2003年 9月

2003/09/30   秋色を感じながら   NO 562

 急に出張することになり、遠いところへやってきたが肌寒い。

 ホテルは仕事をするところ、宿泊するのは旅館がいい。いつもの私の好みで少し離れた山手の旅館に泊まったが、パソコンの電波が届かない。そこで「独り言」がおやすみとなってしまい、急遽、スタッフに「お知らせ」の発信を頼んだ。

 駅で列車を待っていると、ゴルフ帰りのグループがワイワイ。会話が勝手に耳に入ってきたが、昼食、飲み物付のセルフプレーで8000円。バブル時代には信じられないプレー料金となっている。

 バブル時代でエントリーが困難となっていた頃、私が所属する西宮のヨットクラブが主催したゴルフコンペに参加した。

 そのコースは、数ヶ月前にオープンしたところ。クラブハウスが驚くほど豪華。駐車場のスペースが外車の設定で広々としている。

コースの設計は、もうひとつ。なのに驚愕したのがプレー料金。モーニングコーヒーでトースト、昼食に「天ざる」を食し、入浴後にフロントで支払った費用が42000円。いくら日曜日としてもびっくりした。

 バブルが崩壊し、そのゴルフ場も倒産したことを知ったが、当時は、どこのゴルフ場でも昼食代を入れると、日曜祭日のビジター料金が3万円を超えていたように思う。

当時、幸いホームコースで月例などに出場しており、1万円以下でプレーが出来ていたので、他コースに行くとびっくりすることが多かった。

 先月、近所のある会社の社長から誘われ、その方のホームコースのひとつにご一緒したが、そこもバブルの名残があるコース。法人メンバーということでプレー料金は安かったが、VIP登録とか呼ばれるそうで、ロッカールームも別れており、一組用の和室と洋室の専用浴場が設置されていた。

 さて、今回宿泊した旅館、料金に比較して夕食が豪華。好き嫌いの多い私にはもったいない過ぎる内容で、大半に手を付けなかったが、好き嫌いのない人ならきっと満足されることだろう。

 急な出張で、来社される予定を組んでいただいた方に迷惑を掛けた。録音収録をお願いしていたプロの方にも変更を願い、心から申し訳なく思っている。

 帰阪したら、たまっている宿題を一挙に片付けなければならない。

 お願いしたマッサージさん、久し振りに男性の方。キンキンに張っていた背中から腰、彼の強い力が解してくれた。

 部屋から大浴場まで離れているが、深夜の誰もいない風呂は温泉旅館の喜びのひとつ。毎年冬場に訪れる腰痛の予防に、しっかりと身を委ねて時間を過ごす。

 早めの朝食をお願いし、タクシーで移動することになったが、途中の道路が通勤渋滞。運転手さんが抜け道を走行して予定通りに到着したが、自分の車だったら30分以上は遅れていただろう。

 明日から10月。新幹線に「のぞみ」が増えて「ひかり」が減る。フルムーンやジパング倶楽部のメンバーさんが「のぞみが利用できない」とお怒りだそうだ。高齢者を大切に、そんな言葉をJRに伝えたい。

2003/09/29   お知らせ

本日、久世栄三郎は電波の届かない地域に出張しております。
そのため、本日の『久世栄三郎の独り言』はお休みをさせていただきます。

ご訪問下さいまして、誠に有り難うございました。

              メモリアルサービス事業部
                  IT担当責任者

2003/09/29   おやすみの前に    NO 560

 「今、病院から寝台自動車で自宅に帰ってきました。お葬式をお願いしたいのですが」
 
そんなお電話を頂戴したのは、午前3時。それから担当スタッフが動き出したが、葬祭業は、消防署みたいなもの。

スタッフ達には体力と気力が求められるが、睡眠中や仮眠中に起こされると生活リズムが狂い、数日間、時差ぼけみたいな症状となることもある。

 さて、めっきり朝夕が涼しくなり、さわやかな風の中にコスモスが揺れている。そんな私の好きな秋の訪れで10月を迎えようとしているが、私に課せられた仕事がたまっている。

 ビデオへのナレーション吹き込みも数本あるし、創作しなければならない追憶の詩の期限にも追われている。

 一方に、現在、最も気になっている弊社HP「久世栄三郎の世界」の吹き込み変更もしなければならない。様々検討した結果、BGMは弊社の社員が演奏することに決まり、近々に録音するスケジュールが組まれている。

 過日、名古屋のメンバー会社の社葬で少しだけナレーターを担当したが、「命の伝達式」バージョンを初めて聞かれた同業者の皆さんは、さぞかし驚かれただろうと想像している。

 「何だ、これは?」 きっと、そう思われた方もおられた筈だが、あれが理解出来ない葬儀社さんに将来はないと確信している。

 司会から「司式」への意識改革。それは、無宗教形式での最も重要なこと。故人への礼節と遺族への癒しを真剣に考えた結論だったが、やさしく包む司会だけでは儀式にならないという私の哲学がそうさせた。

 今から明日の葬儀のナレーションを創作しなければならない。そんなところでいつもより短く結ぶことになるが、時計が0時を回ってしまい日付が変わった。

 机の足元で2匹の猫が寝転んでいる。今から30分で草稿し、風呂に入ってオヤスミしよう。

2003/09/27   生かされて   NO 559

 名古屋でタクシーに乗りながら、北海道の地震のニュースを耳にした時、悲劇の実話を思い出した。

 それは、阪神大震災から2ヶ月ぐらい経った頃、講演で名古屋を訪れた際、タクシーの運転手さんから伺った悲しいお話。

 運転手さんが名古屋駅で乗せられたお客さん、礼服を着用され「ホテルへ」と言われたので「結婚式ですか?」と尋ねたところ、その人が急に泣き出され、「世の中、神も仏もない」と、この結婚式に秘められた出来事を話したそうだ。

 その結婚式は、阪神大震災の日に行われる予定だったそうで、新婦は神戸の方。

 前日に新婦だけ名古屋入りし、両親は当日に来られる予定だったという。

 その当日の未明に発生した未曾有の大地震、それは、神戸の両親と兄弟の命を瞬時に奪ってしまった。

 結婚式が延期されたのは言うまでもないが、大自然が引き起こす災害の裏側では、信じられないようなドラマが生まれているのも事実。

 親戚の葬儀に行っておられて難を逃れた人もいたし、神戸の親戚の葬儀で被害者となった人もあった。

 私は、幼い頃、母から台風で沈没した青函連絡船「洞爺丸」のことを聞いたことがある。知り合いの人が、たまたま洞爺丸に乗り遅れて助かったという話だが、その人は、急げば間に合うようだったが、何か<遅れてもいい>という気持ちがあり、それは「虫の知らせ」みたいな感じもしたと語っていたそうだ。

 1秒の違いで死と生が入れ替わるのも世の事実。交通事故なんて、その典型のような気がするが、それを「運命」という言葉で片付けてしまうのには抵抗がある。

 私は、飛行機が大嫌い。それは、墜落の危険性があるからではない。もしもエンジントラブルでもあった時、<乗らなかったらよかった>という後悔が生まれるからである。

 北海道や沖縄、また、外国に行く場合は覚悟をして搭乗しているが、いつも着陸したら
<ラッキー>と、心の中で叫んでいる。

 地震で特急列車が脱線したというニュースもあり、今夏には、九州で特急「かもめ」が落石事故に遭遇した。列車派の私だが、列車もいつ惨事が発生するかも知れないという危険を孕んでいる。新幹線だったらとんでもない大事故となるだろう。

 そんなことを考えていると何も移動が出来なくなるが、分かっていることは「自然」に勝てないこと。自身の命終も「自然」に委ねている筈。

 人は、生きているのではなく、「生かされている」ことになる。

 発生するかも知れない大地震。どうかエネルギーを分散し、数回に分けてと神仏に祈る今日の私。何より北海道の地震が終息することを願っている。 

2003/09/27   命の伝達    NO 558

 朝、ホテルのロビーの待ち合わせ場所に行くと、北海道から来ていたメンバーたちが地震のことで大変だった。

 テレビのニュースを見ずに部屋を出た私。地震のことを聞かされてびっくり。彼らの自宅や会社からの電話で早朝から起きていたメンバーたち。さぞかし心労があったことだろうが、直接的な被害が少なくて安堵する。

 さて、モーニングに着替え、迎えの車で式場に向かう。

全国からやって来たメンバーたちと顔を合わせ、リハーサルを進める。

 多くのお寺様による厳粛な葬儀式が済むと、無宗教形式による「慈曲葬」。担当プロデューサーが構築したシナリオに基づき流してみる。

 映像、音楽に合わせスタッフが動く。それぞれが与えられた使命を懸命につとめる。進行に携わるメンバーはプロばかりだが、機材の性能というところで少し問題があり、曲と曲の「間」という大事な部分が惜しかった。

 やがて、本番。夜中の3時に完成したという台本を手に、自分の担当する部分を懸命に努めた。

 司会は男性と女性の組み合わせ。重いところを私が、やさしく包む部分をベテランの女性司会者が担当したが、命の伝達バージョンと命名した3分50秒のナレーション。一段高いキーでスタートしてしまい、途中で調整することになった。

 メンバーたちや参列の皆さんが共通して感動したことは、喪主の謝辞と友人による弔辞。

 喪主の謝辞に、「100点満点で300点だ」と感想を伝えると、彼が、ほっとした表情を見せたのが印象的だった。

 内容やまとまりだけではなく、抑揚や発声も素晴らしく、<もっと司会を担当するべきだ>と、もったいない気持ちを抱いたが、葬儀社の後継者は、先代を送る喪主になって一人前。親の葬儀は自身を大きく変える機会でもある。

 彼は、きっと大きな自信をもっただろうが、「自身」の「自信」に「地震」という予期せぬハプニングもあり、また、忘れ得ぬ葬儀の体験となった。

 それぞれのメンバーたちがそれぞれの地へ帰って行った。どうにもならない仕事で東京や九州に一番列車で帰った人もいたが、葬祭業とはそんな宿命を背負った仕事でもある。

 お客様のご不幸に接するサービス業だが、自分の身内の葬儀には複雑な思いも生じるが、プロとして、お客様にも、そして自身にも心残りが発生しない葬儀を心掛けたいもの。

 彼やスタッフ、そして弔問に駆けつけたメンバーたちの明日に、この葬儀が大きな転機となってくれるような気がしているが、ちょっと、お疲れモードで帰阪。ここでエンターボタンとさせていただくが、10分ほど日付がオーバーしてしまった。お許しを。

2003/09/25   名古屋にて   NO 557

 未明にお寺様からお電話を頂戴し、檀家総代さんがご逝去されたと伺った。

 葬儀は、明日。私のスケジュールがどうにもならない。弊社が加盟する協会メンバー会社の合同葬で、どうしても大阪の地を離れなければならず、お寺様と総代さんに申し訳なくて仕方がない。

 総代さんは、古くからえにしをお結びいただき、過去にご伴侶の葬儀を担当申し上げたことがある。

 その際、市外のお家に夜遅く参上して打ち合わせをし、明るくなって外に出て、ふと目に入った看板を見て驚いた。そこは、大手葬儀社の支店のすぐ裏側だった。

 葬儀は市内の大きなお寺で行われたが、輪袈裟を身に着けられた上品なお姿が印象に残っており、心からお念仏を唱えながら手を合わす。

 来月は、多くの講演の予定が入っている。最近、HPの関係からだろうが、「司会やホテル葬のセミナーがあったらお知らせを」というメールが多くなってきた。

 「何れ、開催をしなければなりませんよ」とスタッフが言うが、来る何月何日というスケジュールは、私の仕事に最大のプレッシャー。「明日、30名の司会者が集まります。出来たら講師を」なんて言われたら歓迎だ。

 昔から皮肉なことに、大規模な社葬やホテル葬があると重なってしまう。そこで不思議なことがある。そんな時に限って「葬儀を」と依頼があるお寺様が数人おられるし、地域も遠方というケースばかり。それは、私へ与えられた試練なのかも知れないが、最近、特に体力の限界を感じ出している。

 本番の日が近づくと、その方々のお顔が浮かんでくる。<どうぞ、お電話がありませんように>と祈りながら日々を過ごすが、これまた不思議なことに、本番が終わると同時にお電話が入ることも少なくない。

 ある時、九州の葬祭式場で密葬儀を担当していた。密葬といっても参列者が700人。神経を遣いながらご出棺を見送ったが、その1分後に携帯電話がブルブル。猛烈な疲れの中で電話に出ると全国的に著名な方のご訃報。それもまた、新幹線の大移動。そこから1週間で、新幹線を5000キロも利用した思い出がある。

 もう、そんな無理が出来ない初老の身。ゆっくりと手作り葬儀をと考えながら、発想してきたオリジナルなサービスを「かたち」にしろとスタッフに命じているが、最近、時間への焦りが強くなったよう。

 それが、血圧の影響でなかったらと念を入れ、医師に処方いただいた薬を服用している。

 今、名古屋でこの原稿を打っているが、今日の名古屋は「癌学会」の影響で何処のホテルも満杯。定宿を押さえることが出来ず、名古屋のメンバーがやっとヒルトンを取ってくれた。
 
 夜遅くにチェックインし部屋に入ったが、ロスアンゼルスとサンパウロのヒルトンで体験したことを懐かしく思い出した。何れ紹介するが、この話は本当に面白い。是非、お楽しみに。

 通夜が終わり、明日はいよいよ合同葬。リハーサルのために車で迎えに来てくれるそう。遅れないようにアラームをセットし、おやすみなさいを申し上げる。

2003/09/24   失礼申し上げました。   NO 556

 葬儀に関するセミナーや講演で、意外に受ける話を紹介しよう。

 クリスチャンでの「神父さん」「牧師さん」の敬称がややこしく、咄嗟に声を掛ける場合に間違ってしまうことがある。

 カソリックは「神父さん」。プロテスタントは「牧師さん」と丸覚えをしていても間違うのだから始末が悪い。

 そこで、新人スタッフに「プロボクシング」と覚えろと教えている。「プロ」と「牧」とつながれば、尊称の誤りが未然に防げることになる。

 さて、先日、ある牧師さんとお話している時、大きな反省をすることがあった。

 「次回、来月にお会いする日を決めておきましょう」ということで、私は、次のようなことを言ってしまったのだが、それは、失礼極まりない発言となってしまった。

 「来月は10月。日曜日はホテルや結婚式場で大変でしょうから、平日にいたしましょうか?」

 そこで、牧師さんのお顔が険しくなり、説教されるようなイメージで、次のように返された。

 「日曜日の午前中は、私が最も大切にしている時間です。いつも教会におり、来られるみなさんと大切なひとときを過ごすのです。ホテルや結婚式場に出張しておられる牧師さんには失礼ですが、教会に属する牧師となれば、それは不可能なことなのです。ご理解いただけますか?」

 私は、しばらく返事が出来ず、失礼なことだが牧師さんの目から視線を外し、自分の足元を見てしまっていた。

 それは、浅はかな自身を呪う仕種でもあり、それからすぐに「初めて知ったことです。失礼を申し上げました」と謝罪した。

 若い人たちには、クリスチャン形式のブライダルに人気があるが、果たして神父さんや牧師さんの異なり、また、カソリックとプロテスタントの意識なんてあるのだろうか?

 そんな疑問を感じながら、冒頭の「プロ」「牧」のことを思い浮かべた出来事となった。

 来月、あるお寺さんから仏前結婚式の手伝いを頼まれている。これまでに20回ぐらいの体験があるが、献花や焼香に数珠の交換などがあって、なかなか厳かな結婚式でいいものである。

 家と家が結ばれるという発想が希薄し、人と人が結ばれる個人主義が潮流となっているが、神でも仏でも「尊前」ということを大切に考えたいもの。出来たら「本物」の前で誓うことが出来たらと思っている。

2003/09/23   医療従事者と葬儀社    NO 555

日本ライフ協会のコラム「有為転変」について、2001年1月22日からスタートと書いたが、協会のメンバーたちから「間違っています」とお叱りを受けた。

 2002年1月22日の誤り。ここにお詫び申し上げ、訂正いたします。

 ついでにと書いたら、また叱られるだろうが、今日の「有為転変」601号には、協会の副理事長の言葉が記載されてあり、葬祭業に従事される方には、本当に「必見」なので是非、ご訪問くださいませ。

 副理事長は、随分前から「悲嘆」や「癒し」について研究され、外国まで何度も研鑽に行かれた人物。メンバーたちに、早くから聖路加国際病院の日野原先生のご存在を教えられ、医療に於ける臨終時での研究や、葬祭業のサービス心理学を説かれていた。

 日野原先生は、学生時代に10ヶ月間入院されたことがあり、その時のご体験が今の「癒し」という医療行為につながっておられるとのこと。

 20年以上も前から「音楽療法」も導入され、若い頃には音楽家を目指されたこともあったという日野原先生。92歳を迎えられても現役医師としてご活躍。結成された「新老人の会」の活動にはカルチャーショックを与えられたが、メンバー一同が心から尊敬申し上げる偉大な先生である。

 さて、今月は、月末までスケジュールがいっぱい。久し振りにやって来た孫の相手も出来ずに残念だが、自身の現在の立場と責務を考えると止むを得ないこと。手帳に記載された事柄を日々に全うしていかなければならない。

 明日は、北海道からの来客があり、長時間の打ち合わせとなるだろうが、次の日から東海の地で行われる大規模な合同社葬。ここに全国から協会のメンバーたちがやって来る。

 施主となるのは、当協会のメンバー。故人と喪主が僧籍を持するところから、仏教行儀に則った厳粛な通夜と葬儀式が行われるが、告別式は無宗教形式による「慈曲葬」。

 そんなところから、現在、プロデューサーや司会者たちが式次第を構築中。

 朝から東京や名古屋から何度も電話があり、最善の「かたち」を追求する打ち合わせが行われている。

 葬儀のプロの葬儀、そこで心残りが発生すれば最悪。それだけはないように進められることを願っているが、会葬者の予測人数が普通じゃない。そこに生まれる物理的な問題に懸念があるが、台風の影が見当たらずホッとしている。

 「ホッと」で思い出したが、我が協会の四国のマドンナ「おかざき葬儀社」さん。彼女が発信されていた「ほっと一息」が先月14日から更新されておらず、みんなが<インターシップで多忙だな>と思っていたら、さにあらず、パソコンが不可思議な「病」に侵され入院中とのこと。パソコンに長けた彼女が手を焼いたというのだから、よほど悪性のウイルスだったのだろう。

 1日も早く回復され、美しい画像と文が見られますよう願っています。

2003/09/22   ホテルの仏事サービス    NO 554


 2001年1月22日に始まった「日本トータライフ協会」のコラム「有為転変」が、今日、600号を迎えた。

 協会の若いメンバーたちを中心に、コラム委員会が組織され、ほぼ毎日更新を続けてきた。

 今日の号では、ホテル専属の司会者が、ホテルで行われた法要で言葉を滑らし、お寺様からカウンターパンチのようなお言葉を頂戴した始末が書かれてあった。

 バンケット部門を有するホテルの大半が始められた「法宴サービス」、これは、そんなところに意外な落とし穴があるという教訓でもあろう。

 「法要は『お寺か自宅で』。お食事だけ当ホテルをご利用ください」

 そんな姿勢で始まった「法宴ビジネス」だが、「披露宴だけホテルで」という、ホテルブライダルの始まりに全く似ている感を覚える。

 神主さん、牧師や神父さんを迎え、ホテルの中で結婚式そのものが行える。ならば法要も「お寺さん」を迎えようではないか。そんな単純発想でサービス競争が始まっているが、お経の長さや焼香という問題で歓迎したくないのが本音。しかし、その最たる要因は、宗教や宗教者に対するノウハウがないということ。

 一方で、ホテルは葬祭業者との提携を避けている。それは、どんな大規模な葬儀社でも同様で、ホテルステータスのイメージダウンが怖いのと、自社側利益を第一に考えてしまうこと。

 私が多くのホテルで歓迎されたのは、総合プロデューサーという「看板」。ホテル側の一員としてお客様に接し、満足度の高いオリジナルなサービスを提供する。その結果、そこに生まれる付加価値が代価につながり、お客様とホテルの両者が喜ぶことになる。

 プロデューサーの仕事で大切なことは、この部分。即ちキャスティングで、泣かせる立場をつくらず、関係者すべてを喜ばせる配慮が売り物のサービス業。

 ただ、例外に泣かせてしまう分野もある。それは、ホテル専属のフラワー会社。祭壇をハードと捉える姿勢では、ホテル空間は売り物にはならない。そこで厳しい姿勢で接するが、応えてくれたフラワー会社は確実に成長している。

 ホテルは、環境空間が売り物の筈。広大なバンケットルームに、「物」でしかない祭壇を設置し、ただ集まる「会」を提供している。これではレンタルルームのサービスレベル。この姿勢が続けばホテル社葬が消滅するし、社葬そのものが世の中で行われなくなるだろう。

 そこで主流となるのが、本当の意味での偲ぶ会やお別れ会。その時に、熾烈なホテル戦争が始まり、生き残るのはソフトを有するホテルのみ。ここに「体感にまさるものなし」という現実を背景に、お客様が選択される時代に突入していくと予測している。

2003/09/21   憎まれ役    NO 553

 100歳の方の葬儀を担当した時、ご家族が近所の方々に赤飯を配られ、ご出棺時、喪主さんが「末広」を広げられて謝辞をされたことがあった。

 こんな葬儀に比べ、若い方、特に子供の葬儀は、映画やテレビの悲劇のドラマどころではなく、葬儀に携わる誰もが担当したくないのが本音だろう。

 葬儀社とは、本当に弱い立場。時には、憎まれ役を買って出ることもある。

 「**町会の**ですが、**丁目のAさんの葬儀が入っていませんか?」

 そんな電話が朝に掛かってきた。相手は、地域の役員さん。「どうも、Aさんの家の様子がおかしいので」と説明され、数日前から入院先の病院で危篤ということも知っておられた。

 007のことを思い出し、<こんな情報感知が地域の防犯に役立てばいいのに>と思いながら、「承っておりませんが」と答える。

 しかし、それは、嘘。Aさんは、深夜に逝去され、ご家族の要望で式場に直行。生前の意志を尊重して「家族葬」という打ち合わせで進んでいた。

 夜中の3時、ご家族を車に乗せ、スタッフが布団運びのお手伝いにご自宅に行くが、社名のない車はもちろんのこと、制服を脱いで私服。それは、まるで隠密行動。

 朝方に帰社したスタッフが、「なんでこんなに気遣いしなければいけないのでしょう? お客様の自由なのに」とぼやいている。

 町の方は、そんなことを考えていないのが普通。中には恐ろしい役員さんもおられ、「誰に断って葬儀をやっている」と、悲しみのお家に怒鳴り込んできた御仁もあった。

 我が国は、葬儀という世界にあって、まだまだ文化国家ではない。「班長さんに挨拶がなかった」「町会に無断で葬儀の時間を決めた」なんてクレームが少なくなく、本当の意味での自由葬の時代は遠い先のこと。

 「この町で、そんな葬儀をやったことはない。通夜で接待の酒ビールが出ないとはどういうことだ」

 そんな抗議も出てくるし、時には予算まで口出しされる人物もいる。

 ご家族の希望される葬儀の完遂には、憎まれ役を覚悟しなければ決行出来ず、いつも町の役員さんと喧嘩をやらかす私。「変な葬儀屋」という称号もいただいているが、それは、私と「高級」という社名の勲章であると誇りに感じている。

 「人は、悲しみを体験することで必ず他人にやさしくなれる」という名言があるが、葬儀は、喪主を体験されて初めて知られることが多い。

葬儀社は、町の有力者の言いなりになるのは当たり前。それだけ弱い立場にあることも事実。だが、遺族側の立場で行動するのがプロの仕事。これからも、どんどん憎まれ役を買って出よう。それも企業理念のひとつかも知れない。

2003/09/20   時期はずれのお返し   NO 552

 台風の影響だろうか、雨脚の強くなる中、遠方の葬儀の式場に向かっていた。

 長い信号で有名な交差点、そこで停止すると携帯電話が鳴る。相手は、式場にいる女性スタッフの責任者。慌てた様子で「早く到着を」と急かされた。

 スケジュールの都合で私が式場に到着するのは、開式15分前頃。彼女の報告によると予定外の資料を頂戴し、緊急にナレーションを創作しなければならないとのこと。

 助手席にいたスタッフに電話を代わり、走行中におおよその内容を伝えてもらう。

 今日のこの葬儀、どうしても彼女にナレーターを担当させたい。私がやればアドリブで可能だが、そこまでは、まだ育っていない。シナリオを読ませたら合格点でもアドリブは危険過ぎる。

 そこで、開式後、導師が焼香されるまでの14分で打ち込むことにした。

 原稿は、何とか間に合うことになったが、私も慌てていたようで、チェックを始めた彼女から、「間違っています」と指摘された。

 その部分、実は、パソコンの打ち込み中に横着をしたところ。過去の原稿をコピーで貼り付けたのはいいが、男性、女性のバージョンが入れ替わっていた。

 よくぞ気付いた?と手直しを済ませ、やがてナレーションが始まった。

 意外に落ち着き、うまく語っている。このお客様、最初からすべて彼女が担当しており、<自分がやらなければ>という強い思いがプラス作用になったよう。ここまで来れば余裕が生まれる。半年後には急激なレベルアップとなる筈だ。

 さて、隠れ家に戻って約束していた4人の来客を迎え、暗くなる頃まで時間を過ごしたが、この間に、私がどうしても担当しなければならない明後日の葬儀が2件入っていた。

 1件が遠い式場。当日は、またぎりぎりの時間掛け。交通事情を考えると、数分前に式場到着という綱渡りの危険性がある。最近、不思議と遠方が多くなってきているが、今日のような単純ミスを犯さないように気をつけよう。

 マンネリの中で発生するミスほど始末が悪い。「基本」と「初心」を忘れず真剣に取り組むように心掛け、1回限りの大切な儀式に接したい。

 今日、来社された業界で有名な女性司会者さんに、隠れ家に設置された音響システムで「司会」と「司式」の異なりを体感いただいたが、明日からの仕事に何かが得られたらと願っている。

 遠いところからの来社。お土産に私の秘蔵の原稿を1枚プレゼントしたが、それは、毎年プレゼントくださる義理チョコへのお返し。男は、義理チョコに弱いもの?

2003/09/19   幼少時代の記憶    NO 551

 前日の「号数」誤記から訂正。同日発信となりました。

 13人の孫さん、14人の曾孫さんたちに送られるお婆ちゃん。享年94歳。1910年、明治43年生まれのお方だった。

 ナレーション創作で年表を見ると、ロンドンで開催された日英博覧会、白瀬中尉「南極探検に出発」と表記され、社会状況には「ハレー彗星が地球に最接近。暗い噂が飛び交っている」とあった。

 孫や曾孫の多いお葬式。それは、我々葬儀社にとって、家族の絆を感じる場。私の得意分野である「命の伝達式」が決行される。

 「は〜い、お孫さん、曾孫さん、全員集合してください」

 そこから始まる数分間、それは、大切な葬送の意義が生まれるひとときと自負している。

 企業秘密でここまでしか表記出来ないが、これまでの体験から、これが、我々「葬儀<者>」の仕事だと確信している。

 今晩、遠方でお通夜が行われるが、立派な祭壇なのに10数人で送られる。いわゆる家族葬形式という部類に入るが、こんな葬儀が増えてきた。

 さて、幼い頃の葬儀の体験とは、どの程度が意識に残るものなのだろうか? 大勢の人がいたぐらいは残るのだろうか?

 私は、3歳の時に行われた親父の妹の葬儀のことを、薄っすらと記憶している。

 母が泣いていた。いっぱい人がいた。大きな自動車がいっぱい並んで走った。

 たったそれだけであるが、「ここへ来たらお終い」という、火葬場で誰かが言った言葉を不思議に覚えている。

 その時から中学生になるまで、そこが自分の中で「怖い」という秘められた世界ともなっていた。

 葬儀という仕事に携わり、これまで1万数千回も火葬場に随行した。そこで学んだこと。それは、「終わりよければすべてよし」と「後悔なき人生を過ごす」ということ。

 誕生からではなく、死の瞬間から遡って自身の人生を省みる。そこで残された時間をどのように過ごすかということに気付かされるが、これらは、受付からではなく、お帰りになるお客様の後ろ姿から考えようという、弊社の企業理念にもつながっており、不謹慎な比喩で恐縮だが、ゴルフの18番をホールアウトした時の思いにも似ている。

 「思い出を『形見』に」という様々なオリジナルサービス。それらは、今、少しずつ、スタッフたちが「かたち」として具現化しつつあるが、オープン化していない多くの発想。それが生きている内に「かたち」になるかだけが心配である。

2003/09/19   お疲れモードの中で    NO 550

 今日の葬儀が行われた大阪市立斎場「天空館」に向かう車の中、途中の交差点で、ふと見ると弊社の男性社員が立っている。

 手に矢印のついた大きな式場案内看板を持ち、電柱に立て掛けているところ。それは、今日のお通夜が行われる式場の近くだった。

 昔、警察関係者に伺ったことがあるが、案内看板は道路交通法違反となるそうで、厳密に言えば、自宅で葬儀が行われる際、入り口に立てられる提灯さえも違反という。

 それから考えると、関西特有の「シキミ」や一般的な「花輪」なんて立派な違反となってくる。

 では、警察に届けて許可を願う? そんなことをすると、「迷惑を掛けないように」というアドバイスだけで暗黙の了解となっているようだ。

 ただ、参列者の多い葬儀の場合、交通渋滞を引き起こす問題や参列者の安全を考慮し、数人の警察官が整理を担当されるケースもあるが、最近では警備会社のガードマンがその役割を担うことが多くなってきた。

 こんな場合の警備員、男性には申し訳ないが女性の方がソフトで、渋滞軽減に効果があるよう。これは、実際にその場で確かめてみればすぐにご理解されるだろう。

 さて、今日の葬儀の式場「天空館」だが、認知度がアップして人気が高まり、なかなか使用申し込みが難しくなってきた。

 この夏場だけでも7件のお客様が取れなくて別の式場となり、2件の方には1日延ばしていただくことになった。

 そんなところから、今日のお客様は不幸の中でただひとつの「幸運」ということになるだろうし、火葬場への往復の車中で、そんな会話が交わされた。

 夜、明日の葬儀の通夜を担当してきたが、会葬者が多いこのお客様、故人がお世話になられたケアホームの方々が車椅子数台で来られ、その時は、段差の事情で焼香をされる場所の変更を行った。

 そんな裏側でプライベートなこと。今日の夜、久し振りに孫がやって来た。
通夜の関係で空港に迎えに行くことが出来なかったが、何事も本業優先というのが長年の歴史。通夜や葬儀は相手様にとって1回だけのこと。互いの心残りは避けるべき。そんな仕事上の宿命は、いつも家族を泣かせてきた。

孫が成長し、大きくなる。それだけ自身が老けていくことを知る。

何れ、私の葬儀に、この孫が花束ぐらいは供えてくれるだろうが、「おじいちゃん、ありがとう、さようなら」という手紙。それを漢字で書くことが出来る頃まで、この世に執着したいと願っている。

2003/09/17   追憶ビデオと人生表現    NO 549

 通夜に出掛ける前、有名なホテルのバンケット責任者から電話があり、「明日に何とかアポを」と懇願されたが、明日のスケジュールは大変な状況。とにかく用件をと15分ぐらい話すことになった。

 丁重な言葉遣い。恐縮しながら拝聴していたが、それは、弊社にとって難しい問題。アドバイスをしながら、その方の苦悩が痛いほど伝わってくる。

 数日後にホテルで「偲ぶ会」を受けておられるとのこと。打ち合わせの時、故人を偲ぶ追憶ビデオの制作を依頼され、出入り業者である映像会社が創作し、確認のためにお客様に届けたところ、「こんなのじゃない」と言われ、やりなおしということになったそうだ。

 「ナレーションは、生で語ってくれるの? 取材がまだだけど、今から間に合うの? BGMもイメージが違うし」

 そんなやりとりがあり、改めてご要望を伺ってみると、別のホテルの法要で体験されたビデオと全く異なることが分かり、ホテルに尋ねる訳にもいかず、その法要の施主さんに確認されることになった。

 そこで分かったこと、それは、ビデオに「人生物語」のナレーションが入っていたこと。BGMだけのビデオでは納得をされず、ビデオケースに印字された制作会社を確認されたら、そこに弊社の社名があったという。

 「お願いした時、『当ホテルでも制作可能です』とおっしゃったでしょう。だからお願いしたのに」

 そんなお客様のクレームに返す言葉がなく、止むを得ず弊社に制作依頼がきたのである。

 残念だが、この依頼に対応することは不可能なこと。弊社はビデオ制作会社ではないし、それで売り上げを求める考えもなく、これは、弊社をご指名いただいたお客様にだけ提供するオリジナルサービス。

 今回も「体感に勝るものなし」という実例になるが、ホテルの担当者さんの落胆振りが伝わり、心から気の毒だと同情している。

 ここで、お考えいただきたい。ご遺族から人生を拝聴し、一枚一枚の写真の思い出話を伺いながら取材をする。それを起草してビデオ映像の秒数に合わせてナレーションを吹き込む。ナレーターは男性、女性のコンビバージョン。そんなビデオが取材終了から約2時間で完成する。
 
 それは、弊社のオリジナルであり、他社に出来ないから「ソフト」と呼ばれるもの。

 原稿創作費、映像制作費、ナレーターのギャランティ、BGMの著作権使用料、録音スタジオ使用料など、外注したらそれこそ大変な負担が強いられる。それが弊社内ですべてが可能だから信じられない価格となるが、私は、価格の競争なんて一切考えておらず、完成度の付加価値とスピードにすべてがあると思っている。

 午後の3時に資料があれば、その日の通夜に放映が可能。このシステム構築には、様々な分野のプロのバックアップがあり、心から感謝している。

 最近、多くの映像会社が、フォトビデオのビジネス展開をされているが、ナレーションが挿入されている場合、その大半が「虫食い」バージョン。故人名と死亡の日時だけを吹き込み、後はすべて同じ内容。

 少しグレードアップされたものでも、季節言葉の異なりや男性向けと女性向け。一段上質で60代や70代という年齢対応形式。弊社のビデオとは格段の差がある。

 「追憶ビデオをお願いします」と依頼され、「かしこまりました」と受注されると、解決の難しいクレームが発生するという典型的な事例となろうが、その被害者にはなりたくないと研鑽を続けている。 

2003/09/16   道頓堀と『涙』    NO 548

 毎日、全国で多くの方々の葬儀をメンバーたちが担当している。100歳の方もあれば0歳の赤ちゃんもある。

 死は、すべて悲しいものだが、幼い子供の葬儀は、式場から逃げ出したくなるほど悲しいもの。その前にしなければならない打ち合わせなんて、もう、たまらない残酷な世界。

<逃げたらもっと悲しくなる。遺族の悲しみを考えろ。後悔することになるぞ>

 そんな思いで耐えながら共に涙を流し、当日にマイクを握っているが、火葬場に着いて大きな台車に乗せられたかわいい柩。それを目にしたらきっと人生が変わると思う。

 メンバー専用掲示板の中に、そんな思いを綴った書き込みがあったが、これらは葬儀に従事するものの宿命。

 「辛い思いをしただけ他人にやさしくなれる」という言葉があるが、それを心に齢を重ね、いつしか自身が送られることになるが、葬儀社とは葬儀<者>なのである。

 朝から、今日の葬儀のナレーション原稿を打ち込んでいたが、ふと、側を通ったスタッフから、「社長が死んだら、誰がナレーションを創るのですか?」と言われ、ドキッとした。

故人の年齢は、私と変わらない。子供や孫の年齢もまったく似ている。自身が送られるようなイメージでマイクを担当することになった。

さて、冒頭に書いた幼子の死の悲しさ。「お母さん、私が死んでも泣かないでね。悲しまないでね」と言って、先天的な病で死を迎えた少女の悲しい葬儀の話を読んだ。

 こんな悲しいドラマがあるだろうか? 道頓堀に5000人以上の人が飛び込む裏側で、そんな現実もあるのだ。

 生きていることは素晴らしいこと。でも、生かされていると考えたら、もっと人生が変わるかも。生きている喜びを表現することも素晴らしいことだが、世の中に悲しいことがいっぱいあることも考えたい。

 涙の成分が血液であることを、メンバーから教えられたことがある。赤い血液が透明になるまでのプロセスに秘められたもの、それは、まさに「命」のドラマ。

 人は、喜び悲しみに涙を流すが、涙が自身の「生」を守ってくれる大切なものだと知った。

 タイガース優勝。歓喜の涙の光景が報じられていたが、折角生まれた透明の涙を、道頓堀で汚してしまうのが勿体ないような気がするし、生きている内、澄んだ涙が流せる自分でありたいと願う今日の日だった。

2003/09/15   儀式にパックとは失礼だ     NO 547

 数日前の新聞の人気4コマ漫画に、「オーダーメイド」をテーマにしたものがあった。
 
「生涯、既製品で通した人生」 「オーダーメイドは1回だけ。それは、入れ歯」
 そんなストーリーだったが、この漫画を見て思い出したことがある。

 これも数日前だが、テレビで葬儀のことが放映され、その中で「葬儀もこれからの時代は、ビジネス戦略で全国展開」なんて、若者が発言していた。

 その人物、地方の葬儀社の後継者だそうだが、「親父が古いので・・・」というコメントもあった。

 この若者、弊社が加盟する日本トータライフ協会の若いメンバーたちとは、180度考え方が異なっている。

 メンバーたち誰もが「そんな考え方」を否定している。なぜなら、冒頭のオーダーメイドではないが、人生最後の大切な儀式を、「建売住宅」を販売するような姿勢で接してもらいたくないということ。

 「既製品ばかりの人生でした。そんな父を、最後にオーダーメイドで送りたいのです」

 弊社のお客様には、そんなお言葉が多く、「次の方、ご案内」というようなビジネス感覚はまったくない。

 家を建てる時のことを考えてみたい。家族の背の高さは? 家族構成は? 交際範囲の大小で応接スペースも? 将来は核家族? 2世帯の予定は? バリアフリーは?

 中には、「風呂だけを立派にしてくれ」とおっしゃるケースもあるだろう。

 それを業者側のペースで勝手に組み上げた「建売型」では、絶対に満足に至ることはない筈。

 今、葬祭業界に、そんな低次元な発想でビジネスに走る組織が増えてきたが、いつの間にか消え、また、名称を変えて行動しているケースも目立っている。

 葬儀に無駄な経費を掛けることは愚かなこと。虚栄も限度を超えると嘲笑される。だが、業者は煽ってもブレーキを掛けることはしないもの。

 こんな建売型システムの葬儀、その裏側に「無駄」が秘められていることを知るべき。考え方によれば、「10万円です」と言っても高い買い物。それだけの値打ちがないから。

 当協会のメンバーには、「手作り葬儀」の名人が多い。高知県の「おかざき葬儀社」、東京の「杉田フューネス」「井口葬儀店」、北海道の「室蘭市民斎場」「苫小牧市民斎場」、九州の「落合葬儀社」、神戸の「公詢社」などもその仲間だが、他にも多くのメンバーが存在し、彼らは人生最後の儀式に対して真剣に取り組み、「ビジネス」なんて発言したら除名される非営利組織。自身の仕事に誇りの持てないテレビの若者を哀れに感じていただろう。

 葬儀は、最後の親孝行の機会とも言える。そんなチャンスにセットやパックとは申し訳がない。そんな思いも弊社の理念。パックやセット料金は、業者に都合のよいシステム。ご遺族とのコミュニケーションを大切にすると、どうしても「手作り葬儀」になってしまう。

 残念なのは、葬儀社だけではなく、ホスピタリティを売り物にするホテル業界も、そう。

 ブライダルで大失敗したパックやセットを、今、法要から社葬まで売り出している。ホテル葬サービスは、スイート、ツイン、シングルのようにお客様が選ぶ「部屋」ではない。その人生をいかに尊重して表現するか、その高度なサービス姿勢こそにホテルの意義があるのでは?

2003/09/14   若女将のサービス     NO 546

 最近の独り言に、「東京からです」「九州のホテルです」などの表記がないのにお気付きでしょうか?

 日記のように誤解されると、「今、東京ですね。お時間いただけませんか?」と、その地の関係者から携帯電話が入ってくる。

そんな問題が浮上し、なるべく記載しないようにしている。

 来月から品川駅の完成で大幅な時刻表改正が行われ、「のぞみ」が多くなることは便利なこと。頭の中に「のぞみ」の時刻表をインプットしたのは言うまでもない。

 私は、時刻表試験に合格可能と自負する時刻表マニア。全国の在来線特急列車までなら入力されている。しかし、パソコンの登場は、そんなマニアックな世界に一抹の寂しさを覚えさせた。入力すれば一瞬にしてすべてが見られる。おまけに接続列車や料金まで出てくる。

 しかし、機械にばかり頼っていたら老化が早まる。人生黄昏は、囲碁の本、月に1回のゴルフ、月刊誌の時刻表の愛読だけは続けたいと思っている。

 過去に書いたが、『みどりの窓口』で「それ、乗り継ぎ料金になる筈では?」などと、何度か発券変更をしてもらったこともあり、「発券」の際の「発見」がマニアの楽しい世界でもある。

 他府県から講演の依頼を頂戴し、電話を代わる。会場がホテルなら「1時間前に、直接参ります」で済むが、文化ホールや公民館などの場合、必ず確かめているのが最寄り駅からの所要時間。それだけで、「特急**で行きます」まで伝えることが可能。それは、すぐに相手に親近感が生まれる効果があるので役立つ。

 地方へ行くと、地元を走る特急列車の愛称に、特別な愛着を抱いておられることを感じるもの。そんな思いが親近感につながるのかも知れない。

 さて、この「独り言」のお陰で「得」をすることが起きた。

 著名な温泉旅館、部屋で夕食時にパソコンを叩いていると、仲居さんが「ここまで来られてお仕事ですか?」と言われ、「道楽の日課で『独り言』をね」と答えた。

 次の日の朝食、若女将さんがやって来られ「拝見しました」と言うのでびっくり。仲居さんから聞かれ、宿泊名簿に記載した名前を検索したら「あった」ということ。

 「珍しいお仕事をなさっておられるのですね?」

 その言葉が面白い。一般的に「葬儀社」であることを知られると、「よいお仕事ですね?」「大事なお仕事に」「立派なお仕事を」なんて表面的賛辞型形容詞?が返ってくるもの。それが「珍しい」とはユニークではないか。

 きっと初めての職業で形容詞に困られたと推察するが、頂戴してきた予定外のお土産を有り難くいただきましたことを報告申し上げ、上品でチャーミングな若女将さんに感謝の合掌をいたします。有り難うございました。

2003/09/13   常識論争    NO 545

 帰社するスタッフたちが、その日に担当した仕事のことや、次の日に申し送ることをしたためた日報の存在があるが、ふと目を通すと、珍しく「別紙追伸」というのがあった。

 書いていたのは、HP内の「わが社のスペシャリストたち」に登場している若いスタッフ。

 彼は、休憩時間に10分ほどインターネットを開けたそうで、そこで出てきた事実を知って寒気がしたと綴っていた。

 自分のことがHPに載っている。そのページがどれだけの人に開かれているかと興味があり、ヤフーで検索してみたらトップにあって「ギョウテン」したとのこと。

身体の大きな彼、「心臓が止まりそうでした」と大袈裟な表記をしているところが彼らしい。

確認してみると、軽い気持ちで検索したという。

 検索した語句は「葬儀 スペシャリスト」。それがトップに登場し、続けて「司会 スペシャリスト」「社葬 スペシャリスト」とやってみたらトップ。ついでに「スペシャリスト 独り言」をクリックしたらトップ。

 「私は、恐ろしくなりました。もし、お客様がこの事実を知っておられ、「君がスペシャリストか?」と言われたら『どうしよう』と思っています」

 そう結ばれてあったが、『独り言』が「ついでに」とは失礼ではないか。

 リニューアル発信されてから今日で1ヵ月半。信じられないほど多くのアクセスを頂戴しているが、彼の寒気以上に私が身震いしている今日この頃。

 そんな時、彼とIT担当者のやりとりが始まった。

 「心配しないで。スペシャリストのページは少ないわよ。スペシャリストの**君のページを開かれた数は、先月、いったい、幾らだったでしょうか?」

 「う〜ん、1500?」

 「1日に50回という考え? それだったら検索で引っかかることなんて絶対ないでしょう。常識で考えなさいよ。いい? 発信した月初めは少なかったけど、月末には、2000を超えていたわよ」

 「じゃあ、僕の言った常識の範囲内でしょう?」

 「どこが常識なの? 非常識も甚だしいわよ。いい、1日の数がそれだけということよ」

 それを聞いた彼、顔が引き攣っている。書いていた恐怖感が何倍にもなったようだ。

 そんな彼に、彼女が追い討ちを掛ける。

 「コラムのページなんて、信じられない数字よ。ということは、あなたのページも増えていく訳。スペシャリストらしく、しっかりしなきゃダメよ」

 私は、これは、一時的現象であると思っている。スタートしてから、もう10万以上のアクセスなんて異常な数字。今後はダウンしていくだろうが、スタッフの自覚につながる機会になったことが何よりと感謝している。

2003/09/12   空飛ぶ水冠     NO 544

 「秘める」べきか、「オープン化」するべきか、そんな悩みを抱いていたことがあった。

 それは、「NO 516」で書いた素晴らしいホームページの存在のこと。遠い北国から女性が発信される「空飛ぶ水冠」とタイトルされた貴重な世界である。

 弊社が加盟する日本トータライフ協会のメンバー達には、メンバー掲示板を通じて知らせていたが、この「独り言」でアドレスのオープン化を躊躇ったのは、そのページの中に私のことが書かれてあったから。

 <ああ、恥ずかしい。穴が・・・>

 そんな思いを抱きながら今日まできたが、やはり、いいものは「オープン化するべき」と決断し、アドレスを表記申し上げますので、是非、ご訪問くださいませ。

 「水冠」とは、高僧が重要な儀式で着用される帽子のこと。詳しくはページをご覧いただけますので割愛いたしますが、このページは、「法具の部屋」「法衣の部屋」を中心に、専門的ながらやさしく解説された研究ページ。そして、問題のコラム「迷いの窓」もある。

 そんなタイトルから私も迷っていたのだが、というと、それは、嘘。

躊躇した本音は、彼女の文章力。

こんなの、私には到底書けない。感性、信念が伝わってくるし、「面白くて楽しい」とも言える内容。

 仏教と深く関わりのある我々葬祭業。そこに従事する人達には「必見のページ」として推薦申し上げる。

 ただひとつだけ心配がある。「NO 516」にも書いたが、アドレスに難しい記号があり、間違いなくアドレスが打ち込めるかということ。

 もしも駄目だったら、必ず明日、弊社のスタッフに命じ「号外」としてお知らせ申し上げますのでお許しください。

 いつも書いているように、私は、パソコンで文章を打ち込むことしか出来ないのです。それだったら「勉強しろ」とも言われますが、機材と名のつくものは音響機器以外、まったくダメ。説明書に目を通すだけでも頭痛が伴うのです。

 そんなところから、うまくアドレスが表記できますように、つながりますようにと祈りながら、エンターボタンを押してみます。


『 空飛ぶ水冠 』

http://www5e.biglobe.ne.jp/~e-kaori/

2003/09/11   宿  題     NO 543

 アメリカの同時多発テロから2年が経った。現地時間との時差を考えながら手を合わす。

 日本的に言うなら、3回忌。今でも世界中で悲惨な争いが続いているとは悲しいこと。人間とは愚かな動物と社会学者が書いていたが、さぞかし神仏が嘆かれていると思ってしまう。

 そんな3回忌の日、私は、気掛かりとなっていた「宿題」をやった。

過去にホテルで通夜と葬儀を行われたお客様から、先代のご法要にと、追憶ビデオの制作を依頼されていた。

このご法要は、50回忌。たくさんの資料やお写真をお預かりしたが、目を通すだけでも大変。なにしろ明治28年生まれのお方。当然、お写真はカラーではない。

ご家族がリストアップされたお写真を元に、映像編集は、すべて女性スタッフが担当したが、完成ビデオをチェックしていた別のスタッフがエンディング部分に「?」を感じ、編集変更を命じることになった。

放映時間は、8分間。ここにナレーションを吹き込まなければならないが、50回忌用となると簡単ではない。原稿創作が難しい。

そこで、明治、大正の時代背景を把握することから始めようと手持ちの年表を開いたが、残念ながら明治30年からしか記載されていない。

<こんな場合はインターネット>ということで、30分ほどあちこちのページを開いてメモをする。

明治27年に日清戦争勃発。故人が生まれた年には下関条約調印などと、歴史で習った筈のことを懐かしく思い浮かべながら構想を練る。

そんな時、お預かりした資料の中の新聞記事に目が留まった。それは、故人の葬儀が行われた日付のある昭和30年の朝日新聞と神戸新聞。

「街の義人 死後 善行明るみに」「覆面の義人 ついに分かる」「歳末の美挙 死ぬまで名を秘めて」

そんな見出しで大きく報じられている美談。そのすべてをここで書くことは出来ないが、見出しだけでも故人のお人柄がご理解いただけるだろう。

改めてお写真を拝見する。やがて、シナリオ構成が浮かんだ。

50回忌ということからも、人生物語を割愛し、「お人柄」を中心にした「命の伝達」をコンセプトに一気に書き上げた。

しかし、その結果、ナレーターと決めていた女性スタッフと相談し、私と2人バージョンで吹き込むことにした。

私のスケジュールの都合で吹き込みは、2日後。原稿をプリントアウトし、しっかり練習しなさいと命じておいたが、夢の中でナレーターをつとめている光景が出るようになれば合格だ。

2003/09/10   司会者泣かせ     NO 542

 最近のNTTさんの弔電は、バラエティーに富み過ぎている。

 縦書き、横書き、厚い薄い、右用紙に左用紙。中には、用紙が固定されていないのもあり、順に並べて代読する時、百人一首の『坊主めくり』より強い恐怖感を抱く。

 これは、ハンドマイクを好む司会者たちには極めて不評。しかし、これも現実。与えられたら代読をしなければならない。

 漆塗りの重くて豪華な弔電がある。聞くところによると5000円ぐらいもするそうだが、<無駄なこと>と思ってみても、弔電というものが「力関係」で下から上に送るもの。だからそれも仕方のないことだろう。

 1万人以上の方の葬儀で司会を担当し、いつも思っていたのが弔電を代読するという不可思議な式次第。肩書きの順に並べ、故人にまったくゆかりのない議員を先に読むなんて、いかにも日本的な慣習なのか?

 これは、送る側にも責任がある。簡略化と形式化に押され、定番となった文章内容。ひどい時には10数通も同文が並んでしまう。

 大切な取引先の葬儀に弔電を送る。そこで最も大切なことは「内容」。「順なら最後だが文章に感動した。トップに読んでくれ」と言われるような弔電を創作したいもの。

 義理的参列者が大半の葬儀。そんな中で義理的弔電が代読される。それも導師が重要な儀式を終えたクライマックスの時間に進められている。

 「弔電なんて、一般会葬者が焼香中に流しておきなさい」 そうおっしゃるお寺様も少なくないが、悲しみの遺族たちが内容評価で順を決定され慰められる。そんな素晴らしい弔電なら意義も生まれるだろうし、会葬者に楽しみ?も増える。

 大規模な社葬なら、1000通や2000通もある。どこの社葬でも順位で悩んでいる事実がある。

「どこで線を引くか難しく、困っているのです」「何通まで可能ですか?」

 そんなご質問を頂戴するが、「出来たらすべてを割愛され、ご祭壇にお供えされておかれたら」と返している。

 「弔電代読なし」、そんな社葬を何度も体験したが、参列者から賛同と歓迎されたことはあったが、「失礼だ」との不評やクレームは一度もなかった。

 近い将来、社葬の大半がホテルで行われることになり、無宗教形式が主流となってしまうだろうが、その式次第の中で「何を行うべきなのか?」。そこにプロデューサーと司会者のシナリオ創作力が求められてくる。

 過去に、社葬の意義を何より重視された「式」だけのホテル葬が行われた。弔辞と謝辞を含めて10名の方が祭壇前で語られる。参列者が「おやすみ」されて当たり前の式次第。それを「次は、何が?」という興味を抱かせ、時間を感じさせないテクニック。それには奉呈者一人一人のつなぎの時間に何をすべきか。

 そんなシナリオ構成が、プロの仕事で最も遣り甲斐のある世界でもある。

 そうそう、結びに、過去に書いた大切なことをもう一度。

弔電の中に「線香入り」がありますが、相手の宗教を確認されるべき。クリスチャン、神道、無宗教なら「非常識」になってしまうのです。

2003/09/09   ホテル葬 『松の廊下』    NO 541


 最近、弔辞に関するお問い合わせが多くなってきた。

 昨日の夜にも東京の方からお電話をいただき、弊社HP内にある「大百科」の存在をお知らせし、創作に関しては弊社が関係する東京のメンバーを紹介申し上げた。

 「弊社の社長が葬儀委員長をすることになりまして」
 「弊社の会長が弔辞を頼まれまして」

 そんなお電話の相手さんは、大半が総務担当者か秘書室長。中には草稿だけではなく、奉読される指導まで懇願されたケースもあった。

 重役が会葬に行かれる。そんな時、総務や秘書の仕事で最も重要なことは「恥をかかせない」こと。それには当日までの情報入手が大切。

 最近、ホテルでの「社葬」や「偲ぶ会」が増えたが、「平服でお越しください」との表記を真に受けられ、会場に行ったら親会社の役員が礼服を召されており、松の廊下の吉良家、浅野家の問題になりかかったという悲喜劇もあった。

 冠婚葬祭の挨拶に関する書物が山ほど存在しているが、今の社会は手っ取り早いものが歓迎されているよう。弔辞まで外注されるとは驚くが、我々プロが創作した弔辞は、本人作でないことがすぐにばれてしまう。それは、本文の中身のレベルが異なるのではなく、ご本人の日常の言葉遣いが原因する。

 過去ログに書いたが、他府県のある方から弔辞についての相談を受け、電話で40分も費やしたことがある。この方は、次の日に弊社が担当する社葬で奉呈される方。だから真剣に対応したのは言うまでもない。

 つい先日も、面白い方から電話で弔辞の相談があった。「生まれて初めて弔辞を受けた。故人は竹馬の友。私は文章も喋るのも大の苦手。でも、やってやりたい気持ちもいっぱいなんだ」

 そこでインターネットのことをお知らせしたが、「そんなもの触ったことも見たこともない。テレビの画面みたいなものが弔辞を作れるなんて信じられん」

 そこから電話で延々と拝聴した故人との思い出話。電話を切って30分で創作し、すぐに電話で読み上げ、「もう出来たのか?」まではよかったが、ここからがまた大変。「ファクシミリなんて見たこともない」とのこと。そこで奥様にご登場いただき、「ご近所に何方か?」と伺ってみると、「あるわ。私がお世話になっているお医者さんにあるわ」

 それから20分ほどして送信出来たが、弔辞をお医者さんに送信するとは変な具合。
 
 「診察」を専門とされるお方の「心察」をした出来事だった。

 「祝辞」は短くて「縮辞」。「弔辞」も「長辞」とならないように心掛けたいものである。

2003/09/08   お好み焼き    NO 540

 昨日、メールのことを書いたが、最近、メールを多く頂戴するようになった。

 「司会のことを」「社葬のことを」「ナレーションのポイントを」「式を見学させてください」「偲ぶ会やお別れ会のことを」・・・・・書いてください。

 そんな内容が大半だが、そのすべてを書いていくと20年ぐらいを必要とする世界。私が生きている内には絶対に無理。また、勝手ながら企業秘密もあり、限界もある。

 そんなところだが、今日はサービス精神で、司会とプロデュースに関係する「さわり」だけを書かせていただく。

 弊社のHP内に「人生表現」のページがあるが、70年、80年も生きてこられた方の人生表現なんて、何十時間を費やしても語り尽くせないもの。それを1時間や2時間の儀式の中で5分前後に収めるとは失礼千万。これほど僭越でおこがましいことはないだろう。

 では、それが許されているのは何故だろう。それは、葬儀が宗教に則って進められてきたから。弔辞は別として、形式的な弔電代読が許されるのに、故人を追憶するナレーションや故人が好きだった音楽が許されない。そんな暗闇?の時代が長く続いていた。

 個性化、多様化が世の流れのように思われがちだが、この背景には「昔からこうするものだ」という、社会全体の納得に成立していたものが一気に表面化したということがあり、潜在意識がニーズに変化して「無宗教形式」などで訴え出したということになろう。

 さて、今日の本題だが、ある著名なホテルで行われていたお別れ会。故人ご夫妻はボウリングが大好きというところから、レーンとボールを生花で表現した祭壇が設置されていた。

 その前でテーブルを囲むパーティー形式。お別れの言葉があって献花に進む。「会」という表記だから「式」らしきものは一切ない。

 ホテル側は、きっとご遺族の思いを「かたち」にされたのだろうが、私だったらこんな発想は絶対にしない。この祭壇に意義を発生させるなら、この日を迎えるまでに故人のお名前を「冠」にしたボウリング大会でも開催するべき。そして、この日に表彰式。ここにこの部分の「式」を厳粛にすることだけでも「会」が引き締まる。 

 祝賀会、偲ぶ会、お別れ会などに第一部と第二部があるのは常識だが、この区分けこそが全てと言っても過言ではなく、第一部の意義が第二部の宴席で環境空間完成につながっていく。

 人生表現とは、本当に難しいもの。ある男性の方の葬儀。ご遺族に伺った故人の人生、そこに「お好み焼き」が登場した。趣味がお好み焼きの食べ歩き。そこで習得された「こだわり」を自ら具現化ということで、1週間に1回は、自宅で昼食、夕食がお好み焼き。家族が閉口されておられたそうだ。

 この方の葬儀。お好み焼きを祭壇で表現したらどうなるだろう。間違いなく「吉本」の世界。こんな場合は言葉で語ることがベター。こだわりの部分を徹底して取材し、参列者にその「お裾分け」を感じていただくことをお土産とし、「どこかでお好み焼きを召し上がられる時、故人のことを思い出していただければ何よりのお供養かと・・・」

 そんな思い出を「形見」にするのがプロデューサーの仕事。そのシナリオを最大限に伝えるのが司会者の役割。私は、二役。だが、給料は一人分というのが悲しい。

2003/09/07   『独り言』のえにし    NO 539

 あるホテル関係者からメールを頂戴した。互いの「えにし」は、この「独り言」。

 この方も「独り言」を発信されておられるとのことで、さっそくページを拝見させていただいた。

 俳諧の世界を感じるような見事な文章表記。そこに織り交ぜられたユーモア。私は、思わず身震いする衝撃を受けると同時に、自身の駄文の列記に羞恥を抱きながらこの原稿を打っている。

 互いの独り言のページは、「ホテル 独り言」で登場する。

 「2週間ほど前、久し振りに更新し、送信確認をするために『ホテル 独り言』を検索いたしましたら、自分のページのすぐ下に、初めて目にする文字を見てびっくり。『社葬・ホテル葬・自由葬・大阪高級葬儀』・・・<どうして葬儀がホテルのページに?>と、正直に申し上げて驚き、覗きたい気持ちがありましたがクリックいたしませんでした。そして、昨日、何か気になってページを検索したら、貴殿の独り言がトップページに。そこで再度驚いてクリックボタン。開けてびっくり玉手箱・・・・」

 この方が何より驚かれたのは、私の「独り言」の文章の長さ。「独り言」とは短い筈。その常識外れがユニークとも書かれ、バックナンバーに挑戦中ということで結ばれてあった。

 「ホテル 独り言」を検索してみると、4万件以上のページがあった。

支配人、シェフ、スタッフなどホテル関係者だけではなく、ホテルを利用されたお客さんの感想や旅行日記まで登場し、訪問してみるとそれぞれに味があり、面白くて勉強になるが、あちこちを訪問すればするほど文章を打ち込む気力が萎縮してしまう。

 しかし、現在まで訪問したページの中で、「量」では私がトップ。その「独り言」の常識外れだけが売り物みたいだが、そんな思いをスタッフたちにこぼしたら、「長過ぎますよ。非常識ですよ」と追い討ち。

 そんな中、女性スタッフがひとりだけ、やさしい慰めの<投げ遣り的>言葉を出してくれた。

 「長かってもいいじゃないですか。訪問される方が判断され、嫌だったら二度とアクセスされませんから」

 生きた証で始めた「独り言」。

それは、今、スタッフの中では、私の道楽となっている模様。しかし、死を迎えるまで続けるつもり。

 
メールをくださったN様。明日、返信申し上げますが、取り敢えず、この独り言で御礼の一筆とさせていただきます。有り難うございました。

2003/09/06   葬送文化の四季    NO 538

 弊社が加盟している「日本トータライフ協会」、そこで毎日更新中のコラム「有為転変」の今日の号で、「黙祷」に関する発想転換のことが書かれてあった。
 
これは、司会者と名のつく方々には「必見」もの。是非、ご訪問くださいますようご案内申し上げます。

さて、午前と午後と、お2人のご住職とお話しする機会があったが、偶然に共通して悩んでおられることがあり、これらに関係する業者として警鐘と啓蒙をしなければならないと考えている。

今の世の中、確かに宗教意識が希薄しているが、家の伝統である「檀家制度」の崩壊にまで影響を及ぼすという事実が、一部の葬祭業者によって行われていることを知っておきたいもの。

 ある檀家の方がお寺にやって来られ、「お墓に納骨したいのです」と言われる。事情を伺うと数日前に葬儀が行われ、当日に初七日を済ませたとのこと。

 その葬儀が行われたのは、葬儀会館。「当会館での通夜葬儀は、当会館専属契約のお寺さんとなります」、「ふた七日からは菩提寺へどうぞ」ということで進められたそうで、「業者も業者なら、お寺さんもお寺さんだ。信じられない」と嘆かれておられた。

 最近、そんな話を耳にすることが多くなった。ネット社会の中にも「お寺さんを派遣します」というビジネスも登場しているし、「読経料」を表記している団体もあるが、「お布施」が「料金」と表現されるようではこの世も末。伝統ある仏教会に衝撃を感じていただきたいと感じている。

 今から十数年前のことだが、著名な高僧と対談する機会があった。その時、その方がおっしゃられた次のお言葉が現実化してきているようにも思える。

 「このままでは、お寺は檀家周りをする『お経の宅配人』になってしまうだろう。お寺が葬儀社よりも弱くなってしまった時、宗教者として存在する本義を失ってしまうことになる」

 私は、宗教者の方々への講演を担当させていただいたこともある。延べ人数ということになれば、おそらく数千人となる筈だが、いつも上記のことをお話してきたし、無宗教葬儀の増加についての警鐘提起も行ってきた。

 そんな危惧していたことがいよいよ表面化してきた昨今だが、無宗教なら「会」を「式」にしなければとの強い信念だけは抱いているし、人間の持つ「心」の弱さに「宗教は不可欠」ということも結論として学んでいる。

 そこで予測されるのが葬儀と告別式の分離形式。「感動の告別式」であっても「葬儀」の意義が欠落していれば誤り。プロとは反省するが後悔しないのが誇り。その答えに「本義」があることを信じたい。

 葬儀は宗教者を迎えて「家族葬」、告別式は家族皆さんで考える。そんな形式が潮流となりそうだが、無駄の省略を考慮すると義理的会葬者の割愛がポイントになるだろう。

 しかし、ここに宗教者が抱かれる問題があることも事実。通夜や葬儀が「布教の機会」とされておられること。それならば、悲しみのない義理的参列者を納得させるだけの説教パワーが重要となってくる。

 『葬儀って、誰のためのもの』と、悩んでしまうこの頃。「秋」から「冬」へ。葬送の文化に「春」が訪れることを祈念している。

2003/09/05   ミステリー事件    NO 537

 遠方のお寺で通夜が行われたが、広い境内の多くのお墓があり、参列者が「蚊」の攻撃に悩まされておられる。

 葬送の場で「殺生ごと」は禁じられているが、これではたまったものでなく、蚊取り「線香」の助けを借りることになった。

 昔、何かの本で読んだ記憶があるが、お釈迦様が腕を「蚊」に刺され、「血が必要なのか」と、もう一方の腕を出され、「小さな生き物、僅かな血を贈ろう。でも、痒みと腫れだけはいけないぞ」と言われたそうな。

 しかし、それでも痒みと腫れに襲われ、「蚊とは何たる恩知らずな生き物だ」とおっしゃったらしい。

 そんなところから、今日のお寺での蚊取り線香もきっとお許しいただけるものと信じている。

 さて、不思議な事件が発生した。

 昨日の午後、銀行からファクシミリが入り、20,580円の振込み入金報告が記載されてあった。

 それをめぐって、3名の女性スタッフが悩んでいる。それぞれがそれぞれのパソコンを開きながら首を傾げている。

 事情を聞いてみると、振込みされた方のお名前のデーターがなく、3ヶ月前まで遡って
調べたが確認不能とのこと。

 金額を分析すると振り込み手数料を合わせて21,000円。この金額で考えられるのはご供花の未収金。しかし該当者が出てこない。

 「銀行のミスでは」との意見もあったが、そんな単純なものではない筈。葬儀社名を間違うことも考えられず、様々な憶測が社内に乱れ飛ぶ。中には、「弊社の出方を見るために作為的にしたのでは」とまで出る始末。

 一方に、経理担当者のミスの可能性もあるかも知れない。請求書を送付してデーター入力を誤ったということも怖いこと。そこで、弊社が担当した葬儀の供花データーを引き出してみた。

 「やはり、ありません」 その声は八方塞の悲壮感。

 隣にいる責任者が頭を抱えながら謎解きをしているようだが、彼女は、相手様との電話やりとりの際のシナリオを考えているという。

 そして、今日の朝、銀行に電話を入れ、事情を説明して相手様の電話番号を入手した。

 やがて、電話のやりとり。相手様も不思議そうな受け応え。「調べ直します」と言われてから30分後ぐらいに電話があった。

 「申し訳ございません。旅行の会費を幹事さんに送る際、どうやら間違って貴社に送ったようです」

 それで一件落着、ホッとする。しかし、返金の際の振込み手数料をどうするかで悩んでいるみたい

2003/09/05   号 外・・・・お知らせです。



 本日の朝、当HPに関しまして、旧アドレスにアクセスくださった方にお知らせ申し上げておりました「案内表記」を削除いたしました。

 旧アドレスから「ジャンプ」でご訪問いただいた皆様には、大変ご迷惑をお掛けいたしますが、なにとぞお許しくださいますようお願い申し上げます。

午前中に「ページを閉じたのですか?」 そんなお電話をたくさん頂戴いたしましたが、ここにお詫びを兼ねてお知らせとさせていただきます。

 なお、この「独り言」を定期的にご笑覧くださる皆様の中で、「お気に入り」に登録されておられない場合、弊社名が長くて打ち込みづらいかと存じます。そんな際、下記の「文字検索」でも開きますのでお確かめくださいませ。

 「葬儀 コラム」  「葬儀 独り言」  「ホテル 独り言」  

 ご訪問、誠に有難うございます。
                     大阪高級葬儀株式会社
                       メモリアルサービス事業部
                                IT担当責任者 

2003/09/04   無形の付加価値    NO 536

 新聞、雑誌などに「葬儀」や「死」についての記事が多くなっている。これは、高齢社会が背景にあるのだろうが、儒教精神低下や宗教意識の希薄もあり、悲劇の事件が増えているのにも関係しているだろう。

 弊社では、全国で発行される新聞、雑誌の中で、葬儀、死、命に関する記事の大半が送付されてくるシステムを12年前から導入しているが、最近、いよいよ、その量が増えてきている。

 葬儀に関する記事を整理してみると、我々葬儀社に対する不満と共に宗教者に対する「?」が多く、続いて多様化と個性化要望となっている。

 また、まだパーセンテージは低いが「悲嘆に関するグリーフケアを重視するべき」との声が目立って来ており、葬祭業、宗教者にとって、アフターケアに対する対応を真剣に研鑽しなければならない責務を感じている。

 こんな情報収集も私の重要な仕事。世の中の流れや潜在ニーズの把握なくして将来はなく、講演での質疑応答は最高のリサーチともなっている。

 一方で、ブライダルに関する情報も入手している。これは、冠婚葬祭という言葉があるように、両方学んでおくと、とても役立つことがある。

 最近、多くのホテルから招聘されることになってきた。数日前にも書いたが、ブライダルの話題を織り込むと衝撃が高い。

 私が考案したブライダルの次第がある。大げさなことではないが、ちょっと変えるだけで披露宴に「愛」と「命」が生まれ感動につながる。体験された方が「知的所有権的な発想」と言ってくれるが、そんな気持ちは一切なく、歓迎されて喜ばれたら嬉しいことと思っている。

 でも、この「独り言」でオープン化することはないのでご海容を。その内、必ず流行する筈なのでお楽しみに。

 今年の春、弊社女性スタッフの披露宴、彼女は、その助言を遂行したが、出席者に高い評価を頂戴した。

 この発想につながったのは「会」から「式」への意識転換。一番大切なことを儀式化させただけ。「宴」の中の瞬間に「式」がある。それで出席者の心に賛同の想いが生まれ、既婚者だけではなく、適齢期の若い出席者が「私の時も」と流行するみたい。

 そんな思いを抱いてホテルの窓口を訪問する新郎新婦予定者。でも、窓口も司会者も「そんなの例がありません」と対応されてしまう。そこで会場や司会者の変更という「もったいない」事件も発生する。

 ホテルは、「お客様のおっしゃる通りに」という姿勢の裏側で、ホテル側に都合のよい方向へ導いてしまう。その際に使われるのが、「皆様、このようになさっておられますが」というトーク。その行き着いたところが「パック」であった。

 もう、パックなんて大昔の話。こんな情報社会を迎え、新郎新婦は情報過多。何を言い出すか分からないので修正アドバイスは必要だろうが、意義の重視が何より大切。

 ホテル業界が「偲ぶ会」「お別れ会」「社葬」ビジネスを展開中。中には「**様で**万円」というパックも流行しているが、パックを打ち出したホテルに「無形の付加価値」を期待するのは絶対に無理。仏事に関するサービスは、「意義」の重視で「無形」のサービス提供。そこに至るホスピタリティを売り物にするのがホテルの原点ではないだろうか。

2003/09/03   ハプニング    NO 535

 通夜が行われている式場、弔問者の焼香が始まって間もなく、『パラパラ』『コロコロ』という乾いた音がしてびっくりしたが、場内のざわめきを気にされたのか、読経中のお寺様まで後ろを振り返られることになった。

 その原因は、お分かりのように数珠が切れてしまったハプニング。我々葬祭業に従事するものにとって、この光景は何十回と体験があるが、ご本人とっては、おそらく一生に一回。最初で最後のハプニング遭遇ということになるだろう。

 数珠が切れる。人は何でも悪い方に考えてしまうもの。ましてや周囲に迷惑を掛けた羞恥心もあるだろう。

 この男性、隣席にいた奥様らしい人に叱られている。

 「何してんのよ? しっかりしなさいよ。転がった珠を集めなきゃいけないでしょう」

 周りの人に頭を下げながらだが、声はかなりの大きさ。どうやら皆さんの足元に転がった珠を集めて欲しいという願いもあるようだ。お寺様が振り返ったのも無理はなく、祭壇に飾られたご遺影が、思わずニコッとされた感じがした。

 式場にいた数人の女性スタッフたちも手伝っている。早くこの場を収拾しなければならない。「収拾」には「収集」が何より。やがて、ひとりの方の苦笑を最後に静かになった。

 さて、お寺様が勤行を終えられ、退出された。さっきの奥様らしい方、私が予想していた通りの行動に出られた。

 お茶の接待担当スタッフを呼び止め、何かを問われ、すぐに掌の中で珠の個数を数えられている。

 心配そうな表情が落ち着いた。皆さんの協力の結果、どうやらスタッフの伝えた個数が揃っていたようだ。

 次に、私のところへ2人で来られた。

 「ねえ、何か不吉の現われなのでしょうか? 通夜で数珠が切れるなんて?」

 <糸が痛んでいたから切れただけです>と返したいが、こんな質問をされる方には、こんな簡単な答えでは「×」となる。

 「通夜、葬儀、法事の時しか手にされませんでしょう? 外でなかってよかったですね。それに、全部の珠が見つかったようで何よりです。珠と珠の間が、一個分隙間が開いたら修理に出さなければなりません。私、これで、300回は経験しています。糸が痛んでいたから切れただけ。不吉な兆候なんて謂れは一切ございませんのでご安心を」

 ちょっとお騒がせの元となった数珠。

私には恐れていることがある。数珠というものが葬儀の必需品的なアクセサリーとなってしまった世の中、「檀家であるが信者じゃない」という、過去の新聞記事の見出しが頭の中を過ぎったから。

2003/09/02   知的所有権の将来に・・・   NO 534

 私は、プロデューサーであり司会者でもある。非日常的なことである葬儀の世界。そこであまり注目されなかったこのふたつが、最近、重視されるようになってきた。

 このふたつに共通することは、究極のサービス業ということ。確実な情報把握からシナリオを構築、有形無形の情報伝達を生業とする世界である。

 HP内に羞恥のページ「久世栄三郎の世界」があるが、取り敢えずの間に合わせで掲載したこの部分の改訂が遅れている。

 ここに企画していたシナリオ、その完成には絶対不可欠となる「曲」の存在がある。これなくしては主人公のいないドラマとなり、プロデューサーとして最大のミスキャスティング。

 そこで八方手を尽くし、この短いドラマ?の完成を目指して走り回ったが、葬祭業という低次元な社会認識が壁となり、今、正直言って苦戦中。

 昨日、若い男女のスタッフを走らせることになった。行き先はジャスラック、日本著作権協会である。

 私が彼らに与えたテーマ、担当窓口の人が素晴らしい人で、二人を控え室に案内のうえ丁寧にアドバイスをくださったそうだ。

 私は、彼らにもうひとつの案件を課していた。それは、今後の葬祭業に波及するであろう知的所有権の問題。現在の著作権規定では、両者に不都合が生じる大問題。これに対してその方は、あちこちの関係機関に問い合わせをくださり、次のようなお言葉を頂戴してきた。

 「難しい問題です。数日間の猶予をください。何か方策があるかも知れません」

 長時間、真剣に対応くださったこの方に、彼らはえらく感激しながら帰社してきたが、「本当によい勉強ができました」という報告が何より嬉しいことであった。

 さて、プロデューサーとは猪突猛進型では成り立たない。自身が描いたシナリオが<完遂できなかったら?>との危機管理の心情も重要。そこでそんな場合の策を講じる余裕も必要。HPに関しては、別の道をシナリオ化してあるのでご安心を。

 ナレーション創作のコンセプトは、「命」。本番の時よりも少しソフトにトーンダウン。あくまでもHPに準じたレベルで語るが、司式バージョンのイメージだけは伝わる筈。

 上述の猪突猛進のことで思い出したが、プロとはハプニングをハプニングでないように解決するのも仕事。去年の秋、7分間のビデオ映像を流しながらナレーションをスタートした時、考えられない機材の故障でトップ画面が固まった。

 映像が固定されたままナレーションを続けたが、動き出したのはそれから4分後。エンディングに合わせるなら4分のアドリブナレーションが必要。私は、30分程度ならアドリブが可能。問題なく解決したのは当然だが、周りのスタッフが慌てふためく光景が何より問題。

 「人が倒れた時と火が出た場合以外は、絶対に慌てるな」 そう叱りつけたのは言うまでもない。

2003/09/01   目が楽に     NO 533

 今日から、この原稿は、新しいパソコンで打っている。

2001年のクリスマスの日に初めて手にしたノートパソコンが、ついに故障気味。見るに見かねたスタッフたちが、家電量販店で「これがいいです」と買ってきてくれたが、「オマケ」にタイガースのヘルメット型のラジオが付いていた。

北海道から九州まで、いつも出張に持ち歩いたパソコンだが、ホテルでの仕事中に何度か落としたことがあり、満身創痍。他人に見せられない状態となっていた。

メーカーが変わってボタンの位置が少し異なり、いつもより打ち込み時間が長くなったが、液晶画面が明るく、非常に見易くなったことは嬉しいこと。

掛けることと掛かってくればよいと考えている携帯電話。ハイテクオンチの私は、文字の多い説明書が大嫌い。電話もパソコンも、機能の1万分の1も活用していないだろう。

パソコンで私ができること、それは、文字を打つこととインターネットを開くだけ。後は全然分からない。

しかし、スタッフたちが長けており、その場で発生する「?」は、その度に解決して貰っているので不自由はない。

プリンター、インターネット、そして「AIR−h」への接続と、次々に入力作業を進めてくれたが、このパソコン、ひとつだけ気に入らないところがある。

指で動かすマウスの動きが微妙に違う。それは「慣れ」では解決できない根本的な問題があるよう。因みに前のは外国製、新しいのは国産である。

さて、そんな中、弊社HPの制作を依頼しているプロからファクシミリが入り、リニューアル発信してから1ヶ月間のアクセス分析資料が送られてきた。

その挨拶文の下に、「言っておきますが、これはすごい数字です。ハイ」と書かれてあり、10数枚のデーターを見ることになった。

私は、さっぱり分からない。隣席にいたスタッフがパソコンで教えられた通りにプロが確認する世界を開いている。
 
 「こんな世界があったのですね?」 覗いた彼が驚嘆している。

リニューアルの際、表記内容だけではなく、ページとタイトルを変えてしまったため、旧のアクセス履歴が「0」からのスタート。年内に何とか元通りになればと思っていたら1ヶ月で戻ることになった。

想像していたアクセス数をはるかに超える事実、それは、私の「独り言」を打つ手に恐ろしさを与えるもの。新しいパソコンを初めて開く日に、こんなデーターとのめぐり合わせも不思議なこと。それは、「しっかり打て」というエールではなく、プレッシャーとして襲い掛かってくる。

9月を迎え、心新たに「独り言」を発信しよう。


  [最新のコラム] このページのTOP▲