2002年 4月

2002/04/30   高知 研修会

 昨日は、協会研修会により、発信することが出来ませんでした。お詫び申し上げます。
 
四国での充実した研修会が終わり、今、帰社したところ。

 全国のメンバー達が高知に集合した協会主催の研修会。北海道だけでも6人の出席があり、弊社からは女性スタッフ2名を伴って参加したが、会場に入りきれないような盛況。みんなが「先生」、みんなが「生徒」という、熱いひとときを過ごすことになった。

それぞれの世界で「匠」と呼ばれる技術を持った多くのメンバー達。今回のテーマは「故人の人生表現」。これからの葬祭サービスに不可欠なテーマで、十数年前からこれらを実践されるメンバーを囲み、葬祭サービスの「哲学」を心に秘め、全員がパソコンを手に数班に別れ、様々な画像処理のテクニックなども学んだ。

参加者それぞれが持ち帰った「愛と癒し」のサービス。それは、少しの時間を要するかも知れないが、本当に近い将来、「お客様」に必ずやご満足を頂戴し、ご参列の皆様から歓迎と賛同をいただける新しい「協会オリジナルサービス」のひとつとして、全国のメンバー達全員が具現化してくれると信じている。

 今回、システムやソフト、ノウハウをプレゼントしてくださったのは、高知市の「おかざき葬儀社さん」。毎日、画像入りの「ほっと一息」を発信されている女性である。

彼女の人柄と感性に触れた出席者全員が、葬祭業に「こんな世界があるんだ」とカルチャーショックを感じ、明日からの新しいテーマを与えられ、それぞれの地へ帰った。

大嫌いな飛行機、少々の揺れはあったが、片道35分、高知がこんなに近いとは知らなかった。

 講演で札幌に行った時、新幹線で東京へ2時間半。そして、上野から寝台特急「北斗星」で17時間を要したこともある私。7月の北海道研修会は、飛行機の利用も「あるかな」と思い始めている。
 
 参加をさせた弊社の2人の若い女性スタッフは、かなりの衝撃を受けたようで今後に期待を寄せているが、日帰りの「高知研修出張」が多くなりそうな雲行き。

先方さんのお許しがあれば、大歓迎で送り出したいと思っている。

 機上のメンバー、そして車中のメンバーご一同。ご無事に帰社されることを祈念いたします。

おかざき葬儀社さん、そしてお嬢さん、心から感謝の合掌を申し上げます。

2002/04/28   有 為 転 変

 昔、冠婚葬祭互助会が世に登場した頃、「3万円で結婚式が出来ますよ」というフレーズがあった。

その言葉で「披露宴」を勝手にイメージされ、保険と勘違いをされた入会者が多くあった。

リーズナブルなホテルでなら、「結婚式」だけなら十分に可能な金額である。

一方で、株式会社でありながら<**市 冠婚葬祭互助会>との名称で、いかにも地方自治の団体が活動しているように思っていた人も多く、入会者の大半は「保険」「公的機関」との安心感からだったようだ。
 
「ご家族にお祝い事はございませんか?」とのセールストークで、ブライダルを前面に出しての訪問勧誘。これを、もし、「ご不幸の予定者はございませんか?」との行動だったらどうだろう。確実に「塩」を撒かれていただろう。
 
しかし、少子化の時代やブライダルの「様変わり」の影響を受け、互助会運営の中で婚礼部門が足を引っ張る現状になっていることには、「有為転変」の言葉を思い浮かべるところである。 

30数年の時の流れにいくつもの「弱小互助会組織」が崩壊し、イメージダウンを恐れた大手互助会に吸収されることになった。
 
今、そんな互助会の業界が、また、騒がしくなっているようだ。

新聞でも何度も大きく取り上げられているが、表面化されたくなかった暗部、恥部がお客様からの情報からオープン化され、大きな話題を呼んでいる。
 
大手の銀行や保険会社が倒産する時代、ましてや不況の社会状況を迎えては、解約を求められる方が増えるのは当たり前。この解約についてのトラブルが全国で問題になってきている。 
 
葬祭専門業者達も、お客様の囲い込み戦略に走っているところが多くなってきた。

これらの背景には少子化と高齢社会の到来があるだろうが、上述のように「葬儀の予定はございませんか」との営業戦略が出来る訳はなく、個性化、多様化ニーズに対応という「かたち」を借りた、生前予約、生前契約という「美しい言葉表現」で行動されているようだ。
 
日本の葬儀の原点には「白の基調」という問題があった。白木祭壇、白幕、白木位牌、白い陶器の中陰セットなど、これらは「取り敢えず」を意味し、「当家は不幸を用意していませんでした」という意義になり、そこに「お困りでしょう」との互助精神からの香典が存在するという考えがあるが、互助会に入会されているということは「不幸の用意」ということになり、「白」の意味からはおかしくなってくる。

 先祖供養という「儒教観」、それは、「親の葬儀は借金しても」という考えと同様に稀薄してしまってきた感を覚える。「互助会の登場はそのひとつの要因である」とおっしゃられた宗教者さん。そのお言葉の意味がやっと解ってきたこの頃です。

2002/04/27   ホテル葬 サービス

最近、ホテル葬のお問い合わせを多く頂戴している。

これまでのホテル葬は、大規模な「社葬」を中心として、「お別れ会」や「偲ぶ会」のニーズが大半であった。
 
多様化、個性化を求められる傾向にあるニーズにお応えして、「ホテル葬」サービス提供の構築が不可欠で、長年に渡り熟考してきた「かたち」を具現化したのが、日本で初めて商標登録された「慈曲葬」である。
 
それぞれの方の人生が異なるように、そのご終焉の儀式のありかたも異なるべきとの発想は、21世紀という社会環境を迎え、やっと賛同のお声を頂戴することになったようだ。
 
お客様の中には、ホテルでの偲ぶ会の開催のために、わざわざ家族葬という形式の「密葬儀」を行なわれた方もあったが、それらを併せ、お通夜と葬儀がホテルで可能という新しいサービスシステムは大歓迎され、今後に全国のホテルへ波及していくと断言するところである。
 
このサービス提供を世に出す頃、全く考えていなかったことも起きており、「なるほど」ということを学ばせていただいたことがある。

それは、ご家族と故人の友人達だけの葬儀のご要望で、最後の2日間を静かに過ごさせて欲しいとホテルをご利用されることである。
 
講演での質疑応答で知るところとなったが、全国の大規模な葬祭式場では、数件のお通夜、葬儀が同時に行われており、中にはパーテーションだけで区切られているケースもあり、隣の葬儀が丸見えというところでの葬儀に抵抗感が高まっており、そんなお考えのお客様には非常に好評をいただいている。
 
アンケート調査によると、喪主の立場で「気を遣った」「嫌だったこと」は、嫁側への親戚、兄弟の嫁ぎ先の親戚への配慮で、自宅の部屋を親戚達に開放しなければならないという「プライベートルームの崩壊」は、想像以上に抵抗を感じられていた。

 「駐車場は?」「風呂はないのか?」「洗面用具は?」「更衣室は?」「夜食はないのか?」 
などという、悲しみの遺族に負担を掛けるご親戚の「?」に関して、ホテルはすべてを完備しており、ご利用いただいたご親戚の方々の評判もすこぶる高いご満足に至っている。

 プロデューサーとして、このサービス構築で重要視したことは、お客様に「さすがにホテルだ」「ホテルらしい葬儀だ」とお感じいただける空間サービス提供で、おもてなしのプロであるホテルマン達との合議で完成した背景には、言葉で表現できないような苦難の道があったが、今は、それらも懐かしい思い出となっている。
 
日本で初めて提供されたサービス、それは、今、全国各地のホテルさんからオファーを頂戴しているが、外部から見られるような簡単なサービスレベルではないことだけはご理解いただきたいと願っている。

2002/04/26   「ごまめの歯軋り」 「石亀の地団駄」

わが国は、言論の自由という文化国家であり、許される範囲内で問題提議をすれば、「ごまめの歯軋り」「石亀の地団駄」ということになるだろう。

ある会合で、大手広告代理店の役員さんと話す機会があった。

大企業との結び付きの中で、社葬のプロデュースに関係することが多くなっているそうだが、会場がホテルというケースが増え、これまでのような総合的な売り上げが大幅にダウンしていると嘆いておられた。
 
彼らは社葬をイベントと捉え、我々が想像出来ないような予算でのプロデュースを進めることが多く、宗教に基く形式の場合には、スタッフの一員として葬儀社が手伝うことも多いが、業者達の世界での評判がよくないことは周知の事実。
 
ある社葬で、宗教者の逆鱗に触れる事件があった。

彼らの作成したシナリオには宗教者が完全に「一出演者」にされてしまっており、何時何分「集合」、何時何分「着替え」、何時何分「入場」、何時何分「読経」から退出まで、分刻みで決められており、こんな姿勢での葬儀の「導師はつとめられない」「責任者を呼んできなさい」という事件が起きたそうだ。
 
間を取り持ったのは葬儀社だが、もちろん、葬儀社はこんな事件になることは予測していた。
 
ある有名なコーヒー会社の社葬で、祭壇の一部に大きなコーヒーカップが存在し、その前で宗教者が読経する光景があり、参列者が焼香の変わりに「コーヒー豆」を奉献するという演出があった。これは完全なテレビコマーシャルの世界であり、社葬という場で行なうことではないと考えている。
 
故人が一般の方で、コーヒーをこよなく愛しておられたという設定ならまだしも、コーヒー会社の社葬にこれはないだろうという思いで、読経をつとめられた宗教者の方々の複雑な思いを拝察する。
 
冒頭の役員さんとの話の中心は、社葬告知の黒枠広告についてであり、今後、急速に少なくなっていくという私の予測に、興味深そうにその理由を訊かれた。
 
ホテルでの社葬が多くなることは確実で、不特定多数にご案内するというケースが少なくなり、招待形式が主流となれば新聞告知は不必要。それが私の答えだった。

「それは由々しき問題だ。そんなことになれば、大幅に影響を受ける。何とか対策を講じなければ」とおっしゃられても、これは社会の流れ、もうどうにも変えられない構図となってしまっている。

ブライダルも葬儀も、21世紀のキーワードは「無駄省き」。社葬の参列者の7割が義理的会葬者と分析されている中、招待形式が必然として潮流となり、ホテルが会場に選ばれていく訳である。

「招待」という言葉。それは、葬祭式場には似合わないということもキーワードである。

2002/04/25   故人が「お気の毒」です

財界の著名人や中小企業の創業者さんが亡くなられ、社葬のプロデュースを依頼されることが多いが、第1回目の打ち合わせ時に「ホテル」を会場としたいと、相手側から希望されるパーセンテージの高さに、社会の変化を確信している。

 これまでの体験で、プロデューサーとして、大変失礼なことを何度か申し上げたことがあるが、そのすべてが後になって感謝されたのだから面白い仕事である。

 ひとつは大阪ドームを希望された企業様。故人は創業の方で参列者予想は1500人。当日の天候の心配がないからとのお考えで進んでいた。

 「参列者に笑われることは止めましょう。故人がお気の毒です」

 それが私の第一声だった。会議室が一瞬にして凍りづくような雰囲気になる。 

 「社葬は、故人を見世物にしてはなりません。芸能人や知事さん、市長さんのように、観客席が半分埋まる場合には意義がありますが、ダイヤモンドの上にステージを設営し、観客席に誰もおられない葬儀に、何の意味があるのでしょうか?」

 それが「ドーム球場」を使用すべきでないとのコンセプトだった。

 我々プロは、関係した以上、自分もプロとして笑われたくないことを考えるもの。自分の利益が多い方向に進んでも、それが取り返しのつかない結果となれば、プロとしては後悔することになるからだ。

 そのお客様は、結果としてホテルを会場とされ、徹底された「おもてなしタイプ」の社葬を行なわれ、大阪ドームを断念することになったことを、非常に喜んでくださった。

 一方に、東京、大阪、名古屋の3箇所のホテルで、衛星中継を利用して同時に社葬を行ないたいという会社があった。

 「失礼なことは止めましょう。故人がお気の毒です」

 全国から参列される方に、最寄の会場にお越しいただけるとの発想から考えられたものだが、これは、企業側の「驕り」の姿勢がありありと見え、結果として話題を呼ぶことにはなるが、参列者からは「笑い」が出ている事実を知っていただきたいものだ。

 社葬がいかに「かたち」や「形式的」なもので企画されるといっても、映像というバーチャルに手を合わせる行為をお客様に求めるのは、これ以上の失礼はないとご認識いただきたいものだ。

 「3個所も用意しているんだ。何処かに来られるだろう。来なかったら大変だぞ」との強迫的プレッシャーを与えることもあり、来賓と呼ばれる方々はメイン会場に参列することになり、他会場は「その他大勢扱い」で、適当に軽い食事でも振る舞っておけばよいとの企画になってしまう。

 全国に支店を展開されている企業さんであれば、各支店にご遺影と花を飾り、記帳所を設定することで解決するべきではないだろうか。

馬鹿げた経費を要し、嘲笑される社葬となれば、故人、ご遺族が余りにも気の毒である。
 
久世栄三郎のプロデュース。それは、いつも故人と遺族を大切に考える。だから、主催される企業さんには、いつも厳しい言葉で接してしまうのである。
 
社葬は、確実に変化している。無駄を割愛した企画力、そして、故人への礼節と、会社の社員全体の総意で進められているとのコンセプトが重要である。

2002/04/24   もうすぐ研修会

この春、新しく女性が入社。大学の卒業式を終えてからすぐに社員となった。

葬祭業は究極のサービス業であり、「ホスピタリティ」を重要視しなければならない業種として認識され、今後に女性の活躍が期待されるところだが、この数年、本当に葬祭業が変革しつつあることは確かなようで、募集に対して女性の応募がなかった頃が懐かしい。

社会はITの時代、当然パソコン技術も要求されるが、彼女は弊社が得意とする分野での活躍も期待されている。

それは、電子オルガンの演奏で、事務所に設置されているハモンドオルガンで演奏技術を確認したところ、技術的には問題はなく、葬儀の式場という聖域空間意識、会場空間から儀式空間への「神変化」に対する音楽の重要性の認識、今、この部分での教育から始めている。
 
今月の末に日本トータライフ協会の高知研修会があるが、私は2人の女性スタッフを伴って受講させるが、飛行機嫌いの私にとって、高知とは誠に不便なところである。
 
車で走行すれば約4時間、新幹線「岡山」で特急に乗り継いでも約4時間。「飛行機なら40分ですよ」と押し切られ、ついに航空券を購入することになってしまった。
 
10日ぐらい前、「彼女は、車酔いをするそうですよ」と言われた言葉、それは、2人のスクラムでの前哨作戦が始まっていたことを窺わせるが、どちらにしても「2対1」では勝ち目はなかった。
 
今回の高知研修会の日程を決定するとき、深く考えずに決定してしまったことを後悔している。

それは、ゴールデンウィーク中の開催であり、日常に盆も正月も意識をしない我々葬祭業らしいミスとなった。ホテルや航空券の予約が始まった頃、この問題が表面化し、北海道や東北のメンバー達には、大変な難渋を強いることになってしまった。
 
さて、マドンナといえば夏目漱石の「坊っちゃん」、舞台は松山中学、愛媛県であるが、
我が協会のマドンナは、高知県におられる。

これまでにも何度か紹介を申し上げたが、「おかざき葬儀社」の「道さん」であり、今回の研修会のメイン講師。ゴールデンウィークにもかかわらず、多くのメンバー達が文句も言わずに出席を表明したのは、そんな裏事情があった。
 
マドンナが自社のHP内で、毎日発信されている「ほっと一息」、私は、毎日訪問し、その感性に触れてくる。作風は異なろうが、金子みすずさんの作品のような「香り」を感じている。
 
弊社の「サイトマップ」から、日本トータライフ加盟企業のコメント」でリンクされています。ぜひ、ご訪問くださいませ。
 

2002/04/23   宗教観の稀薄  ・・・後 編

「佛教だったら何宗でも。お寺様だったら何方でも結構です」

 最近、そんなお言葉を多く聞くようになった。

また、境内にお墓があるにもかかわらず、同宗派の別のお寺様を紹介して欲しいと要望されることも目立ってきた。

「何を考えている。檀家をどのように認識している」という、お寺様のご叱責のお声が聞こえてくるようだが、これは現実の話であり、この潮流を止める手段を講じるには大変な時代となっている。

 そんな一般的な宗教観が稀薄している中、活動的、妄信的といわれる世界の宗教が活発化してきている。これらは日本の葬儀でも顕著の事例を見せ、お寺様のご存じでないところで我々葬祭業者を困惑させている。

 ある男性の葬儀で、喪主となったご長男が「焼香」をしないとおっしゃられ、故人の奥様が悲しんでおられる。

お考えていただきたい、故人とは「お父様」、奥さんとは「お母様」である。

当然、親戚達の中で揉め事となる。原因は「宗教の異なり」、ただそれだけで自分の父の葬儀に焼香をしないというお考え、ご自身の宗教の「教義」を頑なに貫き通す姿勢はご立派だが、「人間」として最も重要なことを忘れてしまっているように思えてならない。
 
「宗教って、愛じゃないのですか?」
「宗教って、命を大切に考えるのでは?」
「悲しみって、愛があるから涙が流れるのでは?」

 そんな言葉が通じる世界ではない信仰、それは本当に恐ろしいパワーを秘めている。

 数年前にも、宗教の違いからお母様の葬儀に娘さん家族が参列されなかったという不幸な事件があった。こんな方に「不幸」という発言をしたら、きっと攻撃を受けるだろう。出席することの方が「不幸」とお考えになるからだ。 

<触らぬ神にたたりなし>という言葉があるが、果たして、それでいいのだろうか。

 互いの認め合い、それこそが宗教の大切なところではないだろうか。葬儀に参列されるとき、相手側のことを受け止めて差し上げること、宗教云々の前に「悲しみを理解してあげること」、それは、教義とはまた別の問題ではないだろうか。
 
一昨日、小泉総理が靖国神社参拝で話題を呼び、アジアの近隣諸国で物議を醸し出し、英霊や戦犯という言葉がいつも新聞、テレビで飛び交っているが、一方に宗教に関する問題も論議されているようだ。
 
私のような葬儀屋が発言できる簡単なことではないが、発想を変えて、戦争の犠牲者に平和を誓っているとの考えを表明すればどうなるのだろうか。総理だ、議員だ、個人だとの繰り返し、マスメディアの皆さんもご一緒に考えてみたい問題ではある。

2002/04/22   宗教観の稀薄  ・・・中 編

宗教とは不思議なもので、その思想や信仰パワーは、時の権力者にさえ大きな影響を与える。

これらは世界の歴史が物語っているが、日本の歴史にも「弾圧」「迎合」の政策が確実に見えることは、誰もがご理解されている筈である。

世が戦乱にある時、「今こそ宗教が」、また、平和の時代になれば「今こそ心の大切さを」と、両方から新興宗教が登場してきていることも多くあった。

私は、宗教を考える前に、大切なことを忘れてしまっているように思えてならない。それは、宗教が、土着した「生活」の中から生まれてきたことである。

宇宙の神秘、自然への感謝や恐怖、命の終焉など、誰も解明できなかった世界への恐怖観物語、それが畏敬、信仰という宗教の始まりでないだろうか、そんな偉そうなことを考えながら現在の姿に悩んでいる。

古い時代に登場された「教祖様達」は、素晴らしい知恵を与えられた科学者のような気がするし、科学の発展、それは多くの神秘な謎を解明してきたが、一度、経典に記されたことを変えることには大変な問題が発生する。一つの例が「天動説」と「地動説」に明らかだろう。

ある社会学者が「世界の戦争の歴史をひも解けば、90パーセントが宗教に絡む問題がある」と語っておられたが、人や社会の幸せを目的としている筈の宗教が、「不幸な」方向へと転じてしまうことだけは理解できない。

今、世界中で宗教に絡む戦いが繰り広げられているが、我々庶民の間にも「葛藤」という問題の苦悩が多く発生していることも事実。

悲しみの葬儀の場、そこで宗教の異なりで戦いが生まれ、途中で帰ってしまわれた光景も多く体験してきた。明日は、そんな中の一部を書いてみたい。

      ・・・・明日に続きます

2002/04/21   宗教観の稀薄  ・・・前 編

旦那寺、菩提寺さんを「導師」に迎えての葬儀。そんな家伝統の宗教に基く形式の葬儀が当たり前であったが、今、無宗教が猛烈な勢いで増加してきている。
 
インターネットの世界をご覧になられたらお解かりいただけるが、無宗教、ホテル葬、お別れ会、偲ぶ会、ホテル社葬などを検索して見ると、信じられない数のHPが発信されている。

こんな現実を、果たして宗教者の方々はご存じなのだろうか。大きな危惧を抱いている。
 
今年になってからの新聞記事に、「宗教の意識改革」という大きな記事掲載が目に入り、仏教者に対する次のような批判的な記述が気になった。

「このままでは30年後には大都市のお寺の半分は成り立っていないだろう」
「檀家であるが、信者ではない」
「お寺は住職の私有ではない。世襲制に問題がある」

 私は次元の低い葬儀屋であり、こんな重要な問題に首を突っ込めるような立場にはないが、多くの素晴らしいお寺様の存在があるにもかかわらず、一部の方々の悪いイメージで全体感に影響を及ぼす。

それは、宗教者という「聖職」に与えられた責務の成す因果かも知れない。
 
多くの葬儀を担当させていただくが、今、ご住職と檀家さんの「コミュニケーション」が重要であるということを強く感じている。
 
存命中に葬儀の事前相談を承ることも増えているが、そんな中に「お寺様を変えることは出来ますか」という言葉が多くなっている現実もご理解いただきたいところである。
 
日本人の心の根底にあった先祖供養の「儒教精神」、それは取り返しのつかないぐらいのところまで稀薄しているように思え、これらは「お仏壇」の業界にも顕著で、「寺と家」から「住職と個人」という社会変化の現象と考えている。
 
    ・・・・明日に続きます

2002/04/20   先生、何とかしてください

 弊社は、ご参列されたご体験から、ご葬儀の依頼をされることが多く、サービスエリアが非常に広くなってしまっているが、地元の業者さん達が慣例とされているシステムとの戦いも多く、今日は、その一つを問題提議させていただく。

 大阪市内の西の方での葬儀であった。町会の役員さん達からとんでもないことを言われた。「先生方に知らせてくれたか?」とおっしゃるのである。

 この意味は、地元で選出された府議会議員、市会議員の先生方へ訃報通知をすることであり、その地域では、それが我々業者の仕事という慣例になっているそうだ。

「絶対にいたしません」。それが弊社の企業理念であり、町会の方々にお伝えすると必ず変な葬儀社と思われてしまうようだ。

 ご遺族の立場になって考えていただきたい。ご遺族のご要望があれば仕方がないだろうが、私達が了解もなく出来る行為ではないことをご理解いただける筈だ。

 例えば、自民党の後援会に属しておられるご家庭の葬儀で、自民党以外の先生方にお知らせしてお叱りを受けたらどうなるのだろう。誰が責任を取ってくれるのだろうか。

こんな簡単なことが理解されない町の仕組み、葬儀社の存在、先生方の姿勢など、まだまだ、日本が文化国家ではない顕著な例だと思っている。
 
過去に、「なぜ、うちの先生に知らせなかったのだ」と、秘書の方からクレームの電話を頂戴したことがあったが、そのことを耳にした私は、議員に直接電話を入れ、真意を詰問してみたところ、すぐに秘書を伴って謝罪に来られたことがあった。

その先生は、その後、このシステムを止められたそうで、ほっとしているが、今後、町の役員さん達からクレームを受けた場合、この問題は議員の「ありかた」として、社会提議したい問題であると思っている。

2002/04/19   音楽に癒されて

 昨日は、最終の「のぞみ」で帰阪し、疲れモードを癒すために好きな音楽を聴きながら、風呂に入った。

 「なんと優雅な」と誤解を招いてはいけないところから正直に申し上げるが、小さな浴室にラジカセを持ち込んだだけのことである。

 前にも記したが、音楽とは本当に不思議なパワーがある。葬儀に音楽を活用することが増えて来ているが、私が「葬儀用」のオリジナルCDの制作に向けて行動したのは、その活用効果を学んでいたからであった。

 元々、音楽が好きであった私は、30代の頃に読んだ一冊の本に深い興味を覚えた。その本は、東京芸術大学教授 櫻林 仁 先生が監修され、千曲秀版社さんが発行された「頭のよくなる音楽活用法」で、表紙に次のような言葉を明記されておられた。
 
「悩みをなくし、能力を倍増する」
 「知的活動や健康づくりに役立つ」
 「ストレスやフラストレーションの多い人は、真実の能力が発揮できなかったり、<心の病>になりがちです」
 「音楽を楽しく聴いて、上手にセルフ・コントロールする法をわかりやすく解説」


 目次には興味を引く言葉が列記されており、その一部を下記させていただく。

 「胎内音こそ最高のBGM?」
 「音楽療法の開祖・アリストテレス」
 「音楽はいたわりのコミュニケーション」
「スランプ脱出には<水>の曲」
「疲れた心をマッサージするワルツ」
「穏やかで明るい音楽が血圧を下げる」
「痛みをマスキング<月光>」 
 「記憶力を高める音楽と眠り
 「BGMは周囲の雑音を消す」
 「嫉妬・憎しみを和らげるワーグナー」
 「一日の疲れをいやすセレナード」

 そんなところから、昨日(性格には今日の夜中だが)聞いた音楽は、ワルツとセレナード。今回も確実な効果を感じることになった。櫻林先生、有り難うございます。心から感謝をいたしております。

さあ、今から重要な仕事に出かけよう。

2002/04/18   東京のホテルにて

今日は、昨日の疲れが出ている。

昨夜に楽しみにしていたマッサージさんも予約が一杯。残念ながら小さな缶ビールを飲み、寝ることにしたからである。
 
朝食の後、担当支配人さんに案内をいただき、ホテル内を見学、バンケットルームで、今日のスケジュールが入ってない部屋は、わざわざ照明を付けて確認させてくださった。
 
ホテル内には様々な光景が見られる。ブライダルの打ち合わせ風景、明るくて楽しそうな新郎新婦の衣装合わせ。また、プールで「日課」と伺った初老のご夫婦の「ゆとり時間」の過ごし方。人生、それぞれな「有為転変」の理を垣間見ることが出来る。
 
そんな素晴らしい会場設備空間で、私は「悲しみのサービス」のプロとして行動をしているが、ロビーや廊下で出会う人達は、そんなことをまったく感じておられることはないだろう。
 
ブライダル、祝賀会、歓送迎会、コンサート、パーティー、ディナーショーなど、人生を生きる謳歌を表現する場と認識されていたホテル。それが、法要の「御斎」だけではなく、「社葬」「偲ぶ会」「お別れ会」などの「葬送サービス」に積極的に取り組まれている。

 「縁起でもない」と、ご気分を悪くされる方も少なくないことも事実だが、私は、過日の「独り言」に記したように、そんなご意見を持たれる方には「あなたは不死身ですか?」と、問い質したい思いを抱いている。

お釈迦様の悟りではないが、「生」を「享けた日」から、喜びの花を咲かせ、憂いの雨に打たれる紆余曲折の人生にあって、「四苦」や「諸行無常」の理(ことわり)は必然のことであり、ホテルが「祝」の会場であると認識されたことは勝手な社会の思いで、人生の終焉が平等に訪れる人間社会にあって、ホテルに於ける葬送サービス提供は、極めて自然のニーズ、「道理」であると考えている。
 
多くのホテルさんからのオファーで参上すると、すべてと言っていいほど、「ポスト・ブライダル」の発想や「社会ニーズ」の流行からの取り組みという言葉が登場するが、私は、これらのことを全部「否定」し、上述の説明と共に、ホスピタリティを提供するホテル本来の姿という「原点」に気が付かれたと説得している。
 
孫が結婚披露宴をしたホテルで「わしの葬儀を頼む」というお言葉から、ご遺族に懇願されて通夜と葬儀を行なったこともあるが、参列者に伝えたこの事実の遺言は、偉く感動につながったので印象に残っている。
 
近い将来の問題ではなく、もう、ホテルでの「葬送サービス」は始まっており、今後、いよいよ大きな社会変化が始まるだろう。

敢えて失礼な言葉で表記するなら、「縁起でもない」とお考えになられる方は、「自分だけが幸せであればよい」という自己主義的な発想で、反社会的な思想だと言ったら過言となるだろうか。

 ご家族で「還暦パーティー」や「金婚式」を祝ったホテル会場、その思い出の場所で終焉の儀式が執り行われる。それも合理的でシンプル性が表現され、人生物語を皆様への「形見」としてお持ち帰りいただく「ホテル葬送サービス」。

私が具現化してきたこのサービス構築は、「慈曲葬」という日本で初めての「ブランド」として認知され、全国の一流ホテルで、その導入要望が始まってきている。

「口コミ」というものは想像以上の広がりを見せるものだ。「慈曲葬は、出来ますか?」との問い合わせを受けたホテルさん。すでにご体験をされたお客様のご満足を頂戴するには、大変なご苦労をされると思っています。

 今日の最終の「のぞみ」で帰阪しようか、それとも明日の午前中にしようかと迷っているが、明日は、ホテル業界に大変革を及ぼすことになるホテルさんからのオファーがあり、また、行動しなければならない。

時間と共に、体力の限界を感じるこの頃である。

2002/04/17   葬祭業界、ホテル業界の変革

今、この原稿を東京のホテルで打っている。

先週は九州で、救急車で病院に運ばれるというハプニングがあったが、全国への移動に負担を感じる年代であることは確かなようだ。

団塊の世代である私も55歳。この数年前からの同窓会で、リストラ「する側」「される側」という話題が多かった。

この3月で定年を迎えた人も数人あったが、多くが住宅ローンを抱え、中には、息子を私学の医大に入学させるための銀行ローンが、まだ、数年も返済が残っていると語っていた人物もいた。

サラリーマン社会で成功した連中も数人あり、1部、2部の上場会社の役員として活躍しているが、上場会社には、我々庶民には考えもつかない苦労があることも知った。それは、「株価」の上下への責任である。

ご存じのように、葬祭業界も上場会社が登場し、「葬儀屋」から「葬儀社」の段階に至ったようだが、なにしろ他業界から20年ぐらい遅れのある業界。社会で「葬祭トータルサービス業」と認識されるには、まだまだかなりの年月を要するものと予測している。

弊社が加盟する協会研修会で、その上場会社さんが主催される「社葬セミナー」の内容について、熱い議論を交わしたことがある。

数人が勉強を目的として出席をされ、資料をいただいてきたものだが、セミナーで重要視されていたことは、葬儀社側の利益中心タイプの社葬バージョン。無駄を省く発想はなく、社葬は企業の重要イベントとして、盛大に行なわなければならないという姿勢が顕著であった。

2年ほど前、各総研の重要ポストにおられる方々にセミナー講師を依頼されたが、その際の出席者の中に上述のセミナーに参加された方も数人おられ、合理的な社葬を提案する私の考え方との大きな相違に驚いておられた。

大手の葬祭会社さんは、ホテルを会場とする「社葬」「偲ぶ会」「お別れ会」には、上記の事情から消極的であり、大手という信用から業者任せ的な社葬が進められてきた訳であるが、ビジネス社会にホテル葬を体験される方々が増え、発想転換を余儀なくされ、ホテル葬に積極的取り組む姿勢に転じなければならない時期を迎えたようだ。

これは、基本的な経営方針の変更であるが、ホテル業界の「本音」の中に葬祭業者との結び付きを嫌う姿勢があり、簡単な事ではないと考えているし、それ以上に、ホテル葬を希望されるお客様が求められる「付加価値観」の提供の部分にあって、絶対に難しい問題であると分析するところである。

これらのことを15年前に予測してきた私は、多くのオリジナルなサービスを構築しており、知的財産に帰属することも少なくなく、今後の戦いが大いに楽しみなところでもあるが、これで、初めてお客様に比較される対象が出来、心から喜んでいるこの頃である。

音響、照明、演出、音楽、司会、総合プロデュースなど、それぞれの「匠」達が集約された「トータライフ協会」の存在が、今、脚光を浴びる時代にあって、それぞれがいよいよパワー発揮の時を迎えているようだ。

 「革新的なことを展開している」と誤解されたくないので申し述べるが、宗教学、人間学、葬祭哲学、葬祭心理学、葬祭サービス学など、プロとして客観的な立場でお客様のご満足を指針する研鑽を行い、今、掲示板で研究テーマになっているのは「お釈迦様」である。

そんな中、無宗教形式が主流となる「ホテル葬」「お別れ会」「偲ぶ会」だが、進行の重要性に対する意識は低く、「司会」から「司式」の認識が求められる世界であることが理解されず、当協会のメンバー達は、実際の体験からこのことを強く認識しており、今後の自覚が更に高まるものと論議され、研修会の重要議題となっている。

それぞれの人生が異なるように、終焉の儀式も異なるべきとのニーズは高く、与えられたシナリオを進行する立場から、シナリオを構成するプロの存在が究極に求められてくることになると断言させていただく。

一昨日の「独り言」で記したように、私や協会に帰属するプロデューサーは、葬祭業者さんと提携されるホテルさんとは一線を期す姿勢を打ち出しており、このビジネスに取り組まれるホテルさんは、独自型、葬祭業者提携型、協会ソフト提案型と、完全に三分割される潮流になっていくようになるだろう。

どこに「ホテルらしさ」があるか。どれがお客様のご満足に至るか。「愛」と「癒し」のホスピタリティサービスの戦い、その時代の到来を心から歓迎しています。

 バブル期にドーム球場などを社葬の会場として企画された業者さんもあったが、今後にそんな社葬を開催された企業さんも物笑いの対象となる時代の到来であろう。

 結びになるが、ここに、これからの私の予測をしたためます。

<3年後には全国のホテルの中で20数件が、お通夜、葬儀を積極的に行なっているだろう。また、5年後には、100以上のホテルがそのサービスを提供されている筈だ>

 葬祭式場の流行、それは、「お客様の行き先をホテルに向けさせる」という15年前の予測、見事に的中したという思いがしている。

2002/04/16   ホテルさん、何を考えているのですか!!

もうすぐ2才の誕生日を迎えるという、可愛いざかりの赤ちゃんが、俄かに訪れた病魔に侵され、息を引き取った。

ご家族と主だったご親戚で執り行われた葬儀、私達にとって、もっともプレゼントしてあげたいことは、お悲しみになられる「環境空間」と「時間」である。

旦那寺様を迎えての葬儀式を終えても、ご出棺の時間は、お若いご夫婦の自由と考慮したが、参列の皆様は、誰一人としてクレームをおっしゃることはなかった。
 
悲嘆に陥られたご夫婦、その姿に誰も声を掛けることは出来ない。時間だけが流れてゆく。
 
おもちゃをいっぱい入れられた可愛い柄のお柩が、一層、涙を誘う。
 
やがて、夕刻を迎えてご出棺となったが、火葬場までご一緒した私の車の中は、ただ沈黙。火葬場で納められる時の光景が目に浮かぶ。
 
神様、仏様、「命って、何ですか?」と、問い掛けたくなる雰囲気の中で扉が閉められた。
 もう、あの可愛い赤ちゃんはこの世にはいない。お母さんが抱かれる遺影を見ることは出来なかった。
 
火葬場の帰路の車中、知る限りの悲しい体験、出来事を話させていただいた。こんな時に励ましは禁物。共に悲しむことが大切である。
 
葬儀社は、ご遺族の悲嘆の心理に発生している「思慕」という部分に、大きく影響する立場にあることをご理解いただきたいものだ。あの子を、あの人を送った時の「人」。あの子、あの人が亡くなったことを知っている「存在」ということになるのである。

悲しい葬儀を終えてから、2週間ぐらいした頃、ご夫婦が来社された。

少しは落ち着かれた様子だが、葬儀の時の話題になると涙を流される。

そんな中で、プロとして驚愕する事実が進められていることを聞かされることになった。

満中陰の日に、赤ちゃんを「偲ぶ会」を開催されると言われ、すでにあるホテルに相談をされ、予約まで済まされたと言うのである。

「偲ぶ会」の案内状の文章創作、それが私に託された願いであったが、このままでは「ダメです」と、はっきりと言い切るアドバイスを行なうことにした。

 ご両親のお話からすると、主催はご本人であり、そんなおかしな「会」はされるべきでないことを伝えた。

 ご出席をされる方々の予定は、ご親戚、ご友人を含めて約100人とのこと。お爺ちゃん、お婆ちゃんも賛同されておられ、このままでは、ご当家が笑われてしまうことが確実で、何とかしなければならないとの思いから、説教的になってしまったが、かなり強い言葉で変更されることを提案していった。

 最もおかしなことは「主催者」であり、大義名分が全く立たないという事実にお気付きになるだろう。しかし、ホテル側は「おっしゃる通りに」と受けてしまったらしく、ホテルの一番「悪い」部分が出たことに怒りの思いを抱いた。
 
2歳の赤ちゃんを「偲ぶ会」、そんな言葉表現がおかしいと気付かないホテルは「失格」であると断言する、いや、「断罪に処する」レベルのミスである。
 
こんな場合、若夫婦が主催することは「とんでもない」ことで、本来は、友人達が発起人となって開催されるべきことである。そして、もうひとつ、主催をお爺ちゃんにすることも可能であると提案をした。

<孫を亡くして私も悲しいのですが、息子夫婦を見ていると痛たまれず、皆さんに何とか支えていただきたい、そして共に悲しんでいただきたい、励ましていただきたい>
 
そんな大義名分をコンセプトに、と申し上げたが、急に納得をされたようで、「改めてアドバイスを」とお帰りになられた。
 
それから1時間もしない内に再来され、お爺ちゃんが偉く納得をされ、その形式で進めることになり、案内文章を創作することにした。
 
「ホテルを変更したい」という怒りのお言葉があり、私の関係するホテルへと懇願されたが、残念なことだが、その日は何処のホテルも予約で塞がり、お応えすることは出来なく、大変に申し訳なく思っています。
 
「当日は、赤ちゃんが好きだったもの、そのお食事をお母さんが作ってあげなさい。器もあなた達で決めなさい。ホテルの器ではだめですよ。飾られたご遺影の前に供えてあげましょうよ。おもちゃをご持参されてもいいですよ。お写真も遺影だけではなく、思い出のものをいっぱい持参され、飾ってあげましょう」

 「偲ぶ会」の表記は「励ます思い出の会」と変更されたそうだ。

 後日、丁寧なお礼の電話があったが、私の仕事の悲しい思い出として心に残っている。

2002/04/15   今日、テレビで放送されます・・・午後5時〜7時

 先月に、この「独り言」で表記いたしました「フジテレビ・スーパーニュース」、今日の放送となりました。
 
木村太郎さん、安藤優子さんのお二人がキャスターをつとめられる番組、その中で、私と葬儀音楽の専門家である美濃さんが、どのように伝えられるのか不安を抱いております。
 
今回、残念ながら東京をキーステーションとされ、関西圏では放映されませんが、テレビ局のお話しによりますと、視聴者の反響が大きければ、後日に関西圏での放送も考えておられるそうです。
 
ホテルでの葬儀の本番前、演出音楽の打ち合わせがどのように行われているか、そんな光景を収録されたものですが、テレビの世界は編集によって、どのようにも変化されてしまいます。
 
大切な方を亡くされ、深いお悲しみに包まれる方々がご覧になられても抵抗がないように、それだけを心から祈念しています。

 さて、昨日、深い「えにし」に結ばれる方の退職記念パーティーに参加してきました。この方は、料理の道を一筋に歩まれた方で、ホテルの総料理長をされておられました。
 
ご謝辞の中で、55歳の定年退職というお言葉から、私自身と同じ年齢であるという事実を知り、人生55年間を振り返るひとときともなりました。
 
グランシェフとして多くのお客様に愛され、そして親しまれたお人柄からでしょうか、広い会場が満席になるという盛況で、和やかな時間を過ごさせていただきました。
 
同じテーブルには、全国のホテル関係者の方々もおられ、ホテル業界の厳しい現況のお話しを伺うこともありましたが、ホテルが「偲ぶ会」「お別れ会」「社葬」などに積極的に取り組まれる姿勢を、改めて知ることにもつながりました。
 
今、多くのホテルさんからオファーを頂戴しておりますが、大半のホテル様にはお待ち願っている状況になっています。焦られてスタートされたところは、ほとんどと言っていいほど成功されていませんし、成功されているように見えていても、実際にはお客様の不満足のお声が発生しており、有名ホテルというブランドで許されていることに気付かれていないようです。
 
ホテル葬の第一人者として世間や業界が勝手に確立されてしまった私は、それだけにオリジナルなものを構築提案し、立地、お客様の年代層、シャンデリアや会場空間の色合いなども考慮しながら、ホテルそれぞれに異なったサービスシステムを大切に考えています。

「社葬パック」や「偲ぶ会セット料金」などを表記されておられるホテルさんには、これらのことのご理解は無理なようで、ホテルの売り物が「ホスピタリティ・サービス」であることを再認識いただきたいと願っています。

 悲しみの理解、ご遺族への癒し、慰め。それが参列者に感じられるホテル葬サービス。そこに「ホテルらしさ」が生まれて来る筈です。会場空間だけを売り物になさらないでいただきたいところです。

 ホテル側でプロジェクトチームを組まれ、暗中模索で試行錯誤を繰り返してスタートされ、大失敗やどうにもならない状況を迎えられてからオファーを頂戴することもありますが、致命的な問題に至っておられるケースも少なくありません。

 こんな場合は「ゼロ」からの出発ではなく、「マイナス」からの出発となってしまいます。この恐ろしさだけはご理解願いたいところです。

 私は、現在、葬儀社さんと提携されておられるホテルさんからのオファーは、一切お断りをいたしております。葬祭式場やお寺様で行われている形式の葬儀の持込、そんなお考えではホテル葬は崩壊してしまいます。

 ホテルはホテルらしく、「ホテルならでは」と言われるサービスの提供を真剣にお考えになられるホテルさん。今後、いよいよ多くなってくると確信しています。

2002/04/14   対照的な体験から

最近、毎日のように取材の申し込みが入ってきます。その大半は「興味本位」であるようで、弊社の広報担当窓口で、ご鄭重にご辞退申し上げております。
 
さて、この半月の間に、数本のテレビ取材申し込みがありましたが、その中の2件が対照的なほど分かり易いケースとなりますので報告いたします。
 
一本は、全国的に名高い民放の人気番組。最初の電話でのオファーの時、先方のご要望を伺っていると、興味本位的なイメージを描いてしまい「お断り」的な発言として、次のようなことを申し上げ、やがてやり取りが始まりました。

「ディレクターさんの勝手な思いでシナリオを構成され、その中の出演者として取材されるのは困ります。葬儀というものを<正座>してお考えいただけませんか?」

 これは、過日の「独り言」で表記いたしましたように、全国で1日に2700名様もの葬儀が行われている現実を伝えるイントロの言葉でした。

「高級葬儀さんのホテル葬は別格だという情報を入手しています。社長様にご出演を願えなければ、実際のビデオを拝借させていただく訳には参りませんか」

 収録ビデオ、それは、数百はあるだろうが、ご遺族や参列者、また、宗教者の方の存在もあり、そんなに易々と貸し出し出来るものではない。

「では、どうしたらご協力をいただけるのでしょうか?」
「番組の制作予算に限りがあるでしょうが、大阪まで来られませんか?」
「参上させていただきたいのは山々なのですが、予算がちょっと厳しいところでして」
「それでは、無理ですね。来阪されれば100パーセント、シナリオ構成が変わる。それだけのことはご体感いただけますのに、仕方がありませんね?」
「・・・・・・・。参ります。明日、大阪へ、御社へ参上いたします」

次の日、彼は、本当に来社された。そして、ビデオ映像による私の世界をご体感いただいた」

「感動です。こんな世界があったとは初めて見ました。電話でおっしゃられたことが、よく解りました」
 そう、感想を述べてくれた彼の目が「うるうる」していた。なかなかに感性あふれる好青年であった。
 
そんな彼の人柄に応え、東京での生出演はお断り申し上げたが、お客様に抵抗のないダイジェストビデオを貸し出すことにした。
 
もう一方は、天下のNHKさんの看板番組「クローズアップ 現代」であった。葬儀に於ける社会ニーズの変革をテーマとされるそうで、オファーが入った時点には凡その構成が組まれていた。

弊社に関する取材要望は、ホテル葬に関することで、上述と同じように「ビデオの貸し出し希望」から、ホテル社葬が行なわれた後の反省会、つまり、ホテルスタッフと弊社スタッフ会議の模様を撮影されたいとおっしゃられた。

担当された記者さんはお若い女性の方で、しっかりとされたイメージを感じたが、すべてがNHKさん側のスケジュールに合わされてしまっており、何度かの電話のやりとりから、思うところをしたため、文章でやんわりとお断りイメージを伝えることにさせていただいた。

これは、決して、彼女に対しての行為ではなく、NHKさんの「クローズアップ 現代」という、社会的影響力の大きい番組に対する問題提議としての思いを託したものである。
 
本日、彼女から電話を頂戴した。今回の放送では「ホテル」に関する部分は割愛する構成となったそうで、葬祭学校などを中心として放送されることになりました。
 
社会ニーズの大きな変化、それは、無宗教形式やホテル葬が潮流のように、我々葬祭業者と宗教者に対するお客様の抵抗感、不信感から生まれてきており、この部分の欠落する「クローズアップ 現代」、葬儀の世界だけは、本質の把握が出来ない残念な放映となってしまいそうな気がしている。
 
放送日は、今月の22日(月曜日)です。この「独り言」をご笑覧いただいてご覧になられると、また、違ったご観点からの印象につながるかも知れません。

・・・・・・・・・NHKさん、ごめんなさい・・私はキャスターのファンでもあります・・・・

2002/04/13   悪い慣習・・良い慣習

協会メンバーの葬儀社から懇願され、新幹線から在来線の特急に乗り換え、4時間半を掛け、ある地方の葬儀の司会に行った。
 
開式の2時間前に到着し、担当される葬儀社の社長と打ち合わせを行なったが、葬儀の
式次第というものが、各地それぞれの独特な慣習があることは知っていたが、そこでは、
珍しく、葬儀式が終了し、ご導師が退出されてから弔電の代読をする次第になっていた。

ところが、そこには、とんでもない慣習があった。なんと、到着している弔電のすべての芳名を読み上げなければならず、奉読しなかった弔電をご仏前に奉呈することは出来ないと言うのである。
 
到着している弔電の数は180通、気の遠くなるような話である。
 
プロとして「そんな愚かなことは絶対にしない。最高に譲ったとしても、電文5通、芳名20通までが限度」と、社長と交渉してみたが、「この地域はそれでなければいけないのです。どうか、御願いします」と言うばかり。
 
 私はプロの信念として、弔電の代読というものに強い抵抗感を抱いている。

埒の明かない議論よりもと行動を起こし、ご遺族のお考えをと喪主様にご相談をした答えは、「私達も会葬に行った時、長々と弔電代読を聞かされるのは苦痛ですが、この町ではそうしなければならないのです。そうしなければ後日に攻撃されるのです」
 
物騒な話ではないか、悲しみの葬儀が終わってから、ご遺族を攻撃するとは何と恐ろしい地域ではないか。
 
私は、それ以上に進言することを止めることにした。決して「長いものには巻かれろ」という考えではなく、プロの哲学と司会トークによって見事に解決出来る程度の問題だが、大切な葬儀という式場で、喪主様やご家族の皆様に、余計なことでプレッシャーを掛けるべきではないとの判断をしたのである。
 
やがて、その時間がやって来た。10通目の代読をしながら参列者の表情を垣間見ると、「いい加減にしてくれ」との心情が伝わってくる。中には「なんという司会者だ」と怒りを抱いておられる方もいる筈だ。「耐えることもプロ」、そんな気持ちで180通をすべて読んだ。
 
ここで、ちょっとプロの独り言・・・
<弔電の内容を一切確認せずに代読しなければならないこともある。それは、重要な方からの弔電が式の最中に配達されることがあるからで、喪主様のお席に伺うことが出来ないというケースだ。一流と呼ばれる司会者になると、「目追い」というテクニックを持ち、言葉よりも20文字ぐらい先に目が進んでいるという秘技である。この目追いが多ければ多いほど余裕が生まれ、不明な文字の登場となれば誤魔化しテクニックを用い、通過する訳である・・・内緒話です>

 さて、悪習である弔電の代読が済んだ。続いては喪主様の謝辞である。全国的に行われている葬儀では、焼香が済むと大半の方が帰って行かれるが、この地域は大半が喪主様の挨拶までは参列されている。これは大変良い慣習である。
 
しかし、この後に、もっと素晴らしい慣習が行われていた。ご出棺の後、ご供花を皆さんがお持ち帰りになられるのである。

「こんな良い供養はないんじゃよ」そんなお言葉が交わされている。

大阪では、開店花はすぐに持ち帰られるが、葬儀のご供花は、頼んでも絶対にお持ち帰りにならない。「縁起でもない」、それが答えである。
 大切な「えにし」に結ばれた方の葬儀への参列。そこに供えられた美しい花。どこが、縁起が悪いのですか。つい、そう言ってしまいそうである。

葬儀は「人」を集め、「人」を走らせる。という言葉があるが、全国各地からご親戚や会葬者が集われ、各地の風習を持って来られるから大変だ

今日も、何処かの葬儀で、風習の異なりによっての「もめごと」が発生しているだろう。

2002/04/12   16年前の新聞記事から

昨日の「独り言」に誤字があり、書き直しましたら日付が変わってしまいました。
そんな事情で同日発信になってしまいますが、お許しくださいますよう。

書庫を整理していますと、懐かしい新聞記事が出て来ました。昭和62年2月28日付け、毎日新聞「八木亜夫の交談楽語」で、私の大きな写真も掲載されていました。

その当時の八木先生と言えばジャーナリストの世界では超有名人で、編集委員をされておられ、テレビでの解説などもご担当されていました。

私が対談という恐れ多いことになったのは、小説の出版からで、今から16年前の古い話ですが、出来るだけ原文のまま下記させていただきます。

しかし、私は標準語でお話しいたしましたが、関西弁で表記されていますので誤解をされませんように。

「皆で送る」気持ちを(見出し)
<ひとりの青年が、ひょんなことから葬儀社に就職し、商売修行のうちに、社長の葬儀経営哲学に傾倒、人生の裏表を学ぶ、という愉快な教養小説「お葬式はハプニングにのって 葬儀屋日記」を書いた。

4年前には葬儀社の社長があの世を見学して、エンマ大王と議論するという奇想天外のSF「葬儀屋・七万歩才あの世の旅」も刊行。大阪・生野で、葬儀社3代目。大阪高級葬儀社長。小説には、専門家ならではの葬儀の裏話が、ふんだん>

「まあ、ちょっと書けない話もいっぱいございます」 <病院と葬儀社が密着していることは、経験者はみな心当たりがあるが、裏でリベートがやりとりされているとは>

「病院の事務長、婦長、看護婦さんそれぞれが別の葬儀社と契約していて、一人のホトケさんに3社がきた、というのもありました」

<意外にウルサイのが、町内会長の存在。ここでもまた、リベートの話>

「誰に断って葬式してるねん、このへんではワシの許可なかったら葬式なんかでけへんで、とムチャクチャなこと言う人もありますね」

<とかく、まわりが口を出しては、コトをややこしくするのが、葬式>

「第三者まかせのお葬式が、都市では増えてきています。隣近所から業界のトラブル、みんなからんできてスッタモンダです。私達は逆らわずにやっていますが、本当に亡くなった方が主演者なのに、と思います。みんなが、送ってあげる、という気持ちにならんと」

<だから生前に自分で演出を考えておく人も>

「生前に録音しておいた、ご本人のあいさつテープを流すというのもあります。本日はご会葬下さいまして、ありがとうございました・・・と。考えてみたら、これが当たり前かも知れませんネ」

<無宗教の葬儀もふえた>

「大学教授やお医者さん、だいたいインテリ層に多いです。ゼロから出発して、式を企画構成するわけですから、私達もやりがいはあるんですが、人間はものすごく弱いものでしてネ。いい葬式でよかったなあ、で遺骨が帰ってくる、そのあとで、いったいあの人はどこ行ったんやろ、と。無宗教では、ここのところのさびしさが、解決できないんです」

<セレモニーにはハプニングがつきもの>

「ハプニングをハプニングでないように、いかにキズをつけないで解決するかが、プロの腕です」

<これからの葬儀>

「結婚式で挙式と披露宴が分かれているように、葬儀と告別式を分ける方向になりそうです。私達はプロですから、100人おられたら100人泣かせるのは簡単ですが、泣かせるだけの演出ではいけません」
<名刺には、英文で、マスター・オブ・セレモニー(総合司会)とフューネラル・ディレクター(葬儀演出)。ピアノもギターも、の39歳>


 いかがでしょうか、16年前の予測、現在に通じていないでしょうか。私は、この頃からホテルに於ける葬儀に着目をしていました。

2002/04/12   扉の前に立って

「九十九折の人の世の、九十九折の喜び悲しみの一つ一つを辿れば、彼の人は何と様々な歳月を歩んで来られたのでしょうか」

そんなナレーションをやったことがあった。

人はこの世に生を享け、人に出会い、長い人生に思い出を刻み、やがて諸行無常の理(ことわり)にその生涯の幕を閉じ逝く。

我々日本人が「葬送」をイメージする時、「小高い丘を柩と共に歩みゆく情景」を思い浮かべ、郷愁として「野辺の送り」が心の根底にある筈だ。

大切な人の「死」、それは極めて自然の摂理であっても、悲しみの涙を伴うものだが、この涙には「惜別」という「去来する思い出」だけではなく、「死」が何れ自身に訪れるという哀れみがあることを忘れてはならないと考えている。

日本の葬儀は「佛教」のうえに成り立ってきたと思われがちだが、決してそうではなく、「儒教」の「先祖供養」うえに成り立ってきたという学説を持たれる専門家が多い。

これまでの葬送の文化にあって、佛教や神道の慣習で「これは素晴らしい」と思っていることがある。

それは仏式の初七日から満中陰、神式の十日祭から五十日祭で、悲しみの遺族が故人のために行なう礼節作法が、宗教者や参列される方々への対応に追われ、失礼な表現で恐縮だが、忙しさに紛れるという効果につながっているからだ。

しかし、大切な人を失った方の淋しさや本当のお悲しみは、この後からやって来ることをご理解いただきたいものである。

私達は、お悲しみの強いご遺族に、一周忌、三回忌などにお花を届けることがあるが、そんな時にお話を伺うと、これらのことがよく理解出来、特にお子様を亡くされた方が、何年経っても「子供の年齢」を数えていることなどに顕著である。

協会メンバーの掲示板で、「悲しみって、何だろう」という議論を交わしたことがあり、「愛があるから悲しい」という結論に達し、そこから前進することは出来なかった。

こんな重要な問題を、「なんと単純な答えに結びつけるのだ」と、ご叱責を受けるかも知れませんが、複雑な哲学として専門家を交え、真剣に取り組んでも難しい問題であったことは事実で、また、論戦を行なって見たい永遠のテーマであると思っている。

現在、協会の掲示板では「お釈迦様」についての勉強会を行なっているが、「お釈迦様」が悟られた上記に関係する「四苦」の問題、我々のレベルでは、まだまだ入り口の扉をノックする前の段階であることは否めない。

「愛」と「癒し」の理念を共有する夢職人の団体「日本トータライフ協会」、その活動は始まったばかりである。

結びに、私の好きな言葉を下記いたします。

「大きな苦しみを受けた人は、恨むようになるか、やさしくなるかのどちらかである」
                      ・・・ウィル・デューラント

2002/04/10   日本トータライフ協会の認識

最近、弊社が加盟する日本トータライフ協会では、コラムが大流行。

この「独り言」がそうであるように、その発端は昨年12月初旬に構築されたメンバー専用掲示板。ここで始まった書き込み内容は信じられない世界で、仕入先である担当セールスや取引先の銀行マン達にも何度か見せたことがあるが、全員がカルチャーショックを受けるレベルであると評価されている。

その一部をコラムという「かたち」でオープン化したものが「コラム 有為転変」で、今や多くのファンの存在が生まれ、お電話、メール、お手紙などを頂戴するに至っており、メンバー意識の向上に相乗効果を与えていただいている。
 
「有為転変」への爆発的なアクセス数に触発され、この「独り言」が始まった訳であるが、過日に紹介させていただいたように高知県の「おかざき葬儀社」さんも始められ、大きな話題を呼んでいるところから、全国に点在するメンバー達にホームページのリニューアル行動が起き、数社がコラムの発信を予定されているそうである。
 
毎日発信すること、それは大変な作業であるが、掲示板に入信してくるメンバー達の筆力と感性を見ていると、この「独り言」など恥ずかしくて発信出来ないというレベルが10人ぐらいは存在している。
 
そんな嬉しい出来事の裏側で、困った問題も発生していることも事実である。

「有為転変」や「独り言」の影響からか、協会加盟を希望される葬祭業者さんが予想以上に多くなってきたことである。

協会加盟の条件は厳しく、企業理念、経営者の信念などが重要視され、最終的には理事会承認となっているが、理事長を担当している弊社に対して、全国に共通する大手仕入れ業者さんのルートからの打診が多く、お断りをするのに苦労を強いられているが、どうしてご自分で行動されないのだろうかと疑問も抱いている。

協会は、お客様のご満足を指針し、葬祭業界の文化向上を理念とする共有団体であり、夢や癒しの追究ということからすると「自己研鑽」の場であり、入会したからこのオリジナルサービスが活用出来るというような団体ではないことだけはご理解いただきたいところで、知的所有権に帰属する様々なサービス構築は、今後にもいくつも提案されていくだろうが、「ホスピタリティ」という言葉の意味をご理解いただける業者さんには、門戸を広げる考え方がメンバーの一部に生まれつつある。
 
今年の始めに、ある地方の大手葬祭業者さんが来社され、入会希望を懇願されたことがあったが、「協会は、恐るべきパワーを秘めておられる。隣接する競合業者が入会されると致命的な影響を受けてしまいます。だから大阪までやって来ました」とのお言葉には衝撃を受け、ご鄭重にお引取りを願ったが、ビジネス戦略として協会活動を捉えておられることに対して、残念で淋しい思いを抱いたものである。

現在、多くの業者さんのオファーを頂戴しているが、ビジネス第1主義という経営理念は、協会加盟の求められる前に意識改革を願わなければなりません。今後の葬祭業、それは、「愛」「と「癒し」がキーワードになり、社会賛同と社会歓迎されるサービス提供が重要視されてきます。

ホテル葬、音楽葬、お別れ会、偲ぶ会、無宗教葬などのノウハウ、ソフト入手への最短の近道、それは「協会加盟だ」という言葉が流れていますが、メンバー掲示板で論議されている内容には、「死」「儀式」「儀礼学」「葬祭心理学」「宗教学」「司会学」「演出学」「人間学」「葬祭哲学」「プロデュース学」などの文字が飛び交い、宗教に基く葬送の原点の研鑽も重要視されています。

「新しき変革」のためには「古きを知る」、このことだけは大切に学んで参りたいと心いたしております。

  偉そうなこと・・・ご海容くださいませ

2002/04/09   出張先でのハプニング

ゴルフをやっていた頃、夏の暑い時は必ず「ポカリ・スウェット」を携行していた。これは、いつも同伴していた友人の医師の薦めからであったが、正直言って失礼だが、飲み難い代物だった。
 
今、この原稿を山陽新幹線の「のぞみ」の中で打っているが、窓ガラスの棚にはポカリ・スウェットが置かれている。信じられない話だが、ワゴンサービスの女性に自分で注文したものである。
 
なぜ、そんな不思議なことをと説明申し上げる訳だが、出張先の九州で大変なハプニング起こしてしまったことに起因している。

 宿泊していたホテルでの早朝、突然「鼻血」に襲われ、同宿の協会メンバー2人に大変な迷惑を及ぼし、ついに、救急車で病院に運ばれることになってしまった。

 数日前から疲れモードでハードスケジュール、後頭部が「のぼせて」いるような兆候があったが、まさか旅先で緊急入院する羽目になるとは予測していなかったことである。

 鼻血なんて30数年振りのこと、尾籠な話で恐縮だが、病院でティッシュペーパーの大きな箱を2箱近くも使用という状態で、医師、看護婦さんにも大変な苦労を強いてしまった。

 人間の身体から、よくもこれだけの血液が出るものだと、本当に苦しい体験となったが、最も辛かったことは、日曜日早朝の入院ということで耳鼻科の専門医がおられず、なんとか出血を止めようと施された血圧降下、止血目的の点滴や「詰め物」で、血液が次から次へと喉の奥から溢れてくる苦しさは、二度と体験したくない苦しみだった。
 
夜を迎える頃、何とか出血が止まり、その日初めての食事となったが、期待しなかった病院での食事、「お米」の味が素晴らしかったこと、生かせていただいたことに感謝しながら味わう貴重な体験ともなった。

その夜、薬によって久し振りの熟睡の世界へと導かれ、次の日の午前中に専門医による手術となったが、「ちょっと焼きましょう」と言われて手にされた医療器具を見て衝撃を受けた。

ハンダゴテと鋏を合わせたようなもので、電気コードがつながっている。その20分ぐらい前に麻酔の処置が施されていたとは言え、「ジュジュッ」という音が耳に聞こえてきた時は、一瞬、気を失いそうになった。 
 
私が入院して一夜を過ごした部屋は、救急車で運ばれてくる方々の緊急病棟、廊下を行き来されるドクターや看護婦さんの生々しい会話も入ってくる。携帯電話も禁止、酒タバコはもちろん厳禁。CT検査のために車椅子で運ばれた時は、本当に弱気になってしまっていた。

 手術の後、成功という結果に安堵し、退院手続き後、地元に詳しい方に進められ、健康ランドの温泉の個室で1時間ぐらいを過ごしたが、シャワーを浴びた時は、地獄からの生還のような気持ちを味わった。
 
しかし葬儀屋である。その後に訪問した協会メンバーの葬儀社で、その日の通夜の準備を行なっていたが、そこで小さな声で聞かされた現実の話には驚かされ、ご祭壇に思わず手を合わせることになった。

「この深夜に、お客様のご要望で、理事長さんが入院されている部屋の隣の部屋にご遺体をお迎えに参上したのです。その際、ちょっとだけお部屋を伺ったのですが、よくおやすみになっておられたようなので、そのまま寝台自動車で帰社いたしました」

 一方で、ホテルで同室していたメンバー達は、さすがに落ち着いた行動でフロントを通じて救急車の要請を行なってくれたが、「ホテルの近くではサイレンを鳴らさないように」との配慮、やはりプロ達らしい心配りに感じ入ったところである。

   ・・・・・生かされて・・・そして感謝

2002/04/08   一人寂しく・・あたたかく

 ある日、町の会長さんからお電話を頂戴した。身寄りが誰一人なく、アパートで一人住まいをされておられたお年寄りの方が亡くなり、何とか葬儀を行いたいとのご要望である。
 
伺うと臨終時に誰もおられなく、法的に言われる「検死」の手続きが進められることになっていた。
 
6畳一間のお部屋、会長さんとご一緒に片付けをスタッフ達がお手伝いしたが、掃除が行き届き、整理整頓され、清潔なお人柄を感じるが、人生黄昏への準備がされていたように、「これは、処分」「欲しい方にプレゼント」などのシールの張られた整理箱もあった。

やがて検死を終えたご遺体がお帰りになり、ご納棺。お柩と枕用具、それにお花一対だけという淋しいご葬儀ではあったが、会長さんをはじめ、ご近所の方々のあたたかい心が精一杯届けられる葬儀になると思えた。
 
お寺様にご来臨を賜る予算もなく、ご近所の皆さんでお布施のためのお金を浄財として集めようかというお話もあったが、誰かがおっしゃった「みんなでお経を唱えましょう」というお言葉から、各お家のお仏壇の引き出しに入っている経典を持ち寄られ、様々な宗派のお経が流れ聞こえる御通夜と葬儀が進められた。
 
経典を見られずに「般若心経」や浄土真宗の「正信偈」などを唱えられる方もあり、皆さんが「導師」という「かたち」のご葬送が執り行われる2日間。

火葬場には弊社の車に定員いっぱいが同乗されお送りしたが、炉の扉が閉められる瞬間、「みなさん、有り難う」とのお声が聞こえたような気がした。
 
世の中には、大規模な社葬のように数千人の参列者が来られる葬儀もあれば、こんな葬儀もある。しかし、参列者数で人生を表現することは当て嵌まらないと考えている。

何人が参列したか、何人が焼香をされたではなく、その内の何人が「送られたか」というところに葬送の意義があるように思えてならない。
 
それからすると、この身寄りのない方の葬儀は、関係者の全員がお送りされた立派な葬儀とは言えないだろうか。

戒名、法名もない俗名での葬儀、お骨の引き取り手が誰もない淋しいご終焉ではあったが、このお方の生まれた時のご両親の存在、少年時代、青春時代、九十九折に歩まれたであろう人生を勝手に想像しながら、ご近所のみなさんと共に、ほのぼのとした仕事に従事させていただいた「えにし」に感謝の合掌を送る2日間となった。

2002/04/07   一面記事、掲載当日の出来事

昨日、「取材時の勝手なお願い」にしたためさせていただいたが、「慈曲葬フェア」の毎日新聞さん夕刊の記事、掲載された当日に、ちょっとした出来事があったので報告いたします。
 当日の午前中、「今日の夕刊に記事掲載されます」とのお電話を、事務所にいた女性社員が頂戴した。

その日の午後、我々スタッフは、ホテルで次の日に行なわれる社葬の会場設営に追われ、時間との戦いもあり、記事掲載のことを思い出したのは午後4時頃のこと。誰かが「もう、新聞届いている時間では」と言ったことから気付くことになった。
 
ご存じのように、大きなホテルは、各社の新聞が大量に届けられる。早速、ホテルスタッフにお願いをして一部を持ってきていただいた。

最初は4コマ漫画が掲載されている社会面を見たが、広げた左右のページの何処にもそれらしき記事はない。次のページ、次のページと隅から隅まで目を通すが何処にも見当たらない。

そんな時、一人の社員が事務所に電話を入れ「本当に間違いないのか? 今日の夕刊に間違いないの?」と確認していた。

「間違いなく、今日の夕刊ですと言っていました」
「本当に? 何処にも掲載されていないじゃないか。日の聴き間違いじゃないのか?」と言いながら、毎日新聞であるのかという確認のために一面を見た時だった。

大きなカラー写真が目に飛び込んできた。私達が行なった慈曲葬の情景や、特別に制作され「シンデレラ」と命名されたガラス張りの柩の写真が載っており、「旅立ちも個性的に」「ホテルでお葬式」という大見出しの文字が掲載されていた。

それは、信じられるまで少しの時間を費やすほどの衝撃だった。これまで、各新聞社に数十回の記事掲載をいただいたが、まさか一面、それもカラー記事とは座り込んでしまうほどの驚きであった。
 
弊社のスタッフだけではなく、ホテルのスタッフ達でも大騒ぎ、これは偉いことだと、1時間ぐらい喫茶ラウンジで喜びを共にしたことを鮮明に覚えている。
 
そんな時、明日の社葬の施主となられる会社側の役員さん達がお着きになられたが、皆さんもすでにこの記事のことをご覧になっておられ、「あの記事が、まさか君達のことだとは思わなかったよ。いやあ、驚いた」と、ご満足そうにお言葉を掛けてくださいました。
 
やがて次の日、社葬の本番。多くの会葬者のご参列があられたが、記事のことをご存じ方が多く、数十人の方々がお声を掛けてくださった。

社葬終了後、「慈曲葬か、初めて体験したが、新聞の一面に記載されるだけのことは感じた。これなら歓迎。きっと賛同される人が増えると思うよ。皆さんにも評判がよかった」と、嬉しいお言葉を頂戴した施主側の皆様のご感想。それは、本当に嬉しく、スタッフ一同、お片付けの前に、ご遺影に心からなる感謝の合掌をいたしました。

2002/04/06   取材時の勝手なお願い

最近、新聞、雑誌、テレビの取材が多くなってきましたが、その大半が東京からの依頼であることに驚きながら、高齢社会の到来と、変革が求められる葬儀に対する社会ニーズの変化が顕著であると分析し、過日に収録され、来週に放映されるフジテレビさんの番組の後、もっと増えてくることを覚悟しなければならないと考えています。
 
今日も東京の著名な雑誌社のライターさんから取材申し込みがありました。「葬儀を取り上げているのですが、貴社を絶対に取り上げないと完成しないのです」とおっしゃられ、電話による取材を希望されましたが、丁重にお断りを申し上げることになり、東京の加盟メンバーを紹介いたしました。

 弊社への取材は、すべて来社のうえ面談取材という条件を設定しています。それは、誤解が発生しないようにとの予防線でもあり、過去にはNHKさんにも何度かご協力をいただきました。

一昨日の「一人淋しく、あたたかく」に記したように、全国で毎日、多くの方々のご葬儀が行われている中、「死」や「葬儀」を取り上げるには「正座」姿勢の取材で、興味本位な考え方での取材は、頑なに辞退させていただく信念で対応していることをご理解願っています。

 近々に、テレビの「絶対に想像もしていなかった格式高い番組」からの取材オファーを頂戴していますが、この姿勢だけは絶対条件として崩すつもりはありません。

これまでの多くの取材体験からしますと、葬儀の変革の実態に興味を抱かれておられても、どのような「かたち」の葬儀が行われているのかは、言葉や資料では伝わりません。  
すべてがこれまでにご体験された範囲にイメージを合わされ、ご自身の勝手な想像を膨らませたレベルにしかなく、弊社や私達の協会が行なっている実際とは、大きな隔たりが生じています。

そんなことを想定し、弊社では資料映像の制作を行い、取材時に客観的なご体感をいただくことにしていますが、全員が衝撃的なカルチャーショックに陥られています。

 ひとつの顕著な例として、2年前に開催の「慈曲葬」フェアに於けるシミュレーション葬儀には、多くのマスメディアの方々が参列者としてご体感をいただき、テレビ、新聞各社のニュースとして報道されましたが、中でも毎日新聞さんには、夕刊の一面のカラー記事として掲載いただきました。
 
取り上げてくださった女性記者の方は、「私達が願い望んでいる葬儀に対する思いが凝縮されている。これは単なるニュースとしては掲載したくない。改めて取材のうえ、じっくりと考え、本物の社会記事として取り組みたい」とのことから、長時間にわたるご取材をいただき、信じられない扱いの記事掲載になり、ここに、この「独り言」のページで、改めて感謝と御礼を申し上げるところです。

 これまでの多くの取材から、学ばせていただいたことがあります。それは、取材される記者さんの「感性」の異なりによって、全く違った方向に伝えられることでした。

私達の仕事も同じで、自分が感動する性格を持っていなければ、絶対に他人を感動させることは出来ないということ。これは、全国に点在するプロ達が集結する「日本トータライフ協会」のメンバー全員の意見として共通し、同じ理念で結ばれ研鑽を始めた各社が、今、全国で感動サービスの実践を進めています。

  ・・・・・「慈曲葬」、ご体験されたことがあられますでしょうか?

2002/04/05   今日も「生かされて」いる

毎日、日本中で悲しい葬儀が行われている。病気もあるが事故もあり事件もある。

我が国の年間死亡者から推察すると、1日に2700名様の方々の葬儀が行われていることになり、その日の内に、次の日に葬儀を迎えるための御通夜が、また2700名様あるということになる。
 
ご遺族、参列されたご親戚、会葬者、近隣の方々、式場となったお寺や地域会館のご近所の方、式場の前を偶然に通られた方、そして交差点に立て掛けられた式場案内看板などをご覧になった方を合計すれば、どれだけの人が「他人事」ではない「葬儀」「死」を意識する機会となったかご想像いただけることでしょう。
 
家族の一員に俄かに訪れた不幸、不慮災いによる人の死は、大半が人災と言われているが、天災を含め、「家族」が突然に「遺族」と呼ばれることになると、大きな心理変化が生まれ「悲嘆」の世界に陥られる。
 
怒り、不信感、絶望感、猜疑心、孤独感、自責感、虚脱感、無気力、判断力低下などの兆候に襲われ、ひどい場合には幻聴、幻覚の心理状態にまで追い詰められることも少なくない。
 
これまでに多くの方々を送らせていただいたが、ご旅行先での事故、外国での災難、航空機事故、交通事故などは、本音を言えば担当させていただきたくないというケースを多く体験してきた。
 
一昨日の「安全運転」にもしたためたが、加害者の存在がある場合の葬儀は本当に難しく、加害者側の依頼からの担当には、想像を絶する苦しさと苦労がある。
 
大切な方を失う。その怒りが加害者という「対象物」に向けられるのは当然だが、天災となると対象物がなく、我々も共に悲しむしか手立てがないという淋しいところがある。
 
記憶に新しい阪神淡路大震災、この未曾有の惨劇は、二度と体験したくない悲劇を象徴するものだった。悲しみの儀式を行なう家も崩壊し、火葬場までも機能しないという現実は、近代社会に於ける危機管理の枠を大きく超えるほど衝撃的なものであった。
 
 いかなる場合でも「ご遺体」の尊厳を遵守出来ること、それは文化国家の証と言えるかも知れない。

過日、我々の協会に加盟される神戸の「公詢社」さんに参上し、社長やスタッフの方々とお話をさせていただいたが、震災の発生から始められた会社上げての行動、葬儀社の責務としての使命感に燃え、裏方に徹しながらご苦労をされた秘話など、私の心に大きな感動を与えてくださることになり、改めて協会メンバー研修会で講義をいただくことになった。
 
「弊社の毎年の正月は1月17日から始まります。前日に、担当させていただいた方々のご自宅や、関係される宗教者の皆様にお花を届け、当日は、社員全員に朝の5時に出勤することを決め、禊として入浴と新しい下着に着替えて来ることも義務付け、発生の時間である5時46分から屋上で追悼式を行ないます。それが終わって供養の食事。そこからお正月なのです」
 
そう語ってくださった社長さん。その横におられたスタッフの方々が誇りげに頷かれておられたのが印象に残っています。

<人の死に涙を流すとき、それは、やがてやって来る自身への哀れみであることも忘れてはならない>
 
人の「死」に接しられる時、諸行無常の理に、ご自身の「生」を確かめる時とお考えいただければ幸いです。              ・・・・九 拝 合 掌

2002/04/04   社会構造「変革」への危惧

喫茶店に置かれたゲーム機「インベーダー」が流行したのは、もう20年以上も前の話。その後、テレビゲームや携帯電話が驚くほどの進展を見せ、今やITの社会を迎えている。
 
家庭の電話も大半がプッシュホンに変わり、もう、あの懐かしいダイアル音の感触を聞くことが珍しくなった。
 
一方で携帯電話の爆発的な普及により、公衆電話が少なくなり、携帯電話を持たない方々の不満の声も上がっている。
 
2年ほど前、「インターネットとは何か」という演題に興味を持ち、無料の講演会に参加させていただいたことがあった。参加者の大半が団塊世代以上、中には80歳ぐらいの方も十数人おられる。

講師が冒頭に、「今日、参加の方々にお聞きします。インターネットは若い方々のものであるとお考えの方、挙手ください」と言われ、私を含め、8割以上の方が手を挙げた。

「今、手を挙げた方々は愚かな方々です。インターネットとは、ここに出席されておられる方々にこそ活用される意味があるのです」

 そこから始まった約1時間の講義、それは、私がいかに愚かであったかを悟らせていただくことになった。

 JRや地下鉄の切符売り場で、お年寄りの方が、買い方が分からず困惑されている姿を見かけることが多いが、世の中というものは便利と喜ぶ人がいる一方で、不便だと困っている人が存在していることを忘れてはならない。

 可愛くて仕方なかった孫達が成長し、やがて幼稚園に通う頃、テレビのチャンネルの操作が理解出来ないお年寄りをバカにするという話も多い。

 昔、お年よりは尊敬されていた。なぜならば知恵の宝庫であったからだ。鋏の使い方、食品の貯蔵方法、礼儀作法など、「なるほど」という「知恵」に培われた意識改革を与えてくれていた。しかし、現況の社会変化の中で、どのような存在に向かいつつあるのか、真剣に考えなければならない。

 チャンネルも扱えない、切符も買えない、そんなことでお年寄りを「バカ扱い」にしてしまう「知識」優先社会の訪れ、そこには大きな落とし穴があるように思えてならない。

 ある社会学者が「ネット社会」を皮肉られて、「考えない人を作る社会」と問題提議されていたが、それに共感される方々の声も大きい。

 果たして小学生にパソコンやインターネットの教育が必要なのだろうか、難しい計算でも、計算機ですぐに答えの出る時代、文明の利器を活用することを知識として勘違いしていないだろうか。 

 昨日、「自殺」のことに少し触れたが、インターネットでの「自殺」を検索してみると、なんと537,000件のページ登録が登場する。精神心理学の観点からの分析、思い止まるようにと願う予防、また、その反対のとんでもない表記など、初めて知る世界のことが列記されている。もしも、願望ある方が最悪のページを開いたらどうなるのか、決行されてしまうパーセンテージが確実にアップする恐ろしさを秘めている。

 善悪の判断のつかない年代、そして興味本位に走る世代、この「利器」が生まれていなかったら、発生しなかっただろうという悲劇や事件も起きている。

 ネット社会は、あらゆる産業の世界でも大きな影響を巻き起こしている。知恵の技術が表面化されず、知識を戦略として活用する企業がクローズアップされ、リストラの姿勢を見せ、将来に必ず必要となる知恵ある「人財」を割愛している。

内部に残るのは知識のみの「人材」。その行動を進められた経営者こそ「人罪」と称するべきだろう。

2002/04/03   安 全 運 転

葬儀の司会者セミナーの講師を担当していた時、質疑応答の時間に「プロという哲学は何でしょう?」と質問されたことがあった。

<ハプニングをハプニングでないように解決出来るパワー>
<風邪をひかないこと。風邪に冒されても寝ないで治癒できること>
<それだけ喉と声を大切に考えること>
<徹底したシナリオ構成で臨み、反省はするが後悔をしないという信念を持すること>

そんな「いいかっこ」で答えてしまったが、要するに「余裕」を持つことが重要であることを伝えたかったのである。
 
「案ずるより生むが易し」という言葉があるが、これを誤解されておられる方々が多いようだ。本番まで最悪の場合のシナリオまで予測した結果に使える言葉なのに、何もしないでこの言葉に期待を寄せている姿を見ることが多いからだ。

 とは言っても、私も後悔することばかり。まだまだプロの域に達していないと反省をしているが、この仕事に従事して、絶対にこれだけは後悔のないように意識していることがある。それは車の運転で、事故を起こさないようにつとめていること。

交通事故による被害者の葬儀の光景を何度体験したことか。運転免許更新の際に講義を受けたり、ビデオ映像を見せていただく時も、どうして悲惨な葬儀の光景を見せないのだろうかと疑問を抱いている。その方が交通事故の減少に絶対的効果があると信じている。
 
プロとしての誇りの中に、飲酒運転は絶対にしないという姿勢もある。業界の集まりやゴルフコンペに際しても、運転する以上は絶対にアルコールを口にしないことを誓っているし、弊社が加盟する日本トータライフ協会の会議、研修会後の懇親会にあっても、車の人は酒を飲むな。もし飲んで帰ることがあったら除名にすると、厳しい言葉から始められている。 
 
過去に、「ちょっとぐらい」「乾杯ぐらい」とグラスに手を掛けた人物がいたが、「あなたはプロとしては認めない」と、叱責したこともあった。

こんな偉そうなことをしたためる裏側には、実は「酒に弱い」という事実がある。ビールの中ビンが限界であり、お酒の好きな方達からは叱られるかも知れない。
 
人には、様々な終焉の姿がある。病、老衰、事故、自殺など、それぞれの葬儀が行われているが、自殺が交通事故死亡者数を超えている事実には驚愕している。いずれ、この「独り言」でも自殺について取り上げることになるだろうが、今後にますます多くなると予測される専門家の分析に危惧を抱いている。
 
暗い話ばかりで恐縮ですが、結びは、講演でご一緒させていただいた時に伺った、ある宗教者のお言葉を表記申し上げます。

<20世紀は暗黒の時代。人間とは本当に愚かな生き物。20世紀に戦争で亡くなった人が1億6000万人。戦争以外の政治的理由で虐殺された人が1億7000万人。毎日発生している交通事故死、殺人事件などの被害者数を考えてみれば、身の毛のよだつ思いがする>

今も世界の何処かで戦争が行なわれている。被害者はいつも弱者ばかり。宗教の異なりで戦う愚かさ。いつになったら人間社会の「朝」が訪れてくれるのだろうか。

2002/04/02   遊び心で・・・ごめんなさい

 この「独り言」の発信を始めたのは3月1日、毎日、文章を作るということは大変なこと。ちょっとお疲れモードの今日は、失礼だが「遊び心」でしたためてみたい。

ある葬儀社での出来事、新入社員に「幕」の張り方を教えようとして「鯨」を持って来るように命令した時、彼は、「冷蔵庫は何処ですか?」と答えたそうです。
 
お分かりのように「鯨」とは、葬儀の式場に見られる「白黒」の幕のこと。新入社員にとっては初めてのことで知る由もなく、仕方のないことだろう。
 
「白黒をはっきりと付けようじゃないか」テレビドラマや映画で、よくこの言葉が使われているが、私の仕事に従事していると、また、別の意味合いを感じてしまうようだ。
 
私は囲碁が好きで、と言っても格言にある「ヘボ碁ダメなし」のレベルであるが、お寺様の老僧様に招かれ、お寺の縁側でよく打ったことが懐かしい。
 
囲碁は正座が似合うと言われ、ましてや相手が老僧様ともなれば当たり前、素晴らしいお庭を前にして風流な対局風景の中で、足の痺れにだけは泣かされていた。 
 
囲碁は「先を読む」ということから、企業経営者の世界には高段者が多いそうで、いかにも立派な「試金石」、物騒な「捨石」という言葉の他に、取らせてすぐに取り返すという「打って返し」「石の下」という妙手もあり、凝りだすと徹夜に及ぶことも少なくなかった。
 
考えてみれば、お寺様と葬儀屋が白黒の石で「生き死に」を楽しんでいる。これは最高のブラック・ユーモアの部類にランクされるかも知れない。
 
しかし、パトカーの白黒の意味は分からない。誰かご存じの方があれば教えていただきたい謎である。
 
パトカーで思い出したが、乗用車の後部座席で、なぜシートベルト着用が義務付けられていないのだろうか。ある会合でそんな質問をした人があったが、一人の人物が面白いことを言って爆笑を誘ったことがある。
 彼曰く、「後部座席にしか乗らない人達が法制化したからだ」・・・全員が納得

 世間には、分かり易い言葉で納得に値するユーモア表現をされる方もある。

 数年前まで、練習場へも行かず、月一ゴルフでオフィシャル「7」を維持していた私は、あるゴルフ仲間に、車内談義で楽しい話を教えて貰ったことがあるので紹介したい。

 ゴルファーの不名誉なニックネームには次の3つがある。

@ にわとり・・OBである筈なのにセーフゾーンで「ここにあった」と言って、新しい
        ボールを産む。
A 西郷隆盛・・セカンド地点に誰よりも早く到達し、ディボット跡に入っているボール
        を、持っていたクラブで器用に脱出させる。(後方から見ていると、犬を
        連れた上野の西郷さんの銅像に似ているから)
B銭形平次・・グリーン上に誰よりも速く到着し、ボールをマークする際に、コインを指      
     で飛ばしてピンに近づけるという、高等技術の持ち主。

葬儀社のホームページ上で、「何と言う<つまらない>ことを書き記すのだ」とお叱りを
受けるかも知れませんので、ここで真面目なお話しで結びます。
 
ゴルフは自己責任、自身が審判であるというスポーツ。ルールとマナーが重要視されていますが、意外と守られていないマナーを次に提議させていただきます。

@ スコアカードに同伴プレイヤーのお名前を書きますが、果たして敬称を付けてお書きになっておられるでしょうか?
Aビジターとしてコースに到着され、フロントで受付を済まされる時、紹介者のお名前を呼び捨てに書かれていませんでしょうか?
(「氏」を書き足すだけで、あなたも紹介者も人柄という人物観がアップされる筈です)

   ・・・・偉そうなこと・・・ご海容くださいませ

2002/04/01   人生は「交響曲」

人は誰しも喧騒と都塵を離脱し、心身の癒しを求めるために自然の中に身を委ねたくなるもの。そして、邪魔者のない環境空間を得ようとする時、自分だけの音楽への要望が高まります。
 
私は音楽が好きで、様々なコンサートに足を運びますが、本物の音楽との出会いは、朋友との出会いのような瞬間を感じます。
 
オリジナルCD「慈曲」の制作監修に携わった時、作曲者とのお話に力説したことが懐かしく思い出されます。
 
唱歌、童謡には万感の思いが胸に込み上げてくるものがある。それは郷愁の情が奏でられているから。

人は自然の世界に接すると心が和む。山、海、新緑、花鳥風月、それらには日本の風情と誤りのない時間の流れが感じられる。これこそ、ノスタルジア。
 
また、唱歌、童謡の世界には、虚飾を廃した純粋な音楽の原点があり、これらのノスタルジアは、素朴で不思議なロマンを感じさせてくれるものだ。

人生にあって、よき友人との出会い、感動を誘う音楽との出会いは、人生を更に豊かにしてくれ、不幸でないようにしてくれる。

一昨日、トランペットのアレクセイ・トカレフさんと、ピアニストの井口真由子さんのコンサートに行き、久し振りに本物の音楽を耳にしてきた。
 
井口さんのピアノが素晴らしく、全身全霊を込めて演奏をされるとき、ピアノがドレスアップしたように光り輝き、幸せそうな表情を見せてくれるような気がした。

お二人は、近日中に東京のホテルオークラさんでも演奏されるそうですが、今回のような偶然の機会に恵まれて素晴らしいひと時を過ごさせていただきました。
 
夜の帳が降り、窓ガラスが冷たくなる。そんな時は肘掛椅子にでもくつろぎながら、上質な音楽を静かに聴きたいもの。
 
穏やかな時の流れ、優雅な空間の誘い。いつしか心から安心している自分に気付く。そんな上質な時間がゆっくりと過ぎてゆく時、音楽が幸せの使者のように思える時でもある。
 
葬儀でのナレーションのための取材を担当するとき、故人との思い出話しを語ってくださることがありますが、その際に愛唱されていた音楽の話に進展することが少なくありません。
 
暗い過去はセピア調に見え、明るい過去の思い出はカラーで見えるという、大好きな言葉がありますが、心を和ませてくれた音楽、喜びに花を咲かせ、憂いの雨に打たれて織り成して来られた人生模様にあって、その時、その時に出会った音楽は、過ぎ去って行った大切な人生の一瞬一瞬を思い出させてくれます。
 
人生は「交響曲」である。これは、私の人生哲学である。

時にはピアノに、時にはオーボエ、ホルン、ティンパニーに、ベースになることも必要だろう。終焉のとき、自身が奏でられるオーケストラのスコア完成が成されていた時、残された人々の心に響きながら生きることとなり、必ず音域が広がり伝わって行くだろう。


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