、九州への出張があるが、どうもスケジュール調整が難しい。

 神経を遣う仕事が終わってお疲れモードのスタッフ達、もう明後日までの葬儀の予定が入っており走り回っている。

 これからの暑い時期は大変な仕事。しかし、ご遺族や参列者にとっても大変なこと。春や秋の季節以上のサービス提供を考慮しなければならない。

 葬祭式場やホテルの中ならいいが、お寺やご自宅となれば外にいる参列者が気の毒。脱水状態にならないように、冷たいお茶とオシボリの接待サービスが欠かせない。

 2年前の今頃、不思議なご縁をいただいた葬儀があった。

 ある日の夜、私はホテルで行なわれていたコンサートの会場にいた。携帯電話はもちろんマナーモード。何度呼び出されても気付かない環境。

 そんな時、ホテルスタッフが私のところ近付き、「会社から至急に連絡を」と耳打ちされた。

 タイミングを計らって廊下に出て電話をする。社員から電話番号を控えるように言われ、「すぐにお願いします」とのことで公衆電話に走った。

 相手様はある会社の総務部長さん。会長さんの密葬儀を終えて帰宅され、ふと夕刊で弊社の記事をご覧いただき、社長さんに確認されてから電話をされたとのこと。

 用件は社葬をホテルでというご要望。暑さ、駐車場、最寄り駅という利便性で選択され、偶然に私が今いるホテルということになった。

 会社や工場は兵庫県だが、参列される方に新幹線を利用される方が多いということで大阪市内と決められた。

 すぐにホテルスタッフと打ち合わせを進め、大ホールが空いている日をお伝えし、明日に本社に参上しますと申し上げた。

 それから2週間後に行われた社葬。その当日は最高に暑く、「新聞の縁がなければお寺で葬儀でした。本当に感謝しています」と喜ばれた。

 このホテル葬、お寺様をお迎えする形式をご要望され、兵庫県にあるお寺さんに打ち合わせに参上したことも忘れられないが、「ホテルで社葬?」と怪訝そうにされておられたお寺様。終了後、「ホテルらしさがあり、宗教を大切にする葬儀で納得した」とおっしゃってくださったのでホッとした。

 過去に私が担当させていただいた法要で、楽人さんが30人、舞楽が8人、お寺さんが230人という大規模なものがあるが、葬儀では96人のお寺さんが勤められたこともあった。

 そんな思い出の中、ふと昨日テレビで見た石原裕次郎さんの法要に寂しさを覚えた。あれでは完全なテレビ用のシナリオ構成。それこそ芸能バージョン。

 映像、演出、音楽、プロデュースなど、それぞれのプロ達が結集している筈のプロダクション。それがあんなレベルでは、裕次郎さんご本人に気の毒でならなかった。

2003/07/10   明日のナレーション    NO 481

 昨日の「NO 480」で、暗号みたいな変な文字が掲載されていた。「口」と「言」の合作だが、やはり私の技術が及ばず、訳の分からないことになってしまったようだ。

その文字のイメージは左が「口」、右側が「言」であるとお考えいただければ幸いである。 

 さて、今日の郵便物の中に、誰もが知る大手企業の社長からの退任通知があった。

 彼は、私と同級生。自らの研究で外国の大学に留学し、土木設計の専門家として日本の高速道路の建設に携わってきていた。

 彼は、面白い一面を持っていた。社会人となって東京に在住していた頃、帰阪する度に葉書をくれ、そこに「石松、大阪に帰る」と書かれてあったこともある。

 「石松」とは、当時に流行していた漫画「ハリスの旋風」の主人公の名前「石田国松」を表し、そんな茶目っ気のある男だった。

 随分前に霧島の林田温泉に行った時、九州自動車道の工事現場にいた彼を訪ね再会したことがあったが、その後、四国の高速道路の工事現場にいるとの通知があった。

 そして、私が予想もしなかった大企業の社長に就任したという手紙が届いたのが3年前。その会社を退任したというのである。

 与えられた責務を3年間でやり遂げたということだろうが、その内にまた新しい世界でスタートするという知らせがあると思っている。

 そんな彼からの手紙を読みながら通夜の式場に行った。

100を超える供花が並んでいる。女性スタッフ3人が名札の確認を行っているが、「供花の名簿をフロッピーでください」と、ご遺族からご要望されたそうで、そんなIT時代の訪れに驚きを新たにした。

 入り口にご夫婦の大きな写真があった。セピア調の思い出写真に文字が記載してある。それはお2人がご創業されてからの年数のこと。会社関係の弔問者が感慨深そうにご覧になっており、その光景を見ていた創作担当スタッフも喜んでいた。

 今からナレーションを創作するが、私と女性スタッフの2人で語る形式を考えている。

 これは、弊社のオリジナルバージョン。彼女は本番前に原稿を目にすることになるが、式場の何処かで数回読めば出来るレベルに成長している。

 しかし、今回、彼女に強く要望することは簡単ではない。彼女に担当させるシナリオの大部分が「カギカッコ」の世界。それをどのように伝えるかという表現力が難しい。

 ここでうまく乗り越えることが出来れば、またステップアップになるので楽しみにしている。

2003/07/09   おとむらい     NO 480

 朝方、昨日に書いたお母様が亡くなられたと電話を頂戴した。

 担当スタッフ達が対応を始めたが、参列者数が全く把握出来ない状況の中、お寺様が滋賀県と京都から来られるという情報が入った。

 「供花は、100以上あると思います」

 担当責任者がそう言ったが、私が最も心配していたのは式場のこと。

 彼は、「ご心配なく」と返し、私が考えていた式場を押さえてくれていてホッとする。

 そんな彼、事前相談に参上してからずっと落ち着かなかったそうで、寝られない夜を過ごしたそうだ。

 女性スタッフ達がオリジナルサービスの制作を始めている。

最新型の特殊機器がフルに使用されるだろうが、うまく活用出来るのかと一抹の不安を抱きながら男性スタッフ達が作業を覗き込んでいる。

 さて、今日は、私が受講してきた講義から「弔」について書かせていただく。

 慶弔や弔問の「弔」という字はめったに使う文字ではないが、葬祭業に従事する我々にとって、その文字の意味は深いもの。

 葬儀のことを「おとむらい」という言葉があるが、「ちょう」や「とむらう」と読まれるこの文字、他人の死に対して同情を表す意味の裏側に、「天」を恨む意味があるのに興味を覚えた。

 講義を拝聴した中で、「弔」は「とふらう」「とうらう」との読みがあり、「とう」は「問う」ということと学んだ。

 「なぜ死を迎えてしまったのか?」「どのように生きてきたか?」「心残りはなかったのか?」というようなことを問うというのである。

 「弔」と同じ読みの同義語に「唁」がある。(愚生のパソコンにはこの文字がなく、作字ということから見難いでしょうが、「口」と「言」の合作なのです)

 受講後、帰宅してから辞書を開くと、「弔」という文字が入っていながらあまり使われず、「弔い」とは離れた意味の言葉があるのが面白く、ここで3種を下記申し上げる。話の種になれば幸いです。

『弔影』・・・自分で自分の影に同情の言葉を掛ける。ひとりぽっちで寂しい様のたとえ。

『弔古』・・・昔の事柄を思い出して、思いに耽ること。

『弔橋』・・・吊橋のこと。

2003/07/08   宿命の流れに寄せて   NO 479

 来客があり、前から予定していた遠方への出張打ち合わせを済ませ、明日から先に現地へ行こうと考えていた矢先、スケジュールがどうにもならない問題が発生した。

 弊社にとって特別な存在になるお客様からお電話があり、「お母様が危篤状態」とのこと。すぐに事前相談ということでスタッフ2人がご自宅へ参上した。

 「お風呂と宿泊設備のある式場を」とご要望され、参列されるそれぞれのご親戚に個室をとなればホテルしかない。何とか式場のスケジュールを調整したいと考えている。

 このお客様は、私が担当しなければ納得されないだろうし、私が担当しなければならない「えにし」もあり、しばらく他府県に出張することが不可能となった。

 これまでにこんなことが何十回もあった。「一生に1回限りのこと。どうして司会を担当してくれないの」と、恨みのお言葉を頂戴するのは辛いこと。

世の中とは皮肉なもの。「何でこうなるの?」という、やるせない気持ちを抱きながら人生を過ごしてきた。

 これは、我々葬祭業の宿命とは理解しているが、弊社の特別なお客様は、私が司会を担当しなければ絶対にご満足に至らず、これが弊社と私の「泣きどころ」という弱点であることは否めない。

 我々の業種で「予約」という言葉はおかしいだろうが、事前相談を多く承っていると電話のベルが恐ろしく、いつも恐怖感に慄いてしまう。

 すべてのお客様にご満足をと考えると、やはり最高のキャスティングで対応したいもの。いつもプロ野球の「オールスター」のことを思いながらスタッフと嘆いている。

 「皮肉ですね」「1日早いか遅いかしていれば」 そんな罰当たりな会話も飛び出してしまう。

 これから夏の季節を迎えるが、私の出張スケジュールが山ほどある。初老の身で体調のことも考慮しなければならない。来年度に立ち上げなければならない大規模なプロジェクトも迫っている。

 そんな事情で、講演依頼があっても「近県で夜間」という条件だけ対応しているが、それさえ難しい状況となってきた。

 来る2004年と2005年、それは私の人生最期の「青春」という時代となるだろう。

 時が流れている。自身に齢が重なる。この2年間、生きた証しの集大成を「かたち」として刻みたいと思っている。

2003/07/07   コミュニケーション    NO 478

 満中陰を迎えられ、片付けに参上していたスタッフが嬉しいお言葉を頂戴してきた。

 ご当家は、弊社が葬儀を担当させていただいてから1ヶ月も経たない内に奥様の実家で不幸があられ、葬儀での葬儀社選びがどれだけ大切かを体験されたとおっしゃったそうだ。

 ここで弊社の葬儀内容について、他者との格差を書くつもりはない。そんなことは歴然としているとの自負があるからだが、どうしても触れておきたいことがあるのでしたためる。

 ご遺族は、葬儀が終わってから本当の悲しみと寂しさが始まると言われている。その救いとなるのが七日毎に訪れる法要ということもあるだろう。

 弊社は、この七日毎に中陰机の上に飾る仏花を届けるサービスを行っている。そのきっかけとなったのは、遺族側とのコミュニケーションというアフターサービス。葬儀を終えてからの様々なご質問の対応でお喜びをいただいている。

 訪問したスタッフが長時間帰ってこないことも多いが、生前の思い出話を拝聴することも大切な癒しのサービス。これからも続けていくつもりだ。

 このサービスを始めたのは10数年前だが、これで学んだことがあるので紹介しよう。

 あるご遺族が中陰中の法要に、故人が好きだった花を購入されて飾られたことがあったが、この花が派手な色でお寺様からクレームが発生した。

 中陰机の上の花は弊社の届けたもの。当然、地味な仏花である。派手な花は机の横に花瓶に入れられ置かれてあった。

 お寺さんのクレーム発言がきっと強烈だったと拝察するが、伴侶を亡くされた奥様が立腹され、次の法要からお寺様を変えられるという事件に発展した。

 この時に担当していたスタッフが大変だった。奥様とお寺様の両方から怒りの思いをぶつけられ、間に入って右往左往した思い出がある。

 我々葬儀社の立場は裁判官や審判にはなれないが、時には弁護士となり、筋が通らない場合には検事の役割を果たすことも必要だろうが、葬儀や法要での揉め事だけは避けて欲しいもの。いつも悲しまれるのは発言権のない故人となるからだ。

 最近、「お寺を変えたいのですが」という電話が多くなってきた。家と寺のつながりを考えると大変な問題であるが、それらを超越されて行動されるケースが増えてきた。

 その問題の背景に、家と住職のコミュニケーションの欠落があるように思えてならないところ。医師の世界のインフォームド・コンセントではないが、宗教者にもこの発想が求められてきているような気がしている。

2003/07/06   サービスへの思い    NO 477

 ゴルフが大好きな友人。彼が私のホームコースでプレイし、「有り難う」と電話をしてくれた。

 スコアには不満足だったらしいが、ゴルフ場のスタッフやキャディさんのことをしきりに褒めてくれ、嬉しい報告ともなった。

 ホームコースでありながら、この8年間でプレイしたのは1回だけ。きっと私のことなんて忘れられた存在だろうと思っていたが、フロントやキャディさんから「是非お誘いください」と言われたそうだ。

 このゴルフ場で忘れられない思い出がある。10数年前頃、十二指腸潰瘍を患った私は、食事の前に必ず服用しなければならない薬があり、ゴルフ場内のレストランで「白湯」を所望した。

 その時に対応してくれた男性スタッフが素晴らしく、その日の昼食から始まって、完治するまでに何度か訪れた3ヶ月間の間、席に着くとすぐに白湯を持ってきてくれていた。

 彼は、プレイを共にした同伴者にも評価が高く、ある日、私が「ホテルマンの体験があるでしょう?」と訊ねたことがあったが、「はい」とはにかみながら答えた表情が印象に残っている。

 姿勢がいい。表情がいい。これらはサービス業に従事する者の基本であるが、サービス業のトップにランクされるホテルマン。人の顔や名前を記憶する術に長けていることも大切だろう。

 彼は、私が1回同伴した人達のことも覚えており、プレイ前のコーヒータイム。「おはようございます。**様、久世様とは2ヶ月振りでございますね?」と言われてびっくり。同伴者のほころぶ顔は、メンバーである私の喜びにもつながったのは当然である。

 こんなスタッフは「人材」ではなく「人財」。ホテルでの仕事が多くなってきた弊社では、今、ホテルマン以上を目指そうという指針の元、「人財」の育成に取り組んでいるが、葬祭業という仕事に従事する者は、「ホテルマン以上の資質が求められる」という認識だけは至っており、今後は各々の意識改革と研鑽に委ねられている。

 「サービスとは無限である」「二度と出来ないサービスはするな」

 そんな矛盾するような指導要綱を掲げたホテルがあったが、この中に「サービス」というものの奥深い難しさが潜んでいるような気がする。

 これまでの私の人生にあって、その道楽の中で学んだひとつのサービス哲学がある。それは、「人を差別することは絶対にいけないこと。差別する側の人格は『無』。しかし、サービスの世界にあって、上質の差別を受ける側の人には快感が生まれる。そこに究極のサービスの理念が存在している」

 「人生最後の旅をファーストクラスで」

 弊社のスタッフは、そんな思いを共有しながら、日々悲しみの葬儀に携わっている。

2003/07/05   司会者とプロデュース     NO 476

 葬儀やブライダルの司会者の指導をしている中で、この世界を目指す方に是非知っていて欲しいことがある。

 私が指導する司会者達は、世間で言われる一流の人が多いが、どこかで壁にぶち当たってやって来られるケースが多い。

 セミナーや講演活動でよく言っていたことに、「シナリオを与えられる司会者から、シナリオを創作できる司会者になれ」というのがあった。

 葬儀もブライダルも、司会者にはプロデュース力が求められるもの。ここで重要なのが情報の収集という「取材」である。

 取材が整理できたら原稿創作に入るが、目で見る文章と耳で聞く言葉の相違を理解しなければならない。

 次に問題になるのが「音楽」と「照明」の演出。この部分の総括的なプロデュースが出来なければ一流司会者には絶対になれないと断言するし、音響設備にはとことん拘って欲しいところである。

 「昔からクラシックに興味があり造詣深いと言われている」「広いジャンルの音楽を耳にし、何か楽器の演奏ができる」
これらは司会者やプロデューサーの重要な要素であり、若い人なら挑戦するべきテーマである。

 プロデューサーとしてシナリオを創作する時、それは映画を創る世界にも似ている。シーンにマッチした音楽の重要性の認識なくして完成はない。

 選曲のセンス。その曲に合わせた原稿創作とトーク技術。その曲のどの部分をどのタイムで使用するか。また、イントロの割愛やエンディングの使い切り、そして次のシーンに使用される曲とのオーバーラップなど、音響、照明オペレーターとのコミュニケーションなくしていい仕事は不可能となる。

 私は、大規模なホテルや文化ホールでの社葬では、専属の音響照明のプロをキャスティングして随行を願うが、北海道や九州という遠方の場合でそれが無理となれば、ミキサー担当責任者に「音響関係は、すべて司会台のすぐ横にセッティングを」と願い、自分で喋りながらボリュームまで調整する。

 「そんなこと出来るのですか?」と、いつも訝られるが、システムがセッティングされ、進行のエンディングを迎えた時、その世界のプロ達が驚きの表情を見せることになる。

 時には弦楽四重奏やオーケストラ、コーラスをキャスティングすることもあるが、あくまでもプロデューサーである私が主導権を握り、こちらの思いを徹底的に伝え、音楽の持つパワーを最大限に引き出す苦労をしている。

 演奏者達は、与えられた曲を演奏さえすればと考えているようで、<生意気な>という敵対心を表すことも少なくないが、こんな際、「私が司会をするのです。あなた達がおっしゃる演奏と、私が編曲を願ったものと何が違うか実際にやってみましょう」という体験をさせることにしている。

 彼らは確かに音楽のプロだが、葬儀のプロは私である。秒単位で緻密な注文をつけ、時にはソリストの担当楽器を変更させることもあるが、リハーサルで実演してみると、いつも私の意見を理解してくれる。

 卓越した司会技術にプロデュースパワーがひとつになれば理想。そんな司会者を目指して欲しいと願っているが、司会者、プロデューサーは。時にコンダクターであると意識して欲しいものである。

2003/07/04   蚊帳の外    NO 475

 今、弊社の女性スタッフ達が連日議論を交わしている。テーマはホームページのリニューアル。

 ITに長けたスタッフを中心にそれぞれの意見がまとまり、全体のイメージだけは構築できたようだ。

 インターネットに詳しい専門家によると、一般的な葬儀社HPへのアクセス数は、月間で300程度だそうで、それは我々葬祭業が非日常的な業種であるからと分析していた。

 弊社HPについての分析結果も提出されてきたが、それによると日本トータライフ協会のページから訪問されるケースが多く、各ページ内で最も訪問者数の多いのは「独り言」。

 毎日、この独り言だけをご笑覧くださるという方が多い訳である。

 私はシナリオや駄文を列記することは出来るが、ITについてはさっぱり弱く、専門家のアドバイスやスタッフ達の意見に耳を傾けながら、私にできることの模索に取り組んでいる状況。

 そんなところで「社長は、独り言だけ更新してくだい。それだけで結構です」と言われた。

 彼等の会話の中に飛び交う専門用語。正直言って、私には全然分からない。だからスタッフの言う通りにしようとは思うが、完成したものを見たら良い悪いの判断ぐらいは出来る。

 そこでおかしな表記があったら絶対に変更させてやろうとも考えている。

 今、社内で私の仕事が確実に減っている。スタッフそれぞれが成長し、任せられることが多くなってきた訳だが、私の中に秘められている発想を具現化可能なスタッフはまだまだ。これからの2年で「かたち」になればと焦る思いにブレーキを掛けている。

 それにしても、日本トータライフ協会へのアクセス数には驚く。確かに各ページの完成度が高いが、コラム「有為転変」をご訪問くださる方が信じられないほどおられるよう。

 葬祭業界の関係者が「オバケですよ」という言葉を発していたこともあったが、それが事実であることも確信できた。

 メンバー各社のHP新設やリニューアル行動が活発のようだが、それぞれの中で7本のコラムが発信されているという地味な活動も功を奏しているらしい。

 テレビ、新聞、雑誌の取材も増えてきたが、それらは高齢社会の到来で、当協会の存在がいよいよ認識されてきた「証」のような気がしている。

 リニューアルされる弊社HP。発信日が決定されたらこの「独り言」でお知らせ申し上げます。それまで、どうぞ、このページでご辛抱くださいますようお願い申し上げます。

2003/07/03   核家族の最期の親孝行     NO 474

 葬儀のご依頼を頂戴し、参上する。「喪主様は? 何方が?」

 そんな確認に結論がすぐに出ないことが多くなってきた。

 「長男が東京でして、夕方には着くと思うのですが」

 ご商売をされていて、ご次男が継承されている場合にこんなケースが見られるが、サラリーマンとなったご長男が転勤され、赴任地で家を建てられたというような、いわゆる核家族のご家庭では、葬儀の日時、形式、予算などの打ち合わせがすぐに出来ない状況となる。

 そんな核家族のご家庭から、弊社に事前相談の電話があった。

 その葬儀を予定されているのは、他府県。弊社のサービスエリアではなかった。喪主となるご長男が東京に住まれ、実家近くの病院に入院されるお父様のお見舞いに行かれた時、医師から「覚悟を」と伝えられ、ふと、ご自身が<親不孝をしてきていた>と、核家族になったこれまでの過去を振り返られたそうだ。

 そこで考えられたのが葬儀の際に行う最後の親孝行。葬儀社選びを真剣にと、時間を見つけてはインターネットで情報を集めたられたと言われる。

 そんな中で見つけてくださったのが弊社。ご丁寧なお言葉で電話による事前相談が始まったが、他府県ではあるが、高速道路の利便性があり、渋滞さえなければ約1時間で行けるところから、スタッフ内で<やりましょうという結論となり、万一の時には担当申し上げることになった。

 早速、その地域の調査を始める。火葬場は何処にあるのか? お柩の最大寸法は? 高さ、横幅、長さ。また、予定されている式場から火葬場までの所要時間。その地域独特の習慣など、それらは細部に亘る調査が進められた。

 仕入先業者にもお願いをして、その地域の葬儀社さんの存在や慣習を確認するが、これが意外な効果があり、これで準備万端というところまでこぎ着けた。

 しかし、予測できないという問題がある。私が司会を担当するべきだろうが、その日のスケジュールが全く不明である。ご本人が「親孝行」と弊社をお選びくださったのに、私が担当出来ないのは申し訳がない。これでまた悩みのタネが増えた訳である。

 恐らく、ご本人様は、この「独り言」をご笑覧なさっておられるでしょうが、そのための尽力は覚悟いたしておりますが、ご仏縁が結ばれますよう、そして、その日をお迎えになられるまで、お心残りが生まれないような時間をお過ごしになることを祈念申し上げます。

 お電話、誠に有り難うございました。   合掌

2003/07/02   申し訳ございません     NO 473

 一昨日のホテル社葬で、とんでもないミスをやらかしていたことを知った。

 それは、反省会議の中で分かったこと。ご会葬者の中に、4月に行なわれたホテル社葬で実行副委員長をおつとめくださった「H様」がおられたそうで、ご挨拶が出来なかった失礼を後悔している。

 H様がご着席されておられたのは最前列。私のいた司会台から10メートルぐらいのお席。ライオンズクラブのメンバーさん達の指定席であった。

 弊社の本部長から、ご献花を終えられお帰りになられる時に「ご挨拶申し上げました」との報告があったが、その時すでに遅し。さぞかし私の「非礼」をお感じなってお帰りになられたと拝察している。

 式場内の客電が落とされている。司会台には2台のテーブルランプがセッティングされてあり、前方からご祭壇を照らす強い照明が当たっている。

 司会席から最前列のお客様のお顔がはっきりとは見えず、こんな無礼なことになってしまったが、これはプロとして羞恥の極み。お客様側にはそんな事情は関係なく、本当に申し訳ない思いを抱いている。

 今回の司会を担当していた時、自身に衝撃となる事実を知ることにもなった。視力が落ちているのである。

 それは、前日の寝不足も原因しているかも知れないが、シナリオやご献花順位の文字が読み辛くて苦労し、いよいよ眼鏡のお世話にとも真剣に考えている。

 さて、そんなH様に、4月の社葬でも失礼があったことを知るところにもなった。若い女性スタッフが、「実は、ミスを」と打ち明けたのである。

 そのミスとは、スタッフ達のマンネリの中で発生していた。式次第の中で、H様は、故人に対する感謝状をご奉呈。その際のエスコート担当者がお席に白手袋を届けた時、何とどちらも左手用で、さぞかしご苦労をなさっておられたものと拝察する。

 これは、H様にとって災難みたいな事件であるが、ただ「びっくりしたよ」とだけおっしゃったそうだ。

 そんな紳士的なご人格のH様。再会させていただいたえにしを迎えていたのに、何のご挨拶も出来なかったとは「九仞の功を一箕にかく」思いでならず、これからの私の人生にあって「銘肌鏤骨」の謂れのように心に刻んでおくつもり。

 H様、なにとぞご海容くださいますよう伏してお願い申し上げます。

 そんなミスを仕出かしたスタッフだが、私もH様のお人柄を真似、叱責をすることはなかったが、ご挨拶が出来なかった自身に羞恥の怒りを覚えている。

2003/07/01   儀式の空間     NO 472

 深夜のホテルに入る。バンケットルームのあるフロアには、エレベーターが止まらないセキュリティ・セッティングがされている。

 仕方なしに3階までエスカレーターを利用し、そこから上には作動していないエスカレーターをテクテク歩いて上がった。

 これは、何度体験しても歩き難いもの。段差の高低が一定していない上がり口と降り口。この気持ち悪さを体験された方も多い筈。

 式場となっているフロアに着く。長い廊下を行くと、女性スタッフ達がメモリアルコーナーをセッティングしている。

 今回のこのコーナーのコンセプトは「手造り」。悪戦苦闘しながら段々と「かたち」が出来上がってきていた。

 思い出の写真コーナーの下に10冊ぐらいのノートがあった。それは、入退院を繰り返しておられた故人の闘病生活の記録。それは人生の黄昏を見事に生きぬかれた故人の生きられた「証」のようで感銘を受けた。

 このコーナーに1枚だけ大きなお写真を。そんな提案がスタッフからあり、数百枚あるお写真から厳選したのは、仕事の現場のお写真。海上の橋梁工事の視察に出掛けられた時のものだろうか、ライフジャケットを身に着けられたヘルメットのお姿が何とも言えないご表情で、これは、ご参列された方々から予想以上の反響があり、「かわいい」というお声もあった。

 さて、リハーサルはスムーズに終わったが、その後、照明へのこだわりを表現してくださるプロスタッフ。彼らが明け方までご尽力いただいたとの報告を受け恐縮している。

 そんなプロ達に支えられた本番、難しいシナリオ構成を見事にやり遂げてくれた。

 弔辞が7名に2名のご謝辞。これだけで1時間と予定していたが、ちょうど計算どおりになった。

 この他に様々なプログラムが組まれ、参列の皆さんを長時間お待たせすることになる。失礼だが必然として「怒り」のご心情も生まれる筈。これを和らげ払拭させるにはひとつの方法しかなく、担当スタッフに強調したのが「厳粛の世界」。

 「ここは、普通の世界ではないのだ。一人の方が死を迎えられたのだ。悲しみの遺族が存在している。これだけの方々とのご交誼があったのだ」

 そんな思いを抱いていただければとの思いをコンセプトとして重視したが、ご多忙の中を長時間お待ちくださった方々には、きっと抵抗感を抱かれた方もおられたものと拝察している。しかし、私が与えられた責務の中で1番大切に考えなければならないのは、故人なのである。

 えにしに結ばれた方々が会葬され、献花をされる。そこで、「自分は、生きているのだ。自分は、送る側の立場なのだ」とのご心情が少しでも生まれることになれば、ご葬送の意義に結びつくものと信じている。

 お一人の偉大な人生のご終焉の儀式を担当させていただいた。正直申し上げて久し振りに疲れた。しかし、「厳粛さに感動した」とおっしゃってくださった施主様のお言葉にホッとした。それが、故人のお声のような気がしたからだ。

 与えられた会場空間が儀式空間として「神変」出来たと思った瞬間でもあった。


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