2002年 5月

2002/05/31   失礼ですが、理念です。   NO 91

 社葬のご依頼のお電話を頂戴する時、次のような二つのケースが増えてきた。

「弊社会長の社葬儀にあたり、数社の葬儀社さんへ、予算、祭壇などのデザインを含めた企画書をお願いしています。御社も是非、お願いしたいのですが」 

「社葬を行ないたいのですが、御社はどの程度の経費が必要でしょうか?」


 弊社では、上記のご依頼に対しましては、すべて鄭重にお断り申し上げ、どうぞ、ご遠慮なく他社様でとお伝えいたしております。

 このようなお電話をされてくるのは、大半が総務ご担当者。お断りをして1時間もしない内に再度のお電話をいただき、「他者をすべてキャンセルしました。是非、御社で」ということになったこともあるから世も捨てたものではない。  

 そんなケースの総務部長さんに伺ったお話だが、葬儀社に断られて腹が立ち、役員による社葬会議で報告されたら、全員が「その葬儀社にすぐに依頼しなさい」とおっしゃられたそうだ。

故人がどのようなお方であられたのか。また、招待形式か不特定多数の会葬者バージョンなのか。そして、式場はお寺様なのかホテルなのか、無宗教形式をご要望なのか、お別れ会か偲ぶ会なのかという基本的なことが把握出来ずに企画は不可能なのです。

 一方でご遺族の家族構成は、ご本人やご遺族の心残りやご要望はという把握も重要で、情報を頂戴してから社葬のプロデュースをスタートするべきであり、順番の誤りとの指摘もしたいし、上記に対応される葬儀社さんのビジネスオンリーの行動に抵抗感を抱いています。

 弊社のオリジナルプロデュースは、様々な知的財産に帰属するソフトサービスのうえに成り立ち、他社とは全く異なるレベルであるところに特徴があり、「物を買う」「家を建てる」的な発想をされるお客様の社葬は、必然としてお断りすることになります。

 これまでのホテル社葬に於きましても、最近に流行のホテル主流型要望から、会社の役員様との激論を交わし、故人が嘲笑されるということが分かっている社葬は、プロとして絶対に担当出来ないとの思いが通じて大きく変更されることになり、結果として大変なご満足を頂戴したことが何度もございます。

 社葬の重要コンセプト、それはイベント的発想ではなく、その企業の歴史として、会社に貢献尽力された方への礼節が最重要で、社員の総意で社葬が行なわれているとの基本を忘れてはならないと考えています。

 故人は、何がお好きでしたか? 何がお嫌いでしたか? 何色を好まれましたか? ご遺族によくおっしゃっておられたお言葉は? 社員さん達に伝えたいと願っておられたことは? 花、音楽、趣味、エピソード、交友関係は?

上記など、情報をいただきたい項目は100を超え、そこで初めて企画の一歩目が始まるのですが、それよりも重要なことは、それぞれの方々が「葬儀」や「社葬」に対して勝手に抱かれておられるイメージの払拭で、まずは、どんな形式があるのかというところから、プロデューサーの招聘から始まるのが社葬シナリオ構築の基本であると提案するところです。

 無駄な経費を要されて嘲笑される社葬の多さ、その現実にお気付きになられた時、皆様がお考えになっておられた世界とは全く異なる社葬が行なわれることになり、嘲笑が拍手に変わる体感を何度もいたしております。

 弊社への社葬のご依頼、それは他社との競合というケースは謹んで辞退申し上げますので、なにとぞご理解、ご海容くださいますようお願い申し上げます。

2002/05/30   貴重な体験   番外編    NO 90

法廷内は、静寂そのもの。緊張の中、裁判長と私のやりとりする言葉だけが交わされる。

「では、その写真は、葬儀が行われる前に撮影されたことに間違いありませんか?」

「恐らく、そうと思いますが」

「<恐らく>とか、<思います>ということは、曖昧な証言となります。何か記憶していることとか、思い出すことはありませんか?」 

 そう言われても、多くの葬儀を担当している立場。それも数ヶ月も前の葬儀。集合写真の撮影が「始まる前」か「終了後」かと言われても、ハプニングなど特別な思い出がある場合を除き、断言することは不可能である。

 ましてや、集合写真の撮影が「始まる前」というケースがほとんどで、「思います」と曖昧となってしまったのは、<もしも>という恐怖感があったのは事実である。

 郵送物が来てから今日の日まで、このお客様の葬儀に関する情報をしっかりと把握してきたつもりだが、まさか写真撮影の時間が問われるとは思わず、この質問に対するはっきりとした答えを出す自信はなく、迷いの時間が少し流れる。

 裁判長が意外な事実を発言されたのは、そんな時だった。

「被告人、弁護人によると、この葬儀の司会を担当されたのは証人だそうですが、間違いありませんか?」

「はい、間違いなく私が司会を担当いたしました」

 そう断言するには確実な裏付けがあった。葬儀の式場となったお寺様は、宗教作法に厳しいお方で、私以外の者が司会を務めることが絶対にないからで、これについては自信いっぱいで、幾分に大きな声で返答した。

「司会を担当されたのに、写真撮影についての記憶が定かではない。司会は司会者。撮影は写真屋さんという分担業務になっているからですか?」

焼香順位や弔電のチェック、また、使用する音楽テープの頭出しなど、開式前の司会者の仕事は多く、写真撮影は写真担当ということは事実であり、その旨を伝えるが、頭の中では、その葬儀の流れを乏しい記憶の中で懸命に思い出そうという努力だけはしていた。 

「葬儀が始まる前か、それとも終了後か。思い出すことは出来ませんか? どんなことでもよいのです。些細なことが事実につながることもあるのです。いかがですか?」

 閉廷の時間も関係するのだろう。裁判長のお言葉には焦りが感じられる。

 手にしていた写真をさりげなく見たのは、そんな時だった。目に衝撃的な事実が飛び込んできた。謎が解けたのである。
 
「裁判長に申し上げます。この写真が撮影されたのは間違いなく葬儀の終了時です」

 法廷内がどよめき、そして、すぐにシーンとなる。

「その根拠となること、証拠となること。それは、どういうことですか」

「集合写真の背景の祭壇にある燭台で分かりました。使用後なのです」

 燭台にある1対のローソク。その芯の先端が黒ずみ、それが使用後である事実をはっきりと物語っていたのである。

 葬儀終了後の撮影という事実、それは、被告人のアリバイの成立ということなった。
 
その後のことは、皆様のご想像に託すことにさせていただきますが、「証人はお帰りいただいて結構です」のお言葉から廊下に出た時、担当官吏から手渡された書類のことだけをしたためます。

「これを、*階の会計窓口に提出してください。詳しくはお読みください」

 内容は、交通費や日当の支払いが受けられるということで、出廷のために職場を離れることへの考慮もされていた。これも勉強、早速に会計窓口に参上し、タクシー代の請求は行なわず、電車と最寄り駅からのタクシーという、定められた最低の基本金額を捺印のうえ頂戴した。

 確か、1437円だったと記憶しているが、すべてが未使用のお札、硬貨であったことだけは今でも鮮明に覚えている。

2002/05/29   貴重な体験    後 編    NO 89

 それから約一週間後、書留、配達証明での通知状が届けられた。

 封を開けると中には「証人喚問」の通知状が入っており、出廷日時、出廷場所が明記され、いかにもお役所イメージを感じるものだった。

 過日にやって来られた刑事さんが言われたように、「正当な理由がなく出廷しなければ問題がある」との厳しい付言もあった。

 やがて、その日がやって来た。タクシーで立派な裁判所に入り受付を済ませ、指定された場所へ行き、入り口の扉の横に掲げられていた「**号法廷」という表記版に目をやった。

 そこには開始時間や裁判官名、そして事件に関する表記がされていた。

 廊下でしばらく待っていると、官吏らしき方がやって来られ、私の氏名を確認され、書類簿の記載と照合、それから「法廷内の規則、マナーなどの説明を受けた」。

 いよいよ初めて体験する本物の裁判。私の名前が呼ばれ、「証人、前へ出なさい」と促され、緊張の面持ちで演台の様な証言席に立ったが、その時に初めて被告となっている人物を見ることが出来、視線が合った時、互いに軽く頭を下げた。

 法廷内はテレビドラマの裁判風景と全く同じで、弁護人の発言が終わった後のようだった。

 制服姿の官吏が近づき、嘘、偽りを証言しない。そして、それが罪になるとの説明を受け、次に宣誓書を読むように要請され、プロらしく流暢に、そして朗読風に読んだ。

 「証人の住所、氏名、生年月日、職業を述べなさい」。それは裁判長のお言葉で、すべてを答えるとすぐに本題に入った。

 過日の写真が私に手渡され、尋問が始まる。

「その写真は、証人の経営される葬儀会社が担当されたものですか?」
「はい、その通りです」
「それは、何を以って断言出来るのですか?」

 先日、刑事さんに言ったことをそのまま伝えることになり、葬儀施行日の確認まで終わったが、ここで、アリバイという問題に絡む「時間」のことを質問され、いよいよ本題に入る。

 「ここから重要なことです。葬儀が行われた時間は?」
 「午後1時から2時です」
 「では、その集合写真を撮影されたのは、何時頃ですか?」

 葬儀での親族の集合写真、それらはご遺族のご要望に応じて撮影申し上げるが、一般的には、葬儀の始まる30分前から15分前頃に撮影されており、その旨を伝えると、何かしら法廷内に動揺と緊張の空気が生まれたような気がした。

 「重要なことです。その撮影が行なわれたのは、午後0時30分から0時45分の間ということになりますね? 考えて、慎重に答えるように」

 責任重大になってきてプレッシャーに襲われる。そんな時、裁判長は追い討ちを掛けるように質問が続く。

「葬儀の終了後に撮影されることはないのですか?」
「重要なご親戚がお揃いでない場合、お寺様が退出された後に撮影することも時折あります」

 アリバイの成立、それは、葬儀の「日」だけではなく、「時間」が重要ポイントになっているようだ。そこから集結に至るまでの意外な展開、それは、テレビドラマ以上の謎解きが生まれることになる。 

             < 明日の「番外編」に続きます >

2002/05/28   貴重な体験    中 編    NO 88

刑事さんが来社され、葬儀の写真を出され、「やはり間違いないようですね」と言われたら、どんなことを想像するでしょうか。

思い浮かぶ言葉は法に触れる「犯罪」。
<私の会社が何か>との恐怖の疑問に襲われ、写真をもう一度拝借し、隅から隅まで何度も見つめ直すが、どのように見たって単なる集合写真。弊社のスタッフが写っていることもない。

謎の深まる中で写真をお返しした時、刑事さんの口から驚愕の言葉が飛び出してきた。
 「後日に、裁判所から呼び出し状が来ます」

 裁判所と言う言葉を耳にして、一瞬「民事」に関わる問題かなと思ったが、警察が民事に介入しないという一般常識を思い出し、いよいよ不安感が募り、「刑事事件ですか?」と思わず言葉を発してしまった。

 「裁判所、呼び出し」。その道の専門家が職業上に使用している言葉でも、相手にとっては初めてで衝撃を与えることも多く、医師や弁護士、また、我々葬儀社も意識しておかなければならないところである。
 
 そんな動揺を感じられたのか、刑事さんは、弊社が犯罪に「直接」関与していることではないと説明をされたが、直接、間接という言葉も相手が刑事さんだけに気に掛かる。

 やがて、笑顔を見せられ、出したお茶を飲み干されると、立場上で許される範囲内のお話しをしてくれることになった。

 それによると、ある人物が犯罪の容疑者として逮捕され、幾つかの余罪の確認まで進み、似通った事件の洗い出しを行なっている中に、あるひとつの事件が浮かび上がってきたそうだ。

 しかし、容疑者は、その件については頑なに否認し、弁護士さんの調査から、その容疑を掛けられた日が親戚の葬儀に参列していたことが分かり、俗に言われるアリバイの確認調査に来社された訳であった。

 それで、なぜ私が裁判所に行かなければならないのだろうかと、次の疑問にぶち当たる。

 それについて、刑事さんは、「証人出廷です」と教えてくれることになったが、「余罪」に「アリバイや」「証人出廷」とくれば、我々一般人には混乱が生じるのも当たり前。

 少し落ち着きを取り戻した時、先ほど拝見した写真の残像を思い浮かべていた。
<あの方々の中に当事者が、どの方なのだろう?>、そんな疑問が過ぎる。

 もう一度、写真を見せていただけませんかと要望したが、今度は拒否されることになった。

事務所の壁にある時計を見られた刑事さんが、「次の仕事に参りますので」という言葉で立ち上がられた時、最後のお願いという言葉を投げ掛けた。

 「証人出廷って、何ですか? どんなことをするのですか?」

 しかし、返ってきたお言葉は、職業上の冷たさの感じるものだった。

 「裁判所から証人喚問状がきます。正当な理由なくして欠席されると罪になります」

 これは、大変なことである。一方通行的な通達のようだが、1人の方を審判されるという世界に課された定めであり、私自身も「えにし」というものに結ばれた責務との思いが生まれ始めていた。

        明日に続きます

2002/05/27   貴重な体験   前 編    NO 87

 昔々、テレビのドラマのような体験をしたことがある。

今日は、葬儀に携わる私が体験した様々なハプニングの中で、こんなこともあるのだという実話を紹介させていただく。
 
ある日、事務所に刑事さんがやって来られた。警察手帳と名刺を出され、「責任者は?」ということから私が応対することになった。
 
刑事さんは、書類袋の中から1枚の写真を出され、「よくご覧ください」と言われる。
 それは、葬儀に於ける親族さん達の集合写真であり、その方々の後方には祭壇の存在がはっきりと写っていた。
 
「この写真に見覚えがありませんか?」

 そう言われても、ご多数のお客様を対応していることもあり、見覚えがあると断言出来る段階には至らないもの。

 刑事さんの突然の来社。そして葬儀の親族集合写真を見せられ、一体何が起き、そして何を捜査されているのかということが理解出来ず、「何か、あったのですか?」と、事情の説明を先にお願いしてみた。

 「これは、これは、そうですね。突然に写真を出しても驚かれますよね。では、段階を追ってご説明をしましょう」

 固唾を呑みながら相手の言葉を待っている私。しかし、刑事さんには刑事さんの立場があり、詳しく説明出来ないような雰囲気もあり、俗に言う捜査上の秘密という言葉も飛び出し、今回の来社が思わぬ進展が迎えられることなど全く予想していなかった。

 「まず、この写真の葬儀ですが、御社が担当されたという事実が証明出来ますか?」

 自社が提供するサービス、祭壇の形式を見れば一目瞭然で、「はい、弊社の祭壇ですし、弊社が担当させていただいたようです」
 
「<ようです>では困るのです。担当されたか、されないかということが知りたいのです」
 
 少し口調がきつくなり、テレビドラマの事情聴取の光景を思い出すが、責任のないことは言えないところから、「では、それは、何月何日ですか?」と聞き返した。
 
先方の質問には無理がある。喪主様やご親戚の方々が写っておられる写真でも、その即答を出来ることではない。
 
「では、私から言いましょう。昭和**年**月**日です」
 刑事さんは、警察手帳を開けながら、その葬儀が行われたという日を教えてくれた。

私の中には、写真から式場の特定だけは出来ていた。それは、あるお寺様の本堂で、そこで自身が担当したご葬儀の記憶を順に思い出しながら、教えられた日付を頼りに、お客様のデーターを記した台帳を持ち出した。
 
それを見られた刑事さんは、「やはり間違いないようですね。名前も葬儀の時間も一致しています」と言われる。

 そこから始まった意外な進展、それは、明日から始まります。  
 
( 明日に続きます )   

2002/05/26   思って、どうするの?     NO 86

これまで、司会者の研修をどれだけ担当しただろうか。

研修会、セミナーなどを振り返って延べで概算すると、4000人ぐらいにはなってくる。
 
司会者は、サービス業のトップにランクされる「気配り」「心配り」が必要で、マンネリを感じ出したら成長のない世界であると考えている。
 
社員となった女性司会者達を何人も育てたが、「寿」退社や「おめでた」退社には<せっかく育ったのに>との思いで、何度も泣かされてきた。
 
司会者は、与えられた会場で、司会の一声が始まる前にお客様から勝手なイメージを抱かれてしまうもの。

言葉を発する前に歩行態度や仕種で、「安心感」を感じさせることの出来る人が一流と呼ばれる条件で、そこに「気品」から「貴賓」まで生まれたら「超」という世界に到達することになる。
 
最近は、少子高齢化社会の到来から、ブライダル司会者達の葬儀への進出が目立って多くなり、個人、団体を問わずに研修要望依頼が入り、有為転変の世の様を感じている。
 
前にも記したが、葬儀の司会は「披露宴」ではなく「結婚式」の司会パワーが求められるというのは、宗教者が存在されているからであり、最近に流行の無宗教形式の場合には、「司会」から「司式」としての意識、認識が重要になってくる。

 葬儀に於ける司会力は、「アナウンス」「儀式重厚」「ナレーター」「かぎカッコの役者」という4点の使い分け能力が基本で、その上に求められるのがシナリオ構築力、つまり、与えられたシナリオから自身のシナリオ創作に成長していくのである。

 葬儀の司会で最も恐ろしいミスは、「亡くなった故人が悲しんでいる」というご遺族のお声。謝罪する対象のお方がこの世におられないこと。

 プロにとっての基本は「ハプニング」をハプニングでないように解決することであるが、その会場におられるすべての方に傷をつけないテクニックが加味されなければならない。

 そこそこのベテランでも、間違い易いのが敬語の問題。

「ご弔電を<ご>代読」と、自身に「ご」をつけてしまうミスも多い。

 テレビの司会者達も大きなミスを犯しており、それらはNHKさんを問わず、1日に何回もお気付きになられる筈で、下記に紹介を申し上げる。

「ここで、**さんに歌っていただきたいと<思います>」
「次のクイズに参りたいと<思います>」

 決まっていることを「あなた」が「思って」どうするの??

2002/05/25   お別れ会に参列して    NO 85

 昨日は、仕入先企業の創業者さんの「お別れ会」が倉敷で行なわれ、事務所に来社された北海道のメンバーさんと共に車で山陽道を走行した。
 
往復430キロ、やはりという年齢を感じながら帰阪、宿泊される日本のトップに君臨されるホテル、リッツ・カールトン大阪にお送りした。
 
さて、「お別れ会」だが、キャンドル業界ナンバーワン企業さんらしく、かわいいキャンドルを式場入り口で拝受し、「あかり」を奉献するという無宗教形式で行なわれていたが、全国のホテル業界で流行している「無儀式形式」」とされておられた。
 
会場は葬祭式場さんだが、出席者に別室で立食形式による「おもてなし」のセッティングもあり、ご多数の参列者には空間としては難しく、2部会場の天井の低さを原因に、お客様の交わされる会話で騒がしくなることが残念に思ったが、これはホテルでない以上、仕方のないことだと思っている。
 
多くの知人にお会いすることにもなったが、共通して出ていた言葉は接待を頂戴する「およばれ」ムードへの申し訳なさ。会場の物理的事情から止むを得ないことだろうが、会場がいくつに分かれていても、例え10分でも「お偲び申し上げる」ひと時が出来なかったのだろうか、そこだけは惜しまれてならないところである。
 
これらは、施主様、業者側の両者苦渋の選択というご結論で進められたのでしょうが、ビデオモニターあるなしを問わず、その会場におられるすべての方々が厳粛になる「儀式空間演出」、それらは、プロの世界では比較的に簡単なレベルで、全国のホテル式スタイルの現状に生まれた「違和感に対する抵抗感」が、私達の仕事になってきている。

 今日の朝、北海道のメンバーさんが、私の車の中に忘れ物があるというFAXが入っており、来社され、それから話題のユニバーサル・スタジオにお送りした。
 
大阪に住みながら初めて行くことになり不安があったが、近くから案内スタッフ達の誘導によって、正面玄関に近い所まで到達することが出来た。
 
途中に<関所>があり、かわいい女性が歓迎の姿勢で登場され、送迎という言葉を伝えるとフロントガラスのワイパーに赤いシールを挟まれ、「ハザードランプ点灯で走行下さい」と指導してくださった。
 
TDLもそうだが、スタッフ達への完全なマニュアルから、サービスの誇りが伝わってくる姿勢は気持ちのよいもので、また、ひとつ勉強になった。
 
しかし、誰が宿泊しても「今までの、最高のホテルでした」という高い評価を受けるリッツ・カールトン大阪。このホテルスタッフ達のサービス提供に対する「誇り」は、また、別格の感じを抱いており、今回に宿泊された方からも、車内でその感想を聞かせていただくことになった。
 
「当ホテルは、リピーターのお客様が多いのです」とおっしゃられたホテルマン。彼の自信にあふれる笑顔を思い出している。

2002/05/24   殺伐とした社会の到来   NO 84

随分昔、テレビの特集で、東京大学進学を目指す名門中学校の生徒達へのインタビュー光景が映し出されていたが、その時の彼らの発言に、衝撃的な恐ろしさを感じたことを覚えている。
 
<勉強しないで、遊んでいる友達をどう思いますか?>
 「馬鹿な連中です。出世することはないでしょう。その時に気付いても遅いと思います」
 <同級生が風邪や怪我で休んだらどうしますか?>
 「敵が1人ダウンした。それはチャンスと思っています」
 
そんな発言を堂々とマイクに向かって応えていた子供達。彼らが日本の重要なポストに着任した時の将来を危惧したが、そんな彼らは、今、キャリアとして中枢で働いている年代である。
 
教育の歪み、それは、今の社会に顕著な例がいっぱい溢れている。殺伐とした事件の発生、自殺の増加、自社利益第一主義の企業の問題、産業廃棄物の放棄や危険物の垂れ流しなど、自分の孫や将来のことを慮る考え方がまったく希薄してしまっており、嘆かわしい限りだ。
 
こんな潮流は、我々葬儀の世界にも姿を見せつつあるので淋しい。

葬儀の予算を決定される時、「これだけしか準備が出来ないのです。何とかお願いできませんでしょうか?」なんてお言葉を聞くことは、本当に少なくなった。
そのお言葉には<親の最期の儀式を少しでも立派に>という、あたたかい心を感じたものである。

最近はどうだろう。「死んだら<死に金>、焼いてくれるだけでもよいのだが、まあ、世間の目もあるし」というような、寒々とした言葉を故人の枕元でされることも少なくない。 
 
こんな人達が「お墓」や「お仏壇」を購入されることはないだろう。しかし、それは、何れ自身の子供たちに受け継がれる家風となってしまうことが確実で、家の外での人格評価の結果は、誰もが想像出来る筈である。
 
「知的・美的・倫理的・宗教的」と4つある情操で、「倫と宗」の欠落が、社会に致命的な影響を与えるという事実認識を求めたいところだが、その「宗教」という世界でも無宗教の風が吹き荒れてきているから世も末である。
 
研修会の問題提起のテーマに、ニューヨーク・テロで息子さんを亡くされたという悲しい葬儀のことがあった。ご遺族は無宗教を望まれたが、ご親戚のご意見からお寺様をお願いすることになった。

そのお寺様は、お説教の中でキリスト教とイスラム教の戦争という問題を中心に、テロに対する強い怒りを語られ、悲しみに暮れるご遺族には耐えられない時間となって、お寺様をお呼びしたことを後悔されたそうだ。
 
メンバー達は、それぞれが宗教者の立場になって真剣な討議を行なった。そして、次のような結論となった。
 
「キリスト教、イスラム教の戦いと言っても、宗教に変わりはありません。それがどうしてテロという事件になってしまったのか残念でなりません。私も仏教者として、ご遺族、そして、参列の皆様に対して本当に申し訳なくます。衷心よりお詫び申し上げます。これから、ご祭壇に向かって、宗教者の一員として、息子さんに心からお詫び申し上げます。皆様もご一緒に、合掌をいただけますようお願い申し上げます」

 ニューヨーク・テロ、そして世界の「犠牲」という名のつくすべての故人に、改めて手を合わせます。                      ・・・・合掌

2002/05/23   「学び」 の車内     NO 83

 朝10時から夕方の5時まで、昼食休憩の1時間を除いて6時間というセミナーを担当したことが何度かある。
 
葬祭哲学、葬祭心理学、葬祭サービス学、葬祭演出、音楽、プロデュース学、司会学など、総合的な研修をする訳だが、普通なら数人の講師を準備しなければならないのに、「あなたなら1人で全部を担当できる」という便利さで私が選出され、主催者がセミナー開催案内をしたら、予想以上の受講者が全国から参加され驚いた。
 
ある地方で葬祭業者さん向けの2時間講演を終え、会場内のティラウンジでお茶を飲んでいたところ、数人の受講者が同席を希望され、いつの間にか20人ぐらいの2次会講演になったこともあった。
 
その時、30歳ぐらいの方が「これまでの葬儀の仕事でのご自慢は?」という質問をされ、しばらくお茶を濁し?ながら時間稼ぎをしていると、受講者達それぞれが、勝手な推測を持ち出してこられた。
 
「100回以上もテレビ出演をされていることですか?」
 「司会が日本一と言われていることですか?」
 「著書を出版されておられることですか?」
 「作曲や演奏をご自分でされることですか?」 
 
かなり詳しい情報を持っているなと思ったが、考えてみれば、すべて主催者が講師紹介で言ったことばかり。すぐに、それらは私の自慢や勲章でもなく「単なる歴史でしかない」と否定した。
 
その後に私が話したことは自慢話ではなく、葬祭業に従事してきた下記のような「誇り」であり、それは受講者達に強いインパクトを与えたようだ。

* 10000名様以上の葬儀の司会を担当した。
* 4000名様以上を火葬場まで随行して納めた。
* 3000名様以上のお骨あげに立ち会った。
* 1000名様以上の方のお骨あげを自身で行なった。

 しかし、現在の私を葬儀<者>として導いてくださったことが、もうひとつある。

それは、ご出棺から火葬場を往復する車の運転で、宗教者、葬儀委員長、喪主様などが車内で交わされるる会話。これほど勉強になったことはないだろうし、何よりの宝であり誇りと思っている。
 
これを始めるきっかけは、ふとしたことだった。

関東や地方の葬儀では、霊柩車の助手席にご遺族が乗られることが多いが、大阪では大半が葬儀担当者となっており、私も助手席で運転手さんとの世間話を交わしていただけであった。
 
そんな時、後ろに続くハイヤー内での会話に興味を抱き、ハイヤーの運転手さんに懇願して情報収集にあたったが難しく、専用の車を購入して私自身が運転することを始めた。
 
それは、クラウンにロイヤルサルーンが登場した頃に始まり、数台の乗り換えの後センチュリーに変わり、また数台の変遷の後、キャデラックのフルサイズとなったが、車の変遷は私の歴史であると共に「学びの車内」という誇りとなっている。

2002/05/22   演出と意義     NO 82

もう、20年以上も前になるだろうか、取引先社長のご子息の結婚式で、ある大手互助会さんの経営される式場に出席した。

この式場は奇抜なアイデアが有名で、大掛かりな仕掛けで列席者を驚かすことが多く、私も何が飛び出すか楽しみに期待しながら出席をした。

披露宴が進行され、やがてお色直しをされた新郎新婦が入場される時、ハード的な演出が行なわれた。

会場内が暗くなり、ピンスポットが向けられた方向にはゴンドラらしきものがあり、その中に入った新郎新婦が万雷の拍手の中で登場されてきた。

私は、ふと、両家のご両親の表情や、同じテーブルの方々のお顔を見たが、拍手をされている行動とは異なったイメージがあることに気付いた。

それは、敢えてここでは表記いたしませんが、ご体感された方々のお声には嘲笑される方も少なくなかったし、当事者である新郎新婦も羞恥心を抱き、友人達からの評判もよくなかったという声が多かったそうである。

演出には「意義」が重要である。誰もが納得をされる説得力のあるシナリオ構築、その説明をされる司会者のコメントでの「意義」のあるなしによって生死?が分かれる、そう言っても過言でないと考えている。 
 
「流行は業者がつくる」という言葉があるが、本物でないもの、奇抜という部類に属するもの、それらは必ず淘汰される道を歩んでいくことは歴史が物語っている。
 
葬儀の世界でも面白いことがあった。ある東京のテレビ局の取材で、将来の葬儀の変化を予測するというインタビューの録画を撮ったが、その時にリポーターの人が、ある互助会さんが行なわれている幻想的な演出をすでに収録されており、それについてのコメントを求められてきたのである。
 
私はブライダルの批判はするが、同業である葬儀サービスにていての批判は避けたく、オフレコということでお話しだけをさせていただいた。
 
その幻想的な演出というのは、葬儀の式場でご出棺前に行われる「野辺送り型サービス」で、大きな台車の上にお柩が置かれ、照明が落とされ、スモーク演出の中をお寺様も同乗され、霊柩車の待つご出棺口に向かうというもの。
 
お寺様の中には強い抵抗感を示される方が多く、時にはお寺様なしでの進行も行なわれていた。
 
リポーターの話によると、このサービスが始められた頃の料金設定は5万円。高い、安いの評価はお客様がお決めになることだろうが、私は発想転換をすれば素晴らしいサービス提供であり、10万円以上付加価値を生むだろうと答えた。

 幻想の空間演出、そのひと時が行なわれた外には明るい日差しがあり、霊柩車が待っている。現実の世界に戻されてしまうからである。 

この幻想空間演出が、もし、火葬場で出来たなら最高のサービスということになるだろう。決別の情を断つ極限の悲しみの場である火葬場、そこでスモーク演出された中にお柩が進んで行かれる。それだったら癒しや救いが生まれる意義ある演出となる筈。
 
そんな意見に、リポーターが頷いていた姿が懐かしいこの頃である。

2002/05/21   ゴルフの思い出

数日前、日本トータライフ協会HPの「コラム 有為転変」で、日本のゴルフ場発祥の地である「神戸ゴルフ倶楽部」での体験談が、3日間シリーズで登場していた。
 
8人で行った内の1人が私で、初めてラウンドすることになった人達には、衝撃的な体験となったようだ。
 
ゴルフに行けなくなって、もう1年半。何れ歩くことを目的に再開したいと思って入るが、なかなかその機会がなく淋しい。
 
これまでに、ラウンドをご一緒した方々のご葬儀を何十人も担当したが、コースを回っていると、その人とのあの日の光景が浮かび懐かしい。
 
特に、名物ホールと呼ばれるところでの印象は強く、あの方はこのあたりでセカンドショットを打たれ、あそこに飛んだということも思い出すから不思議だ。
 
印象に残っているホールとして、奄美大島のゴルフ場の13番か14番ホール。ティーグランドに立った時の絶景は今も鮮明に残っている。

180度がすべて海、それも見渡す限り水平線。左側が東シナ海、右側が太平洋と説明されたキャディさんのことも覚えているが、そこで豪快に海に向かってOBとなった方も、もうこの世におられない。
 
熊本県の菊池高原カントリークラブのホールも驚いた。フェアウェイの中央に那智黒石のような大きな岩が存在し、そこに見事に当たってOBとなった方のショックのお顔が忘れられません。

 ゴルフを通じて多くのお友達が出来たが、老若男女を問わない同じ楽しみというゴルフの世界は特別で、生きている証という感じを抱くところが素晴らしいと思っている。
 
私が死を迎えた後、共にラウンドしてくださった方々が、そのコースで私のことを思い出してくれるだろうか? そんなことを考えるのは葬儀という仕事に携わっているからかも知れない。
 
10年ほど前、ある葬儀の葬儀委員長が難しい方で、担当社員達が前日から神経をすり減らし、困っていたことがあった。葬儀の当日、ご挨拶に伺うと「あれっ」と思う発見があった。

モーニングの袖から覗く両手の色が全く違うのである。恐る恐る「ゴルフをなさっておられるのですか?」と伺ってみると、ご表情が一変し、「ああ、1年に200ラウンドはしているだろう。今日の仏さんもゴルフ仲間でな、また淋しくなったよ。君もやっているようだな?」
 
たったそれだけでコミュニケーションが結ばれ、委員長さんにしか分からない故人との思い出話しを拝聴することになり、ナレーションの原稿を即興で大きく変更し、ご遺族からも大変なお喜びを頂戴することがあった。
 
その時の故人との思い出話。「故人は、自分に厳しく他人に寛大という名ゴルファーだった。誰も気付かないのに、<セカンドショットの練習スイングで、木の葉っぱを1枚落とした>と言って、2ペナルティを自主申告したことは、中間達で有名な出来事だった」
 
そのエピソードだけで故人のお人柄がご理解され、そして偲ばれる。故人の人生表現のための取材、それは至るところに存在しているもの。私もそう言われる人になりたいと願っている。
 
    今は亡きゴルファーの皆さん、思い出を有り難うございました・・・・合掌

2002/05/20   託された「独り言」   NO 80

弊社のメモリアルサービス事業部の事務所には、小さな部屋だが、私の「隠れ家」としているところがある。
 
ナレーションの推敲や、この独り言の原稿を発信するのもここ。
 
今日、私の担当する葬儀が終わり事務所に帰った時、来社されておられた近所のおばさん?と、ばったり出会ってしまった。
 
このお方のお話し好きは有名で(ごめんなさい)、時には長時間に及ぶ経験から、事務所内のスタッフのことも考慮して隠れ家に案内した。
 
彼女が来社された目的は、私に話したいということで、いつもと違う雰囲気を感じながら聞き始めた。
 
「あなた、インターネットで<コラムみたいなもの>を、毎日発信されているでしょ?」
 
そのお言葉を耳にした時、何か逆鱗に触れることでも書いてしまったのかと、緊張が走る。
 
しかし、お叱りを受けるお話しではなく、上記とは全く逆の「懇願」されるということが分かり、彼女の切望という問題提起をこの独り言で書いている訳である。
 
「ちょっと、聞いてくれる? 私、昨日、友人が亡くなって葬儀に行って来たの。そこで衝撃を受けてしまって、腹が立って耐えられないの。この怒りをあなたなら理解されると思ってやって来たの」
 
彼女が立腹されたことは、我々葬儀社への怒り。拝聴していて<まだ、そんなレベルの葬儀社さんが存在していたのか>と、私自身も腹が立ってきた。
 
彼女に叱られるかも知れないので、彼女の年齢は50歳前後ということにいたしますが、
亡くなられた方は、高校生時代の同級生。3ヶ月ぐらい前から<電話がないな>と思っていたら突然の訃報。身体の不調から検査入院をされ、そのまま入院。

たった2ヶ月半の苦しい闘病で悲劇の日を迎えるという「ガン」の典型的なケースだったそうだ。
 ご立腹の問題となったのは、ご出棺前のお別れ。お柩の蓋を開けてご遺族やご親戚の方々がお別れされる時のことである。

「お別れご希望の方は、式場内へどうぞ」というアナウンスに促され、柩の中のご友人のお顔を見られた訳だが、余りにも変わり果てたお顔のイメージ。それは、彼女とのこれまでの素晴らしい思い出を、すべて打ち消してしまう程の衝撃となってしまったのである。
 
私は、一般の方々のお別れ案内は、ご遺族の方々に確認し、そのご要望によってアナウンスを行なうことにしているが、特にお若い方のご逝去の場合、こんなことにつながることだけは避けたく、「思い出と、お元気なご生前のお姿のイメージだけで」と、お別れを辞退されるアドバイスをしているし、極めて当然のようにお別れに入って来られる方々には、スタッフにガードを張らすようにしている。
 
「あんなに素敵で、私よりも一回りも若く見えていた美人の彼女が、あんなに・・・」
 友人としてのショックよりも、美人だった彼女のことを思いやると、腹が立ってくる。それがご本心だろう。
 
私が、今日、この会話を「独り言」に託すことによって、彼女が少しでも救われ、そんな配慮のない葬儀社さんが気付かれることになれば幸いであり、同業の立場として、そのご友人に心からお詫びの合掌をさせていただきます。
            ・・・・・・・・・合 掌

2002/05/19   びっくりしました    番外編    NO 79

投函後、先方から連絡があったのは2日後、自宅への電話であった。

発信の住所を会社でなく自宅にしていたのは、事を荒立てなくなかったからで、正直に申し上げて他意はない。
 
電話の方は、東京のホテル事業部の責任者。「今からすぐに大阪へ謝罪に参上いたします」とおっしゃられたが、私は、手紙に書いた内容をご理解いただいていますかと返した。

 謝罪ではなく原因究明と報告。それをお願いしていた筈。電話の時点では、事件の発生したホテルへの確認から事実を知られたようだが、原因の確認には至っておられないご様子。すぐに対応されるという確約のお言葉で、電話のやりとりが終わった。

 それからしばらくして、郵便物の中に担当の方からの手紙があった。謝罪の言葉と図面を描かれた調査結果の報告書が入っており、危険性の問題から、全室のバスルームの調査確認もされたというご表記もあった。

 報告書の結論によると、直接要因となったことは工事会社の手抜き工事。本来4センチぐらいのネジで固定しなければならないところを、約半分の長さのネジを使用していたそうで、徐々に錆び付き、水圧に耐えられない限界に達し、外れ飛んだということだった。

 あまり利用されることないスイートルーム。また、その部屋用のバスルームに設置された特別製の蛇口、それらも事件発生の背景にあったと記されていた。

 一方で、ホテルを提供してくれた彼からも電話があった。責任者が来社され、丁重な謝罪と宿泊料金の返金を申し出られたそうだが、宿泊した事実は事実、料金は支払って当然という考えを伝えたそうで、彼らしい立派な対応をされたと思っている。

 後日、再度の電話があった。今後、どのように謝罪をさせていただいたらよいのでしょうかということで、これで集結ということにしましょうという返答をした。

 私が願ったことは事故の再発防止、次の被害者を出さないこと。出来たら系列の多くのホテルの安全確認をされることを要望し、事件は集結することになった。

 電話を切る前に担当者が言われた次の言葉、それは本心だろうと思っている。
 
「取り返しのつかないような事故の発生。そして、その初期対応の欠如。それをお二人とも共通してお怒りのお言葉もございません。こんな事件は起きてはならないことですが、ご被害に遭われたお方が、あなた様方のようなお人柄で救われた思いでいっぱいです。すべてのホテルのチェックを実施することをお約束申し上げます」

 人間は、時にミスを犯すもの。私達も何度か申し訳ないミスを犯したことがある。反省で済ませることが可能な範囲ならプロ。後悔することになったらプロでない。

そんな我々2人のプロ哲学が怒りにならなかった要因だろうが、今回の事件の原因が人為的ミスと言っても「不可抗力」だろう。

怒りを表す人間の姿、私は好きではない。

怪我をするに至らなかったことは幸せなこと。そして、この原稿を打ち込むことが出来るのは、生きている、生かされている証なのである。

 ・・・・・安全チェック、大丈夫ですか?

2002/05/18   びっくりしました    後 編    NO 78

ベッドに入ったのは、3時半頃。<蛇口が吹き飛んだのは、水圧からなのか>
 
<大きな「ガァーン」と聞こえた衝撃音は、蛇口が天井に当たったのかタイル壁に当たったのか>と、様々な想像をしてしまったが、私は信じないタイプの人間だが、オカルト的なことまで推理をめぐらし、気持ちが悪くなったことも事実だ。
 
転寝で朝を迎えた。このホテルを提供してくれた人との約束の朝食時間。髭もそらずに1階のレストランに下りていった。
 
「おはようございます。よくお休みになられましたか?」
 
先に来られていたその方は、昨日と同じで元気そうな挨拶をくれたが、深夜に送ってくれた時のことを思い、事情には触れずに「齢を感じる年代のようです」と応えてテーブル席に着いた。
 
バイキングスタイルのレストラン。食欲のない私の料理皿を見ながら、いつも敏感な彼は、「何かあったんですか? ご体調でも?」と心配そうに問われる。
 
考えてみれば、彼がホテルの支払いをしてくれるのである。それも、よく利用されるホテルで、請求書送付による後日払いであることも知っていた。
 
私は心の中の葛藤を整理し、彼に事実を話すことにした。
 
宿泊者以外を部屋に迎えることはご法度だが、これだけの事情があれば許されるだろうし、フロントの了解を得ずに彼と共に部屋へ入った。
 
彼は、名探偵が現場検証するように、細部に亘ってチェックをされ、私が語った深夜の成り行きまで知ると、「錆びていますね。それで外れて水圧で吹き飛ぶ。その後は当然、噴水」と結論付け、「驚愕と水害だけで済んで、よかったですね」と結んだ。
 
この後の対応をどうするか、それだけは決めておきたく、このホテルにつながりを持つ彼の意見を尊重する姿勢で話し合った。
 
彼と私は同業で、全国のホテルでの仕事に同行し、一般の方々よりはホテル事情に精通し、我々の勉強のためという結論で我々側からクレームを出さず、ホテル側の対応を確かめてみようということになった。
 
やがて、チェックアウトの時、フロントには3人のスタッフがおられ、キーを返却するとき「お世話になりました」と言うと、深夜に恐怖の姿で部屋に来られたスタッフもおられ、黙って頭を下げられていた。
 
今回の宿泊に関する費用は、2,3日後に済ませたと報告があったが、ホテル側からの行動は何もないという状況も伝えられた。 
 
それからの仕事の打ち合わせ電話では、ホテルに関する話題が必ず加えられることとなったが、1週間を経過しても何の行動もないそうで、彼は、徐々にヒートアップ、「抗議に行っていいですか?」と切り出された。
 
私はストップを掛けた。彼の気持ちは理解出来るが、被害者は私である。被害者優先の法則だとの言葉で制し、私が一筆をしたためることになった。
 
事の顛末は、A4で3ページに及んだ。事件のあらましとその後の経過は、ドラマ風に書いた。私の人脈から、送り先をそのホテルを統括されるホテル事業本部とした。
 
しかし、文章表記の中には、恫喝的な表記、金品強要というイメージは一切書かず、原因究明の報告の義務に付いてお願いをすることにした。もしも、他の部屋で同じような事故が発生し、被害者が生まれたらホテルだけではなく、私も責任を感じてしまうという心情に併せ、ホテルを提供してくれた立場にある彼の困惑の状況も伝え記し、投函した。

 ・・・・・・・・その後の顛末、明日に「番外編」として続きます

2002/05/17   びっくりしました  中編  NO 77

深夜の2時を回った時間に客室に呼ばれる体験は、ベテランのホテルマンでも少ない筈。

それも「客室内のバスルームで問題発生」となれば、簡単に想像出来ることではなく、一流と称されるホテル以外では、「明日の朝では」というご発言は仕方のないことだろう。
 
ましてやスイートルームと言えども、宿泊客の詳しい素性まではわからない。それは、担当ホテルマンにとっても「恐怖感」に襲われて当然のこと。
 
客側の立場では、何より現況の確認を願いたいし、隣室の方々など、他のお客様の動向への懸念もある。
 
「誠に勝手なお願いですが、すぐにご来室ください。ご覧いただかなければご理解出来ないことなのです」
 
それから2分ぐらいで担当の方がやってこられたが、ドアを開けた時、ホテルマンのイメージは消滅し、ただ「恐怖に怯える人」という感じがしたが、誰でも彼の立場となればそうなるだろう。
 
彼は、私の着ているシャツがずぶ濡れになっていることだけは知られたようで、バスルーム内でのハプニング、それが何かの確認という時点では落ち着かれていたようだ。
 
人の想像力とは豊かなもので、誰もがシナリオライターのように勝手なストーリーを描いてしまうもの。彼が私の姿を見るまでは、ひょっとして血だらけの姿を想像していたかも知れない。
 
「これは!?」
 バスルームに入った彼は、最初にそう言われ、そこから私が経緯について説明を始めた。
 
「あなたにクレームを言う気持ちはありません。私の願いは、風呂に入りたいということです。シングルでもツインでも何でも結構ですが、他に空室はありませんか」
 
部屋のチェンジをして欲しい。それが私の要望だった。私自身も突然のハプニングに「気持ちの悪い」心情になっている。
 
「生憎、本日は、満室でございまして」
 
その現実では、次に話しが進展することは不可能で、時間が深夜のこともあり、この場での結論を急ぐことにした。
 
「どのようにさせていただいたらよろしいでしょうか?」
 「あなたのお仕事もあるでしょうし、取り敢えず、この実態だけはご理解ください。お風呂のことは諦めました。どうぞ、お気遣いなく。他のお客様のこともご心配でしょうから。缶ビールでも飲んで寝ます」
 
私は、疲れていた。朝早くから大阪を立ち、東京でのスケジュールをこなし、ちょっとご機嫌の居酒屋タイムを過ごした後。彼に伝えた言葉が、私の欲する権利的な立場からの要望であった。
 
彼は、「申し訳ございませんでした」との言葉で頭を下げられ、ご自分のポジションに戻られたが、私の仕事はこれからで、缶ビールを飲むような雰囲気はなく、クロークからハンガーを取り出し、濡れたシャツや下着を乾かすための行動を始めた。

・・・・・・・・・・・・ 明日に続きます。

2002/05/16   びっくりしました

災難は、地震と同じでいつ発生するか分からない。また、災難は、遭遇の時と場合によって、命の明暗を分けることもあることを体感したことがある。

1年ほど前、信じられない災難に出会った。それは、ふとした運命の悪戯かも知れませんが、ひとつ間違えば新聞、テレビで「密室の事件」として大きく取り上げられることになっていただろうし、私の葬儀が行なわれ、この「独り言」なんて生まれていなかっただろう。
 
事件に遭遇したのは東京のあるホテル。その日のスケジュールを終え、関係者と居酒屋で楽しい時間を過ごした後だった。
 
ルーム・キーをフロントでいただき、部屋に入ったのは午前2時頃。ホテルを提供くださった先方様は、私の身分に不相応な「スイートルーム」をご用意しておられ、恐縮の心情を抱きながら立派なバスルームの蛇口をひねった。
 
湯の温度の確認調整をしてからソファーに戻り、その日の新聞に目を通しながら少しの時間が流れる。

しばらくして、浴槽を溢れさせたら大変と覗きに行ったが、まだ2分の1程度。

私は、6分目ぐらいの湯量になったら入るタイプで、湯船に浸かりながら蛇口から出る湯の音を聞くのが好きだったが、その時は、新聞記事の読み残しに興味があり、もう一度ソファーに座り、続きを読み出した。
 
事件が発生したのは、そんな時だった。「ガーン」という轟音。それは、隣接の部屋、上下の部屋の方々も起こしてしまう程の大きな音。同時に「ゴォーー」「ザーー」という音。

一瞬、何が起きたかさっぱり見当がつかなかったが、落ち着くと、轟音の発生しているのは私の部屋のバスルーム。近づくと音が大きくなり、やはり間違いない。

恐々、扉を開けて見た。
 
中は、朦々たる湯気で何も見えないが、ふと垣間見えた足元が水浸しになっていることだけが分かった。

<下の部屋に迷惑が>、<大変だ。蛇口を止めなければ>と思った私は、湯気の温度が高温でないことだけを確かめ、思い切って中に突入した。
 
中は湯の大雨、一瞬にしてずぶ濡れ。やがて、蛇口の栓を手探りで発見。水と湯の両方を閉じた。
 
しばらくして湯気が少し治まって来た時、湯船の中に信じられない物が落ちているのを見た。蛇口である。
 
長さ30センチ以上もある金属製の重くて立派な蛇口。それが何かの弾みで飛ばされて天井に当たり、湯船の中に落ちたことだけは理解出来た。
 
この時の湯船の量は6分目ぐらい。もし入っていたらカウンターパンチで即死。そうでなくても、心臓麻痺につながっていたかも知れない。
 
濡れた身体をバスタオルで拭きながら、フロントへ電話を入れる。

「こんな時間に申し訳ございませんが、お部屋におこし願えませんでしょうか?」
「何か?」
「お風呂で問題が発生したのです」
「明日の朝では?」
 
 ここからホテルさんとのやりとりが始まった訳だが、その顛末は明日に続きます。

2002/05/15   疲れますね

講演や協会組織での活動をしていると、人生の中で「人を育てる」ことの重要性と難しさに気付く。

確実に言えることは、社内よりも指導をした社外の人達の方が育ち易いということで、こんな嘆きの心情を抱く経営者は少なくない筈だ。

数日前の日本トータライフ協会のコラム「有為転変」に表記されていたが、協会の女性アイドルの一人、石坂常務理事からの年賀状の下記の文面が、メンバー達で話題になったことがある。

<弊社は「人材」を教育し、「人財」を育てています>

「あの表記は感じ入った」ということから始まった会話の中で、「弊社は<人罪>ならいっぱい存在しているのに」と発言した経営者があり、そこから1時間も「愚痴」で盛り上がることになってしまった。

社内スタッフの意識改革。簡単なことからスタートしようとテーマを与えるが、習慣とは恐ろしいもので、考えられないところで「ボロ」を出してしまうようだ。

ある時、否定語、肯定語について話したことがある。

我々の仕事の場合、ご逝去を何処かで知られたという方の問い合わせも多くあり、締切時間後に「お供え物」の電話依頼が入ることがある。

そんな時、窓口担当スタッフが、「シキミと生花しか出来ません」と応えてしまうのが恐ろしい。その言葉が生まれた心情には「締め切った後なのに」という勝手な抵抗感があり、申し訳なく思いながら電話をされて来ているお客様の怒りに触れることにつながる。

「シキミか生花ならご用意が可能ですが」、そんな肯定的な配慮、同じことを伝えているにも拘らず受け取る側の感じ方が180度異なる。否定語、肯定語の違いが解っていても、その時の感情で言葉が変化してしまうのが人間。これは、一生のテーマかも知れない。

一方に、創作意欲に駆られて、最も大切なことを忘れてしまうことも発生する。

ある社葬の追憶ビデオを制作させていた時、絵コンテ通りに完成していたにも拘わらず、「絶対に間違っているところが一個所ある。自分達で考えろ」と、突き放したことがあった。

数時間の時間が経過しても「何処が?」という会話ばかりで進展がない。

多くのお写真をお預かりして絵コンテを作り、資料映像に被せて行く訳だが、使用させていただいた写真の中に、その方の人生の大きな喜びの出来事となった「ご自宅新築」があった。

スタッフ達は、ビデオに登場させるお家の写真を、フェードアウトさせる時、右側に傾けて消えて行くような映像作りをやってしまっていた。

彼らに答えを見つけることは出来なかった。本番まで日程の余裕がある社葬だから敢えて勉強させたが、明日の葬儀だったら怒り飛ばしていただろうし、そのまま放映していたら、取り返しのつかないクレームになっていただろう。

「家を傾かせて、どういう意味? 家を消すということは、どういうこと?」
そんなお怒りに返す言葉はない。

ああ、葬儀とは難しい仕事だ。プロデューサーという仕事の責任、それは毎日が勉強。

「あなたの最高の仕事は?」
そんな問いに対して、「明日の仕事です」と答えられるようなプロでありたい。

2002/05/14   今日のお客様から     NO 74

今日は、アポで来社される方々とお会いする日。午後から、多くのお客様が順に来られた。

そんな中で、2組の方々とのお話しを記述させていただきます。
 
始めはテレビ局の制作担当の方々で、葬儀のことを取り上げたいという取材の申し込み。

 葬儀がどのように変化して来ているのか、また、家族葬や無宗教、そしてホテル葬がどんな「かたち」で行われているのかというところから始まりましたが、言葉や文章よりも実際に行なわれている映像をご覧いただき、体感されることを提案いたしました。
 
約2時間の放映。時にはホテル側の立場で、時にはジャーナリストの立場で、また、ご遺族やご会葬者の立場でという解説を伴いながらのご体感。

3人の目に涙が浮かんできたところは同じで、二つのポイントでの共通がありました。

ひとつはご遺族が悲しみの涙を流されておられるところ。もうひとつは、そんなご遺族が私達の癒しのサービス提供により、式場に「よかったねえ」という雰囲気が生まれた場面でした。

 葬祭業の仕事で重要なこと、それが上述の部分で、私が何より重要視しているところなのです。

「こんな葬儀が行われているなんて、初めて知りました。感動しました」
 
そんな感想のお言葉を頂戴し、これから制作される番組の企画変更をされることになったようですが、過去に何度もしたためている「1日に2700名様のご葬儀が、そして、その日に、明日の葬儀のためのお通夜が2700名様」という現実のご理解をお願い申し上げました。

 一方は、葬儀の音楽の世界で著名な方。奏者、作曲、編曲の技術に卓越された女性で、当協会の関係する大規模な葬儀に於ける音楽担当プロデューサーさん。
 
来社の目的は、半年前ぐらいに作曲、編曲を懇願した葬儀演出用音楽CDの試聴。

それは、協会のメンバーしか活用が出来ないというオリジナルサービスの世界で流される曲で、見事なイメージで完成しており、さすがにプロと賛辞の言葉を贈りました。
 
そんな彼女が、ふと、おっしゃられた次の言葉が気に掛かりました。
 
「音楽事務所を通じて、多くの葬儀社さんからの演奏依頼を頼まれますが、葬儀の式場での音楽の重要性を感じておられる方はおられません。体験してみて協会のメンバーさん達の求められる世界が再認識出来ました」
 
故人の愛唱曲の取材すら行なっていない業者さん。「適当に流しているだけでよい」と言われる現場責任者さんの存在。それは、彼女のお弟子さん達共通の鬱憤となり、指導をされる際の大きな問題となっているそうだ。
 
協会メンバー達が携わる葬儀、そこでは音楽のスタートが3秒遅れても問題になるレベル。そのギャップの大きさは、今後にますます強くなるのは必然だが、お客様がご理解される時代の到来を目指し、互いに耐えようと励まし合って帰られた。
 
彼女の創作された曲による新しい「癒しのサービス」の始まり。それは、7月の北海道研修会を経て全国で始まるだろうが、ご遺族の慰め、癒しにつながるオリジナルシステムは、ご体感された参列者にご賛同をいただけるものと確信している。
 
彼女のやさしい心が入力された「慈曲」の調べ。それは、何れ、皆様が、全国の葬儀で耳にされることになるものと自負しています。

2002/05/13   昨日のテレビ番組から      NO 73

最近、あまりテレビを見ないようにしているが、昨日の午後9時からのNHKスペシャル、「変革の世紀A情報革命が組織を変える」だけは、じっくりと見た。
 
末端の兵士が小型サイズの情報システムを携帯し、戦場での現場対応に本人の判断で行動するというアメリカの未来型軍隊。

また、自動車メーカーとして100年の歴史のある「フォード社」の組織変革など、従来のピラミッド型の組織命令図式が見直され、中にはプロジェクトチームが内部から崩壊させる提案を実行させている映像は衝撃的であった。

 特に興味を抱いたのは、指揮者のいないオーケストラの存在。それぞれの奏者が感性、個性、思いをぶつけ合いながら音楽を創造するという実態で、高い評価を受け、大企業のオーナーや経営コンサルタントが研鑽に訪れている光景だった。
 
アメリカの著名な大学では、未来に理想となる組織形態を研究し、様々なハイテクを駆使しながらシミュレーションを行なっていたが、そこに浮かび上がった構図は、これまでの100年の常識を完全に覆すものであった。
 
私は、これらを自身の仕事である葬祭業に照らし合わせ、この番組を興味深く見ていたが、現在の葬祭業、宗教界が陥っている社会状況が、はっきりと見えたような思いを抱いている。
 
マニュアル化、ベルトコンベアー型の葬儀サービスを提供する大規模葬儀社、また、永い伝統と歴史に輝く総本山からの通達に左右されるお寺様の世界。そこには、もう、崩壊の図式が成り立っていたように思えてならないところです。
 
フォード社の例として、新型車をラインで製作すると自然に20数万台売れたものが、今や1万台まで減少してきており、お客様と直接携わるポジションや、自分の意見さえ出すことの出来なかった工場スタッフにも権限を与え、お客様が何を望んでおられるかという個性化、多様化体制を整え、ピラミッドは見事に逆三角形の構図となってしまっていた。
 
私達の加盟する日本トータライフ協会では、これらのことを6年前ぐらいから提案し、全国に点在するメンバー達がそれぞれの会社で、「お客様本位」の見直し姿勢をソフトとして重要視してきたが、メンバー専用掲示板でのやりとりを見ていると、それらが見事に具現化され開花してきていることを実感している。

 家族葬、自由葬、無宗教、偲ぶ会、お別れ会、ホテル葬など、従来にはなかった言葉が今や常識化されてきている時代に、お仕着せ型の白木祭壇だけを売り物にしている業者さんの存在。

また、ご遺族のお気持ちの理解やご要望に対して、一切耳を貸さないという姿勢を貫き通される一部の宗教者様の存在。私達は、今、心から危機感を抱いていただきたいと願っています。
 
情報社会と言っても絶対に変わらないことがあります。それは、死が誰にも平等に訪れるということであり、その悲しみは万国に共通し、これからも変わることのないことでしょうが、終焉の儀式の「ありかた」は時代と共に変革されてくることだけは確かなようです。

ある社会学者がおっしゃっておられた次の言葉が気に掛かります。
 
「葬祭業は、お客様の無知のうえに成り立ってきた産業である」
「無知」は情報社会ではすぐに「賢者」となってきます。
 
弊社では、「愛」と「癒し」のキーワードを重要視し、サービスを提供せていただく過程で「命」と「宗教」を重んじています。
 非常に僭越で「いいかっこ」的言葉で表現いたしますと、次のようになります。

<葬祭業とは、参列者に「思い出」を「形見」として差し上げること。そして、故人とご遺族のお心残りを解決して差し上げること>

 大規模葬儀会社の崩壊、そのキーワードが上記であると断言する今日の「独り言」です。

2002/05/12   協会 メンバー掲示板から    NO 72

一昨日、「星」のことに関する表記をいたしました。

今日は、弊社が加盟する日本トータライフ協会のメンバー専用掲示板から、今日の午前中に書き込まれていた一部を紹介申し上げます。

私達の協会では、お悲しみの深いご遺族に、故人のお名前による星名国際登録を行なって、プレゼントをしています。

来る7月には、北海道研修会が開催されることになっており、これらのことをご理解いただきながらご笑覧くださいましたら幸甚です。


ページを開くと、美しい星空の画像があり、北海道のメンバー「感動の大崎君」からの書き込みがありました。

Shooting Star(流れ星) 〜あなたの涙が笑顔に変わるように〜

たった今、北海道研修のテーマが決まりました!!
北海道研修では、宿泊会場から車で30分の所に街の明かりが全く届かず、普段見えない小さな星も見えて、10秒に1度位の割合で流れ星の見える所がございますので、希望者に午前1時ごろ、その満天の夜空をプレゼントさせていただこうと考えています。

日常の仕事を離れ、少しでも皆様の心が癒さればと考えました。
  当日が、お天気でありますように・・・・☆


<返信> 高知県 おかざき葬儀社 (注・・「ほっと一息」を毎日発信されている女性)

表記欄には、☆が一面に貼り付けられる演出がされてありました。

 「時は流れていくけれど、思い出を残してくれる。心の中に」

 堀 明子さんが小学校4年生のときに書かれた「時」という詩です。
 Shooting Star(流れ星)
  〜あなたの涙が笑顔に変わるように〜 ☆
     北海道で、思い出の種をいっぱい見つけよう♪


<返信> 大阪高級葬儀 (今春に大学を卒業して入社の新人女性スタッフ)

夜空の星に☆感☆動☆です!!

都会のくすみがちな空しか見たことのない私は、流れ星なんて見たことがないのです。
北海道の夜空、今までに星になられた人たちの笑顔を見ることが出来るのですね。
北海道研修会には参加することができるのか、私達スタッフの中で選考が難しいのです
が、一足お先に「ほっと一息」つかせていただきました。


北海道研修会、弊社のスタッフ全員を連れていってやりたい思いである。

研修会に参加したメンバー達、満天の夜空を見ながら、星のプレゼントをさせていただいた方々のことに思いを「逢」わせて、きっと全員が感動の涙を流す筈である。

2002/05/12   西向く士(さむらい)    NO 71

小学校の低学年の頃、30日までの月を「小の月」、31日まである月を「大の月」と教えられた思い出がある。

「2・4・6・9・11」の「小の月」を覚えるために生まれた語呂合わせが「西向く士(さむらい)」で、「士(さむらい)」とは、「十」と「一」の組み合わせとなっていた。

20年前に、愚著「葬儀屋・七万歩才のあの世の旅」を書いたが、その脚本の背景になったのがこの「西向く士」に関係することで、物語は、葬儀屋が突然に死の世界に迷い込み、あの世で閻魔大王をはじめとする「あの世の裁判官達」との会談を描いたもの。

中国の影響の強い経典に「十王経」というのがある。「十王」とは来世の裁判官。初七日から四十九日の満中陰、そして、100カ日、一周忌、三回忌を合わせて「十名」存在しているという教え。

これは、来世存在を素晴らしく表現し、この世での勧善懲悪を解り易く説かれたものである。

さて、今日のテーマは「1・3・5・7・8・10・12」という「大の月」のことを何と表すか、ということである。

答えは「いざ、五七夜(ごひちや)の十王」経と、うまく語呂合わせが成り立ち、その意味は上述の十王経につながってくる訳である。

「十二」は、「十」と「二」を合わせれば「王」という文字になります。


「西向く士」の「西」は、「西方浄土」という思想につながり、次のような教えを受けたことがあった。

<戦乱で身も心も疲れ果てた士(さむらい)が、ある時、自身の愚かさに気付くことになり、何れ自身が行くことになる西方浄土を思って帰依し、刀を捨てるということ>


今日は、皆様にプレゼントを考えました。愚書「小説 あの世の旅」・・380ページを
ご笑覧いただけるお方、先着で30名様に送付申し上げます。

内容は20年も前のことで、現在の私の発想とは異なる部分も多くありますが、このページへのご訪問に対するささやかなプレゼントとお考えいただければ幸いです。

ご希望のお方は、「ご住所」、「お電話番号」、「ご芳名」をお葉書かメールでお申し込みくださいますようお願い申し上げます。

ご訪問、誠に有り難うございました。
  

2002/05/10   SAORINさん ・・・有り難うございました。   NO 70

 ある日、友人から電話があり、奇妙なことを教えてくれた。

私のホームページを開くためにグーグル検索で「久世栄三郎」を打ち込んだところ、私の娘がHPを発信しており、私のことを表記しているというのだ。

そんな話を聞いたこともなく、驚いた私は、すぐに自分で自分の名で検索をしてみた。

久世栄三郎の検索結果は47件。その中に初めて見るページが13番目に登場していた。

登場タイトルは「STARS」。アドレスには「SAORIN」と確かにある。

私の娘はローマ字で表記すると「SAORI」、現在、関東に在住し、東京へ出張する度に初孫との時間を楽しみに会っているが、そんな話は初耳だ。娘の名を知っていた友人が、そう思ったのは当然のことだろう。

早速に娘に電話で問い合わせてみても「知らない」というばかり。
そこで、恐る恐るクリックとエンターボタンを押して見た。

そこには「空の星」とタイトルが付けられ、冒頭に次のようなことが表記されていた。(原文のまま)

これまたこのコーナーも久々のUPだわ。
今日は、新聞で読んだちょっといい話を、一つ
以下、毎日新聞10月1日付けより抜粋

内容は、私が毎日新聞の社会面のトップ記事に掲載されたことについて書いて下さっていた。
(記事の内容ににつきましては、この弊社HPサイトマップで、星名国際登録をご覧くださいませ)
 
私がこの方のHPを開くことが出来たのは、このページだけで、不思議な感じで読んでいた時、横に座っていた女性スタッフが、「社長、これは、他にもページがある筈ですよ。私が開いてみましょう」と、器用な手つきでボタンのクリックを押し始めた。

やがて、登場した「SAORINさんの世界」、それは2人が驚くレベルの内容だった。
日記、エッセイ、絵や写真の作品、BBSなど、非常にグローバルな世界が広がっており、また新しい世界を勉強させていただくことになった。

上述の表記は、エッセイのコーナーに存在していたが、終章の部分を下記申し上げ、この有り難い「えにし」に感謝をさせていただきます

<人間のものではない宇宙の星に名前をつけ、登録料を取るという会社(アメリカ)があること自体には、ちょっと?と思うのですが、アタシはそんなことよりも、この久世さんという方の、遺族へのいたわり、なぐさめの姿勢にすごく感動しました。星に名前をつけても、死んだ人は戻ってこない。だけど、空を見上げたときに、あの星がお母さんの星なんだと、と思えるだけで、その子どもたちがどんなに救われることか。いつも、お空の星になったお母さんに、話しかけられるよね。きっと、お母さん星も空から見守っていられるでしょう。
最近、あまり明るくないニュースばかりの中で、心が温まるお話でした。>

SAORINさん、有り難うございました。   ・・・・・・合掌

2002/05/09   「お心残り」解決サービス    NO 69

昨日の「独り言」、宗教者の皆様にはご立腹されたお方も少なくないことと存じます。
なにとぞ、ご海容くださいますよう。

宗教者が「在家」と呼ばれる一般の方々は、通夜、葬儀という2日間の間に、ちょっとした心配り、気配りで、お喜びになることが多くあります。

私達がサービスという仕事の中で最も重要視することは、ご本人、ご遺族の「お心残り」を解決して差し上げることだと考えています。

日本トータライフ協会に加盟する葬祭業者達は、全国で「愛」と「癒し」のサービス提供を実践し、メンバー専用掲示板にリアルタイムで情報発信され、その「和」「と「輪」が広がっています。

今日の午前中に行なわれた弊社のご葬儀で、私が司会を担当していた終了時に、次のようなことがありました。

その葬儀は、最近に流行の「家族葬」形式で、お花を中心にしたシンプルなご祭壇をお飾りし、「おばあちゃんらしいイメージです。有り難う」と感謝のお言葉を頂戴してから進行が始まりました。

式次第が滞りなく済まされ、お寺様がご退出。やがて、お柩が開かれ、ご家族、ご親戚の皆様のお別れが始まってしばらくした時、「あれだけが心残りね」というお言葉が発せられました。
ご出棺後、火葬場に向かう車の中で伺ったお話でその事情が把握出来た訳ですが、おばあちゃんは近所の「団子屋」さんの「みたらし団子」がご好物で、ご遺族が葬儀の始まる30分前に購入されようと行かれたところ、まだお店の体制が整っておられなく、仕方なし式場に戻られたそうでした。

さて、お柩の蓋が閉じられる前のこと、ご当家を担当していた責任者が紙袋を差し出した。中には「熱々」のみたらし団子がある。

ご家族の残念そうな会話を耳にしたスタッフの機転が功を奏したようで、「有り難う」と、周囲の方々が涙を流しながら喜んでくださってご出棺となった。

団子屋さんも、いつもみたらし団子をお買い求めに来られていたおばあちゃんのことをご存じで、事情説明から大至急で作ってくださったそうです。
団子屋さんに感謝申し上げます。有り難うございました。

さて、こんなサービスの話題、お寺様の一部には「そんなことをして」と、ご遺族や私達に「葬儀の意義」から説教をされる方がおられることも事実です。

不幸の中で少しでも「不幸でない」ひととき、それは葬送にあって重要なことだと考えており、社員達には徹底してサービス提供に取り組むという指示を出していますが、責任は社長である私にあり、ご叱責はすべて私にお願い申し上げるところでございます。

あのお店の「みたらし団子」は有名です。私も大好きです。おばあちゃんに・・・合掌

2002/05/08   葬儀変革の社会潮流     NO 68

儒教精神の稀薄は、宗教離れと言う傾向に顕著となり、葬儀にあっても無宗教の風が強く吹き始め、その背景には、昨日のブライダルに見られるように個性化、多様化の具現願望が秘められていることは確かなようだ。
  
「故人の人生表現をして欲しい」との要望は高く、「宗教者のご意見を伺ってから」との中立的な立場での対応を提案すると、その大半が「出来なかったら、無宗教で結構です」とさえ言われてしまう現実。

宗教者の方々には、こんな社会の意識変化を是非、真剣にお考えいただきたいと願い、過日の新聞記事「檀家であるが信者でない」という言葉の恐ろしさを思い出しているところです。
 
ご遺族や葬儀委員長の要望から、故人の生い立ちナレーションを創作することが多くありますが、できるだけ「宗教」と「命」をコンセプトにした草稿に取り組んでいます。

しかし、式次第に組み込んでいただくためには宗教者のご了解を必要とし、打ち合わせを行なう訳ですが、大半が、「そんなものは寺院が入る前に済ませなさい」「寺院が下がってからやればよい」とのご意見であり、時には参列者の大半が来られていない時間帯に行なうこともありますが、「皆さんに聞いていただけたら、もっとよかったのに」と言われるご遺族のお声が強く、正直に申し上げて苦悩いたしております。

一人の方の人生を言葉で表現することは簡単ではありません。故人やご遺族の「お心残り」だけでも取り上げたいと考えても、「ナレーションは、何分だ」「2分ぐらいに出来んのか」と言われるお寺様のご意見、宗教者が葬儀で最も重要なご存在であられることを誰よりも理解していても、こんな社会背景の中、何らかの意識改革も必要ではと考えてしまうこの頃です。

昔、写真技術が向上し、祭壇に「ご遺影」が飾られることになってきた時代、祭壇に「遺影は不要。置くな」とのお考えのお寺様が多くおられました。地方に行くと、今でもそんなお考えで、頑なに「作法」を強制されているケースに出会うことがあります。

宗教の信念、教え、作法は絶対的に重要で大切でしょうが、今、目前に悲しみにくれるご遺族の不幸を、少しでも不幸でないようにとのお考えも重要ではないでしょうか。

全国のメンバー達の交流から、様々なお寺様がおられることを知ることになりました。

お通夜で行なわれた感動のご法話も、いくつも教えていただき嬉しく思っています。
 
ある真言宗の高僧が導師をつとめられた時、葬儀社がご本尊を間違って「南無阿弥陀仏」のお軸を掛けてしまったことがあり、式中に気付いた責任者が、葬儀の終了後、平身低頭に謝罪を申し上げたところ、その高僧は、次のようにおっしゃられたそうです。

「阿弥陀様にもご来迎いただいて結構なことではないか。線香が、ローソクが、花が、そんなことも小さなこと。私は導師をつとめる宗教者、何もなくても故人を送ることが出来る。戦地や砂漠で亡くなった方ならどうする。何もないところで葬る訳じゃ。これでないといかんということでは小さい。もっと心を広く持とうではないか」
 
研修会で、このお話しが登場した時、「導師」とは何か「宗教者」とは何かという、大きなテーマをお与えいただいたような思いがいたしました。
 
 また、一方に、「私と葬儀社さんで、故人がどんな立派な人生を過ごされたかということを表現しようではないか。何でも良い、アイデアがあれば一緒に考えよう。これからは、遺族が癒される葬儀も重要だ」とおっしゃられたお寺様もおられました。

その葬儀は、時間が20分ぐらい長くなる設定でおこなわれましたが、ご遺族、参列者からどれだけご賛同のお声を頂戴したかがご理解いただけると思います。皆さんが特に感動されたことは、導師様が故人に呼びかけるようにしてお話しをされたこと。

「檀家ではないが、住職の信者になる」ということも起きつつある時代なのです。
 

2002/05/07   ブライダルの変化に思う   NO 67

10数年前から比べると、ブライダル産業が大きく様変わりをしてしまった。

媒酌人の存在しない結婚式、人前結婚式の増加など、今、適齢期の女性のアンケート調査では、80パーセントに近い方々が媒酌人を無用と考えているそうだ。

「家」と「家」の結びつきから、「人」と「人」の結婚という意識変化もあるだろうが、私は、日本人の心の根底にあった「儒教精神」の稀薄も原因していると考えている。
 
変化の始まりには、需要と供給のバランスに生まれた様々なニーズ変化が猛烈な速さで進んで行き、その影響を与える存在になったのが、出席者の体験に生まれた「疑問」の解決だった。
 
一生に一回だから「大切に」ということは変わらないだろうが、無駄の削減や個性化、多様化は社会の自然ニーズ。ホテル側の勝手な事情で構築されていた「パックシステム」が崩壊していったのは当たり前のことだろう。
 
一生に一回のことだから、私の「わがまま」を許してという新婦の願い、情報社会の中で、それに応える窓口を探し求められることは当然で、新郎新婦の中には、ホテルの担当窓口以上のノウハウと情報を集約していることも少なくない。
 
「みなさんこの形式です」「昔からこうなんです」というようなお仕着せ型。そこに若い人達が反発して離れていったのは自然の流れ、仕方がないことだろう。
 
「新郎新婦とご一緒に考えましょう」をキーワードに、ブライダルプロデューサーの登場する時代。次に自分達のブライダルを迎える友人達の間で、出席体験に生まれる情報伝達がどれほど大きいかご理解いただける筈で、ネット社会が拍車を掛けているようだ。
 
デパートなどに存在している式場斡旋ビジネスにも、厳しい風が吹き始めている。

新郎新婦は、現代的な考えで情報だけは入手するが、斡旋ビジネスが式場側からのマージンで成り立っていることを常識として知り、自分達が負担をする必要はないとの合理的な考えが強く、多くのホテルも手数料の負担を真剣に考慮し始め、オリジナリティなブライダル提案に真剣に取り組んでいる。

偲ぶ会、お別れ会、社葬など、ホテルでの仏事サービス構築のために、プロデューサーとして招聘されることが多くなってきているが、ポストブライダルと発想して取り組まれるホテルに、このビジネスの将来は絶対にないと断言するところで、ブライダルへの意識改革を含めてレクチャーをすることにしている。

また、ホテル側で仕事に従事されているブライダル司会者の皆さんが、仏事サービスに対して安易に考えられている姿勢が見受けられ。その恐ろしさの教育も重要視している。

明日は、儒教精神の稀薄に伴う先祖供養の意識低下から、「葬儀」の変化について表記させていただきます。

業者任せ、他人任せから自分や家族で考えられる時代の到来。昔ながらの「お仕着せ形式」への抵抗感発生など、それらは、ブライダルの姿に似る様相を感じていますが、そんな一部を僭越ながら提起申し上げます。
 

2002/05/06   凝り性の道楽

「バカ」の冠がつくほどの「凝り性」である私は、これまでの人生で多くの愚かなことをやってきた。

しかし、目標だけは高く定め、どのようにしてそこに到達するかというシナリオ構築を行い、練習の時間や到達するまでの期間は誰よりも「速い」ことだけは誇れると自負している。
 
ここまで言うと、自信過剰な嫌味なタイプと思われるだろうが、共に興じてきた人達が周囲に多く、その事実が語り継がれてきているので「知る人ぞ知る」ということにしておいていただきたいと願っている。
 
若かりし頃に卓球に取り組み、社会人になって「大阪社会人大会の優勝」を目標とし、優勝と同時に卓球を卒業し、その当時に流行のボウリングを始めた。
 
まず始めに疑問を抱いたのはボールに付着してくる「オイル」、それがレーン上に敷かれている原因を本で学ぶと理論の分析に取り組んだ。

ここでの目標は総合大会で優勝すること。3年後の大会で、団体、ダブルス、男子シングルスのオールエベンツ優勝で卒業した。
 
次に始めたのはゴルフ、これは難しいものだったが、月に数冊の専門雑誌を購入し、徹底して理論研究をしたが、しばらくはさっぱり解らなかった。
 
ぱっと目覚めたのは、テレビでプロゴルファーのトーナメント中継を見ていた時。全員が美しいスウィングをしていることに気付いた。

それは、「正しいスウィングをすると美しいフォームになるのだ」との悟りにつながり、その日から練習場通いを一切止め、毎日15分の素振りを始めたことにより、ハンディキャップは12から10へ、やがて、月例優勝、研修会優勝などで9になり、そこから短期間で7まで進むことが出来た。
 
しかし、そこから進むことが出来なくなった。仕事での重責がアップし、断念せざるを得なくなったからだが、60歳ぐらいになったら「歩き」を目的に再挑戦してみたいと思っている。
 
一方で「道楽」となってしまったのが「へら鮒釣り」だった。ちょうどその頃、拙著に取り組み始めたこともあり、ストーリーの壁に当たると早朝から奈良県香芝にある「分川池」に出掛けた。
 
「へら」で凝ってしまったのが道具、特に竹竿の蒐集。天下の名竿、それも竿師の「記念作品」と呼ばれる芸術的なものに興味を抱いてしまったのである。
 
発端は「職人の世界」への興味。竿師の個性がすべて凝縮される竹竿の微妙な「感触」の魅力に引き込まれていた。
 
そもそもきっかけとなったのは、ある釣り名人の死。その方の葬儀を担当し、多くの名竿を柩の中に納められようとされた時、「お知り合いの方々に<形見>としてお使いいただくことも大切では」とアドバイスをしたことであった。
 
その時、一本だけが柩に納められ、残りは参列されておられたご友人達にプレゼントされたが、「使用する時、師匠を思い出すことが出来ます」と皆さんがおっしゃられたことをご遺族が喜ばれ、その内の一本を私が頂戴することになったのものです。
 
その竿の名は「竿春」、随分古い時代の物であったが、火入れなどの手入れが行き届いており、素晴らしい宝物であった。
 
「源竿師・山彦・こまどり・至峰・影舟・櫓声・一文字・夢坊」
 
これらの名竿は、私の道楽の足跡として、今も大切に保管されている。

2002/05/05   アンパンマンさん有り難う・・・パート2    NO 65

今日、嬉しいメールが入っていました。

何気なく開いてみた弊社のHPで、この「独り言」にご興味を抱いてくださり、3月1日の発信スタートまでのすべてを遡ってご笑覧いただいたそうで、エールを贈ってくださいました。

 本当に有り難いことで、心から嬉しく感謝の返信を表記申し上げました。

 その方のお歳は分かりませんが、文章のイメージから女性であるということと、3月21日に発信した「アンパンマンさん、有り難う」の文章内容が、ご自身が「お孫さん」とのひとときで同じご体験をされたそうで、「懐かしい」と書かれておられたことから推定させていただくと、60歳は超えられておられるのかなと思っています。
 
 過去ログの中に表記されていますが、葬儀に於けるお孫さん達の存在は本当にいいもので、ご出棺の前の「お別れ時」での光景で、私の発案した「命の伝達式」が相変わらず大好評を博している。
 
ある「お婆ちゃん」のご葬儀で、お孫さん達それぞれが「お手紙」を柩に納められたことがあったが、こんな葬儀に携わると、葬祭業の仕事に従事している自分が誇りを感じるひとときでもある。
 
その「お婆ちゃん」のご葬儀で、もうひとつ感動する出来事があった。

それは、初孫にあたる3年生の小学生の女の子が、お母さんに急かされるようにして柩に近づいてきて始まった。その子の手には紙袋があり、中からびっくりする物を取り出された。
 
「お婆ちゃん、有り難う」、そう言って柩に納められたのは「アンパンマン」のぬいぐるみ。

やがて、お母さんがそれについての思い出話を始められた。それによると、同じぬいぐるみが二つあり、一つはお孫さん、もう一つはお婆ちゃん自身がお持ちであったそうだ。
 
今回に入れられたのは「お婆ちゃん」の物。初孫が誕生されてから、お婆ちゃんのプレゼントはいつも同じ物を二つ買い求められ、それらをご自宅に並べながらご成長を楽しみにされておられたそうだ。
 
それは、命の伝達式前の出来事で、私は「形見」として残された方がいいのにと思っていたが、事情が分かってほのぼのとした心情になった。
 
そこで、昨年の秋に、私が孫を連れて行った高知県土佐山田市のアンパンマン・ミュージアムでの出来事を思い出した。
大きな画面の中からアンパンマンが登場し、「よかったねえ」と呼びかけた声だった。

・・・・お婆ちゃん ・・・「よかったねえ」・・・

2002/05/04   とんでもない         NO 64

弊社が加盟する日本トータライフ協会が、組織らしい団体となってからの年月は浅く、協会HPを発信してからも、まだ、1年と4ヶ月しか経っていない。

徐々に「かたち」となりつつある頃、全国の業界で「とんでもない」という嘲笑の声も発生していた事実がある。

少子化高齢社会を迎え、葬祭業界が成長産業「ビジネス」と分析される時代に、逆行するように「愛」「命」「癒し」を理念共有することが「とんでもない」と言われた訳である。

元々、正、副理事長に就任している二人は、随分昔から「とんでもない」存在として名が売れており、2人の葬祭業に対する分析は「斜陽産業」というところで共通していた。

「東の東京杉田フューネス」「西の大阪高級葬儀」という言葉まで生まれていたように、業界に「異色なイメージ」が勝手に走っていたのだろうと思っている。

「とんでもない」の意味を角川書店編「新版実用辞典」で調べてみると、次のように記してあった。

<思いがけない> <もってのほか> <道理をはずれている>

我々2人は、道理から逸脱し、「もってのほか」だったのだろうか。
我々は、<何れ、ご遺族に歓迎される。社会の賛同をいただける>という、お客様のご満足を「夢」とし、その具現化で葬祭業の文化向上につながればと思っていただけである。

2人の創造した世界は全く異なることであったが、共通していた上述の理念。それは、やがて、信じ難くも完成することになった。

杉田氏は、葬祭哲学の第一人者と称される方で、葬祭式場が全国に3000箇所以上建設される中、独創的な専門式場「シオン」を具現化され、何処にも真似の出来ないレベルのホスピタリティサービスを提供され、全国から同業者の見学が殺到している。

また、私は、15年前に現在のホテル葬の到来を予測し、知的財産に帰属するオリジナルソフト「慈曲葬」を構築。ホテルでの葬送フェアの開催、また、ホテルを会場とするお通夜、葬儀の具現化を行い、「日本で初めて」という新しいサービスシステムは、今、全国のホテル業界で注目を浴びている。

そんな我々の理念を共有したいという人達、それも若いメンバー達が次々に増え、今、協会活動は活気に溢れているが、「葬儀社」になることは「葬儀<者>」にならなければならないという「哲学」に結ばれているようで、嬉しいところである。

3月の東京研修会で、メンバー達が「シオン」での体感研修を受けたが、全員が感動し、杉田氏の奥様の協力で実現した「癒し」のナレーターのひとときは、多くのメンバー達の目に涙が光っていた。

また、過日の高知研修会では、葬祭心理学「悲嘆分析」の資料が全員にプレゼントされたが、これは、杉田氏が外国各地に出掛けられ、持ち帰られた原書を自ら翻訳されたものである。

私は、10年以上も前から、葬祭業の将来に「必ず杉田氏の時代がやって来る」と言い続けてきたが、いよいよその時期の到来かなと思い始めている。

ただ、メンバー達に言わせれば、我々2人は「やっぱり、とんでもない」オジサン達だそうだ。

2002/05/03   社会ニーズの変化と「ネット」社会

世の中はゴールデンウイーク。多くの方々が楽しみにされていた行動をされておられるだろう。
 
一方には、交通機関の関係者、観光地や宿泊施設の皆さんが忙しくされている筈。
 
私達の仕事は、年中無休の24時間体制。正月、お盆、ゴールデンウイークがやって来ると、スタッフ達に気の毒な思いを抱く季節でもある。
 
しかし、大切な方を亡くされたご遺族の存在が全国におられ、そのお世話を担当する葬祭業は「天職」という誇りを持って携わりたいと考え、入社時のはじめに、この意識を求めてきている。
 
上述の時期は、様々に苦労される問題があることも事実で、ご親戚や会葬者の移動に関して、交通機関の切符の手配などでも大きな影響が出ている。

「亡くなったのです」、そんな訃報の連絡をされても、相手が不在のことが多く、ご遺族も参列者の両方に「何で、こんな時に」というお嘆きのお言葉を聞くことも多い。
 
我々の業界にも、間接的に問題が生じている。仕入先の休日、外注関係の人材不足などは、ご遺族のご満足を頂戴するには大きな難問となってくる。
 
さて、昨日、弊社のIT担当からの報告書が提出された。この3月1日から新アドレスで発信した弊社HPのアクセス状況であるが、嬉しい結果報告と同時に身震いするほどの衝撃を受けることになった。

それは、ホテル、葬儀、無宗教などに関するページ発信が急激に増え、たった2週間で5000ページも新しく発信されている事実を知ったからだ。
 
弊社HPへのアクセス数は信じられない数字が並んでおり、グーグル検索によると、すべてのページがそのカテゴリー、キーワードでトップページに登場して来ており、トップページの1番目に表記される一部は、下記のようになっていた。

<企画 演出 プロデュース> <ホテル 無宗教> <ホテル葬 無宗教> <ホテル葬 プロデュース> <ホテル 通夜 葬儀> <ホテル葬 大阪> <ホテル 葬儀 大阪> <ホテル葬 担当> <ホテル 社葬 担当> <葬儀 大阪> <ホテル 通夜> <葬儀 講演活動> <式典総合プロデューサー>

 最近、マスメディアやホテル関係からのお電話を多く頂戴しているが、どうやらその一因がHPにあったようだ。

 旧アドレスを放棄してしまうことに「愛着」もあり、社員や関係各位から「何と勿体ないことを」と言われていたが、たった2ヶ月でこんな状況を迎えるとは全く想像していなかったことで、社会のニーズ変化と、ネット浸透の活用時代到来を恐ろしくも思う今日である。
      アクセス・・・感謝申し上げます。

2002/05/02   映画 「お葬式」

 古い話で恐縮だが、伊丹十三さん監督で話題を呼んだ映画「お葬式」のご記憶があられるでしょうか。
 
脚本が生まれた背景には、俳優宮本信子さんのご実家での葬儀のご体験があり、葬儀社のキャスティングには江戸屋猫八さんが起用され、渋い味のある雰囲気を感じさせておられて印象に残っている。
 
この映画が放映されると同時に、ある宗派の別院さんからお電話を頂戴し、対談のパネリストの要請があった。

日程を決定され、条件はその日までに映画「お葬式」を見ておくこと。詳しいことまで分からなかったが、取り敢えず謹んで承ることとなった。
 
やがて、当日、別院の中にある部屋には、すでに選出された方々がおられ、何度かテレビの番組でご一緒した浜村 淳さん、ぼやき漫才で有名な人生幸郎さんの御令室、生恵幸子さんもおられた。
 
対談の設定は、別院さんが発行されておられる広報誌の特集記事で、浜村さんは映画評論、生恵さんはご主人を亡くされたご遺族の立場、そして、私は葬儀屋のスタンスで進められることになっていた。
 
対談の中で、浜村さんが映画評論家らしいご意見を話された。確か、次のような内容だったと記憶している。

「この映画は、ある観点からすると、日本の歴史に残る2本目となる話題の映画となるでしょう。1本目は有吉佐和子さん原作で有名になった<恍惚の人>で、放映されてから半年後ぐらいに、テレビ局が何度も有吉さんに切望され、テレビでの放映許可を懇願されたそうですが、有吉さんは頑なにご辞退をされました。有吉さんのお考えは、<恍惚>はすべての人々に訪れる重要な社会問題で、映画館に足を運んで見ていただきたい。茶の間のテレビで食事をしながら、また、寝転んで見ていただきたくないということでした」

 浜村さんは、誰もが知る名調子で、そう語ってくださり、「お葬式」も誰にも訪れる社会問題というところから。きっと、有吉さんのお考えのようになるかも知れませんと結ばれた。
 
しかし、残念だが映画「お葬式」は、確か、1年以内にテレビで放映されてしまったようである。

 葬儀屋の立場で申し上げたことは、伊丹さん、宮本さんがご体験された葬儀でのご苦労、裏話が脚本化された訳ですが、もし、この葬儀が大阪で行われていたとしたら、絶対に映画化されることはなかったということ。

それは、ご遺族やご親戚のご負担が軽減される大阪の葬儀社サービスのレベルで、地方とは比較の対照にならないほどの違いがあり、脚本のご発想が生まれなかったであろうということでした。

 伊丹十三さんに・・・・・・・・合掌申し上げます

2002/05/01   「コラム 有為転変」・・・100号発信達成

昨日、日本トータライフ協会の高知研修会のことをしたためましたが、追記として皆様にお知らせしたいことがございます。

 協会のページにある「コラム 有為転変」が、昨日に99本目、そして、本日に記念すべき100本目を迎えることになりました。

 協会メンバーで構成される「コラム委員会」。彼らは高知研修会の開催中に100号目を迎えるところから、記念の日を象徴出来るような内容の「原稿」を募っていましたが、北海道のメンバーから入信した「短い命の物語」が採用され、昨日、本日と「続きもの」として発信されています。是非、お読みくださいますようお願い申し上げます。
 
お母さんの胎内にある時に知った悲しい現実、そこから始まったご家族の愛の日々。それは、お読みいただいた多くの方々に感動のお言葉を頂戴することになりました。
 たくさんのお電話、誠に有り難うございました。 

協会が共有する理念、「愛」と「命」と「癒し」のメインテーマをお感じいただける事実の物語。

それは、殺伐とした社会の片隅に埋もれてしまうような「小さな命の物語」かも知れませんが、メンバー一同が感動して100号に値する内容であると確信いたしました。
 
今後も200号、300号を目指し、委員会の活動が続いて参りますが、委員会専用のネット会議室を訪問してみますと、彼らがその大半を深夜にやりとりされている事実を知ることとなり、その情熱の強さに驚きを新たにし、感謝の意を捧げるところである。
 
全員がそれぞれの地の葬儀社であり、自分達が体験した「辛い思い出」「感動の出来事」「愛と涙の物語」など、次々に送信されて来ており、社会の中で何かのお役に立つこともとの思いが込められたパワーを感じています。
 
それにしても、どんどん増加傾向にあるアクセス数の多さは衝撃的。それだけ世間が「愛」に飢えているのだろうかという分析もあったが、私の願いはひとつ、1000号を迎える頃、葬祭業が社会で「プロ観」を抱かれる時代になってくれていること。それは、彼らの共通する思いでもある筈だ。
 
委員会に在籍する若いメンバー達、あなた達の今後の尽力を心から期待し、100号発信のお礼とさせていただく。

※ 「コラム 有為転変」は、サイトマップ「日本トータライフ協会」からリンクされています。


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