2003年 11月

2003/11/30   晩秋の悲喜こもごも    NO 621

 一ヶ月振り、今年8回目となるゴルフに行ってきた。

 「紅葉は、葉の命の燃焼である。野や山が紅(くれない)に染まり、北国には雪の便り。何よりも人の恋しさが募り、過ぎ行きし歳月を想い懐かしむ晩秋」

 そんな季節の中、自身が生きている「証し」をはっきりと実感できる芝の上のラウンド。ゴルフとは、そんな人生を謳歌できるスポーツと言えるかも知れない。

 お誘いくださったのは、すぐ近所の社長さん。何度かご一緒した娘さんと3人でコースに到着すると、もう一人の同伴プレイヤーが先着していた。

 彼は、社長さんと私が所属するライオンズクラブの現幹事。パソコンや音楽に造詣深いマルチ的人物。これまでに何度かラウンドしたが、理論に培われた抜群のセンス。<何とか、いい勝負を>と内心に秘めていた。

 そんな彼だが、私は恩義を感じていることがある。

オリジナルCD「慈曲」にフューチャーされている私の作曲「逝かれし人へ」だが、初めてオーケストラで演奏された時の指揮者が彼。そのカッコいい姿を鮮やかに覚えている。

 オーケストラの譜面を「スコア」と言うが、今日の両者のゴルフスコアは今ひとつ。前半、後半で分けの勝負となったが、ミドルでワンオンという珍プレイを成し遂げたので満足している。

 後半、足の膝の裏側が痛み出し、歩きに行ったのにカートに乗りっ放し。改めて脚力のダウンを実感した。

 さて、そんな楽しい1日を過ごしたのだが、私の心の中には悲しい思いもあった。

 司会の世界で「憧れの人」であった「相川 浩」アナウンサーが、27日にご逝去されたこと。相川さんの「日本百名山」のナレーションが遺作となってしまった。

 彼がおっしゃったことで印象に残っていることがある。ナレーションは、その情景を思い浮かべ、寄り添う人に語りかけるイメージ作りが大切ということ。

 私は、彼が司会やナレーターを担当される放送を、いつも楽しみにしながら勉強していた。

時にスローテンポで語られるナレーション。あのゆっくりリズムで聴かせるテクニックは、あの方ならではのもの。

 最近の司会者の多くが、発声の度に「えー、それでは」という耳障りになる言葉を発しているが、私の言葉にそんな「接続詞」的な発声が消滅したのは相川さんの影響から。

 享年70歳であられたそうだが、NHKの歴史に残る名アナウンサー。衷心より合掌を申し上げ、ご冥福を祈念する。

2003/11/29   ハプニングと奇遇    NO 620   

 去る11月19日、20日と、読売、毎日、産経、日経の東京版に、とんでもない事件が報じられていた。

 事件が発生したのは、今年の7月。ある都立の病院で信じられないことが。

 それぞれの見出しは、次のようになっていた。

 『遺体取り違えて葬祭場に搬送 火葬前、遺族気づく』

 『患者の遺体取り違え 委託業者、遺族に誤搬送』

 『遺体搬送取り違え 同姓、業者が誤る』

 『遺体取り違え葬祭場に搬送 契約業者ミス』

 これで、もうお分かりだろうが、同じ日に同姓の方が相次いで亡くなり、地下の霊安室に安置されたご遺体を式場に搬送する際、誤って別人を寝台自動車に乗せて行ってしまったのである。

 それが別人であると発覚したのは葬祭場、納棺の際に遺族が気付いて大騒動になった訳だが、これもマンネリの中で発生した取り返しのつかない大ハプニング的なミス。遺族、業者の驚きは想像を絶したことと拝察する。

 私は、昔から全国の業者さんたちとの交流があり、多くの会社に参上した経験がある。

 そんな「えにし」に結ばれたのは講演活動からだが、あちこちで人に言えないミスを伺ったこともあり、それらを書くだけでも一冊の本が完成するだろう。

 悲劇の裏側に秘められた滑稽な喜劇も山ほどある。しかし、引退するまであまり強烈なことは書けないので、時折に柔らかく紹介していきたいとは思っている。

 さて、世の中には偶然というか不思議なこともあるので紹介しよう。

 数年前、大阪の火葬場で柩を納め、炉前での挨拶を終え、参列者を案内してバスに案内している時だった。 

 乗車人数を確かめたら数人足らない。<お手洗いかな?>と思って引き返したら、その方々が、ある炉の前に集まっておられる。

 その回廊には20を数える炉が存在していたが、それは、さっき納めた炉のすぐ近く。

 私を見つけた方が手招きで呼ばれ、急いで行って見ると驚く事実に遭遇した。

 何と、私が担当した方と同姓同名の名札が別の炉に掛けられてある。職員に確認したのは言うまでもないが、職員たちは、次のように返された。

 「私たちもびっくりしているのです。決して2枚の名札を掲示したのではありません。間違いなく同姓同名の方がお二人あり、こちらの関係者は先ほどお帰りになりました」

 事実は小説より奇なりという言葉があるが、帰路のバスの車中は、その話題で持ちきりだった。

2003/11/28   孫と癒し   NO 619

 師走が目前にやって来る。年々に月日の流れを早く感じるが、この「独り言」を書き出してから余計に強く感じている。

 これは、誰の思いも同じようで、今日の毎日新聞朝刊社会面「デスク」のコーナーに、そんな思いが綴られてあった。

 このデスク担当の方は、「4回目の年男を迎える」と書かれてあったので年齢が分かるが、末文に次のような文章があり、思わず<素晴らしい>と拍手したくなった。

 『この一年、何をしていたのか』と落ち込んだ時は、この呪文で自らを鼓舞しています。『焦ることはない。だって、これからの人生で今が一番若いんだから』

 人生の「終(つい)の儀式」に携わる私。この言葉にグッと感じ入り、脳裏に浮かんだのは孫の存在だった。

 人は、欲望があるから生きることが出来ると教えられたことがある。

幼稚園、小学校、中学校と、孫の成長に思いを託しながら人生黄昏を過ごすことになるだろうが、欲望を出来るだけ謙虚に抑え、今は、取り敢えず小学校入学までと考えた。

 葬儀の司会を担当していると、どうしても故人の孫の存在に心が向かってしまう。これらは、創作するナレーションにも顕著となり、自身に大きな変化が生まれたと実感している。

 時折、ご出棺前に孫さんたちを柩の前に整列させ、「命の伝達式」と名付けたひとときを行っているが、これも、自身に孫が生まれたから始めたこと。

 最近、子供を作らないことを前提に結婚される人が増えているが、孫に送られる葬儀を何度も体験すると、人に生まれ、人を愛し、結ばれて時を過ごし、何時か訪れる伴侶との別れがどれだけ寂しいものか絶対に理解できると確信している。

 愛する人を喪うと「悲嘆」という未曾有のストレスに襲われる。そんな時、家族の存在がどれだけ救いとなるかも知って欲しいし、神前、仏前を問わず、誓いの契りを交わす神仏の前で<子供を作りません>というのはおかしいような気がする。

 今、問題になっている年金ではないが、社会にそんな風潮が当たり前になれば、人類の将来はないだろう。

 自己主義、個人の自由と言えばそれまでだが、人生に於ける生きた「証し」の最たるものは「子供」であるとも考えて欲しいもの。

 その子供に子供が出来て「孫」となる。黄昏に存在する孫、それは、悲嘆を迎える前からの、何よりの癒しであることは確かである。

2003/11/27   葬儀式場での盗難    NO 618

 早朝、当直スタッフから電話があった。

 「遠方の葬儀なのですが、お寺様を拝借されたいとのこと。何処か、お知り合いは?」

 その地域には、私の知る素晴らしいお寺様がおられる。それは、まさに「ご仏縁」という言葉のように奇遇なこと。ご宗旨が異なる葬儀であったが、立派な本堂を拝借させていただくことになった。

 ところが、皮肉なことに、その地域に最も近い火葬場がいっぱい。お陰で高速道路を利用しなければならない遠方の火葬場に入場されることになった。

 霊柩車が長距離ドライブをすることになるが、故人には、本当のご最期のドライブとなられる筈。これも、きっとご家族には思い出になられると考えているが、渋滞だけはないようにと祈っている。

 先月、遠方での葬儀。ご出棺をしてインターチェンジに到着したら、事故による規制で閉鎖。そのため1時間以上を費やして、渋滞する国道を走行するという苦い体験もあった。

 弊社が加盟する日本トータライフ協会のメンバーが全国に点在するが、九州や北海道のメンバー企業を訪問すると、幹線道路のスムーズな車の流れが羨ましいし、それだけ落ち着いた式進行が可能だと考えると、大都会でご終焉を迎えられた方が気の毒だと思ってしまう。

 1日に数件の葬儀を担当する大規模な葬祭式場。仮設的な薄い壁で仕切られ、隣の葬儀が丸見えというような会場で行われる葬儀。

「次の方、ご案内」という風に、ベルトコンベア式で送り出される終焉の儀式。それではあまりにも寂しすぎる。生きた「証し」や「思い出を偲ぶ」なんて環境ではない。

 人の送られ方は様々だろうが、何か「処理場」のような環境には抵抗感が強い。そんな心残りは最悪だろう。

 ある葬儀式場でびっくりしたことがある。大規模な葬儀が行われたのが最上階。柱が必要ないとの建築上の事情でそうなったのだろうが、ご出棺となったらエレベーターが大混雑。1階のお見送りに全員が揃うのに25分も費やし、これでは、どんな厳粛な式進行が行われても「しらけ」ムードに包まれる。故人、遺族、参列者を思うと気の毒に思う体験となった。

 さて、このコラム「独り言」をご訪問くださる皆様へ。

 最近、葬儀が行われている場所での犯罪被害が増えているのでご用心。

 黒服を身に着けていたら「こそ泥」でも紳士に見える。時には親戚に、時には葬儀の役員に、また、知能犯なら葬儀社のスタッフのように振る舞うこともあるようだ。

 これからは、コートの季節。クロークのない場合、焼香所の手前にセッティングされる手荷物用の机。そこに置かれたコートも危険。くれぐれもご用心くださるように願っています。

2003/11/26   最期の言葉     NO 617

 ある女性が、入院されていた。彼女が自身の病気が不治であることを悟られたのは、つい最近のこと。それは、入院してから二十日ほど経った頃だった。

 家族の気遣いや、思い掛けない友人たちの見舞いから感じられたそうだが、1週間ほど前まで、冗談っぽく「私が死んだら明るい葬儀をしてね」と言っていた彼女、発言の内容が急変することになり家族が困惑をされてしまった。

 「お葬式だけど、私の死に顔だけは見せないでね。家族と私の姉妹以外は絶対よ」

 その言葉を聴かされた頃、病状が悪化され、担当医に確認した家族が耳にしたのは「一週間の余命」。

 もう励ましても無理だと覚悟された家族の方々、ある作戦を進めることになり早速始められた。

 ご主人と長女、長男の3人が、酷なようだが涙を秘められ次のように言われた。

 「お母さん、お葬式は、お母さんが思っているようにしたいんだ。そこで、いっぱい思っていることを言ってよ。これから1年、みんなで考えようよ」

 この「1年」という言葉が功を奏したのか、不思議なことに急激な病状の悪化が止まり、言葉がはっきりと聞き取れることになってこられた。

 作戦は、見事に成功。そこで家族は真面目に彼女の要望を聞き出す行動に入られた。

 それから約半月、ご本人が要望される葬儀への思いが集約されることになったが、医師が「奇跡のように頑張っておられる」と驚かれた様態も限界を迎えたようで、鎮痛剤の影響もあったのだろうが、言葉が段々聴き難くなる状況。

 「お花で飾って欲しいの。菊は嫌よ。白い花の世界に紫のカトレアが似合いそう。ちょっとピンクの花をあしらうのもいいな。そうそう、写真は去年のお宮参りのがいいわ」

 そんな思いを家族がメモされたノートは、30数ページにもなったそう。

 その中には、知らせて欲しい人のリストアップから、納棺の際に着たいという着物のことまで綴られている。

 「明るく送ってね。悲しまないでね。お父さんのことをお願いね」

 そうおっしゃられたのは、亡くなる前日の夜。

 家族は、明るい葬儀を決行されるつもりになっておられたのだが、ご終焉を迎えられる直前、絶え絶えで聞き取れた言葉を耳にされ、大きく方向転換となってしまわれた。

 「・・みんな、私を知るすべての人に・・・私を忘れないでね・・と伝えて・・・・」

 それがご最期のお言葉となった。

「明るく送ってね」という言葉の奥に秘められている真意。それは、臨終を迎える際のご本人にしか分からないことのような気がする。

2003/11/25   勉強してくださいよ    NO 616

 興味があったので、今日、テレビで国会中継を見ていた。

 行われていたのは衆議院の予算委員会の質疑応答だが、質問者も応答者も感情丸出しで、とても文化国家という世界ではなかったように思う。

 イラクへの自衛隊派遣問題や景気回復が主な内容だったが、発言の言葉とは裏腹に、相手を「凹ませる」パフォーマンスが目立っていたような気がする。

 共産党が質問に立った際、小泉総理の答弁の冒頭で、「共産党らしい」という発言があったが、これなどは最悪のレベル。

もっとユーモアを交えて説得する弁論術を勉強して欲しいものである。

昔、ドイツで獣医が国会議員になったことがあった。彼は、国会の議事の最中に「ここは人間の世界だ」「動物の相手をしていろ」なんて、猛烈に野次られたそうだ。

 その時、彼は、野次を飛ばした相手に向かって次のように返した。

 「その通り、私は確かに獣医である。故に、後で君を診察してあげよう」

 議場が沸いたのは言うまでもないが、今日の国会への感想は、なんと言ってもお粗末のひとこと。与党と野党の対決の姿勢しか伝わらず、国民や自衛隊の隊員のことを真剣に考えているのか甚だ疑問を覚えてしまった。

 また、これまでの長年の風習かも知れないが、質問者が同じ相手を何度も呼び出すなら、答弁者の席に座っておけばいいのに思ってしまう。

自席への往復の時間や、議長の「総理大臣、小泉純一郎君」なんて呼び出しは無駄であり、合計したらかなりの時間が費やされている筈。発言席の前で苦労されている速記者も、きっとそう思っていると拝察する。

 それから、もうひとつ。感情を曝け出したら確実に品位が落ちる、それで損する議員の多いこと。テレビ中継を見ている国民は馬鹿ではない。

 歴史を遡ると、日本の国会議員にも演説の長けた人物がいた。それが誰かは書かないが、流石に「大物」という風格を感じたもの。

 もっと遡ってローマの時代。シーザー暗殺に関するブルータスとアントニオの演説が顕著ではないか。ブルータスを決して攻撃せずに大衆の心を掌握した演説力が歴史に名高い。

 国会議員の皆さん、今、日本の国は大変なのですよ。

日本テレビの問題ではないが、国会中継の視聴率が上がるような「やりとり」を期待して止まない今日この頃です。

2003/11/24   サービスと「人」?    N0 615

 友人に温泉マニアがいる。彼は、日本中の温泉めぐりだけではなく、高級旅館から湯治場までの大半に宿泊体験を持ち、温泉や旅館について「本でも書けよ」と言っているが、そんな気持ちが毛頭ないようで残念に思っている。

 そんな彼だが、「基本的条件を備えた旅館やホテルの良し悪しは、人で決まる」と断言しており、語ってくれた薀蓄に心から納得をした。

 ホテルの宴会やブライダルにも窓口担当者が大切だが、自分のテーブルを担当したスタッフの影響も大きいし、玄関を入った時から帰るまで、館内で出会ったすべてのスタッフが「人」としての判断が下されるもの。これらを総合して一流や二流の称号が冠されることになる。

 旅館の場合、特に部屋係の仲居さんのウェートが大きいよう。彼が、女将の「でしゃばる」旅館に一流はないと言っていたが、私も何度か宿泊体験した中で、この言葉が間違っていないように思っている。

 さて、偉そうなことを書いてしまったが、ここで「いい葬儀」について考えてみたい。

 「いい葬儀だったね」「素晴らしい葬儀だった」 参列者から、そんなお言葉が出る葬儀には、基本となる条件が秘められていることを知っておきたいもの。

 それは、遺族や親戚の皆さんが故人をお送りされる「心」と「悲しみ」。

 時には、心残りが全くなく、悲しみの薄いケースもあるだろうが、それはそれで送られる心情が伝わってくるもの。それなくして「いい葬儀」なんて絶対に不可能なのである。

 立派な祭壇、素晴らしい音楽が流れ、プロのナレーターによる感動のナレーション。

 そんなもので「いい葬儀」なんて完成することはなく、送られる愛情が捧げられる本質が参列者に伝わった時、ここに「いい葬儀」が完成することになる。

 無論、これらには、担当するスタッフと遺族側のコミュニケーションなくして完成することはなく、故人に関する基本的な情報から、ご本人と家族のお心残り、そして近隣の方々や友人からの言葉で伺うメッセージ取材なくして有り得ない世界。

 ホテル、旅館、葬儀社も、すべてがホスピタリティを重視する究極のサービス業。スタッフという「個」の集団が「かたち」として「サービス」を構成していくもの。

 商品販売でない職種にあってのお客様は、代価というものを支払われ、何を得たいかという結論は、はっきりと言って「人としてのプロ」に接して貰ったという満足感。そこに「人」としての資質が求められる訳である。

 今日の担当責任者であった女性スタッフに、今日の結果について質問をした。彼女は、次のように返してきた。

 「一生懸命につとめました。後悔するような失敗はありませんでした。しかし、反省するところがいくつかありました」

 その反省点だが、私が式場で司会を担当しており、すべてを私自身が理解をしている。

 彼女は、確かに成長した。ここで重要なことは、いつまでも謙虚であることだが、それは、京都女性である彼女の天分であるから安心している。

2003/11/23   ロマンチストだから?   NO 614

 事務所に行くと、机の上に10数枚の写真が並べてある。

 93歳でご逝去されたおばあちゃんのものだが、その大半が社会福祉法人である老人ホームで撮影されている。

 若いスタッフに囲まれたどの写真にも笑顔があるし、彼らがお年寄りたちとのコミュニケーションを大切にしている感じが伝わってくる。

 中に仮想大会の写真もあった。おどけたおばあちゃんの表情に、女性スタッフたちが「かわいい」なんて失礼な言葉で話し合っている。

 一人がパソコンの前に座り、イメージ構成をスタートさせると、「おばあちゃん、トルコ桔梗の花がお好きだったそうよ」と担当女性が故人情報を知らせ、もう一人のスタッフから、「紫の色を好まれたそうです」という発言もあった。

 少しずつスタッフが育ってきている。祭壇を飾るだけなら葬儀屋の仕事。葬祭サービスとはプロデュースの感性が不可欠。そんな思いが「かたち」となって具現化しつつある光景が嬉しいところだ。

 このおばあちゃんだが、肉親や親戚の方がおられず、えにしに結ばれた方々のあたたかいお気持ちで葬儀が行われるが、晩年を過ごされたホームの方々も来られるだろうし、あたたかいイメージの葬儀を企画している。

 さて、弊社が加盟する日本トータライフ協会のコラム「有為転変」に、ホームレスのことが記載されていた。

 また、メンバーである神戸の株式会社「公詢社」吉田社長のコラム「あるがまま」にも「愛」について書かれてあった。

 愛、癒し、思いやりを共有する協会のそんな行動実践に、感慨に耽る私だが、それは晩秋という季節がそうさせたのではないようだ。

 協会が掲げてきた理念が、いよいよ各社に浸透し、それぞれがオリジナルなサービス提供に進化させているが、その交流によってグレードアップにつながるもの。

これらは、決してビジネス本位では生まれない。こうなった背景には、各社の社長がロマンチストであるからとも思っている。

 上述のコラムですが、ご興味があれば是非ご訪問を。弊社HP内「リンク」のページからお入りください。

 今冬は風邪の流行が予想されるとのこと。どうぞ、お風邪を召されないように。

2003/11/22   祭典の裏側で   NO 613 

 昨日、高層マンションのことを書いたが、今日の講演会場まで送ってもらったスタッフに面白い話を聞かされた。

 彼の住む4階建てのマンションにはエレベーターがなく、大きな買い物をしたら大変だそうだが、そんな彼、つい最近に掘り出し物のテレビを買ったという。

 そのテレビ、安価が売り物だったが配達費用が含まれておらず、そのうえ、3階以上は1階につき2,000円の運び込み料金が設定され、「一階で結構です。そこから僕が運びます」と言っても「ダメです。規定です」と、合計6,000円を支払わされたと言う。

 見るからに人のよさそうな彼、そんなところを押し切られたような感もあるが、安い買い物には「裏」があるという教訓になったかも知れない。

 そんな彼が、今、葬儀の依頼のあったお客様のお家に参上している。一緒に行ったのは弊社のミス・ホスピタリティ。彼女とのコンビで、今日から責任者として3日間のお世話を担当する。

 大手の葬儀社や互助会さんでは、打ち合わせ、納棺、飾り付け、通夜、葬儀進行、火葬場、お骨あげ、精算など、すべてが分業制で人が変わるケースが多いが、弊社ではコミュニケーションを重視し、出来る限り責任者制を遂行している。

 さて、今日の講演の会場は、大手前のドーンセンター。

 20分前に部屋の入り口前に到着したが、私の前の講座が延びたようで、8分遅れに休憩時間が5分。お陰で90分の講演時間が75分になった。

 私は、与えられた時間が終了する時、必ず時間を厳守している。なぜならば、それが講師としての基本的なマナー。どんな素晴らしい講義でも、受講者の予定を変更させてはいけないもの。ここがセミナーと異なるところ。特に、夕方で、主婦らしき方がおられる場合は守りたい。

 ドーンセンターの前の道路、明日の駅伝のコースとなり、その準備の備品があちこちに見かけられる。確か、去年の大阪女子マラソンの日にも講演していた筈。終了後に応援の旗を振ったのを思い出した。

 そんなところから、明日の葬儀や準備が大変。幹線道路が通行止め。おまけに御堂筋の一部が、歩行者天国を実験的に実施するとのこと。

 お寺さんや会葬者の車の移動に影響があるし、火葬場までの経路も考えなければならない。

 年に何度か開催されるマラソンや駅伝、健康の謳歌というような祭典でもあるが、その裏側で悲しみの葬儀が行われているのも現実である。

 人は長生きをしたいもの。健康でありたいもの。他人に迷惑を掛けたくないもの。

 しかし、人の終焉は、多くの人の手によって送られるのである。終焉の儀式、拍手される人生でありたいもの・・・

2003/11/21   笑えない事件   NO 612

 昨日の発信、気が付けば23時30分。それから原稿を打ち、日付が変わる30秒前にエンターボタンを押すという危機一髪の苦労をした。そこで、今日は、早めに。

 夕方に行われていた密葬儀を終え、担当していたスタッフたちが帰社した。

 式場は、会社の5階にある部屋。エレベーターがあるとは言え、お柩の昇降が大変だったという報告を受けた。

 最近流行の高層マンションで何度も体験したが、そんなご自宅で通夜を迎えられたら大変。廊下やエレベーター前が弔問者で大混雑。他の居住者の皆さんの冷たい視線が避けられない。

 さて、弊社では、お寺、地域会館、ご自宅での葬儀に、参列者の予定人数分の傘を用意しているが、過去に、この傘で予想外の事件があったので紹介申し上げる。

 この傘サービスを思いつく要因となったのは、司会者である私の決断。急に空模様が怪しくなったら司会者としても大変。落ち着いてマイクを握る雰囲気が消し飛んでしまう。そんなところから始めた訳だが、折悪しく夕立に遭遇した葬儀、ご出棺して30分ぐらい経った時、式場の最寄り駅から電話があった。

 「駅の構内のあちこちに、貴社名のシールが張られた傘が置いてあるのですが?」

 どうやら、参列者が駅に置かれて行かれたよう。事情を話し、すぐにスタッフが受け取りに行ったが、「葬儀屋さんも大変ですね?」と駅長さんに慰められたそう。

 また、一方で、別の駅で問題が発生した。

 「ゴミ箱が大変なのです?」

 それは、ある社葬が行われたお寺の最寄り駅。会葬者が<荷物になる>と、返礼の供養の品を抜き出され、化粧ケースを捨てていかれた後始末。

 駅長さんのお話では、「どのゴミ箱もあふれ出していた」とのこと。清め塩にあった弊社名から電話をいただいたのだが、「これは、貴社の責任は全くありませんが、世の中、変わってきているのですね?」と嘆かれたのが印象に残っている。

 義理的会葬者が多い場合、こんな光景が見られるが、何か故人とご遺族に申し訳がないような心情に陥るもの。500円や1000円程度の品。誰もいただいて満足なんてされないだろうが、悲しみの遺族が負担をされているという事実を真摯に受け止め、家や会社に持ち帰って欲しいし、それが出来ないようなら廃止をされてもよいと思っている。

 こんな返礼品の廃止を提案すれば、全国の返礼品屋さんから攻撃されるだろうが、これからの葬儀にあって最も重要なことは無駄の削除。それからすると真っ先にテーマとなりそうだが、義理的会葬者の割愛が流行しつつあることだけは確かなようだ。

2003/11/20   心の隙間    NO 611

NHKの特集ニュースで、医療現場のミスについて報じられていた。

 ガン治療の際に行われる放射線照射だが、診断された医師がカルテに書き込んだ放射量数値の解釈が放射線技師の解釈と異なっており、副作用という医療ミスが11年間も発見できなかったということだった。

 その原因究明についての調査報告もあったが、医師の決定した数値は人体の表面でのもの。放射線技師が解釈していたのは、体内のガン細胞そのものへの数値であり、その差が副作用という悲劇につながっていたのである。

 取材を担当していた記者のリポートの表現に、互いの「思い込み」という言葉があったが、この「思い込み」は様々な世界でミスを引き起こす原因となっているようだ。

 交差点で停止した車に追突した知人が、「まさか、黄信号で止まるとは思っていなかった。突っ切ると思った」と後悔していたが、そんな身近なところにも多く起き得る問題で、社内にも、私にも日常茶飯事のように発生し、それは、まるで人間の陥るエアポケットと言えるかも知れない。

 弊社の社員に教える三原則、それは、「羞恥心を持ち、仲間が恥ずべき行為をしたら自身の羞恥」「いつも『?』を持ちなさい」「プロは、いつも『イフ(もしも)』を考慮して」だが、「?」と「イフ」は、勝手な思い込みによって全く役立たないことにもなる。

 思い込みとは人間の習性であるとの観点を理解し、二重、三重にミスのないようにガードしたいものだが、ミスをしてから対策やマニュアルがつくられるもので、この繰り返しも人間の歴史。

 私の好きな言葉に「プロは反省するが、後悔はしない」というのがあるが、それは、それだけの準備と心構えをもって臨むという意味であり、深慮なくして「案ずるより生むが易し」という結果にはつながらないだろう。

最近、医療現場でのミスが多く報じられているが、人命にかかわることだから真剣に取り組んでいただきたいもの。

そうかと言って、我々葬祭業も絶対にミスの許されない仕事。謝罪しなければならない相手がこの世におられないという問題がある。

「亡くなった母が悲しんでいると思います」なんてご遺族に言われたらお終い。一生苦しんで後悔することになってしまう。

 大きなミスとは、小さなミスの積み重ね。人間とエアポケットは一対のもの。ミスは心の隙間に発生する。くわばらくわばら・・・・

2003/11/19   お寺と地名    NO 610

 過日、「NO 606」で書いた仏教讃歌「三帰依」について、お二人の方からメールを頂戴し、その意味をということなので書かせていただく。 

 三帰依そのものは「佛・法・僧」であり、仏様、教え、お寺さんということになるだろう。

 大阪に聖徳太子にゆかり深い「四天王寺」という著名なお寺があるが、聖徳太子が制定されたという十七条憲法の第一条に「和を以って尊しと為す」。第二条に「深く三宝を敬え」とあり、この「三宝」が「佛・法・僧」でもある。

 「帰依」という文字について書けば数百ページになるので、ここでは簡単に書くが、分かりやすく言えば「一身を任せて信じること」で、「南無」という言葉につながっている。

 つまり、南無阿弥陀仏と言えば、「阿弥陀様を心から信じます」ということになる。

 仏教讃歌の三帰依は、インドに数多くある言語の中のパーリー語で歌われ、「ブッダーン、サラナーン、ガッチャミー」というような歌詞で、上述の「佛・法・僧」をそれぞれ称えられている。

 さて、四天王寺があるのは大阪市天王寺区だが、全国の地名に「寺」の名称から始まったところが山ほど存在する。

 それらは、その地の信仰の対象となった由緒あるお寺の存在があったからだろうが、弊社のメモリアルサービスの事務所があるのは生野区「舎利寺」町。すぐ近くに仏舎利に因んだ謂れのある古いお寺があり、地域の方々の誰もが知られる存在となっている。

 また、すぐ近くの町は「林寺」。この地名の語源になったというお寺さんに伺うと、昔、「林の中に一庵あり」との文献の存在があり、そこから地名に進展したという歴史だった。

 近鉄バッファローズの拠点球場として知られる藤井寺だが、近鉄南大阪線の急行が停車する藤井寺駅との中間にお寺がある。

 このお寺は「葛井寺(ふじいでら)」呼ばれているが、古くは「百済」につながる歴史あるお寺。

 このお寺のご住職とは、面白い出会いがあった。

大阪府PTA協議会の役員をされておられたご住職。当時、大阪市PTA協議会の理事であった私と、ある大会で二人が進行責任者となった。

 打ち合わせの会議が終わって名刺を交換して互いがびっくり。

「お寺様?」「葬儀屋さん?」

 二人は、その後、大笑い。進行がうまく行ったのは言うまでもない。

2003/11/18   絆      NO 609

 今日の私の担当の葬儀、ご遺族の了解を頂戴し、15分前から開式。計算通り、12時ジャストにご出棺となった。

 開式直後に参列者向けにご案内した代表者焼香拝受の予定時間、11時19分もぴったり。数人の会葬者から、「どうやって計算しているの?」と質問されたが、ご親戚の人数、ご導師のご読経のスピード、弔電代読の数量をチェックしながら決めること。これらは、長年の経験から生まれた私独自のサービス。

 焼香の始まる時間にご興味を抱かれると、待つ時間を短く感じるもの。そんな付加価値のあるサービスだと自負している。

 火葬場に向け走行中の車内、喪主さんが「出来ることなら一緒に棺に入りたい」とお寺さんにお悲しみを嘆かれた時、霊柩車の後方に続く私の車、ハンドルを握る手がグッときた。

 夫婦の絆は深いもの。それらのすべてを凝縮して象徴するようなお言葉だった。

 さて、今日は、東海地方の大手葬儀社の社長が来社された。今月前半に行った弊社での9人のスタッフ研修への御礼だが、過日に行われた会長の合同社葬の収録ビデオも持参され拝見した。

 その中で私がナレーターを担当した部分、いつもよりスピードがダウンしていることに気付いたし、コンビを組んだ女性司会者のスピードがアップしていた事実も見えた。

 これらは自然に生まれた互いの譲り合いの心情からだろうが、映像というものは客観的で見事に捉えている。

 彼女は、双子の姉妹「きんさん」の葬儀を担当した司会者。包むようなやさしさに特徴があるが、私とのコンビは久し振り。過日に来社された時、私の隠れ家でナレーションを拝聴したが、司式バージョンに於ける女性という立場の難しさを再認識されたよう。

 きんさん、ぎんさんの葬儀には、私の監修したオリジナルCD「慈曲」が使用されたが、趣味と道楽が転じて世に生まれたCDが、そんなかたちで全国的に活用されていることは嬉しいこと。私の生きた「証」の大きなひとつでもある。

 一方で、日本トータライフ協会のメンバー掲示板に、ビデオ映像のデーターが配信されていた。

 これは、北海道の苫小牧市民斎場が担当した「偲ぶ会」の一部。

メンバーたちからの返信を見ると、「ここまでやるか?」というのもあり、それぞれのメンバーが、映像という専門的な分野まで枠を広げ、グローバルサービスを実践している事実に触れ、協会のオリジナリティな将来性を大いに期待する喜びを感じている。

 今日来社された葬儀社さんに、「今後もスタッフたちを隠れ家に」と懇願されたが、果たしてスタッフの皆さんはどう思っているのだろうか?

 高額な交通費が伴う大阪への出張となるが、それだけのものを体感させて帰社させる責務を感じる。そこで、ふと思い出した言葉がある。

『教えることは、自身が勉強して学ぶこと』 隠れ家でお待ちしています。

2003/11/17   後ろ姿     NO 608

 お通夜の司会を担当したが、この数日冷え込んでおり、持病の腰痛が応えてくる。

 しかし、悲しみを迎えておられるお客様への責務が第一。明日の本番のために、帰宅してから銭湯の電気風呂で温まり、葬儀当日に控えている。

 今日は、午後から大規模なホテル葬もあった。食事のおもてなしを中心とする形式で、会場には多くの屋台がセッティングされた。

 葬送の「かたち」が急速に変化してきている。弊社への事前相談にホテル葬が増えているし、一方で限られた方々だけでの「家族葬」を要望されるケースも多くなった。

 さて、今日のお通夜だが、喪主さんが地域の重職を歴任され、亡くなられたご伴侶も交友関係の広いお方で、驚くほどの弔問者が来られた。

 夏頃にお身体のご不調を訴えられ大手術をされたそうだが、現代医学の最善を尽くしても及ばず、惜しまれる70年間の人生を静かに閉じ逝かれた。

 喪主さんや息子さんから闘病生活を伺ったが、それは、壮絶な病魔との闘い。改めて病気の恐ろしさを知ったような思いを抱いている。

 明日の葬儀は、皆さんに告知された時間よりどうしても15分前から開式しなければならず、そのご了解を願っている時、近所におられる役員さんがやって来られた。

 机の上に置かれた10数枚の思い出写真をご覧になり、「これ、メモリアルボードの写真?」とおっしゃると、「私の家にお母さんの写真がいっぱいある筈」と、ご家族のお一人を伴われてお写真探しに行ってくださった。

 葬儀の依頼を頂戴し参上した際、ご本人のお気に入りの写真がなかなか見つからないもの。ましてや長い看病から悲嘆の世界に陥られると、家内での写真探しは容易ではない。

 祭壇に飾られたご遺影を見られた弔問者が、「もっと、いい写真がなかったのか?」と疑問のお声を出されることも多く、「これだったら、一緒に旅行した時のいい写真があったのに」と嘆かれる光景を何度も体験したが、今日のご遺影はソフトクリームを手にされたもの。そのご表情がいかにも故人らしく評判がよかったが、一見、カラオケのマイクを手にされているイメージにも見え、近くまで寄られて確認をされた方もおられた。

 友人や近所の方々のアルバムに、思ってもいなかった素晴らしい写真があることも考慮したいもの。上述の近所の役員さんに大いに感謝するところだが、故人がきっと喜んでおられるものと拝察する。

 何十年の生活、そこには多くの人との出会いと別れがあるが、えにしに結ばれた方々からの「思い出を形見に」というような、そんな心のプレゼントが最高の供養。これらは、義理やビジネスでは生まれない。

 関東弁で「いい人だった」。関西弁で「ええ人やったのに」。そんな言葉で送られたいもの。

 NO 602で書いた「看護師さんの刹那さ」に対する専門家の答え「人は、生きたようにしか看護されない」ではないが、葬送は、その方の生き様を見事に物語ると言えるかも知れない。         ・・・・南無大師遍照金剛

2003/11/16   納得の比喩    NO 607

 世の中には知識の豊富な人がいるが、どんな専門分野でも、それを如何に短い言葉で相手に分かりやすく伝えるかということが大切。

 そんなところからすると、駄文の列記というこの独り言は最悪。相反する見本だろう。

言葉や文章の重要性は認識しているが、低次元な国語力では及ばず、私の場合、「書く」ことは恥を「掻く」ことになっている。

 今日、仕事の話をしている時、ある方から「目から鱗」という言葉表現を拝聴し、上述の表記に至ったと正直に吐露申し上げる。

 その方、たまたま地震のことが話題になった時、私がこれまで抱いていたモヤモヤの疑問を瞬時に解決してくださった.

それは、地震の震度とマグニチュードのことだが、もうひとつ分からなかったその関係を次のように解説された。

 「それはね、君の仕事に関係していることだよ。アンプにつながるスピーカーのボリュームそのものとも言えるね」

 つまり、マグニチュードとは震源地でのスピーカーボリュームのレベル。震度とは、それが伝わる場所での実際に聞こえる音量ということで、スピーカーから離れた分だけ小さく聞こえるということだった。

 テレビで飛び込んでくる地震速報。震源地と共にマグニチュードの発表があるが、おおよそのイメージだけを理解してはいたが、こんな比喩ではっきりと伝達された表現の巧みさに、「お見事」と心の中で拍手していた。

 社員教育や講演での言葉表現、そんな伝達が出来ればと思い直すことにし、また新しいテーマに出会ったような気がしている。

 生涯教育が叫ばれ、昔から「人間死ぬまで勉強」との言葉もあるが、どんな人にもその人だけの知識や知恵が秘められているもの。それらが先人の残した言葉「亀の甲より年の功」かも知れないし、表情の伝わらないインターネット世界と異なるとも言えるだろう。

 さて、そんなインターネットだが、今、私は「中性脂肪」についてのページを覗いている。血液検査の結果だが、いつもそれだけが引っかかる。度合いは軽度だが、心配性のなす行動。あちこちのページを見たらコレステロールより重視しなければならないよう。

 私は、アルコールは350の缶ビール1本が限界だし、暴食ということもない。しかし、やはりどのページにも「運動不足」という文字があった。どうやらそれが要因らしい。

 これから寒くなる。歩くことが少なくなる可能性が高まるが、可能性とは一方で危険性であると意識しておこう。

2003/11/15   優雅なひととき    NO 606

 午後3時から行われたご法要、広くて立派なご本堂に多くのお寺様がご出席、厳粛な儀式空間を感じるひとときとなった。

 先代ご住職の43回忌に併せ、ご内室の13回忌。急遽、進行係を担当することになり緊張した。

 ご導師を務められたのは東京のお寺様、ご読経はもとより失礼な表現で恐縮だが「散華」のお姿が美しく、感動の世界。

 お寺に設営された音響システムを使用させていただいたが、司会をするなら音響を自社で準備するべきだったと反省する。

 会場が変わり、ホテルで「御斎」が行われたが、オープニングは「三帰依」から始まる仏教讃歌。出席された檀家の方々がご唱和される姿を見て、このお寺様の檀家さんとのコミュニケーションの素晴らしさを改めて知った。

 さて、献杯から始まったお食事だが、両隣にお座りになったのはお寺様。これで、またまた緊張するが、やがて流れ出した生演奏、それは本当に素晴らしい音楽であった。

 昨日に表記したように、奏者は「慈曲」の作曲者。シンセサイザーを携行されていたが、ホテル側が用意してくれたローランドの電子ピアノで演奏されることになり、いつもと異なる世界に聞き惚れる。

 進行係として、僭越なことだが曲の解説や彼女の紹介を担当する。そんな中、真向かいのお席におられた栃木県のお寺様から「慈曲」のCDを是非と懇願され、2枚をプレゼントさせていただくことになった。

 伺ってみると、1枚はご住職ご自身が、もう1枚は、ご住職が関係される図書館に収蔵されるとのこと。それで彼女と私は恐縮の極み。

 テーブルでしばらく「慈曲」が話題となった。法要でのご導師が私の臨席。過去にプレゼント申し上げた「慈曲」のCDを、ご法要や葬儀の際にご活用くださっておられるそう。また、就寝される前に聴くと心地よく眠りに入られる不思議な音楽だとご評価いただき、またまた合掌の思い。

 彼女の演奏は、体感された人にしかご理解いただけないだろうが、本当に不思議なタッチ。醸し出される音楽に誰もが自然に引きずり込まれ、ゆったりとした上質な時間が流れる。

 彼女が天性のように生かされるレクイエムの世界。短いフレーズだが実験的に数曲をご体感いただいたが、どうやら皆様がご納得をされたようでホッとする。

 ふと時計を見ると結びのお時間。窓から見える夜景が雨に煙ってほのかに感じる。そこには、冬を間近に感じる秋の風情が漂っていた。

 ・・・・・・・・・・・・・合掌

2003/11/14   つぶやき     NO 605

 今日の葬儀を担当してきたスタッフたちが、遠方のお寺で行われる文化祭の準備の積み込みをしている。

 このお寺様は、毎年、檀家さんたちの趣味の作品展示会を催されており、約1週間の開催中は多くの檀家さんがやって来られるが、年々に展示物が増え、創作される方々の思いの熱さも感じている。

 一方で、明日、私はお寺様のご法要に参列する。東京からもご親戚のお寺様が来阪されるそうだが、この中に音楽に造詣深い方々がおられ、ホテルで行われる「御斎」では、「慈曲」の作曲者にお願いし、彼女の素晴らしい演奏をお聞きいただく趣向となっている。

 ある大規模な祝賀会で司会を担当し、上述のお寺様たちの歌を拝聴したことがあるが、あまりにも上手すぎて、主催された方に「プロみたいですね」とお話したら、「プロですよ」と教えられてびっくり。学生時代からハワイアバンドを結成され、かなり著名な存在だったそう。

 それから数年経った頃、また、祝賀会の司会を担当したが、この時、打ち合わせの段階で「ギターを2本用意してください」と言われ、私のギターと友人から借りた物を用意した。

 そこで歌われた歌、それは未だに強烈に残っている。ラテンの名曲「ベサメ・ムーチョ」で、<やはりプロ>という世界を体感したことが懐かしいが、私のギターが安物で、非常に恥ずかしかったことを鮮明に覚えている。

 明日の御斎、法要の後だけに、「思い出を形見に」というような音楽の活用につながったらと思っている。

 さて、そのお寺様に打ち合わせに参上し、近くのお寿司屋さんでご馳走になったが、その帰り、乗ったタクシーの運転手さんから身の上話を拝聴することになった。

 彼のお母さんの家、ローンが完済した途端に隣から出火、全焼する被害に遭われたそう。火災保険に入っておらず、近隣の人から焼け残りの後始末を早くしろと迫られて困っているとのこと。 

 「損害賠償を請求出来ないのでしょうか?」と質問されたが、中途半端な対応をするべきでないと考え、弁護士に相談されるのがベターというアドバイスをしておいた。

 世の中には、不条理な出来事が少なくない。基本的な情報ならインターネットで調べられるが、法律に関することならやはり弁護士。「餅は餅屋」の格言のように、遠回りは時間の無駄。何でも専門家に相談するのが早道だが、専門家にも善悪が存在するのも世の常。その選択には知識よりも知恵が必要な思いを抱いている。

 そのタクシーに乗っている時、知人から電話があった。奥さんが受けた大手術の結果が芳しくなく、その際には頼むという悲壮な内容。それを聞かれていた運転手さん、「世の中、不幸なことが多いのですね」と呟かれた。

2003/11/14   睡眠不足ですが    N0 604

 ホテルでの打ち合わせを終え、その足で車で出発。阪神高速環状線の土佐堀付近で電光掲示板が目に入る。

 「吹田〜栗東間、夜間工事で通行止め」 

 仕方なく環状線を一回り、そのまま西名阪から名阪国道を走行したが、名神の通行止めの影響からだろうがトラックの行列。それは、日頃の東名高速道路以上の数だった。

 名古屋を経て東名に入る予定がコースを誤り、中央道へ入ってしまって、さあ大変。しかし、通行量の少なさに魅力を感じ、遠回りだが長野、軽井沢経由に変更する。

 <夜明けまでに到着すれば4時間の余裕が> そんな時間計算をし、<早めに着いて髭を剃る> その皮算用は、あちこちで行われている道路工事で少しずつ狂いが生じる。

 10キロもある恵那トンネルも1車線規制。おまけに飯田まで行くと、「参った」という道路情報が電光掲示されている。

 「事故、通行止め。松本から」

 そこで次のパーキングエリアに飛び込み、ネットで道路情報を確認したら解除までかなりの時間が掛かりそう。ここでの2時間、3時間はもったいない。<東名だったらこんなことに>と後悔するが、もう、どうにもならない状況。

少し、雨まで落ちてきた。時間の計算で心の焦りが交差する。確実に血圧も上がっていただろう。何より問題は「身だしなみ」への時間の消費。

 そんな思いを抱いた時、ちょうど駒ヶ根インターのすぐ手前。そこで、とんでもないない「迷案」が浮かんだ。

 それは、途轍もなく度胸と勇気が必要な決断。結果として英断となった訳だが、不謹慎だがファッションホテルに飛び込んだのである。

 見るからに恥ずかし過ぎるほど派手な建物。それは、インターの目の前にあった。

 部屋に入るまでウロウロすることになったが、まあ、立派なバスルーム。おまけにサウナまであるではないか。さすがにサウナの時間はなかったが、ゴージャスなジェットバスを利用し、髭剃りからシャンプーまで。その後、コンピューター制御されたマッサージ器で背筋を伸ばしたが、足のマッサージも気持ちがよかった。

 着替えを済ませ、ネットで道路情報を調べる。もうしばらくで開通するようだ。今から松本へ向かえば解除されている筈。すっきりし、何か得をしたような気持ちで中央道に戻ったが、料金所の手前で携帯電話。私の友人のお母さんの訃報が入る。

彼は、今年の夏に親父さんを亡くされ、Wの不幸に見舞われたことになる。

用件を済ませ、寝ずにとんぼ返りをすれば葬儀に間に合う。何とか司会を担当してあげよう。そんな思いがアクセルを踏ませるが、これが、せめて帰路だったらと、皮肉な巡り合わせに重い疲れが。 <無事故で帰られますように・・・・>

 ・・・何とか帰阪。今からナレーションを作成する。  午前6時25分

2003/11/12   感謝を込めて・・・合 掌    NO 603

 ホテル葬の日が迫っている。私の身長より高い背丈の遺影写真がホテルに届けられるが、傷を付けたらえらいこと。本番の時までの取り扱いに気を遣う。

 特別なサイズで制作すると、かなりの日数を要するもの。乾燥させる時間も必要だし、照明を当てた場合に反射しないような特殊加工も重要で、間に合わなかったら大問題。

 今日は、夕方から別のホテル社葬の打ち合わせが入っている。おそらく3時間程度を要するだろうが、それが終わると遠方に出張する。

 明日の朝の新幹線では間に合わず、どうしても車での夜間走行を強いられ、片道700キロを走ることになるが、腰痛と目の疲れを心配している。

 さて、葬儀司会者向け虎の巻「温故知新」だが、日本トータライフ協会のメンバーたちが「到着しました」と掲示板に書き込んでくれていたが、中に「合掌して開けました」という一文があり苦笑する。

 それぞれのメンバーがそれぞれの活用をしてくれるだろうが、宗教のことを勉強するのが葬儀社の基本。文献が山ほど存在していても、なかなかすぐに役立つものは少なく、司会に関してグローバルに総括して100ページにまとめたものは、きっと役立つものと思っている。

 しかし、発送してから調べてみたら誤字に脱字が発見された。ただ、誰が見ても気付く程度のものなのでホッとした。

 「司会者の教則本を探していたのです。やっとめぐり合ったような思いで、『独り言』のページに出会い、訪問していて本当によかったと思っています」

 協会のメンバーでない司会者さんから、そんなお手紙を頂戴したが、なんと嬉しい表記ではないか。駄文の列記から新しい「えにし」に進展することは何より喜ばしく、心身の疲れの中で心が和む。

 今日の深夜は、都会の喧騒を離れて山中の高速道路を走っているだろう。車載しているJBLのスピーカーから、お気に入りの音楽も流れているだろうが、安全運転のために、オリジナルCD「慈曲」を流そうと思っている。

 通行量の少ない深夜の高速道路。「慈曲」の調べを耳に走行すると、様々な光景が浮かんでくる。これまでお送りした多くの方々の葬送が去来する。それは、いかにも葬儀屋らしい表現だろうが、前方を照らすヘッドライトの中に故人が出現されることはないのでご安心を。

 そんなところから、深夜の12時前に発信しているこの「独り言」。本日は、夕方前に発信ということになりました。

 明日の朝日新聞の朝刊、大阪市内版で恐縮ですが、コラム「独り言」のご訪問への謝辞広告が掲載されます。ここに併せて御礼申し上げます。

 ご訪問、有り難うございます。衷心より感謝申し上げます・・・・・合掌

2003/11/11   重いひとこと    N0 602

 ファクシミリに唐突な宣伝広告が入って来ることがあるが、それらはメールにも増えてきている。

 そんな中に、「今後、受信を希望されない場合は、その旨を返信ください」という、とんでもなく失礼な表記がされていたのが数通あった。

 こんな会社を経営される社長の顔が見たいと思うが、話をしたいとは絶対に思わない。

 夜の9時や10時に営業の電話が掛かってくることもある。それらの大半が「社長をお願いします」と言うそうだが、中には、私と友人関係にあるようなニュアンスで騙すという悪質なケースもある。

 今や世の中何でも有りの様相。礼節と羞恥心の欠如した会社も社会も最悪。それらを顕著に物語るような犯罪も増えている。

 高齢者を巻き込んだ「オレオレ」詐欺なんて許せないし、引ったくりの被害で打ち所が悪く、亡くなったという事件の報道に怒りが込み上げてきた。

 我が大阪は、引ったくりの多い町。中でも私の住む生野区が群を抜いているとも言われたが、最近、地域の防犯姿勢と警察の協力で激減していると聞いた。

 先日、両親を殺傷したという事件が報じられていたが、こんな葬儀は最悪。喪主を務めなければならない立場の方が入院中。どんな思いでベッドにおられるのだろうか。そこで去来されるご胸中を察すると余りあるものがある。

 15000人の方の葬儀で司会を担当し、その内の約半数の方を火葬場までお見送りしたが、不幸や悲しみに接していると誰より「命」の尊さを感じるもの。

 昔、何かのしがらみで小学校のPTA会長を4年つとめたが、当時にご一緒させていただいた2代の校長先生と、「死」の教育の欠落で将来を危惧することで一致していた。

 その先生は、今やお二人ともお浄土の人。「それ見たことか」と、この世の現状を悲しんでおられることと拝察する。

 家庭に神棚や仏壇があるという家が少なくなっているようだ。葬儀の依頼があって参上すると、それらを強く感じることになる。

 宗教の是非について書く立場にはないが、命、死、悲しみについては語れる経験をしているつもり。家庭教育に併せ、学校教育に於ける「歪み」だけは考えたいもの。

 当協会のメンバー掲示板に、看取る人のいない患者さんや見舞いの来ない患者さんの存在に憂いを感じる看護師さんの刹那さが書かれていたが、それに対して答えた専門家の次の「ひとこと」が印象に残った。

 「人は、生きたようにしか看護をされない」

 その言葉には重い意味がある。そして、それは、上述のことに大きく関係する問題であるような気がしてならない。

2003/11/10   支離滅裂ですが    NO 601

 今日は、友引。前から予定していた他府県の同業者のスタッフたちを迎え、研修を行った。

 大阪は折悪しく雨、お通夜の設営に走った弊社スタッフたちが風邪をひかないように心配している。

 夕食時間を含めて約8時間の研修。間違いなく彼らは疲れている筈。葬祭サービスのグローバルな世界から始まって司会の奥深さまで、帰社してから整理するには大変な苦労を強いられるだろうが、必ず昇華できるものと信じている。

 彼らのタクシーを見送って自宅に向かう。雨の中、傘を握りながら、ふと思ったことがある。 

 空から落ちてくる雨、濡れないようにと知恵に生まれた傘。木陰や穴や軒下にしか雨しのぎが出来ない動物に比べ、人間とは何と贅沢で恵まれた生き物だと感じてしまう。

 自然の贈り物である雨。傘で自分だけが濡れないようにする一方で、それを集めて利用する。水道の蛇口を回せば水が出るし、それを熱することも可能。

 暑い夏に海や湖に身を委ね、暑い寒いで風呂に入って身を清潔に。時には凍らせて冷を求めることもある。

 北国に雪を求めてスキーに行き、南国でダイビングやヨットで時を過ごす。

 それらは、人間が地球の「王」のような振る舞い。マンネリの中には謙虚さえ消滅し、ますます「王道」を進んでいる。

 科学の進化で台風襲来や明日の天気も予測できる。人間様とは、ほんにオエライ動物だが、神や仏でないのは事実。

 神や仏が、人間を地球上でそんな立場にしてくださったのは、ただひとつの理由から。

 それは、「死」というものを理解し、悲しむ表現を他人に確実に伝えることが出来るから。

 そんな人間が殺戮を続けている。自分が神だと勘違いした愚かな指導者が戦争を引き起こす。

 古代に生きた先人は、自然を神仏として崇めた筈。その名残は未だに世界中に生きている。なのに核やミサイルが神になり、その所有者が教祖となる。

 「宗教」が「宗狂」となったら悲劇が起こる。北極の氷やシベリアの凍土が溶けてきているそうな。地球環境は、確実に悪化してきている。孫や曾孫の時代はどうなるのだろう?

 ふと、ここで考える。川の流れがある。上流で生活する人が洗濯をする。水は徐々に汚れ、何れは海に達するが、誰も下流のことまで気付かない。

 しかし魚は知っている。岩魚やアマゴの棲むところと鮎の棲息地域は異なっている。そんな習性を知った人間が釣りをする。

 水とは大切なもの。せめて子孫にプレゼントしてやりたいではないか。世界の政治家さんたち、命の源のことを真剣に考えてくださるよう。

2003/11/09   投票を終えて    NO 600

 昨夜、あるホテルで行われた会合に出ていた。円卓を囲んで次々に運ばれてくる料理。ここで臨席の方々の話題に料理の予算が飛び出し、それぞれの方がそれぞれのご意見を出されていた。

 その決の矛先が私に向けられ、「これは、『飲み放題』でしょう」と返すと、全員一致で「幹事が厳しい予算で苦労されたようだ」と結ばれた。

 料理人さんたちが手を掛けられた様々な料理だが、そこで素朴な質問が多くあった。

 それは、一品ずつの食材。食べてみるまで分からないものが多く、テーブルにいる誰かが勇気を持って毒見役をして解説。みなさん、それから箸をつけられる光景が多かった。

 高額な予算で行われる披露宴やパーティーにはメニューの添付があるが、一般的な懇親会の予算では無理なこと。しかし、カード1枚で解決できるサービスなのだから、そんな配慮もホテルサービスだろうと感じていた。

 さて、今日は日本全国選挙一色。大阪は雨模様で投票率の低下が心配だが、投票したい候補者がいないという方々に、その意思を表す方法が棄権しかないというのも考えもの。今後の選挙は、そんなところにキーワードがあるように思えてならないところ。

 前回の選挙の際、この「独り言」で書いたことをもう一度書かせていただくが、選挙で大嫌いな光景がふたつある。

 ひとつは、テレビのニュースで伝わってくる「万歳」の光景。もうひとつは、ダルマの開眼である。

 私は、司会者だが、総合プロデューサーが本業。プロとして見ると、あの光景は最悪のシナリオ。

 「これで金儲けが出来る。万歳」「これで我々関係者が安泰だ。万歳」

 今の社会構造の中、そんな光景に見えてしまうのは確実。少なくとも、文化国家の形成に万歳は似合わないと断言する。

 一方で、ダルマの開眼だが、ダルマにふたつの目。事務所開きに片方を入れ、当選の暁の万歳時に目出度く開眼とされているが、告知日にはなし、当選で初めて片方だけに墨を入れ、隻眼のままで議員活動をする。そして、公約を見事に果たすことが出来た時、開眼というような発想が出来ないのだろうか?

 そんな愚かな古式に甘んじている政治家に、改革なんて全く期待薄。

 「政治は、もはや死んでいる」と何処かの社会学者が発言していたが、死んだとなれば我々葬儀社の出番。山ほどの死を体験すると他人にやさしくなれるそう。また、死を知ると自然に「生」を学ぶとも言われる。

 当選された議員さん。どうか「死」を学んで「生」を活かしてくださるよう。殺伐とした社会、そこでの死の教育は重要なのです。

2003/11/08   高知のマドンナ    NO 599

 マドンナという言葉の意味は、美しい婦人だが、宗教的には「聖母マリア」となるそうだ。

 この言葉が有名になったのは、誰もが知る夏目漱石の「坊ちゃん」。その舞台は、愛媛県の松山中学だった。

 弊社が加盟する日本トータライフ協会には、マドンナと呼ばれる女性が数人いるが、その中のひとりが高知県「おかざき葬儀社」の「岡崎 道さん」。メンバーたちが「四国のマドンナ」と称している。

 彼女は、葬祭サービスに関する様々な「ソフト」を有されるが、それを惜しまれることもなく、「みんなで共有しましょう」とメンバーたちに分け与えてくれているし、協会の研修会のテーマである「みんなが先生、みんなが生徒」という言葉の命名者でもある。

 デジカメからの写真編集やビデオ編集はプロの域。ビデオの専門会社の社長が教えを乞った事実もあるが、そんな彼女の睡眠時間は、平均して1日4時間。後の20時間の大半をお客様のために費やされている。

 ある時、彼女がお客様から頂戴したお手紙を拝見したことがあるが、その中の特徴的なこととして、次の一文が印象に残っている。

 「身内の不幸でお世話になり、今回ほど葬儀社さんがどれほど大変で大切な仕事であるかを実感したことはありません。故人の思い出のコーナーやビデオの放映、それらは、今まで体験した葬儀とは全く異なるレベルでした。あなたは凄い方です。これからも不幸を迎えた方々のために、いつまでもお元気でお過ごしください」

 彼女は、そんな内容のお手紙を多く頂戴しているが、それらは、我々葬祭業が究極のプロのサービス業であるアピールにつながり、業界の文化向上に大きな貢献をされているように思っている。

 弊社のスタッフたちも彼女の影響を大きく受けており、日々研鑽に努めているが、半年も経てば、また別世界に進んでしまっているから驚き。

 数日前、全国の葬祭業者に商品を納入しているセールスマンが来社した。いつも情報収集のために時間を費やすことにしているが、「勉強になるような業者さんは?」と尋ねると、四国のことならいつも彼女の話題ばかり。彼女のホスピタリティあふれる感性は、弊社スタッフや全国のメンバーたちに高く評価されているが、我が協会の「至宝」でもあることを明言申し上げる。

 そんな彼女だが、HPで発信を続けていた「ほっと ひといき」が大変のよう。「一生に一回のことだから」と、仕事の手抜きが出来ないご性格は、深夜作業で睡眠時間を減らしており、何より健康を案じている。

 彼女が葬儀を担当される高知市の方々は幸運と言えるだろう。ご不幸の中、きっと不幸でない「ひととき」がプレゼントされる筈。それが、彼女の「ほっと ひといき」なのかも知れない。

 そんな彼女の感性に触れたいお方様、どうぞ、「ほっと ひといき」をご訪問ください。

 高知市 おかざき葬儀社 「ほっと一息」

http://www.joho-kochi.or.jp/okazaki/hottohitoiki/hottohitoiki.html

2003/11/08   お 知 ら せ    リニューアルにつきまして


 本日、弊社HP内「久世栄三郎の世界」のページがリニューアル発信されました。

 ITでの音声には限界がありますが、司会と司式が異なるというイメージだけはお感じいただける筈です。

 BGMには、オリジナルCD「慈曲」から「永遠に」「時空を超えて」の2曲を使用いたしましたが、「時空を超えて」という曲は、お悲しみの遺族を励ますコンセプトで作曲されています。

 「独り言」の「NO 597」「NO 598」に表記のように、11月7日付け読売新聞朝刊(市内版)にご訪問御礼広告を掲載いたしましたが、毎日、ご多数のご訪問を頂戴し、スタッフ一同、心から感謝を申し上げております。
 なお、御礼広告は、来る11月13日の朝日新聞にも掲載される予定です。

 ご訪問への感謝の意、そしてリニューアル発信のお知らせとさせていただきます。
                                合掌

                    大阪高級葬儀株式会社                 
                     メモリアルサービス事業部 IT企画室長

2003/11/07   友人からの「ひとこと」    NO 598

 深夜に及んだ昨夜の録音、午前1時に何とか終わった。

 音響のプロと音楽コンピューターのプロが会話を交わしているが、専門用語が全く分からない。

「ジュリエット」という言葉が飛び出したので興味を覚えたら、それは、CDに落とす際のひとつの手法のこと。ロミオなんて場違いなことを言っていたら赤っ恥を掻くところだった。

私の前にセッティングされた多くの機材、その配線たるや、まるで迷路。そのすべての行き先がコンピューターにつながっている。

 同席していた弊社の本部長が、コンピューター画面を覗きながら固まっていた。

 「念のために」と言われ、CDに落とす作業を何種類もされているが、そこで始まった会話でびっくりする。

 「データー確認だけど、メールで送ってみる?」

 それは、午前0時を回った頃。相手側に関係するプロたちとの携帯電話が何度も交わされ、この時間まで付き合ってくださる人たちの存在を知り感謝する。

 この1ヶ月、ずっと宿題になっていた録音が終わりホッとするが、今日は午後から「隠れ家」での録音。これは、いつものビデオへのナレーション収録。選挙カーが通らないことを願いながら数本を吹き込んだ。

 そんな中の1本に、ご急逝された女性のものがあった。

茶道と華道に造詣深く、1週間ほど前に開催された生花芸術展、そこに出品された作品が最後の創作となってしまわれたが、特別ご来賓の常陸宮妃殿下からお言葉を賜ったそうで、大層お喜びになっておられたそう。

 そんなお元気な方がご急逝される。人の世の明日は分からない。「木枯らしの 訪れ 早き仏かな」 そんな俳句を思い出しながら司会を担当申し上げた。

 夕方、私の在社を電話で確認した友人がやって来た。彼は、今日の読売新聞朝刊で弊社の御礼広告を見たと言い、この「独り言」のアクセス数に興味を覚えて来たそうだ。

 数ヶ月前からインターネットを活用するようになったと言う彼、今日まで「独り言」の存在を全く知らなかったそうで、開けて駄文の列記に驚いたと語ってくれた。

 また、新聞を見たという知人からの電話も数本あった。そのすべてがアクセス数への興味。数字を伝えるとびっくりしていたが、中に失礼な発言があり腹が立つ。「エッチゾーンみたいな数字じゃないか」と、そんな表現はないだろう?

2003/11/06   ご訪問へ感謝を込めて    NO 597

 ご訪問くださいまして誠に有り難うございます。「ごまめの歯軋り」「石亀の地団駄」そのものでしょうが、私が生きた証に始めたコラム。皆様のお話の種になれば幸甚でございます。

 このHPがリニューアル発信されたのは、今年の8月1日。企画室のIT担当スタッフによると、アドレス変更やページの完全な変更によって、それまでのアクセス数がゼロに戻り、非常にもったいないことをしたと教えてくれた。

 では、なぜ、リニューアル時に言わなかったのかと疑問が生まれ訊ねてみると、「独り言の固定訪問者の存在があり、半年のロスで済むと判断していました」と涼しい顔。

 考えてみれば、現在のアクセスカウントは8月1日からということ。毎日、そんなことを全く知らずに発信していたことになる。

 目の前に出されたアクセスの調査資料、それは、とても信じられない数字。ご訪問くださった皆様に感謝の心を表明し、新聞に御礼の広告を掲載することを命じたが、「予算の関係です」と言われ、2紙の大阪市内版に制限された。

 大阪市内以外からご訪問くださる皆様、なにとぞご海容くださいますよう伏してお願い申し上げます。

 添付されていた文字検索の結果だが、とんでもないページでトップに登場するとのこと。
<まさか>と思ってヤフーで検索したら事実の話。「ホテル 司会」と「ホテル オリジナル サービス」のふたつだけ調べてみたらトップに出ていてびっくりし、スタッフの涼しい顔の意味がやっと理解出来た。

 そんなアクセス数の分析だが、担当者が恐ろしいことを教えてくれた。

 それは、私が出張などで山の中のホテルや旅館に宿泊し、電波の発信が不可能で「オヤスミ」をした次の日の数字。ご訪問いただく方が何回も確認されるからだろうが、3倍以上の数字となる。

 「社長、たまにオヤスミしましょうよ」と冗談っぽい口調で言われたが、すぐに「オヤスミする人ではないですね。突然電話で、『電波が届かん。お断りを発信しろ』なんて言われる人ですから」と嫌味を言われてしまった。

 さて、今日は、深夜に及ぶナレーションの録音を行っている。

関西空港で行われた防災訓練の音響システムを担当され、そのまま私のために時間と機材を提供してくださったプロたちに、心からなる感謝の合掌を贈るが、様々なハイテク機材の集大成がコンピューターだったとは驚かされた。

 BGMに使用した「慈曲」の2曲のレベルが大きく異なり、ミキシングで大変な苦労が発生している。

 おそらく日付が変わってしまうので、収録の合間を縫ってこの原稿を打っているが、機材と配線に囲まれた中、ヘッドフォンから慈曲の旋律が流れてくる。それは、私にとって至福のひとときだ。

2003/11/06   お知らせ  葬儀司会者 実務教則本につきまして

実務教則本 「温故知新」 

 これまで何度か表記いたしておりました「温故知新」ですが、日本トータライフ協会メンバーへの送付を終え、メンバー以外の皆様に限定販売することになりました。

 販売価格・・・50,000円(消費税別) 郵送料は負担いたします

 詳しくは、このコラム「独り言」の下記ページでご確認いただき、その趣旨をご理解願えた方に限って受付をさせていただきます。

 コラム「独り言」・・・10月23日・・NO 584
 コラム「独り言」・・・10月25日・・号外        
 コラム「独り言」・・・11月01日・・NO 592

 差し支えのない範囲ですが、記載内容に誤字、脱字があり、少数の制作しかいたしておりません。限定数に達した時点で締め切りとなりますのでご了承くださいませ。

 ※ 申し込み方法
    メール・お葉書・お手紙 (着信後、受付に関する書類を郵送します)

2003/11/05   哀  愁     NO 596

 今日の葬儀、お孫さんやご家族のメッセージが15名様分もあり、12名様のものを女性スタッフに任せることにした。

 ナレーションと合わせて8分40秒となるが、前半4分は彼女の世界。朝から創作した原稿でテストを数回行った。

 したためられたメッセージの代読で難しいことは、それぞれの方のイメージを伝える工夫。カギカッコをうまく区別し、12人なら12人が語っているようなテクニックが求められる。

 声の強弱の変化、また、音声スタートの「キー」を5種類ぐらい変え、一人ずつだというイメージを伝える高度なテクニックを要するが、本番が終わり帰社してから「自分で何点だった」と聞いてみると、「70点ぐらいでしょうか?」なんて言っている。

 本人がそう言うのは「何とかうまくいった」という思いだろうが、やっと原付から自動二輪の免許取得に至ったレベル。これから普通車、大型へと挑戦し、出来たら「二種」と「特殊」まで到達して欲しいと願っているが、リハより本番の方がよかったことは確かで、堂々と「やっていた」ということは評価している。

 さて、明日は私の吹き込みの日。すべてを音響のプロの器材で録音するが、スケジュールの都合で夜に行われることとなり声の調整が重要で、今晩の夜食やアルコールは一切自粛。明日に備えている。

 つい先日、私の友人が隠れ家にやってきた。彼の知人が入院中で、医師から余命は年内との宣告を受けたそう。Xデーを迎えたら、彼が葬儀委員長をしなければならないということで、密葬と社葬についてアドバイスを求められた。

 そんな中、ホテル葬という提案に興味を抱き、私がこれまでに担当した全国でのホテル葬の映像を見せた。

 「これ、いいわ。決定」

 それですべてが決まった訳だが、続いて、私が気にしていることをはっきりと言われてしまった。

 「おい、映像は年齢に正直なものだな。早く、お前の代わりを育て上げなければいかんが、難しいな。これは、お前だけの世界だわ」

 彼は、昔から私の司会に対する哲学を評価してくれていたが、ホテルでの無宗教形式の世界を見たのは初めてのこと。そこでの司式バージョンに偉く感動することになったが、それは、私の歴史と年齢でしか出来ないことをすぐに見抜き、分析したような雰囲気で次のように言った時、我々二人に哀愁を感じさせる無言の時間が流れた。

 「こんなの、誰も出来んわ・・・」

2003/11/04   第一次研修を終えて    NO 595

 事務所に寄ると、机の上にメールがプリントアウトされたものが置かれてあった。

 その中の1枚に、お寺のご住職から頂戴したものがある。

 「最近、葬儀が急変してきているようです」との始まりで、何か危機感を抱かれたような内容を記載くださっていた。

 早速に返信を書き上げることにしたが、どの地方のお方か、また、年齢がどのくらいのお方かも分からず、失礼な駄文の列記でお返しすることになってしまった。

 さて、昨日と今日は、東海地方の同業者のスタッフを迎え研修を行った。昨日は夜の食事に付き合うことが出来たが、今日は、私が担当しなければならないお通夜があり、その式場に行った時点で失礼させて貰い、何か差別をしてしまったようで申し訳なく思っている。

 来る*月*日というような約束事は、何より恐怖感。だから前日に互いのスケジュールを確認し合ったうえで進めている。

 これまでの研修日で、「ごめん、急にホテルで社葬の打ち合わせが入ってしまい、今から出掛けるけど、それを研修してみる?」ということもあった。

 それがアンラッキーかラッキーかの判断は相手側が決めることだが、「超ラッキー」という声が生まれていた事実もある。

 ホテルでの社葬は、日時が決定すると私自身が担当しなければならない。その日を迎えるまで重ならないように祈るばかりで白髪が増える。

 今、数件の社葬の予定があり、今日も来月のホテル葬が入っていたが、来月と言えば12月。施主様側もホテル側も大変な時期となり、参列される方々への訃報通知を急がねばならない。

 今月行われる社葬は、第一回目の打ち合わせ時に訃報通知を創作した。

 偲ぶ会、お別れの会など、ホテルに於ける社葬にも様々な形式がある。故人と会社にとって最もベターなプロデュースが大切で、ホテルを会場とする以上、高いご満足に至るホスピタリティをコンセプトにシナリオを描いている。

 東海地方から来社されたスタッフたち、皆さん若い方だったが、年寄りの説教のような研修講義で何を得られただろうかと心配している。私の今回の狙いはただひとつ、葬祭サービスの奥深さの認識。

そんな意識改革のきっかけになれば幸いだが、「隠れ家には、二度と行かない」という会話が交わされているかも知れない。

 明日は、1時間半の葬儀。弔辞が3名おられるそう。スタッフが持ち帰った取材表には、ご家族それぞれが綴られた思いがぎっしりと書かれてある。ナレーションは男女バージョンで進めることに決めたが、原稿は明日の朝に創作することにした。なぜなら、どうしてもご家族に確認して欲しいことが浮かんだから。

 少しの冷え込みで腰がジンジンしてくる。構想だけ練りながら、風呂であたたまることにしよう。

2003/11/03   葬儀と音楽    NO 594

 多様化、個性化ニーズというのだろうか、他人任せや業者任せから、ご自分やご家族で考えられる葬儀が多くなり、我々への事前相談が増えている。

 葬儀に関するネット情報を調べていると、今や「何でもあり」の形相。我々や宗教者に対する不満や抵抗感が溢れ、それらを「世直し」というイメージを売り物にしたビジネスに結び付けている団体も少なくない。

 自由葬、無宗教、家族葬、音楽葬、散骨などの文字が山ほど登場し、それらは業者だけではなく、消費者側からの発信にも多く見られる。

 これらについて偉そうなことを書くと、それこそ3年や5年の月日が必要となり省略するが、私が体験したことがヒントになればとの思いを託し、ここに葬儀の音楽についてしたためる。

 最近、葬儀に音楽が使用されることが当たり前になってきた。宗教形式で行われる葬儀にあっても、弔辞や弔電代読のBGMが流れるし、葬祭式場では、開式前にBGMが流れていないところなんてない現状だろう。

 葬儀に使用される音楽は、その葬儀を担当する葬儀社の感性ですべてが決まるということになり、現場責任者と司会者が好みの曲を使っているケースが多く、経営者である社長が音楽の選曲を指定するなんて稀なこと。

 電子オルガンやシンセサイザーの生演奏を行うことも多いが、選曲は奏者任せ。それでは、ただ式場に音楽が流れているだけという寂しい現実で、そこに生まれる筈の「相乗効果」なんて期待は出来ないことになる。

 神道に祝詞の「奏上」という言葉があるが、音楽の活用による「相乗」はまさしく「奏上」でなければならず、単なるBGMでは「葬場」に相応しくなくなってしまう。

 私が選曲する場合、故人の生きられた人生の歴史を年表から調べ上げ、時代と共に流れていた音楽を調査する。中でも最も重視するのが「献奏曲」。この曲をどこかでお耳にされた時、故人のことを思い出して・・・

 そんな司会トークは「思い出を形見に」という弊社の企業理念のひとつから。また、故人の「愛唱曲」もあるだろうし、「献奏曲」でも、家族から、孫たちから、友人たちからと広げてみれば意義も生まれることだろう。

 ただ、ブライダルの披露宴にも同じことが言えるが、特別ゲストに音楽家が出席され、その方の演奏を願った場合、出席者の大半がご存知の曲を選曲いただきたいもの。どんな名曲でも、奏者しか知らないということは「迷曲」となってしまうのである。

 また、時にはワンコーラス、時にはメドレーというように、奏者が導師となって、音楽を「お経」の代行ぐらいに意識して真剣に演奏いただければ有難く、何より葬送での音楽の意義が生まれると思っている。

 さて、昨日にも書いたが、司会者教則本「温故知新」に関して、オリジナル葬送音楽CD「慈曲」に対する要望も多くて困っている。

 販売しないから「付加価値」が生まれているのかも知れないが、この中に収録された10曲を使いこなすのは簡単ではない。作曲コンセプトには、「死の受け入れ」や「遺族を励ます」という曲もあり、司会能力と共にプロデュースのセンスが求められてくる。音楽とは奥深い世界があるものだ。

2003/11/02   「時」に追われて    NO 593

 今月、講演の予定がいくつかあるが、その合間を縫って「隠れ家」に多くの訪問者を迎えることになっている。

 明日と明後日は、東海地区の葬儀社のスタッフさんたち。葬祭サービスの意識改革をテーマに4時間程度の研修を行うが、人生終焉の儀式に携わる仕事がどんなに重要な仕事であるかを学んでいただければと願っている。

 彼らは、社長の命でやって来る訳だが、こんなケースでは不安と緊張に包まれての来社。その緊張を解すことから始めるのだが、研修の内容を高度にすると緊張が高まり、帰路の新幹線で未体験の疲れに襲われたということも多く、中には「二度と行きたくない」という方もおられるだろう。

 メモリアルサービス事業部にある私の隠れ家、狭くて雑然とした部屋だが、音響と映像システムが便利であり、「百聞は一見に如かず」という体感が可能になっている。

 数本のビデオ編集のナレーション録音が溜まっているが、現在、非常に困った状況にある。

 録音スタジオのような環境が整っていない部屋。そこでの録音をマイクの指向性で解決している訳だが、パトカーと救急車のサイレン以外は大丈夫なのに、今は選挙の真っ最中。選挙カーの往来で何度もNGとなってしまう。

 今日の新聞に、「子供が寝ている。やかましい」と選挙カーを蹴り、選挙法違反で逮捕された事件が報じられていたが、絶叫型のトークは隣国の国営放送のアナウンサーだけにして欲しいもの。

 言葉というものは、必ず心の焦りも出てしまう。ブライダルや葬儀の司会でも、時間が気に掛かるとニュアンスが自然に伝わるもの。司会者が腕時計を手にしているようではサービス業ではないだろう。

 ここで、ふと思い出したことがある。

 飛行機嫌いの私、札幌での講演に上野駅から「北斗星」に乗ったことがある。17時間も要し二度と乗らないと思っているが、車内で記念に買ったものがあった。

 それは、北斗星の車内販売でしか入手できない大きな「懐中時計」。それから講演の際には必需品となったが、名古屋のホテルで行われた講演で、演台の上に忘れてきてしまってから行方不明。あれだけは残念だったと今でも思う。

 スリーピースのチョッキのポケット、そこに入れてる懐中時計の鎖にオシャレを感じる。そう思っているのは私だけかも知れないが、映画で見る英国紳士は絵になっている。

 あれから懐中時計は買っておらず、腕時計を外して演台に置いているが、最近、目が不自由になって見辛い状況。講演会場の下見では、会場内の時計探しが必然となってきている。


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