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2002/06/30
悩みの解決 NO 121 |
この数年間、悩んできたことがあった。それは、故人の人生を表現する部分に重要なフォトビデオである。 |
2002/06/29
苦い思い出 NO 120 |
役職の立場にあるだけで、弔辞を読まなければならないことも多いだろう。 |
2002/06/28
悲劇の裏側で NO 119 |
ある時、若い娘さんが交通事故で亡くなられ、それは言葉で表現出来ないような葬儀となり、ご出棺前のお別れ時には、数十人の友人達がお柩を取り囲まれ、ご出棺が不可能な「ギャー」という世界となっていた。 |
2002/06/27
ブラジル 珍道中 後 編 NO 118 |
場所は、空港到着口を出た所にある両替所のすぐ近く。彼は、私がドル紙幣を両替するのを見ていたらしい。 |
2002/06/26
ブラジル 珍道中 前 編 NO 117 |
ワールドカップ、ブラジルが決勝へ進出した。 |
2002/06/25
感動的な光景 NO 116 |
これまでに何度か書いたが、葬儀社の立場で大切なことは、故人とご遺族の「お心残り」を少しでも解決して差し上げること。そして、故人との思い出を参列者の心の中に「形見」としてお持ち帰りいただくことである。 |
2002/06/24
悩んでいます NO 115 |
葬祭業は年中無休で24時間体制。電話の留守番機能が全く必要のない世界である。 |
2002/06/23
郷 愁 NO 114 |
私は、8歳まで三重県の伊勢で育ち、小学校の1年、2年を分教場に通っていた。 |
2002/06/22
マスメディアの誤解 NO 113 |
少子高齢社会の到来を向かえ、葬儀に関する記事やテレビ番組などが多くなり、タブー視されていた世界がオープン化されてきたとの考えもあるが、誰もがその日を迎えることが確実である以上、他人事ではなく自分のことであり、極めてあたりまえの時代だと思っている。 |
2002/06/21
接 待 NO 112 |
ビジネス社会では「接待」ということも重要で、企業が消費する接待交際費は膨大なものである。 |
2002/06/20
JRさんへ・・お願い NO 111 |
東京でのスケジュールを終え、帰阪した。 |
2002/06/20
先生、お元気でいらっしゃいますか? NO 110 |
今日は、出張中で、この原稿を東京のホテルで書いている。また、深夜の発信となり、日付が変わってしまいました。お許しくださいませ。 |
2002/06/18
出会いの中で NO 109 |
私のこれまでの人生にあって最高の宝物は、多くの方々と出会う「ご縁」をいただいたことだろうし、これは、これからも命終の日まで続くことであり、事故死がなければ、最期の出会いは、私の臨終を確認する医師ということになるだろう。 |
2002/06/17
喜びの裏側で NO 108 |
ワールドカップで日本中が湧いている。予想もしなかった日本の予選リーグ1位。道頓堀から飛び込んだ人が1000人以上。美しくない水で「病気にならなければ」と心配している。 |
2002/06/17
ああ、難しい問題だ。 NO 107 |
ハードスケジュールで、この発信は、午前0時を少し過ぎてしまい、16日付けではなく、17日付けとなってしまいますが、なにとぞご海容くださいませ。 |
2002/06/15
今日の欲望 NO 106 |
昔、知り合いのおばさん達が10数人集まり、あるお寺へお参りに行く計画が練られていたことがあった。 |
2002/06/14
親の葬儀から 後 編 NO 105 |
「葬儀屋さん、オヤジの時から8年、葬儀の物価の変化はどうなっていますか?」 |
2002/06/13
親の葬儀から 前 編 NO 104 |
これまでにも記したことがあるが、日本の葬儀は「儒教」の上に成り立って来たという社会背景。今日は、僭越ですが、そんなことに関することをしたためます。 |
2002/06/12
たった、ひとり 番外編 NO 103 |
お母さんの遺志の尊重、娘さんの貯金の範囲内での葬儀。このキーワードは何とかクリアすることが出来たし、この上ない悲しい葬儀の中で、丸一日の2人の時間プレゼント、それは、おばさんと私の信頼によって生まれたものである。 |
2002/06/11
たった、ひとり 後 編 NO 102 |
「**ちゃんが、自分の力でお母さんの葬儀を行なうこと。それを大切に考えて欲しいの。葬儀屋さん、あなたなら出来るでしょ」 |
2002/06/10
たった、ひとり 中 編 NO 101 |
ご逝去されたのは、ご自宅。彼女は、病状の悪化から、10日ほど前に看病のため会社を休職。それまでは、このおばさんが毎日、定期的に訪問看護をされていたことも知る。 |
2002/06/09
たった、ひとり 前 編 NO 100 |
今日は、発信の日より100日目を向かえ、「NO」が3桁になりました。 |
2002/06/08
今日の葬儀から NO 99 |
私が今日マイクを担当したのは、午前と午後、お2人の葬儀だった。 |
2002/06/08
前 夜 式 NO 98 |
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2002/06/06
故人の遺志 NO 97 |
真夜中に電話があった。相手様は私の古くからのお知り合い。30数年間もの永い歳月、お店を共にやってこられた大切なご友人が亡くなられたそうである。 |
2002/06/05
テレビ出演の裏側で NO 96 |
東京のテレビ局からの依頼で、1時間の生放送に何回か出演するということがあった。その番組のメイン司会者が著名なキャスターで、葬儀の話題を取り上げる時、必ず私を招いてくれた。 |
2002/06/04
熊本から・・コラム「もっこす」の誕生 NO 95 |
葬祭業は、これまで、忌み嫌われてきた業種としてのイメージがあり、若い人達の就職先の対象となることは皆無で、ましてや女性スタッフの活用など「夢」の世界でもあった。 |
2002/06/03
ある講演でのリサーチ NO 94 |
一昨日、ある大きな団体からの講演依頼があり、来月、担当することになった。 |
2002/06/02
友人からの依頼 後 編 NO 93 |
日本トータライフ協会「コラム 有為転変」は、昨日、今日と連載で、結婚式披露宴で同席となった、病院の院長さんと葬儀社社長の「命と死について」の話。是非、ご訪問くださいませ。 |
2002/06/01
友人からの依頼 前 編 NO 92 |
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